No.32 |
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漆黒斎の庵 |
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| Up To Date:最新記事へ 直前 の戯言集(第31集) |
| 悪魔に仕える牧師あるいは科学的思考 | 付喪神 |
| 燃費向上 | 連鎖事象 |
| 薬物キメ! | ア
ナログな日々 |
| 音楽は難しいか | 低周波 でぷるぷるする |
| 傘がない時は買う | エ ンバーミング |
| Fantasy | 35
years dream |
本書は「利己的な遺伝子」で有名なR.ドーキンスのエッセイ集であり、彼の科学啓蒙家としての特色が色濃く表れている。特筆すべきは、科学 的思考のみが信頼に足る、としていわゆる文化相対論を認めない、つまり、科学的思考のみに特権的優位性を認めるとする考え方である(*1)。私のような人文系の人間からすれば(*2)、 理屈はわかるがちょっと認められんな、というのが正直な感想である。むしろ、そんなことを言える楽天主義に少々危機感すら感じる。
確かに、宗教的信念に基づく諸々の不幸が現実になっている最中に、そしてその宗教が問題そのものを自力で解決出来ない以上(原理的に不可能 である)、科学的思考のみが信頼に足る、とするのは至極もっともであるし、異論の余地は無いように思える。しかも、ドーキンス自身が、無神論者であること を表明した上での発言である。欧米で無神論者であることを明らかにする、というのは、日本では考えられないくらいリスキーなことである。更に、いわゆる人 文科学に暗い人間の発言であれば笑って済ませられるところだが、ドーキンス自身は文芸にも哲学諸般にも明るい人である。相当強靱な精神を持っていなければ 出来ないことであろうと思う。
ドーキンスの批判はキリスト教を初めとする一神教に向けられているのだが、もう一つ、ポストモダニズムの言説に見られる科学の誤用に対して も厳しい批判を加えている。「ソーカル事件」(*3)に端的に現われた、ポス トモダンの「非科学」性がやり玉に挙げられている。ガタリ、デリダ、ラカンなど、殆どペテン師扱いである(ラカンの説に対する批判については、まぁちょっ と、的はずれな気がしなくもないし、勘弁してくれよ、と言いたくなるが)。"Postmodernism Generator"(URL:http://www.elsewhere.org/cgi-bin/postmodern/)(*4)の存在自体が強烈なパロディである。
この件について、当の人文諸科学は無視をを決め込んでいるらしい。デリダやガタリの研究が途絶えたという話は今のところ聞かない。が、しか し、「統語論的には間違いではないが、まったく意味のない文章」というものが存在可能である、ということについては、肝に銘じておく必要がある。いわゆる 科学の論文では、そのような文章は書けないはずだ。論理的には正しいが、現象を説明出来ない、などということはあり得ない。つまり、ポストモダンになお意 味があるとするならば、このような自然科学からの批判に耐えうる論理性を自ら明らかにする責任があるということだ。加えて、我々にはポストモダン「的」言 説の本物性を見極める能力が必要だ、ということでもある。無批判に尻馬に乗って、「ネオダーウィニズムの脱構築」とか気取って意味不明な「テクスト」を量 産している場合では無いだろう。批判されているのは、その思考態度そのものなのだ。
私は科学が全てであるとは思ってはいないし、科学的思考にのみ特権的優位性を認めることに同意するつもりはない。しかし、ニューサイエンス とかホメオパシーとか、オルタナティブ何とかとか、科学を標榜したあやしい言説が(読み物としては面白いにしても)乱れ飛んでいるを見ると、いくら何でも 科学的とはどういうことか、ということくらい、初等教育でしっかり教えておいて欲しいとは思う。そういうことがわかっていないと、今度は霊魂とかテレパ シーを哲学科で教えると思うような奴があらわれて困るのだ。
*1:ここで「科学」はいわゆる自然科学のみを指す
*2:「人文系」と一般化することで、私の個人的理解を人文一般の見解と して普遍化させようとの意図は無い。私の個人的な立場を明確にしたいだけである。
*3:『「知」の欺瞞』(ソーカル/ブリクモン,田崎他:訳、岩波書店)
参照
ソーカル事件関連は http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/など参照
*4:簡単に言うと、ポストモダン的「テクスト」を自動的に「でっち上げ て」くれるサイトである。アクセスする度に「マドンナの作品におけるモダニズム」とか、「ラカンの脱構築」などという「テクスト」を自動生成してくれる。
(Sep. 12, 2004)
昔は年取ると徐々に運動量も減って、つまり仕事(一般的にはデスクワークばっかりしてるってことはなかっただろうし)しなくても良くなって いたんだろうから、必要量が減り、かつもともと飽食していなかったろうから、ごく自然の成り行きで、収まる所に収まって行くようになってたんだろうな。
