私にとって写真とは?

2006年1月 UP

 

1.

 1年半前までの10年以上の間、私が最も力を入れてきた趣味は写真でした。いや、それどころか、写真しか趣味がなく、仕事以外には写真しかやってこなかったと言っても差し支えないくらいです。平日は帰りが遅かったので何もできず、土日のいずれか一日を撮影にあて、残りの一日は休養というのがいつものパターンでした。1997年(平成9年)からHPの更新が加わりました。仕事が極端に忙しくなって土日出勤せざるを得なくなった時期を除き、ずうっとそれを繰り返したことになります。なぜ、こんなに写真に打ち込んできたのかを考えてみました。

 その理由はいくつかありますが、まず最も重要なのは、単純に「おもしろかった」ということです。仕事や義務でやっているものではないのですから、おもしろいと感じなければ、長続きしません。

 きっかけは、1992年(平成4年)に初めて一眼レフカメラを買ったことでした。それまではコンパクトカメラしか使ったことがありませんでしたが、子供の小学校の運動会では離れたところからしか撮れないため、小さく写るだけでした。それではつまらないので、一眼レフカメラと100〜300mmの望遠ズームを買ったのです。そのとき既に、AF(オートフォーカス)と、TTL(自動露出)技術が今とあまり変わらないくらいのレベルに達していたので、初めて使ったにもかかわらず、うまく撮れたのが幸いでした。遠くても大きく、そしてきれいに撮れました。これは感激でした。もしもそのとき、初心者には使い方が難しくてうまく撮れなかったら、こんなに深入りしなかったことでしょう。技術の進歩に感謝です。

 その後、撮り方によっては背景がきれいにボケることがわかりました。これは感動ものでした。それまでに自分が撮った写真とは全く違っていたのです。背景をボカすためにプログラムオートじゃなくて絞り優先モードを使うことを覚 え、レンズの焦点距離の違いによる写り方の違いも理解できるようになり、おもしろさがどんどんと膨らんでいったのです。

 次に写真雑誌を読んでいてリバーサルフィルムというものがあることを知り、花の写真に使ってみて、その美しさに驚きました。ネガフィルムからのプリントとは発色が異なり、透過光で見るスライドはとても美しく、場合によっては実物以上に美しく見えるのです。

 このあたりまで来ると、写真とは、実物を同じように再現するコピーではなく、自分で工夫して好きなように画像を創作するものだということがわかります。そのことに気がついて、もう引き返せなくなりました。

 

2.

 ここで、自分が撮った花の写真で最初のお気に入りをお見せしましょう。これは1992年に一眼レフカメラを 買ってから1ヶ月くらいしかたっていない頃の写真で、リバーサルフィルムというものを知る前ですから、ネガフィルムで撮った写真です。100〜300mm の望遠ズームを使い、三脚も使っています。これでも当時は、とてもきれいに撮れたと思っていて、六切りに伸ばして額に入れ、部屋に飾っておりました。 (^^;

 

 

 しかし、今これを見てみると、なんかがっかりしますね。背景はそれなりにボケているものの、あまりきれいなボケではなく、ただ真ん中にコスモスが咲いているっていう、それだけの写真です。コスモスの花が向いている方(つまり右側)の空間を開けた方が構図として落ち着くので、花をほんの少し左側に寄せた方が良いと思われますが、そんなことも考えていないわけです。堂々と真ん中に咲いてますから・・・。

 こんな写真でも喜んで飾っていたのかと思うと恥ずかしいのですが、しかし、これが花の写真にハマっていくきっかけとなったわけですから、本当にわからないものです。

 思い出してみると、この後、すぐに冬になってしまって、早く花がたくさん咲く春が来ないかなあと心待ちにしておりました。春が来るまで、写真雑誌を図書館から借りてきて勉強していたように記憶しています。そして春になって、最初のマクロレンズを買ったんじゃなかったかなあ。

 

3.

 写真を趣味とするようになってから、よく写真雑誌を読みました。そこでは読者が応募するコンテストが行われています。自分も腕試しに挑戦してみたところ、何度目かの応募で、某誌のビギナー向けのコーナーで入選することができました。最初に入選したのは、力を入れていたネイチャーフォトではなく、気軽に撮った自分の子供の写真だったのはご愛敬。その次は花の写真で入選できましたけど・・・。 

 自分の写真が雑誌に載るというのは思っていた以上の快感でした。それまで、仕事で私が書いたものが雑誌に掲載されたことは何度もありましたが、仕事に関係 のないことでは初めてでした。大げさに言うと新しい世界が開けたような、私の人生にとっての一大事でした。たとえビギナー向けのコーナーであっても、そんなことはどうでもよいのです。その後は再び入選したいと強く思うようになり、コンテストへの応募のために撮影していたといっても過言ではないような状況になりました。

