過去の戯言集 記事一覧:戯言集Index
最近やたらと忙しい。あまりにもやる事が多すぎて、船多くして船頭山に登るという感じだ。
こういう時には、妙に猥褻な気分が高まってきて、まだまだワシも若いのうでやんでぇ箆棒め、屋形船鼻の穴に突っ込んで大川へさらい込むぞ、とは関西生まれの粋な江戸っ子、花川戸助六は団十郎も良いが仁左衛門も捨てがたい、の弁。おお、御歌舞伎レポートも書かねば。
つうわけで、漆黒斎の夜はうららやすみれや初音とともに過ぎるのであった。
(2000 Jan. 14)
先入観や思い込み無しでものを見る、というのは結構難しい。最近読んだ本(Brain, Music and Ecstacy: Robert Jourdain)には、音楽の楽しみというのは、先取り・予測(anticipation)が満足され、あるいは裏切られることによって生じる、テンションと解決の快感なのだそうだ。変化しないものは、意識の表層からは次第に消されて、変化するものに注力し、その変化の仕方を予測するよう、原始の時代から生き残りのために身に付けた − 脳が獲得した − 能力がその先取りなのだそうだ。
なので、過去の経験に多く出てきたパターンであると認識して、そのために準備をするというのは、結構プリミティブな部分で自動的に行われる事らしい。
ということで、この表題を見てどきっとした人は、そのようにパターン化されているというわけなのだが、だからといって生き残りには何の役にも立たんよなぁ。
(2000 Jan. 15)
◇
あと300と数十日もすれば21世紀がやってくる。
子供の頃に想像した21世紀というと、エアカーが飛び交い、チューブの中をコミューターが高速で走り回る超高層都市、とかそういうものだったような気がする。そんなわけで、あとわずかで「前世紀の遺物」と呼ばれる存在になってしまう訳だが、そういう意味では、本当の21世紀というのは、今日成人式を挙げた人々の子供達が成人式を迎えるようになる2020年代頃なのだろう。
その日のために、拙輩は何かしてあげられるだろうか。[1月10日のメモより]
(2000 Jan. 15)
たれぱんだ、というのもその種の癒し系マスコットだそうな。拙輩はデザインした人のほうが好きだが(^^;
この種の優しいもの、力が抜けているもの − 癒されるもの − ということになるのだろうが(この「癒し」ブーム自体、拙輩は嫌いなのだが)、考えてみると他力本願でちょっとアレだなぁ。「力を抜くにも力が必要」とは、”老人力”に書かれていたことだが、全く力を抜ききってしまうのは、それはそれでかなり難しいことみたいだ。
(2000 Jan. 15)
報道関係者、とかマスコミ関係者とかいう時も、その指す範囲はよくわからない。関係者って自分で言ってしまえばそうなるのかな。
そういえば、「消防署のほうから来ました。」とか言って、消火器を買わせる、ってのがあったそうだ。「消防署から来た」とは言っていないので、嘘じゃないだろって開き直られたらしいのだが。
このページも、関係者以外閲覧禁止とか表に書いてあったって意味が無いわけで、本当に入って欲しくないような場所は、はじめから入れないようにしておけば良いのだ。
にも関わらず、わざわざそういう曖昧な言葉を使って「立入禁止」なんて書いてあるのは、日本人御得意の、婉曲にやんわりとお断りする、という、つまり「検討させていただきます」の類なんだろう。
でも、「いいか、入るなって言ったよな、入ったのはお前が悪いんだぜ、そうだよな、俺、ちゃんと言ったもんね、俺、責任無いもんね」みたいであまり潔くないと思うのだが。
(2000 Jan. 15)
(2000 Jan. 22)
