女には売るものがある



 少女は、冷たい雨の落ちてくる夜空を見上げ、溜息をついた。
 こんな雨の日の深夜には、駅から歩いて帰る人も少ない。皆それぞれ、雨をしのげる場所へと、とっくに移っているだろう。
 少女は、警察に呼ばせると「家出中の少女」である。もちろん古き良き時代の、親に反発して家を出て友達の所を泊まり歩く……などという類ではない。
 昼は仲間達と遊び呆け、夜になるとこうして駅前通りに現れては、一夜の宿と食事と、そして幾ばくかの金銭とを得る相手を見つくろい、毎日を過ごしている。
 だが今日は、夕方からずっとカラオケ店で大騒ぎして、人通りがほとんど絶えてからようやくいつもの場所に来たのだった。それに加えて、あいにくの雨模様で、駅から出てくる数少ないスーツ姿達は皆、傘を差して足早に通り過ぎるか、タクシー乗り場へと一直線。

 駅の方から、かすかにベルの音が聞こえてきた。終電だ。
 やや遅れて、駅から二人の男が出てきた。一人は傘を差し、もう一人はカバンを頭の上に掲げ、先を争うようにタクシー乗り場へと走っていった。
(今日は、久しぶりに一晩コンビニで立ち読みかな……)
 こんなときの過ごし方も、もう慣れたものだ。
 空をにらめながら、近くのコンビニへ向かって駆け出すタイミングを見計らっていた少女の前を、一人の男が通り過ぎようとしていた。
 歳は正確には分からないが、40代から50代といったところか。あごひげを伸ばし、繊細そうで、どことなく浮世離れした雰囲気がある。
 少女は更に目を凝らし、男を観察した。身につけているものは、どれも有名ブランドではなさそうだが、決して安物ではない。服もズボンも腕時計も、ブランドの名前に頼らずに一流のセンスで選ばれた、高級品のようだ。
 ……つまり、金がありそうだ。最終的に彼女が決定を下すときの要素は、そこに尽きる。
 今日は元々、コンビニで過ごす予定でもあった。もし予想が外れだったとしても、一晩ゆっくり過ごせるだけでも良いだろう。そう判断し、少女は男へと近付く。
 営業スマイルとでも言うべき、小悪魔的な微笑を浮かべて、彼の前で指を二本立てる。
「ねえ、おじさん。今晩アタシと、これで、どう?」

 男が少女を連れてきたのは、町はずれにある一軒家だった。
 少女を迎え入れた部屋は、とても広い。中央から少し外れたところに、これまた大きなベッドがある。部屋の周囲には、白い布をかぶせられたものが、たくさん並んでいる。
 なんだか居心地の悪さを感じて、少女があちこちを落ち着かなそうに眺めていると、男が部屋に入ってきた。
「それじゃ、全部脱いで、そこのベッドに座って」
「シャワーとかは、いいの?」
「いい」
 ぶっきらぼうな男の態度にムッとしながらも、服を脱ぎ始める。なにせ、相手は「客」なのだ。
 以前は、相手の男の車の中で乱暴され、そのまま路上に放り出されたこともある。それを思えば、ベッドの上で過ごせるだけでも良い方だろう。
 男もそのまま彼女の所へ来るかと思ったが、少女に背を向け、何やらごそごそやっている。
 やがて男は、イーゼル(キャンバス台)を少女の真っ正面に設置した。
「ちょっと、何よ、それ」
「絵を描くんだよ」
 男は、当たり前のように言う。
「そんなの聞いてないよ。あたしにモデルになれっての?」
「俺は二万円で、今夜一晩、君を好きにできる契約をしたんだ。セックスをしようと、モデルにしようと、俺の自由だろ」
 少女が呆気にとられている間に、男は道具を全て用意し終え、キャンバスの前に座った。
「それじゃ、こっち向いて座って。手はひざの所に重ねて置いて。いや、もうちょっとお腹の方に。そう。目はまっすぐこっち見て」
「…………」
 なんだか流されるままに男の言うとおりにしているが、今さら逃げ出すのもおかしいような機がして、少女はそのまま従っている。
 しかし、男の目つきといったら。さっきまでの、どこか遠くを眺めているような柔らかい雰囲気は消え失せ、まるで少女の魂、存在そのものと真剣に向き合おうとしているかのように、鋭い眼光を放っている。
(この人、趣味じゃなくて、本当の画家だろうか。有名な人なのかな)
 たとえ有名な画家だとしても、恐らく少女は名前を知らないだろう。そういった世界とは無縁に生きてきたのだ。
 今はただ、モデルを務める。それに集中するべきだろう。
 少女も、男の姿勢に反応するかのように、自然と背筋が伸びていた。