 しかし、やはり現実は厳しく、その後は、全然入選しなくなってしまいました。あと一歩で入選というところまでいくのですが、落選が続きました。そういうことが1年以上続くうちに、写真の熱が一時的に冷めかけたように思います。

 ところが運良く、その頃、インターネットが普及し、普通の人がHPを持つことが珍しくない時代を迎えていました。我が家のPCをおそるおそる28kbsのモデムでインターネットに接続してみると、素晴らしい写真を掲載しているHPも見つかりました。自分もやってみたくなり、HP作成ソフトを買ってきて、手探りでHPを始めました。1997年のことです。

 HPの良いところは、写真雑誌と異なり、写真を見た人の感想をメールや掲示板で聞けることです。これは自分にとって大きな励ましになり、また写真への意欲が高まったのです。雑誌のコンテストは、もうどうでもよくなり、応募することはなくなりました。HPがなかったら、こんなに写真に打ち込むことはなかったでしょう。

 その頃からネット上では個人の写真のHPがだんだんと増えてきて、掲示板を通じて、同じような趣味を持つ友人もたくさんできました。これも写真によってもたらされた楽しみでした。(友人のHPを久しぶりに見に行くと、いつの間にかHPがなくなってしまっていたり、最近は更新されていなかったりするのは、ちょっと寂しいです。自分のことを完全に棚に上げています が・・・。)

 

4.

 私の撮影対象は、主として、花や樹木などです。一般にはネイチャーフォトと呼ばれていて、簡単に言えば、「自然」を対象としています。花といっても、その多くは人間が植えて管理している花なのですから、完全な自然ではありません。いうなれば「自然」を感じさせるものということでしょうか。 

 自然は、季節によって少しずつ、そして大きく姿を変えます。花ならば咲く季節が決まっていますし、落葉樹ならば春は新緑、秋は紅葉、そして冬は葉がない状態となります。撮影をしていると、季節の移り変わりのきめ細かさを感じることができます。普通の生活でも大雑把な季節の変化は気がつきますが、撮影していて初めて気づくようなことも多いのです。東京などの大都市でも自然がしっかりと息づいていることを、写真を通じて感じることができました。

 公園の一本の柿の木を撮り続けてみたことがありました。引っ越す前の約5年間、毎月欠かさずに撮影に行きました。柿の木に咲く花をじっくりと観察したのは初めてのことでした。同じ対象に何度も向き合うというのも面白いものでした。

 普通に何気なく見るのではなく、いざ撮影しようとしてみて初めて気がつくこともあります。例えば、それまで綺麗だと思っていた「花」は、近づいてよく見ると傷んでいることも多く、必ずしも綺麗ではありませんでした。逆に、それまではあまり気にとめなかった新緑はとても美しいことに気づきました。春という季節のせいもあるでしょうけれど、明るく柔らかな色合いは、見ているだけで心穏やかな気分になります。それまでは知らなかった美しさを発見することができたときの喜びもまた、写真をやっていて何度も経験したことです。

 私が撮影に行った場所は、あまり遠くではありません。車がないので自転車で行ける範囲が多く、電車で行くとしても30分くらいで行けるところが ほとんどです。気楽に行けるところで撮影していたというのが、長続きした理由かもしれません。近所に撮影に適した場所があるというのは、ある意味では恵まれていたともいえましょう。

 

5.

 4.では、「撮影をしていると、季節の移り変わりのきめ細かさを感じることができます。」と 書きました。これについては、私の場合、特別な思いがあるのです。私は北海道で生まれ育ち、東京で就職しました。北海道と東京周辺とでは、自然環境が大きく違っているのは当たり前ですが、こちら(東京周辺)で一年を通じて自然を対象に撮影をしてみて、その自然環境がいかに違っているのか、実によく理解できたのです。 

 その違いとは、単に、北海道はこちらに比べて寒いとか、夏は涼しいとか、人工的な物が少ないとか、そんなことではありません。こちらでは、季節の移り変わりが実にゆったりとしているということです。

  例えば、東京周辺では、晩秋から冬になったかなと思う間もなく、春の兆しが感じられるようになります。冬から春への移り変わりが実にゆっくりしていて、気温が少しずつ上がっていくので、梅は咲いたけれども桜が咲かない期間が1ヶ月以上もあります。しかし、北海道では、4月前半までは梅も咲かない寒さが続 き、その後一気に気温が上がります。そして、5月になって梅も桜も同時に咲くのです。

 私の田舎は、11月から4月までの半年間は、東京周辺の感覚で言うと「冬」であり、寒さのために屋外に花がありません。残りの半年間、つまり5月から10月までの短い間にすべての花が咲きます。春が終わって夏になったかと思うとすぐに秋になるので、春の終わりから秋の始めにかけて咲くはずの花は、花の時期が重なることになります。

