◆屋久島 宮之浦岳 回想記〔前編〕

[西表島での出会い]
 屋久島の話をふり返るまえに、まず沖縄西表島での出会いについて書かなくてはいけない。高校生から大学生になるあたりの数年間、ぼくは西表島にハマっていた。長期の休みになるたびに島に通っては、無人の浜にテントを張ってはなにをするともなしに時間を過ごしていた。

 ぼくがテントを張っていた南風見田(はえみだ)の浜は、キャンプ場ではなかったが、日本中から旅人が集う浜として有名だった。人工的な設備こそない辺鄙な場所であったが、山海川の自然の恵みが溢れ、原始生活に近い暮らしができる魅力の浜だった。

 南風見田の浜は数キロにおよぶとても長い海岸だ。みんな浜と山の間の林のなかにテントを張っているので、日中はほとんど人の姿を見ない。山から流れ込む沢がいくつかあり、水場になっている。そこが唯一の社交場のようになっていた。

 朝の水汲み、洗濯、夕方のシャワーなど、浜で人と出会うとしたらこの水場だった。

 そこで「町田のアネキ」と「茂森のアニキ」に出会った。最初ふたり一緒にいたのでカップルで旅行をしているのかなと思った。「アネキ」は年の頃20台半ば過ぎくらい。化粧っけのない健康的に焼けていて地元の人と惑うほど。アニキは20代前半、背が高い。機能的なアウトドアブランドの服を着ていた。

 話をしてみると、ふたりは島の西部にあるキャンプ場で知り合って、一緒にヒッチでこちらの浜に移動してきたところだという。つまりふたりともソロキャンパーだ。いまはとなり合わせにふたつのテントを張っていた。ふたりともしばらくこの浜に滞在するという。顔を会わせるうちに夕食後、お互いのテントサイトに遊びに行くようになった。

 アネキは石垣島でリゾートバイトをしていたという。契約期間が終わったので、いまはテントを担いで八重山諸島を旅しているという。どおりでいい色に焼けているわけだ。一方アニキは大学の事務職員をしていて、夏休みの10日でキャンプ旅行中とのこと。確かにアネキに比べてしまうとどうしても都会的な感じがする。

 焚き火のまえで地酒の泡盛「八重泉」を飲みながら、いろいろな話をした。そのうち島の縦断トレイルの話題になった。西表島は原始の島と言われている。島の80%が原生林におおわれていて、道路といえば島を2/3周する道しかない。しかし登山道を使えば島を縦断することができる。そのコースは西表島縦断コースとして有名だ。大学の探検部などが遠征でよく訪れる。

 ぼくはずっとそのトレイルに挑戦したいと思っていたが、西表の山は猛毒を持つハブやら血を吸うヒルやらがうようよしている。独りで入山するには抵抗があった。それでどうしようかと考えあぐねていたところだったのだ。そんな話をすると、アネキが身を乗り出してきた。「そうなのよ、私も行きたくて、誰かパートナーを捜してたの」。すでにアニキに声をかけていたらしいが、アニキは短期旅行だったし、このあと波照間島へ渡る予定があり、都合が合わなかったのだそうだ。

 その後、アネキと共謀して、なんとかアニキを説得した。波照間の予定を変更してもらって、結局3人で縦断トレイルに挑んだのだった。ハブの恐怖を感じつつも楽しいトレッキングだった。途中の川で泳ぎ、滝に打たれ、日本とは思えないジャングルの中で一夜を明かした。そして山を下りて、やがて三人それぞれの旅へと戻っていったのだった。

[屋久島で再会]
 翌年、また三人で会おうという話が持ち上がった。住んでいる場所はバラバラだった。ぼくが横浜、アネキは長野、アニキは福岡だった。さて、どこで会おう? 西表でジャングル縦断した三人が、たとえば東京で会うなんていうのはなんだか似合わない。だったら屋久島なんてどうだろう? 縄文杉で有名な屋久島。当時、ちょうど世界遺産に登録されたばかりだった。すぐに話は決まった。現地集合・現地解散。屋久島の港にいついつの何時に待ち合わせ。おおざっぱにそれだけ決めて電話を切った。

 ぼくはJRの周遊券を使って在来線を乗り継いで鹿児島まで行った。そこからはフェリーで屋久島へ。余裕をもって待ち合わせの前日には島へ入った。とりあえず港近くの神社でお願いをしてテントを張らせてもらい、翌日のふたりの到着を待った。

 アネキは長野から大阪へ出て、そこからフェリーを乗り継いで屋久島へと来た。アニキは福岡から飛行機とフェリーを使って到着した。こうして無事1年ぶりの再会を果たし、さっそく食料の買い出し、タクシーを手配して入山口へ向かった。

 出発は昼を過ぎていたと思う。登山口から登りはじめ日が暮れる直前くらいに適当な場所を見つけてテントを張った。食料こそさっきみんなの分をまとめて買ったものの、キャンプ道具はすべて各自が自分の分を持っている。森の中の空き地に、入口を向き合わせて3つのテントが並んだ。まわりの木をうまく利用して三つのテントの真ん中に小さなタープを張ってリビング代わりにした。

 やがて小雨が降り始めた。狭いながらタープのお陰で落ち着いて食事が作れる。この日のメニューはレトルトの麻婆豆腐の素で味付けした野菜の煮込み。それとご飯。みんな各自でコンロとナベを持っているから自然に役割分担して、ご飯炊きとおかずを同時並行できる。こういうときササッと自然に役割分担するのは気持ちがいい。ソロキャンパーの集まりならではの感覚。

 山岳会のように、持ち物を分担して登るという方法もあるけど、ぼくにはどうも馴染めない。最初から食事係、なんとか係と決めてしまうのではなく、それぞれがすべてに関してプロフェッショナルでありたい。そんな人同士が無言のうちに協力してつくるパーティ。スポーツ登山には向かないのかも知れないけど、トレッキングにはそんなスタイルがいいなと思っている。

 なにはともあれ、今朝港で再会して、ろくすっぽ話もしないうちに、バタバタとここまで来てしまった。食事を終えてようやく一息ついた感じだった。この1年間、それぞれどうしてたのか、とか、あのとき西表でどうだったよね、などと話が尽きない。

 そう、この感覚がいいのだ。話に夢中になっていても、ふと我に返るとあたりは暗闇。自分たち以外まったく人気はない。小雨が降っているがタープの下は別世界。アニキが持ってきた小さなランタンを囲んで、穏やかな時間が流れていく。いまは焚き火こそはないものの、西表島ではこんなふうに毎晩語り合っていた。年齢や職業は関係なしに、旅人という共通項だけで、日常ではなかなか味わえない一体感が生まれる。

 こうして久しぶりの再会を夜遅くまで喜びあった。


つづく

(2002/4/17 書き下ろし)





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焚き火のまえで 〜山旅と温泉記
By あきば・けん
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