まぁ、機能停止に向けて徐々に準備してるんだろう。余計な肉とか付いていない方がさっさと自然に帰れて良いんだろうな。
こういうときに人生を悟ったりなんかしてたんだろうけど、生憎まだまだくたばる訳には行かんので、しばらく粥と梅干しに煮干しでも囓って暮らそうかとか
思ったり。
悪玉コレステロール値が高いとか診断されると一応あれこれ調べてみたりするんだけど、これがまた人によって言うことが違う。
卵は駄目、動物性脂肪は控えろ、禁煙に運動、とかいうのが一般的な意見だが、別のところでは良質の蛋白室が含まれているので少しは摂った方が良いとか、ほ
うれん草は蓚酸が溜って結石のリスクとか、もう混乱してくる。
色々総合すると、中庸、控えめ、満遍なくという、もっぱら東洋的曖昧さに落ち着いてしまう。つまり日本食を控えめに食ってるのが一番、という凡庸な結論に
達してしまう訳だ。
まぁ、アメリカ人のあの大食ぶりを考えると、内容はともかく量を減らせよ、って言いたくもなるが。
食欲の秋(わぁ、いい加減にやめろよ、のクリシェだな)を迎えて煩悩は高まるばかりだ。
(Sep. 25, 2004)
Tullysのフルシティローストモカ(但し、コンビに売り。お店にはまだ入ったことがない。)が最近お気に入りだ。なんと、チョコレート 入のコーヒーなのだ。これ一本で薬物チャージOK!。元気になりますっ!って感じ。
しかし、何というか、よくこんなもの考えるよな。純粋主義の日本人にはあまり無い発想のような気がする。ブルーマウンテンとか、モカ、キリ マンジャロ等、ブレンドせずに単品で味わったりするのがどうも主流のようだ。
もっとも、純粋主義者だからといって、大麻草から純粋成分取り出してキメる、とかやるとこれは犯罪なのでやってはいけません。ベランダで栽 培なんて以ての外です。カフェインは錠剤の奴がドラッグストアで手に入るので多分OKだと思います。
何にしても、薬と毒は紙一重というか、物凄く希釈した毒がたまたま治療のための薬として効く、ってのもある訳で、要は程度が大事、とそうい うことだろう。(ホントにそうなのか?)
(Oct. 9, 2004)
じゃ、どういう風に思っているか、少し書きます。考えながら書いているので、結論は出ないかも知れないし、途中で論旨が変わったりするかも 知れませんが、とりあえず始めてみます。
純粋に「聴く」側に回っている時は、それを「難しい」とか、「易しい」と思っていることはまず無いように思います。その時のメンタル/フィ ジカルな諸状態にフィットするか、しないか、そんな感じでしょうか。だから、同じ演奏(ライブでは二度と同じ演奏に遭うことはないので、例えばCDを聴い ている時であるとしましょう)を聴いても、ピンと来る場合と来ないときがあったりします。その場合、難しいから、とは考えてないです、多分。お気に入りの CDを取り出して聴いても、いつも良い気分になる(=その時の気分にフィットする)とは限らないですね。なので、落ち込んでいるからといって、元気づけに 明るめの曲を聴く、というようなことはまず無いですね。
じゃ、「難しい」と思ったりすることは無いのか、というと、それはそうでもなくて、演奏する側の視点が少しでも混入すると、いくらでもあり ます。誰の曲を、あるいはどんな演奏を聴いても、コードストラクチャとか、フレーズ、音色にリズム、あらゆる面で難しいと感じることは屡々です。どうすれ ばこの音色が出るか、とか、このフレーズはどういう発想なのか、とかやたらと分析的に聴くことはあります。
じゃ、件の方(どういう方か、例えば音楽ファンだけど楽器は演らない、とかは判りませんが)はどういうところで「難しい」と言ったのか、を 想像すると、多分今まで聴いたことのないコード感だったり、フレーズの複雑さだったり、そういうところじゃないのかな、と思います。それではそういう時、 私はどう感じるだろう、と考えてみるに、目新しい(私にとって新規だ、という意味で)が一番で、次に、その時の感覚でフィットした、とかしないとか、その 後に上述の演奏する側の感覚が出てきて、と多分そんな感じかな、と思うのです。
また、難しい=わからない、という言い方をされることもありますよね。これについても、私の場合上述同様な感じだと思います。じゃ、わかっ てるのか、と訊かれてもちょっと困りますけど。
難しい=高尚である、という風に考えられることがありますね。クラシックは難しい、つまり高級な音楽で、難しくないポップスは低級なもの、 とか。こうなって来ると、スノブな感じがしてきてちょっと嫌な感じがしますね。
聴き方の話なので、間違ってるとか正しいとかそういう事ではないのですが、ちょっと個人的な状況を改めて考えてみました。
(Oct. 30, 2004)
で、傘の棚をあれこれ見てたら、totes TITANIUM Wonder Lightという、チタン中骨5段折りたたみでハードケース付 き、などとというワタクシ好みのが見つかった。お値段もお手頃。
さて、問題は、買って以来雨に降られていないので、今のところ利便性が不明だ、ということだ。
(Dec. 13, 2004)
「家の子供達にサンタクロースからの手紙が届いた。近頃こましゃくれてきた子供達が言うには、『何か怪しい』、『本物か?』『個人情報が漏 れてる』」
