あとがき




一篇の愛の詩を手渡したところ、
その重みには耐えられないからと突き返される夢を見た。
つらい寝覚めであろうとも、思いが伝わったのだとすれば
断じて悪夢なんかじゃない。
「一篇の詩を生むためには、いとしいものを殺さなければならない」田村隆一さんの詩の一節を思い出した。

一九七九年、父親として生まれて以来
吉野弘さんの詩にあるごとく
「父は きびしく無視され やさしく避けられて」いるのだろうか。妻に抱かれブランコに揺れる子供の姿をビデオに収めたこともある。 
三十代の卒業生からは
「僕の今の歳よりもずっと若い時の先生に習ったのですね」
と言われた。
二十代の卒業生からは
「私が生まれた頃から先生は先生なのですね」
と言われた。
僕のアルバムの中に君達が、君達のアルバムの中に僕がとの願いは二十三の春から黒板を背にしてきた者の思い上がりだ。
しかしその気持ちを失えばこの商売は立ち行かぬ。

「初めて 卒業生を送り出す 春に」
ガリ版刷りの詩集を百部作った。
手元に一冊だけ残った『ウ・カンナム氏の軌跡 '70〜'81』から
「儀式」「レーゾン・デートル」を再録し
交野高校在任六年目から八年目の作品を二篇挟んだ後
清水谷高校在職十四年間に生まれた詩の数々の中から四十一篇を
ほぼ成立順に並べ『続 ウ・カンナム氏の軌跡』とした。
詩の選択には「編集工房ノア」の涸沢さん、職場の先生方、卒業生諸君、我が女房の意見を大いに参考にした。
お蔭様でとのことばを儀礼的でなく使えるのはまさに今だ。

酔いに任せて網棚に一篇の詩を置いたまま電車を降りて
見知らぬ人が手にする姿を思い描いたこともある。
松田彰氏の作品が表紙を飾る一冊の詩集を
今、手にして下さったあなたに
僕の思いがどのように伝わるのだろうか。

兼好法師は執筆後の心境を「あやしうこそものぐるほしけれ」
と書いて見事な照れ隠しとしたが、
断じて僕は「よしなしごと」を書いたわけじゃない。


一九九八年一月二十二日  四十五才の日に              
                                         赤井宏之




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