2002年度タンチョウサンクチュアリセミナーの記録


2003年3月21日(金) 「私が見た中国のツル」 
講師:林田 恒夫氏(自然写真家)

2003年2月22日(土) 「酪農地帯のタンチョウ事情 〜人とタンチョウの共存に向けて〜」 
進行:サンクチュアリ レンジャー

2002年12月7日(土) 「ワシ類の鉛中毒について」 
講師:黒沢 信道氏(ワシ類鉛中毒ネットワーク代表)

2002年11月17日(日) 「チベットのオグロヅル」 
講師:松本 文雄氏(阿寒国際ツルセンター 研究員)

2002年10月27日(日) 「ヒツジの国の自然 〜ニュージーランドの自然再生事情〜」 
講師:日高 哲二氏(ネイチャーオフィス オルダー 環境教育コーディネーター)


3月21日(金) 「私が見た中国のツル」
 
講師:林田 恒夫氏(自然写真家)

 千円札の裏に描かれているタンチョウのデザインに使われた写真が有名でタンチョウの監視人も務める等保護や研究にも関わって来た林田恒夫さんに中国で出会ったツルの話をしていただきました。林田さんは中国を5回訪れていますが、1、3、4回目に訪れた東北部の黒龍江省チチハルにあるザーロン自然保護区の話が中心でした。

 世界中にツルは15種いますが、中国では野生で9種類が確認されています。ザーロン自然保護区は21万haと釧路湿原の10倍以上の広さがあります。野生のツルはいつでも見られるわけではなく、やはり中心施設では人工飼育されたツルを見るようになっています。タンチョウは観光客が来ると、飼育舎から外に放されて10m程の距離で見られます。人があまり近づくと離れていきますが、彼らは放しても餌があるのでまた飼育舎に戻ってくるそうです。

 この地域は冬は−30℃まで下がります。本来ツル類の越冬地ではありませんが、飼育により50羽程が越冬しています。人工飼育された同士で、マナヅルに求愛ダンスを誘うタンチョウがいたそうです。メスの方が大きければ交尾でき、交雑する可能性がある、と林田さんは心配していました。(実際に鹿児島の出水では、クロヅルとナベヅルの雑種が確認されています)

 1996年の調査では、ザーロン自然保護区内で346羽のタンチョウが確認され、巣は66ヶ所でした。しかしザーロンではヨシを刈り取りパルプ原料とする農家が多く、タンチョウが巣を作る材料が不足しているのでは、という話でした。1996年以降はきちんとした調査は行われていないそうです。

 この他、ツル類の越冬地で有名な中国南西部の塩城(えんじょう)を撮影で訪れた時のお話も伺いました。現地は2万6千ha程の湿原があり、そのうち100haが1982年より保護区になっています。給餌をせず自然の餌で越冬しているそうです。その分人との距離は遠く、500〜600m離れていて望遠鏡での観察がやっと、そして日によって場所が変わるので撮影は大変だったとの事。ソデグロヅルよりナベヅルの方が警戒心が強く先に飛び立ってしまうそうでした。

 中国のタンチョウやツル類を取り巻く状況は、やはり保護や調査研究と現地での農業や観光との両立が課題で、現在は後者が優先されているようです。現地ならではの事情も含め、人と野生動物の共存には様々な問題があるようでした。

 林田さんは世界のツル15種の野外での撮影をライフワークにされていて、あと1種で達成との事。今回も世界中のツルの写真や分布図、それぞれのツルの現状などを説明していただきました。美しい写真と、タンチョウ保護の歴史を知る林田さんならでのお話に質問が相次ぎ、あっという間の2時間でした。


2月22日(土)「酪農地帯のタンチョウ事情 〜人とタンチョウの共存に向けて〜」
進行役:音成 邦仁(レンジャー)

概要:
 鶴居村には越冬時期になると鶴居村に移動をしてきます。最大で500羽ものタンチョウが越冬します。そして、春になると繁殖のため、また湿原に戻って行くわけです。ところが、1992年ごろから一部のタンチョウが、春以降も鶴居村に居残るようになりました。そして、困ったことが起こっています。この背景には、タンチョウの餌と生息環境の変化が挙げられます。タンチョウの餌として、給餌場でまいているのはデントコーンという牛の飼料となるトウモロコシです。給餌場で越冬するようになり、タンチョウの生息環境は人と近づいていきました。

