読書について
「新聞でテレビの番組表を見るのと、書店で書棚を見るのが怖い」と言う人がいる。
「こんなに見なければいけない。こんなに読まなければいけない。そういう圧迫感で目の前が暗くなる。」と彼は感じるのだ。
確かに紀伊國屋なり旭屋書店などに居並ぶ本と、それらを取り囲みそぞろ歩く人々の群れの中では息詰まる思いがする。
おびただしく出版される本の数々。必要に迫られて読まざるを得ない本。情報洪水の中を泳ぎ切ろうと速読法の本を買い求めたが、いまだに読み終えていない。僕の脳からはアルファー波はなかなか出て来ない。
そんな折に、「本を読むのに何より大切なことは、ゆっくり読むということである」というエミイル・ファゲのことばに励まされた。
読書とは、書物の中に、自分の生き方にかかわる何ものかを求める行為である。自分の生き方をせっかちに求める必要はないのだ。
読書とは男女の出会いにも似ている。生涯の伴侶となる座右の書と出会うためにはゆっくりと想いを寄せる必要がある。
愛する人に薦めたい本が見つかればいい。
愛する人から薦められて読む本の味わいは又、格別だ。
愛する人がまだ見つからない人には「ひとり燈のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる。」という兼好法師のことばが心に染みるのではないか。
最近の若者は本を読まなくなったという統計のウソを信じてはいけない。様々な形で愛を求めるのが若者の特権であるのだから。
(一九九〇年四月一日 清水谷高校44期高校生活 )