セリオのいる日常
仕事が一段落して、いつものように部屋の窓から道路を見下ろしていると、何人もの見知らぬ人達が足早に家の前を通り過ぎてゆく。
人類発祥から何万年と経ち、現在までの間に何千億人、いや多分それ以上が、これまでに生まれて死んでいったのか、想像もつかない。
その中で、たとえば、さっき走っていったサッカーボールを持った少年を、俺がこうして二階から見下ろす機会に巡り会う確率は、果たしてどのくらいだろうか。
そんな奇跡にも近い偶然で、わずか十数メートルの距離に居合わせたというのに、俺とあの少年には、何の接点もない。
少年は恐らく友達と遊びに行ったのだろう。俺のことなど目に入っていないに違いない。
俺の方も、「その少年」個人を見ていたわけではない。少年は単なる通行人、いわば背景の一種に過ぎない。俺が見ているのは、この窓から見える景色全体だ。
天文学的な低い確率と、それが実現した結果の無意味さ。何億分の一の確率で一緒に居合わせても、赤の他人は赤の他人に過ぎない。不思議なものだ。
「――マスター、お茶が入りました」
「ん? ああ、ありがとう」
振り返ると、セリオ……身の回りの世話をしてもらっているメイドロボットが、トレイを手にして立っていた。
テーブルにトレイを置き、用意したカップに向けてティーポットを傾げるセリオ。 その動作は優雅で、とても機械とは思えない。
しかし量産され市販されている「HM-13セリオ・タイプ」の一体でしかない。シリアルナンバー00584、他の同機種と区別する唯一の情報が、この5桁の数字だ。
今、俺の目の前にいるセリオが、俺の所に来る確率は。あるいは俺が他の機種ではなくセリオ・タイプを選ぶ確率は。
そう考えていくと、例えば購入契約が1日ずれていたら、もしかしたら違うセリオが来ていたかも知れない。しかし同じプログラムに従って動作しているセリオ達は、微妙な個体差や誤差を除けば、まったく同じ動作をするはずだ。
「セリオ。カップをこっちに持ってきてくれ。ここで飲みたい」
「――かしこまりました」
紅茶を注いだカップを再びトレイに載せ、俺の前まで持ってくるセリオ。
セリオが胸元に捧げているトレイからカップを取り、香りをかいでから一口流し込む。相変わらず、完璧な淹れ方だ。
「美味いよ」
「――ありがとうございます」
無表情……というか表情を変える機能は付いていないのだが、気のせいか、こんなときは微かに微笑んでいるようにも見える。感情を表していないのに、決して能面のように硬質ではない。デザイナーの苦心の結果と言えばそれまでだが、どことなく柔らかい顔立ちが、セリオの魅力の一つでもある。
「なあ、セリオ。お前……」
俺の所に来て、良かったか。
俺の世話をしていて、嬉しいか。
一体、そんなことを聞いて、どうするんだ。
奇跡みたいな確率でもないし、他の個体でも同じだったかも知れない。
しかし、今、このセリオは確かに、俺の目の前にいるじゃないか。こうして、俺だけのために、美味しいお茶を淹れてくれたじゃないか。
確率なんてどうでもいい。
口に出そうになった質問を押しとどめ、話題を変える。
「お前、俺のところに来て、どのくらい経つっけ」
「――はい。明日でちょうど6ヶ月になります」
「ん? そうか、ちょうど半年か」
カップの底に残った紅茶を一気に飲み干す。
セリオが来てから半年か。もっと短かったような、逆にもっと長かったような、不思議な感覚。だが、今の俺の生活に、セリオは既に無くてはならない存在になっている。
記念に何か欲しいか、等と尋ねても、答えるはずがない。メイドロボとはそういうものだ。
人間ではないのだから食事もしないし、服を着飾って出かけるわけでもない。
だが、何か記念になるものがあっても、良いとは思う。
「セリオ、紅茶をもう一杯」
「――はい。ただ今」
カップを再びトレイに載せてテーブルの方へと向かう後ろ姿。
数秒の静寂の後、何気なく窓の下を眺めると、小柄な老婦人が白い犬を散歩させていた。孫娘か、それとも近所の子供か、幼い女の子が犬の後を追いかけている。
……セリオに犬のぬいぐるみをプレゼントしたら、どんな反応を見せてくれるかな。
そんなことを考えながら、俺はカップに紅茶が注がれる水音を聞いていた。
あとがき:
セリオものでも東鳩ネタ二次創作でもなく、小説そのものを3年ぶりくらいに書いてみたもの。
題材は、単に一番書き慣れていたというだけで量産型セリオ。
特に大きなテーマ等は無く、ただの腕慣らし。
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