いじめ問題とその指導のあり方  



 何から書き始めてよいかわからないとき、頭を掻き毟りたくなる程の焦燥感に駆られたり、体中の全筋肉の弛緩に急停止を命じることが不可能な程の挫折感に襲われたりさえしなければ、別段、長い嘆息に応じる才覚を要することなく、何からでも書き始めればよいということになる。
 ここ数週間、新聞雑誌、その他で「いじめ」という言葉に出くわすたびに僕はいささか身構えた。与えられた課題に答えるべくヒントを追い求めて呻吟する我が姿は、まさに「いじめられているのだ」と了解して開き直ることに決めた。
―「いじめるな」「いじめられるな」「いじめられても死ぬな」―教室の生徒の所作に気を配り家庭とも連絡を密にして日夜努力すべし。されど睡眠時間を削りてまで刻苦勉励すべからず。体を壊しては元も子もなし。以下はここ数週間で目にし耳にしたことを雑談ふうに綴ることとする。 
 「ウガンダの首都カンパラからトランス・アフリカン・ロードをビクトリア湖沿いに走り、丘をいくつも上り下りし、赤道を越えて、南緯0・5度くらいまで来るとマサカという町に至る。」 辺見 庸著『もの食う人びと』の中の一章「バナナ畑に星が降る」はこう書き出され「いまあるもののみを食べ、叫ばず騒がず、明けてはやせ、暮れては衰えていく人びとが住まう」現実を描き出す。
  『人口八十三万人というこのマサカ地域で、もの食う人びとを見た。言葉をなくした昨日も今日も村民が エイ ズで次々に倒れ、じつに十二万人の子供が両親か片親をこの病で失っていたのだ。その村のアリスと いう十 三歳の少女も、この四年間に両親をエイズで相次ぎ亡くしていた。彼女に、チョコレートでも持ってくればよかったのだが、気がきかず申しわけないとわびたら「それ、食べたことない」と言われた。じゃあ、アイスクリームは、と問うと「それも一度もたべたことがない」』 
「子供=チョコ、アイスの常識が常識でない世界はいくらでもある。」 この一文に僕は傍線を施した。
 その辺見氏の芥川賞受賞作『自動起床装置』の発端、語り手の水田満が友人の小野寺聡に抱く第一印象に「いじめ」の語を発見した。
  『よくみるとすごくハンサムなのだ。鼻がツンと尖っていて涼しい面だちをしている。が、首が細い。その分、頭が大きくみえる。
  こいつはこどものころクラスでずいぶんいじめられたろうな、というのがぼくの第一印象だった。色白で首の細い生徒はまちがいなくいじめにあう。でも、しばらくつきあったら、聡というのは、いじめからもいじけることからも、いつかどこかでスコーンと上手に抜けでた男に思えてきた。静かで、なににつけてもあわてるということがないから、ぼくと同い年なのに五つも年長にみえてくる。』
色黒になるために紫外線にあたるとメラニン色素がどうたらこうたら。首を太くするためにはブリッジを一日最低10回。いやそれよりも、あわてず騒がず泰然自若。老荘思想とやらが「いじめ対策」には甚だ有効だと思われる。
 鈴木一栄がいじめにあっているらしい。オーロラ輝子こと河合美智子は叶麗子より有名になってしまった。NHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」が生み出したキャラクターは、その死に際のふくよかすぎる顔がどうもしっくりこなかったが劇中歌「夫婦みち」は75万枚を売り上げ、音楽チャート誌「オリコン」の演歌部門一位を独走、有線放送総合一位を達成。「大みそかの紅白歌合戦出場は確実とみられているが、面白くないのは本職の歌手、特に女性演歌歌手だ。」とスポーツ新聞が伝えている。