「家畜人ヤプー」の表紙を眺めていたら、意外とかわいらしいことを発見。狛犬おもちゃか何かでエロティックな女性が遊んでいる。この種の図像のシンボリズムの解読(あるいはこじつけ)というのも面白いかもしれない。文学全集のあるフロアで、「白川静コーナー」(通勤乱読 参照)を発見。やはりウィルソンだったりしたらどうしよう。
あ、そういえばゲーテの「色彩論」の完訳が出ていた。確か、2分冊箱入りで25,000円なり。う〜ん、欲しい。
いずれにせよ、本屋と文房具屋、道具屋、レコード屋(言い方が古いか)なんかは鬼門だ。何でも欲しくなる。物欲符連発と行きたいところだが、そうも行かんので困る。
(2000 Jan. 26)
結婚記念日だったりするわけだが、それは、まぁ。
新譜が完成して発売が待たれるAllan Holdsworth先生のBaked Potatoでのライブがキャンセルされたらしい。相変わらず不遇な人だ。ファンがマニアックなのはともかく、本人が一番マニアックでしかも完全主義者、商売っ気無し、と来ているのではアメリカじゃだめだわなぁ。来日の予定もあるらしいのだが、いっそ日本に移住してはどうかと思うぞ。少なくともライブの場所には不自由しないんではないか。
さて、うどんでも食べてから行き先を考えようか。おっと、今年はまだ初詣に行っていないのだった。鎌倉辺りに散歩にでも行くか。
(2000 Jan. 29)
神との対話、と言うとき、それは超越的存在としての一神教の人格神であろう。(件の本の著者は外人だ。多分、キリスト教の神様なんだろう)だとすると、比較的優しい自然のなかで聴き続けて来た、八百万の神々とは異質の、砂漠の民の渇望した「妬む神」、契約を交わす神なのだろう。
要はカウンセラーみたいな、何らかのアドバイスをもらえる存在が求められている、ということなんじゃなかろうか。なんでもかんでも分析医に聞きに行ったりする様子がうかがわれるようで、ちょっと。
さて、そんな自然など、もう無くなってしまっているような気がするが、都市という環境の中にも、我々は見ることが出来る。ビルのあわいの狭い空間にも。重層的な空間と時間の中に密かに顕すその姿を。
(2000 Jan. 31)
昼過ぎから鎌倉へ。小町通は結構な人出だ。去年のお札を納めてお参り。今年用のお札を頂いて、御神籤を引く。末吉。ここ2年ほどは、凶とか大凶とか凄い事になっていたので、かなりの改善と言えよう。厄年も終わり、少しは運気が上向いてきたみたいで嬉しい。
お昼は駅近くの蕎麦屋で天蒸篭。それから横浜へ向かう。ビブレ21の8Fにある島村楽器でベースを1本注文。ハンズで一休みしてから帰る。
時に、訳も無く無性にハンバーガーを食べたい、とか思うこと、ありませんか?間違っても「うずらのロースト 鴨のテリーヌ添え オレンジソース」とかじゃないところが哀しいと言えば哀しい。ここ2,3日妙にマクドナルドのあれが食べたい!とか思っていたのだ。女房もそうだったらしく、意見が一致したのでマクドナルドに行く。まくまく食う。満足。
除夜の鐘は百八つの煩悩を音にして空気中に拡散させてしまおう、という行事なのだが、今日の私は買いたいモノを買い、食いたいものを食う、という、煩悩の鐘鳴り響く一日だった。
合掌。
(2000 Jan. 31)
そう、それで卵のコロッケのレシピなど紹介しよう。
[材料]
卵をおわんに割り入れ、煮立ったつゆにそっと落とす。上から何度かつゆをかけ、表面が白く固まったら出来あがり。黄身は半熟にとどめたい。お椀に移し、浅葱など振る。熱いうちにどうぞ。
冷めてしまったら、お茶漬けのおかずなどに。
(2000 Feb. 1)
デザートはチョコレートケーキ。7-11の奴だけど。なんとなく幸せ。
(2000 Feb. 2)
家電品などには付いているものだが、まさか楽器にまで付いているとは思っていなかった。世知辛い世の中になったものだ。曰く、
(2000 Feb. 2)