 夏に北海道に帰省したときに撮った写真を見て下さい。

 

 

  紫陽花とコスモスとが同時に咲いています。これは北海道では決して珍しいことではなく、子供時代の私にとっては不思議でもなんでもない光景でした。紫陽花にとってみれば、ようやく花を咲かせることができる暖かさになったから咲いているのです。そしてコスモスにとってみれば、これ以上遅くなると寒くなるので、この時期に咲かなければならないのです。その結果、同じ時期になってしまった。それだけのことです。

 東京では、紫陽花は梅雨時の6月頃に咲いて真夏になると散ってしまい、長い夏が過ぎてようやく秋が来て、9月後半から10月にコスモスが咲きます。紫陽花とコスモスが同時に咲くなんて、ちょっと考えられません。

 東京周辺では、花の咲く順番がとても細かく決まっていて、しかも毎年、間違うことなく順番どおりに咲くことにとても驚かされました。9月下旬の秋分の日になると必ず彼岸花が咲くというのも驚きです。このようなことは、写真を趣味としなくてもこちらで暮らしているだけで、ある程度は知ることができたでしょうけれど、写真によって、よりはっきりと自覚できたことだと思うのです。

 

6.

 誰でもそうでしょうけれど、私にとっても、仕事でいろいろと難しい課題をかかえてつらい時期がありました。例えばよくある気分転換の方法として、友人と一杯飲みに行くということもあるでしょう。しかし、その飲みに行く時間すら全くないという時期がしばらく続きました。月曜から金曜まで毎日終電、電車がなくなったときはタクシーという生活が何年も続くのは、なかなかハードなものです。

 そんなときでも、週末に仕事を休める限り、撮影とHPの更新を続けていました。いや、今となっては、むしろ写真という趣味があったからこそ、なんとか厳しいことにも耐えることができたのではないかと思っています。撮影のときだけは、ほかのことを全て忘れて、自分の好きなことに没頭できました。1週間の中で数時間でも、そういう時間を持てたというのは貴重なことだったと思います。良い気分転換というか、リフレッシュすることができました。次の週末にはまた楽しい撮影ができると思うと、落ち込むことなく、気持ちを前向きに保つことができたように思います。

 自分の写真に対していろいろな人から掲示板でコメントを 書いていただきました。ネット上の掲示板というのは、どちらかというと他人の写真を実際以上に褒めがちになります。自分のことを考えても、友人のHPで写真を見て、良い写真だと思うと掲示板などでコメントしたくなりますけれども、そうではない写真の場合は書き込みませんでした。おそらくほかの皆さんも、程度の差はあっても同じような傾向があったと思います。ですから、自分の写真に対するコメントも、多少割り引いて受け止めなければならないのですが、そういうことがあるにしても、やはり他人からコメントをもらうというのはうれしいものであり、励みになりました。本当にありがたく思います。

 そんなわけで、30代から40代前半の私にとって、写真は、かけがえのない大事なものだったといえます。

 写真という趣味が長く続いたのは、「一人でできる」ということも大きな要素だったと思います。他人に気兼ねすることなく、自分の好きなときに好きな場所に出かけ、好きな被写体を好きなだけ時間をかけて好きなように撮ることができるのが魅力です。常にパートナーを必要とすることでは、こうはいきません。

 日頃の仕事などでは、他人との協調や調整が求められて、自分の思うように進まないことが多いものです。だから自分が好きでやっている趣味くらいは、一人で 自分の思うように自由にやりたかったのです。誰からの指示にも従う必要がなく、自由にできるというのは貴重なことだと思います。(もちろん、自由とはいっても、他人に迷惑をかけないようにすることは必要であって、ここで書いていることはそれとは別のことです。)

 念のために書いておくと、いつも一人で撮影していると、たまには友人と撮影するのも楽しいと思うようになります。ネットを通じて得た友人達といっしょに撮影したことも何回かありました。いつもとは違う雰囲気の中で撮影するのも、たまには良いものです。

 

7.