 実はこのことが、今回の困ったことにつながっているのです。春以降も鶴居村に居残ったタンチョウは、5月中旬ごろから始まるデントコーンの作付け時期に、そのデントコーン畑に侵入して種や苗を食べるようになりました。タンチョウにとっては、給餌場にあろうが、畑にあろうがデントコーンは同じ餌でしかないわけです。この問題は鶴居村の下雪裡(しもせつり)地区と下久著呂(しもくちょろ)地区で発生しています。しかし、両地区ではその発生にいたる経緯が若干異なります。

 下雪裡地区は越冬地最大のねぐらである雪裡川(音羽橋の下流)や鶴見台がある地区で、冬場はたくさんのタンチョウがやってきます。そして、1992年ごろから春になって湿原に帰ったはずのタンチョウがまた下雪裡地区に戻ってくるようになりました。1992年というとタンチョウの数が600羽を超えた時期です。繁殖のために必要な湿原は、なわばりも持つつがいでほぼ埋まってしまい、若いタンチョウの入り込む余地がなくなってきたのです。そこで、やむなく人里に戻ってくるようになりました。つまり下雪裡地区に戻ってくるタンチョウは若いタンチョウが中心です。そして、その若いタンチョウが畑に侵入します。

 一方、下久著呂地区は釧路湿原に隣接する牧草地帯で、隣接する湿原の中で繁殖をしています。湿原は巣の場所としては適しているのですが、決して餌資源が豊富なわけでなく、餌場として周辺の牧草地や畑もなわばりの中に含めます。したがって、下久著呂地区の場合はなわばりを構えるつがいが畑に侵入するのです。

 この経緯の違いは行動の違いにつながります。下雪裡地区のタンチョウは若いグループで行動しており、畑に入るときは群れをなして侵入してくることが多々あります。下久著呂地区では畑に侵入するタンチョウは多くて2羽です。しかし一方で、畑への執着心は下久著呂地区の方が高いのです。なにしろ重要な餌場なわけですから、当然と言えば当然です。下雪裡地区の若いタンチョウのグループは、侵入しずらいと考えれば、それほど執着しません。安全に餌のとれる別の場所さえあれば、そこに移動すれば済むわけです。

 この問題に対して、3つの原因が考えられます。

(1)タンチョウの増加
(2)湿原(タンチョウの生息環境)の減少
(3)デントコーンの給餌と作付け(タンチョウにとっては餌でしかない)

 この原因を解決するために何をしたらよいのか、参加者の方々に意見を募りました。この意見は実現が可能かどうかということは考えず、単純にこの問題の解決だけを考えて、意見を出してもらいました。いただいた意見は次の通りです。

(1)タンチョウの増加に対する解決策案
 ・給餌場の移転 ・他の地域に移動させる ・給餌場を増やす ・繁殖地の分散 ・電線の地下埋設を進める ・タンチョウの過保護をやめる(自然淘汰に任せる) ・避妊処理をする(餌に薬を混ぜる) ・冬の給餌を減らす ・幼鳥の捕獲

(2)湿原の減少に対する解決策案
 ・湿原の拡大(ハンノキ伐採) ・湿原の復元 ・湿原の減少を食い止める ・湿原への土砂流入を防ぐ ・湿原を小さく区切って団地のようにする ・通年利用できる採餌場を増やす ・人工の池や沼をつくる ・開発の規制 ・環境省による維持管理(予算増) ・自然現象と考える ・タンチョウの体を小さくする

(3)デントコーンの給餌と作付け
 ・タンチョウへの給餌をデントコーン以外のものにする ・夏にもデントコーンを給餌する ・川にタンチョウの餌となる生き物を放流する ・畑にタンチョウが入らないようにする ・追い払う ・人間が見張る ・デントコーン栽培地の造成(タンチョウ用)  ・被害への補償制度 ・デントコーンの栽培面積の縮小 ・牛の多頭育成をやめる ・種に香や色を付ける