 二時間ほどして、男が一度、筆を置いた。
「休憩しよう。疲れてないか」
「ううん、大丈夫」
 ベッドから降り、大きくのびをする。ずっと同じポーズを取っていたせいか、肩の辺りの骨がゴキッと音を立て、男と少女が、同時に吹き出した。
「ねえ、絵、見てもいい?」
「もちろん」
 男の後ろから、キャンバスを覗き込む。
 ラフスケッチの上に、絵の具を載せている途中だ。少女の身体の部分は、まだ均一な肌色で埋め尽くされているだけで、これから仕上げるのだろう。
 しかし、この段階でも既に、見事な腕前であることが素人にも分かる。
「きれい……」
 思わずつぶやいて、その直後、少女は恥ずかしさに襲われた。
 自分は今まで、見知らぬ男に身体を晒し、行きずりの相手に身を委ね、それを悪いとも思わずに来た。
 それなのに、同じ自分の身体を見て、この人は、こんなに素晴らしい絵を描いてくれる。
 少女は急に、そんな自分のことが、恥ずかしくなった。
「どうした? 目にゴミでも入ったのか?」
「え、何が……あっ!?」
 自分でも知らないうちに、少女の頬を一雫の涙が伝っていた。

 空が明るくなり始め、鳥たちの声が聞こえてきた。町はずれのこの辺りには緑も多く、鳥たちの生活の場となっているようだ。
「よし、できたぞ。ご苦労様」
「ほんと? 見せて見せて!」
 完成した絵は、素晴らしいものだった。大人びていながら幼さを残す少女の危うい魅力が、凝縮されていると言っても良い。 「……これ、本当に、あたしがモデルなんだよね」
「当たり前だ、描いてる所を見てただろう」
「そうか、そうだよね」
 少女は絵を眺め、自分の身体を見下ろし、また絵を見た。
「モデル料、二万だったな。財布持ってくるから、ちょっと待ってろ」
「あ、おじさん。それ、やっぱりいいや」
「そうはいかないだろう。一晩こうして頑張ってもらったんだ」
「うん。だけど、お金じゃなくて……この絵、もらっても、いい?」
「いいけど、売っても大した金にはならないぞ」
「売ったりなんかしないよ! 家に帰って、部屋に飾るんだ」
「……そうか、帰るか」
「うん」

 未完成の絵を見た直後、少女は男の胸に顔を埋め、小さな子供のように泣きじゃくった。
 泣きながら、自分が今までしてきたことを、すべて男に打ち明けた。
 ずっと、誰かに聞いてもらいたかった思い。あるいは彼女は、こうして話を聞いてくれる人を、ずっと求めていたのかも知れない。
 しばらく泣き続けたら、不思議とすっきりした気分になり、今度は積極的にモデルを務めたのだった。
 その話から、男は、少女が何ヶ月も家に帰っていないことを知っている。
 しかし男は、それを叱ったわけでも、褒めたわけでもない。ただ男は、真剣に少女の絵を描き、それを見て少女は、自分から家に帰ると言い出した。
 家に帰るとは言ったものの、少女自身にも、今後どうするのかは分からない。学校に戻り、普通に生きるのか。それとも、また夜の街を歩くようになるのか。
(もし、また今のような生き方をすることになっても、同じように身体を売ることはできないかも知れない)
 胸の中でそんなことを思いながら、少女はじっと絵に見入っているのだった。

あとがき:
 えぇと、タイトルは藤子・F・不二雄先生の短編から拝借。
 中身は、藤子・F・不二雄先生の代表作の一つ「エスパー魔美」からインスパイヤ。
 …つまり藤子先生におんぶにだっこ、というかパクリとも言える出来になってしまった。(苦笑)
 古いエロゲーを知ってる人に見せると、「口説き方教えますPartII カインドゥ・ギャルズ」の名を挙げるかも。w

 絵、特に油絵に関してはまったくの門外漢なので、「手順が違う」とか「乾くまで時間が掛かるだろ」とか色々あるかと思いますが、そのへんは勘弁。(汗)

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