 最後に、フィルム一眼レフで撮影していた頃、私がこだわっていたことをまとめてみることにします。ただし、写真に関しては「なんでもあり」の世界だと思っていますので、これらはただ単に私の勝手なこだわりということであって、人によって撮影スタイルが異なりますから、それが絶対だということを言いたいわけではありません。

 

(1)できるだけ美しく写るように工夫して撮る。

 背景に余計な物が写らないようにするためにアングルを工夫したり、背景がきれいにボケるように工夫します。特に被写体に近接して撮るマクロ写真では、カメラの位置や角度をほんの少し変えるだけで全然違った写真になります。自分が納得するまで良い位置を探すようにしたため、1枚撮るのに時間がかかりました。 10分以上しゃがんで同じ姿勢でカメラのファインダーを覗いていて、立ち上がったらギックリ腰になったということもありました。一日だけ休んでなんとか職場に復帰したとき、上司が私に言いました。

「ぎっくり腰になったのは筋力が弱くなったからであって、すなわち、歳をとったということだ。」 

 まあ、そういうことでしょう。(>_<)

 

(2)三脚を使う。

 できるだけ三脚を使うようにしていました。特にマクロ撮影でピントを1点ではなく、2点以上に合わせなければならないときは、三脚なしでは絶対に無理で す。手持ちだと、ピントが微妙に甘かったり、ピントは合ったとしても思わぬところにじゃまなものが写ったりという失敗の確率が高くなります。三脚にカメラを乗せ、最高の構図を探し、シャッターを押す前にファインダーの隅から隅までをようくチェックしなければ失敗してしまいます。80点の写真を10枚撮るよりも、100点の写真を1枚撮りたいと思っていました。

 それと、望遠レンズのときはブレが大敵なので、やはり三脚が必要です。最初のうちは三脚を使わずに撮影し、現像されたスライドをチェックしているときに、「あのとき三脚を使っておけば・・・。」と後悔したことが何度もありました。

 こんな撮り方ですから、36枚撮りフィルムだと一日で使い切れないことが多いので、24枚撮りフィルムを使っていました。段階露出をするので、24枚撮りフィルムとはいっても、実際には8〜12カットくらいです。その程度の枚数を撮るだけでくたくたに疲れました。あと数枚だけフィルムが残っているときに、そのフィルムを使い切らなくてはならないという思いがあって撮影した場合、良い写真は決して撮れませんでした。単純に考えれば24枚撮りはコスト面では不利なのですが、私の場合は、決してそうではなかったと思います。

 

(3)フィルターをあまり使わない。

 私が使ったフィルターは、被写体をくっきりさせたり青空を青くしたりするためのPLフィルターだけです。クロスフィルターとかソフトフィルターとか、いろいろなフィルターがありますが、私は使いませんでした。これらは、うまく使えば効果的ですから、フィルターを使った他人の写真を見ることは好きでした。

 なぜ使わなかったのかというと、フィルターを使わなくても、構図をどうするかとか、ボケの具合だとか、どこにピントを合わせるかとか、露出をどうするかとか、考えなくてはいけないことがたくさんあり、これらを工夫することで精一杯だったからです。これにフィルターの効果を加えると、何がなんだかわからなくなって、制御不能になるのです。フィルターを使うことは無理なので、フィルターなしでできることをやってみようということだったと思います。

 多重露出についても同じようなことが言えます。写真を始めた初期に多重露出をやってみたことがありますが、その後は一度もやりませんでした。多重露出の技術に優れているKENさんの写真を同氏のHPで見ると、本当に羨ましく思います。

 私はソフトレンズを持っていますので、それはフィルターと同じようなことではないかとの指摘があるかもしれません。そのとおりです。面白そうだったのでソフトレンズを買って使ってみましたが、やはりこれは私には難しいレンズです。あまり使うことはありませんでした。

 

(4)お金と時間をかけ過ぎない

 私にとっての写真は仕事ではなくて趣味ですから、お金もほどほどに、時間もほどほどに、無理のない範囲でやっていました。

 私のHPでプロフィールをご覧になればおわかりのとおり、同じような趣味を持っている人に比べて、そんなに高価な機材は使っていません。それで十分なのです。(いつも持ち歩いていたカメラバッグの中身と三脚の購入価格を合計すると30万円ほどになります。お金をかけていないつもりでも、結構なお値段だということに今ごろ気がつきました。遅いか・・・。)

 時間もあまりかけませんでした。撮影する日は週に一日だけ、2時間くらいというのが標準でした。2時間以上やっても疲れてしまって、よい写真は撮れませんでした。午前中に撮影をすませ、昼過ぎには帰ってくるというのが普通のパターンでした。

 

(5)たまには変わったこともやってみる。

 いつも同じことばかりやっているのではなく、たまには違うことをやってみるのも楽しいものです。上に書いたような「こだわり」にこだわりすぎないようにするということであって、これもひとつのこだわりなのかもしれません。(^^;

 例えば、たまにはソフトレンズを使ってみたり、このような、どこにもピントが合っていない写真を撮ってみたりしました。樹木の下での昼寝から目が覚めて、まだ眼が霞んではっきりと見えないときに眼に映る光景はこのようなものかもしれません。こういう自由さが写真の魅力とも言えるのではないでしょうか。    

 


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