 現在、サンクチュアリでは、鶴見台における5〜7月の給餌の延長、畑への侵入を防ぐための器具の設置、侵入時の追い払いという3本立ての対策で畑への侵入や食害を防いでいます。

 今後の課題としては、まず人手の問題があります。特に器具設置の際は畑面積が広大であるので、20名前後の人手が必要です。今は地元のタンチョウ愛護会という団体にボランティアという形でお力を借りています。そして、現在の対策が対症療法であるという点も大きな問題です。やはりタンチョウの数に見合う湿原環境が確保されなければ、この問題は永遠になくなりません。そのためにも、この問題は地域の問題として取り組むべきではないかと考えています。一民間団体だけでは対応にも限界があるので、地域ぐるみの活動が今後必要になってくると思います。


12/7(土) 「ワシ類の鉛中毒について」
講師:黒沢 信道氏(ワシ類鉛中毒ネットワーク代表)

概要:
 今回の「ワシ類」はオオワシとオジロワシを指します。オオワシは北海道と千島列島を除くオホーツク海を囲む海岸沿いで繁殖し、冬になると南下し北海道や千島列島南部、カムチャッカなどで越冬します。その数は4000〜5000羽と言われており、北海道で越冬する個体数は1500〜2000羽ほどになります。

 オジロワシは高緯度地方に広く分布し、北海道でも少数が繁殖しています。広い範囲に分布しているため個体数ははっきりしませんが、オオワシよりは多いと言われています。北海道には大陸から移動してくる個体を含め、500〜800羽が越冬していると言われています。

 今回のテーマである鉛中毒については、1995年前後からワシ類の不審死が目立つようになり、その死因を追求したところから判明しました。不審死の状況は、
 (1)海岸沿いで生息しているはずのワシの死体が山の中で見つかった 
 (2)一般的に幼鳥の死体が多いはずが、成鳥の死体ばかり見つかった 
 (3)死体に外傷がなく、やせており、緑色の糞をしている
といったところです。そして調査の結果、鉛中毒であることがわかったそうです。

 その当時の鉛中毒というと、ハクチョウやガンカモ類が鉛散弾の弾丸を飲んでしまうことで起こるものと考えられていました。しかしワシ類の胃に残っている鉛の状態などから鉛散弾ではなく、シカ猟で使われる鉛ライフル銃の弾丸であることがわかりました。シカ猟が盛んになった時期と鉛中毒死の増加の時期も一致します。つまり鉛中毒の原因は撃たれたシカの残滓をワシ類が食べることで起こっていたのです。これで、不審死の謎である山の中という点は説明はつきます。成鳥の死体が多い点は傷口付近はもっとも餌として良いところなので、力の強い成鳥が真っ先に被害にあいやすいものと思われます。また、中毒により衰えていくまでに時間がかかるので、発見時にはやせていたということも合点がいきます。

 ワシ類の鉛中毒は1998年にもっとも発生件数が多かったのですが、その後の対策が功を奏してか1999年以降は1998年を上回ってはいません。しかし、発見件数=鉛中毒死件数にはなりません。当然、発見できない死体もあるでしょう。1997〜1999年に回収されたすべての死体のうち、確実に鉛中毒死と思われる死体は実に72%で、怪しいものも含めると75〜80%を占めています。これは鉛中毒の発生する前のワシ類の死亡率を4〜5倍にも引き上げていることになります。鉛中毒が直接の死因とならないまでも、弱って事故死を招くこともあり得るでしょう。また、生殖器に異常を来している危険性も指摘されており、現実的にサハリンでの調査ではオオワシの繁殖率が低下しているようです。

 この事態を受け、1999年より鉛ライフル弾使用の自粛、シカの残滓回収ボックスの設置を実施、2000年にはエゾシカ猟での鉛ライフル弾の使用禁止、2001年には鉛弾の全ての使用禁止、2002年には警察によるハンターの検問実施と相次いで、対策が講じられました。しかし2001年の鉛弾使用禁止後もワシ類の鉛中毒死は発生しています。鉛中毒の性質上2001年にも鉛弾が使用されているものと考えてよいでしょう。また、シカの生息域が北海道の東部から次第に西へ拡大している傾向があり、それに伴い鉛中毒死の発生地点も西へ移動しているようです。