  『冗談じゃないわよ。なんでコブシも回せないようなド素人が紅白に出るのよ。横の連絡を取ってなんとしてでも、彼女の紅白出場を阻止してやる」某ベテランがNHKの楽屋で声高に言えば、紅白に手が届くところまできた某若手は「あの子の持ち歌は二曲しかない上に、何の実績もないじゃないの、もし彼女が選ばれて私が落ちたら、何かアクションを起こすつもりよ」と言い切る。実際、オーロラが同局「歌謡コンサート」に出演した時、あいさつした女性演歌歌手からは返事がなかった。楽屋には冷たい空気が流れ、オーロラは泣き出しそうになったという。』
古来、出る杭は打たれてきた。紅白に出場できる演歌歌手の枠がせいぜい七つだとすると他の歌手たちのやっかみも仕方ない。演歌の世界にどろどろしたものはつきものだ。理由がはっきりしているいじめなら握りこぶしに力を入れるだけで問題は解決する。
 家族の崩壊をテーマにした作品で芥川賞を取った柳美里は、小学生の頃、どこか拠り所のなさを級友に察知されたのか、黴菌とあだ名されいじめられていたという。黒いランドセルを背負っていた彼女が異質だったからなのか、給食当番が彼女の時は黴菌が配膳した物は誰一人手を付けてくれなかったとのこと。おもいあぐねた担任の先生は彼女を給食当番から外したが、その処置が妥当であったかどうか。又、金づちであった彼女が出場した水泳大会では「おえー」という嘔吐の声を背にプールを歩いたことがあったという。さらには座席に押しピンを置かれたり遠足の班に入れてもらえなくて先生と一緒に弁当を食べたり、運動場の真ん中で身ぐるみ剥がされたりと、それはそれは悲痛な出来事の体験者であった。後年「東京キッドブラザーズ」という劇団に入った彼女に劇団の主宰者東由多加氏が言った。「マイナスの体験が表現する者にとってはプラスになる」と。いじめられた体験が彼女を瀬戸際の表現者に変え、表現者として多くの引き出しが用意されることになった。いじめられて辛い時には彼女は書物の中に逃れた、とも語っている。ルナール描くところの、髪の毛が赤く顔中がソバカスだらけの「にんじん」も、書物の中で孤独を癒した一人である。ヴォルテールの叙事詩『アンリ王の歌』やジャン・ジャック・ルソオの『新エロイーズ』をかれは愛読した。ホラー映画をみるよりは健全であろう。
 「鶴瓶、ざこばのらくごのご」にゲスト出演した黒柳徹子は、ユニセフ大使として各国を歴訪し見聞してきた悲しい事実を目の回りを黒くして語った。それこそ骨と皮ばかりになって苦しんでいても何一つ親に文句を言わない子供達の話。ボスニアの悲劇、「ここにいては危ないからと避難する時にね、子供はどうしても縫いぐるみの動物を持って行きたがるの。それを親が今はそれどころじゃないのよとあきらめさせる。空襲が終わってやっと元の住まいに。子供はまず一番に大好きな縫いぐるみを抱こうとする。そこに爆弾が仕掛けてあるの。罪のない子供達を殺す目的で。」桂ざこばは天井を仰ぎ必死で涙をこらえようとしていたが声は潤んでいた。「あなたは私の話で泣いて下さったのね」と黒柳さんも声を詰まらせた。「世界の子供達の85%が戦争や飢えで今なお苦しんでいるのです。残りわずかな幸せな国にいて、なぜいじめたり、いじめられて命を絶ったり、・・・」
 番組を見終わったあと僕は、ざこばが朝丸の頃よく演じていた「動物いじめ」のネタを久しぶりに繰ってみた。「キリンいじめるんですな、キリン。キリンちゅうのは長い首してますな。キリンにえろう熱いもん食わしてやるんですな。キリン熱がりますな、いつまでも熱がりますな。カメレオンいじめるんですな、カメレオン。カメレオン、カラーテレビの前つれていくんですな・・・ 」                     
                             (一九九七年六月)



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