小学校低学年のお子さん達らしいのだが、「個人情報漏洩」とは恐れ入った。確かに、頼みもしないのに自分宛に手紙が来れば、何処かで知った に違いない、とは思うにしても。
サンタさんの実在を信じている子供達がどれくらいいるかわからない。また、サンタさんが居る、なんて事を教えたり信じさせたりするのは非科 学的でいけない、ということを言う人もいる。
しかし、世の中にはファンタシーというものがあって、それは決して現実ではないけれども、それとして楽しむ、ということではいけないのだろ うか、と思う。
確かに、一時的には子供の夢を裏切ることにもなろう。けれども、夢を夢として抱き続ける人もまた居るのだ。嘘言っちゃいけない、という観点 で見るのも、個人的には随分味気ないなぁ、と思うのだ。まぁ、これはオトナになってしまってから、子供時代に遡行出来ない知恵が言わせることなので、子供 にとってはどうか、というのは正直なところもう解らなくなってしまっているのだけれど。
オトナの勝手な言い分かも知れないし、適切な書き方は出来ないのだけれど、「夢を持つ」ということはどういう事なのか、夢と虚妄や妄想とは どう違うのか、などということを上手く教えられれば良いのだが、と素朴に思う。「努力すれば実現する可能性のある現実世界での目標」が「夢」という言葉で 語られる(例えば「将来はプロミュージシャンになるのが私の夢です」とか)こともあるけれど、そういうのではなくて。
拙輩個人のことを言えば、ませガキだったので、物心つく頃にはサンタクロースの謂れとか知ってて、当然の事ながら実在するなんて信じてもな かったのだが、まぁ、そんな訳で別に失望したりもしなかったように思う。百科事典を毎日読んでる小学生なんてそんなものだ。
そういえば、保育園に通ってた時に(拙輩の通ってたのはお寺さんがやってた保育園だったのだが)おっきな仏像の前で「聖しこの夜」歌う、な んてこともあった。今思えば凄く変。
さて、サンタさんは本当に実在するんですよ。グリーンランド国際サンタクロース協会ってものがあって、日本にも公認サンタクロースが居たり します。パラダイス山元という、普段はミュージシャンの人ですけど。
(Dec.13, 2004)
さて、年末物欲衝動に身を任せ、またノートPCを購入。PowerBook G4 1.5GHz 15インチモデル。これでノートPCが4台(VAIO XR9、SR9/K、U101とPB)に自作PC”すみれ”と、5台ものPCが転がってる事態に。一台は奥さん用だが、アプリも整理して、それぞれの用途 を少しはっきりさせないとなぁ。OSもサイズも使えるソフト/周辺機器も自ずとみんな違うんで、それぞれ役割分担はぼんやりとはあるのだが、さて。
つうか、大体、モノを捨てられない、っつうのが問題だよなぁ。20年前のシンセとか、30年前のTシャツとか、まだ現役だったりして。こう モを貯めておくと、そのうち付喪神化してるんじゃなかろうかと心配だ。
こうなってくるとちょっと真面目にファイルサーバでも設置、なんて考えてると、ますますモノ溜まり物欲スパイラルに陥るのだ。いかん、いか ん。
(Dec. 29, 2004)
久しぶりにMoog Musicのページを見に行ったら、Clara Rockmoreのビデオが、"Mastering the Theremin"とのカップリングでDVD化されてたので注文した。で、知人のページを見に行くと、テルミンの話題。あらま。で、あれこれ探してたら "Analog Days"という本を発見してまた注文。
このころ同時に、ジミースミス逝去、というのでオルガンの話を書き、シンセサイザーミュージック関連で色々裏を取ったりしてたらWendy Carlosのページに行き着く。ちらちら見てると何だかお怒りの様子。で、”残虐者名簿”というリストに件の"analog days"の著者二人の名前。今日来たばかりのその本の索引から何書いてるんだろう、とか探してみる。その間、"Switched-on Boxed Set" という、Wendy 初期の作品CD 4枚組が出ているのを発見してまたまた注文。時は折しもMoog 50周年という年。
そうこうしている内にDVDが先程届いた。早速見てみると、Moog博士がClaraご紹介の映像。
まぁ、その時興味が向いてることは記憶に残りやすいわけだし、上記のことも半分以上は意識的に動いた結果なので、シンクロニシティというに は無理があるが。
そんな訳で、どうもアナログな今日このごろなのでした。
(Feb. 15, 2005)
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マニュアル: なんというか、質実剛健というか、無愛想。 |
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とりあえずセッティングしてみた。鍵盤の壊れてるDX-7に場
所を空けてもらい、Voyagerを載せる。 奥行きが深いのでちと面倒だった。 |
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暗闇ではバックライトでパネルとホイールが青く光る。
Electric
Blueなのね。 昔のSFっぽくてなかなか良い眺めだが、シンセサイザーとしては果たして必須のフィーチュアかと問われると、ちょっと?ではある。 |