 この問題は鉛弾を使用しないこと、シカの残滓を放置しないことが徹底されれば、撲滅できるはずです。しかし、今のところ鉛弾使用禁止は北海道でのシカ猟に限られているため、クマ用や射撃用として鉛弾が流通しています。つまり鉛弾を持っているだけでは罪になりませんので、現場(鉛弾でシカを撃った)を押さえなければ摘発はできないわけです。さらに北海道以外から来るハンターが皆代替弾を使用しているかについては、非常に疑問です。今の段階ではハンターのモラルに頼るほかありません。またシカの残滓の回収にしても、まだまだ徹底されていないようです。

 今後も鉛中毒の発生が続くようであれば、鉛弾の流通を禁止したり、北海道だけでなく全国的に鉛弾を禁止するなど、さらなる法規制が必要になってくると思います。それにはまだまだ時間がかかりそうです。しかし、ワシ類鉛中毒ネットワークの調査により、ここまで全容が明らかになったことで、行政が対策を講じてきている現状は非常に意味のあることだと思います。これからは鉛中毒の問題解決に向け、我々一人一人が後押ししていかなければならないと思います。


11/17(日) 「チベットのオグロヅル」
講師:松本 文雄氏(阿寒国際ツルセンター 研究員)

概要:
 オグロヅルは中国西南部に生息するタンチョウによく似たツルです。個体数は5000羽程度と言われています。今年の3月にオグロヅルの越冬地の1つであるチベット南部に行きました。これはアメリカの国際ツル財団が企画しているエコツアーとして、チベットで越冬しているオグロヅルを見に行き、地元の人との交流を図ろうというものです。

 今回はオグロヅルの越冬地を2箇所回りました。1箇所では110羽ほどのオグロヅルの群れを見ることができました。オグロヅルはこのチベット南部やブータンで越冬していて、チベットの北部や中国青海省などで繁殖していると言われていますが、その移動のルートなどはわかっていません。そのため、繁殖地で足環をつけて、追跡調査をしています。今回のツアーでも、オグロヅルを見ると同時に、足環付きのオグロヅルを探しました。日本のタンチョウを給餌場で見るのと異なり、多くの場合、遙か遠くに見つかることが多く、足環の確認にも一苦労でした。ともあれ、2羽の足環付きのツルを見つけることもでき、渡りのルートの一端がわかりました。

 日本からの援助によって、オグロヅルの保護区が設定されているらしく、保護区を示す石碑も建っていたのですが、何処か保護区で、どのように保護されているのかはわかりませんでした。地元の人とツルは共存しており、畑作業をしている人たちの側で餌をついばむオグロヅルの家族を見ることもたくさんありました。ツルはやはり聖なるものなのでしょうか。追い払われたりはしていないようでした。ただ、中国政府の指導によって、畑の裏作が始まったりしており、それによる冬期の餌不足(いままでは冬は使われていない畑で餌を食べている)が心配されたり、徐々に開発が始まったりしており、問題はいろいろとあるようです(とはいえ、日本と比べて遙かに広大な大地における出来事ですが)。現在の、人とツルにとっての良い環境を、守っていってもらいたいものです。そのために国際ツル財団やWWFチベットではエコツアーを興すことによって、地元に人に収入源を与え、また、自然保護の意識を持ってもらおうと考えています。今後、日本からでも協力していきたいと思っています。

 オグロヅルの生態については、ようやく越冬地がはっきりしてきた程度で、越冬地では何を食べているのか、繁殖はどこでどのように行われているのかなど、よくわかっていないことが多いようです。越冬地での個体数調査などを行っていきたいと地元の研究者の方はおっしゃっていましたが、機材や人材の不足(何しろ調査範囲は莫大に広いのですから)などの問題を抱えているようです。

 チベットは標高が高く(3000〜4000m)、旅行者は高山病などの対策が必要で、ホテルでは酸素の入った枕を使って酸素を補給したり、外出する時も携帯用の酸素ボンベは必需品でした。チベットの首都ラサは立派な都会で、大きなビルが建ち並んでいましたが、ラサ市内にあるチベット仏教の総本山のポタラ宮殿には毎日たくさんの人が礼拝に訪れていて、熱心に祈っていました。また、町から外に出ると、ヤクを家畜として、その乳をバターにしたり、糞を乾燥させて燃料にしたりしながら昔ながらの生活をしている人がたくさんいました。近代的な都市と古くからのチベットの独自の文化が入り交じっていて、不思議な感じがしました。

 このように、鳥や動物の保護活動の一環として国際的な交流をすることは、大切なことだと思いますが、今回のようにその地の人々や文化に触れることも大切なことだと思います。


10/27(日) 「ヒツジの国の自然 〜ニュージーランドの自然再生事情〜」
講師:日高 哲二氏(ネイチャーオフィス オルダー 環境教育コーディネーター)

概要:
 日高氏は今年の8月に10日間ほど、ニュージーランドを訪れました。これはセブンイレブン全国約9000店舗で「緑の基金」という募金を行っており、その基金をもとに自然保護団体の人員育成を目的とした研修を企画し、自然保護活動に貢献しようというもので、日高氏はその一員に選ばれたわけです。

 ニュージーランドは本州と九州を合わせたほどの広さながら、人口はわずか360万人。静岡県とほぼ同じ数の人しか住んでいません。ところが、ヒツジの数は5000万頭。そのため国土の半分は牧草地で、のびやかな英国式の田園風景が広がっているそうです。いかにもニュージーランドのイメージ通りですが、ニュージーランドはもともと、このような風景ではありませんでした。

 ニュージーランドが大陸から離れたのは約7000万年前と言われています。これはユーラシア大陸やアフリカ大陸などができる前のことで、自ずとニュージーランドの生き物は孤立し、固有種が生まれました。約1000年前に人が島に入り込むまで、ニュージーランドに住む哺乳類はなんとコウモリが2〜3種しかいなかったそうです。もちろん、ヒトもネコも犬もいなかったわけです。また、ヘビも生息しておらず、まさに鳥にとっては天国のような島だったわけです。

 鳥は天敵のいない島で、飛ぶ必要がなくなり、飛べない鳥が数多く生息するようになりました。ところが、約1000年前にヒトが住み始めて、島は一変します。飛べない上に、警戒心が薄い鳥たちはヒトやヒトの持ち込む動物に次々と捕食され、あっという間に生息数を減らします。モアという全長3mもの鳥など、すでに80種の鳥の絶滅が確認されているそうです。また、原始の森は次々に開墾され、今は残りわずかとなっているそうです。

 今、ニュージーランドではもともと島にいた在来種を保護しようと、徹底した保護対策が実施されているそうです。ひとつは在来種そのものの保護。例えば、絶滅の危険がある飛翔能力のほとんどない鳥を湖の孤島に移し、陸から隔離して繁殖させたり、厳重に管理された保護区を作ったりしています。もうひとつは外来種の駆除。その中でもポッサムという動物は目の敵とされているようで、ポッサム撲滅運動まで実施されているそうです。その他、在来種を脅かす外来種をポスターにし、駆除を呼びかけているそうです。また帰化植物についても同様の対策がとられているそうです。

 このような徹底した保護対策は、DOCと呼ばれる日本でいうと環境省にあたる組織が執行しています。日本との大きな違いは、国立公園のあり方で、ニュージーランドは国立公園のすべてがDOCの所有となっているのに対し、日本の環境省所有の国有地が非常に少ない点です。ニュージーランドではDOCが各国立公園ごとに委員会を発足させ、その委員会が国立公園の利用などを定めたマスタープランを作成します。これは絶対的な力を持っているそうで、国立公園内のホテルの数、ガイド業者の選定など、あらゆることを決定します。またトラスト運動なども行われており、寄付を有効に使うことが徹底されているそうです。問題は人手不足で、海外からの受け入れなどを積極的に行っているそうです。

 日本でも外来種の問題が多く聞かれる昨今ですが、今後どのように対応していくべきなのか、考えさせられる内容のお話でした。少なくとも人手の多い点では日本の方が有利なのですが・・・。


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