さきよし一言
              歩いた山野 333万7,381歩
             距離で2,781.15km JR川崎駅〜立川駅間を39往復に
        
         快適な日々は健康的なライフスタイルで 
 
  これは、昨年(2002年)1年間に、富士山、丹沢、奥多摩の山々をはじめ、川崎市
内は、もとより国内、海外などの山野を歩いた記録だ。
 実際に歩いた333万7,381歩を1km当り1,200歩と換算すると、2,781.15kmになる。
この距離は、川崎駅を起点にしてみた場合、計算上は、おおよそ次のようになる。
○川崎〜登戸(17.3km)80往復       ○川崎〜立川(35.5km)39往復
 ○川崎〜仙台(370km)3往復と片道余り  ○川崎〜新大阪(542.5km)2往復と片道
  ○川崎〜鹿児島(1,160.4)1往復余り。  
 
 気象庁横浜地方気象台によると昨年一年間のうち、、着ている物がずぶ濡れになったり、
水溜りができる程度の日降水量が10mm以上あった日は、年間46日だそうだ。したがって
歩行可能の日数は319日(365日−46日)となる。つまり、この333万7,381歩は、1日平均1万
462歩となる。よく『塵も積もれば山となる』、『Many a little makes a mickle=少量のものが
多く集まれば多量になる』といわれるように、日々の積み重ねの結果は必ず出るものだ。

 数字の羅列は、さしたることではない。最大の収穫は健康の自己管理に最適であったこと。運動不足の解消はもとより、体重のコントロールなど体調も改善され、中高年を悩ましている「生活習慣病」とも上手に付き合うコツが解ってきたようだ。『毎日が快適なことほど、ありがたいものはない』ということが、今の実感である。
                                   2003年2月1日     さきよし

偉大な老人パワーの元祖 伊能忠敬偲ぶ

〜昔日の面影、小江戸の風情が佐原の振興に〜

 伊能忠敬(イノウ タダタカ)は、50歳で佐原の名主や家業の醸造業を隠居し、天文学を学び、日本全土の測量を55歳から第1次(東北・北海道南部)を皮切りに、71歳での第10次(江戸)に至るまで、なんと20年余りにわたって全国を歩いて測量を敢行している。

 伊能忠敬73歳で亡くなった後、3年後の1821年に、実測によるはじめての正確な日本地図『大日本沿海輿地全図』(伊能図)が、彼の弟子たちの手によって完成した。伊能図は、大図214枚縮尺1/36,000、中図8枚同1/216,000、小図3枚同1/432,000などがある。

 それまでは日本人はもとより、諸外国においても日本の本当の姿がわからず、さまざまな憶測で日本図が描かれていたようである。

 今でこそ日本人男性の平均余命は78.07歳(平成13年)であるものの、当時の統計資料が皆無のため不明だが、最古のデータ(明治24年)では42.8歳なので、伊能忠敬さんは平均より30歳以上の長命であった。

 今日の年齢に換算すると、定職をリタイヤした後に、日本全土の測量を始め、何と百歳を超える長命でったことが伺える。徒歩による活動が、長寿につながったことは確かであろう。徒歩は自らの健康管理に最適な手段といえる。データは厚生労働省の「簡易生命表」による。

 佐原へは東京からJR、高速バス、車で、いずれも一時間半ほどである。利根川の支流小野川が街のほぼ中央を流れている。その沿岸と周辺を中心に江戸、大正、昭和初期の古い商家や蔵造りの建造物が今も健在で、水郷の情緒をかもし出し、自然環境と調和した風情は、「小江戸めぐり」として広く親しまれているだけあって、落ち着きと心地良いものがあり、大都会で失われて行くアメニティの価値観の高さを感じさせる。

 伊能忠敬を育んだ「伊能忠敬旧宅」、「忠敬橋」、「伊能忠敬記念館」や伊能忠敬にあやかって、名づけられた複数の商店も見受けられ、伊能忠敬を象徴とした街づくりが印象的であった。長引く不況のあおりを受けて衰退していく他地域には無い賑やかさと、昔日の面影を利した中でのほど良い活気が感じられた。伊能忠敬、様、様といった様子であった。

 また、5年前、この地域が国から関東で初の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された。このことを地元の人たちは誇らしげにし、街の活性に弾みがついているようにも見えた。

                             2003.4.21   さきよし

  

あけまして おめでとうございます
〜2005年が平和で安心できる幸せをお祈りします〜

2004年は多くの記録が塗り替えられた。
アテネ五輪・パラリンピックでの日本のメダル獲得数、
イチローの年間安打数、
台風上陸、新潟地震・余震およびクマ出没ラッシュや
プロ野球スト・新規参入などで、明暗をわけた。
オーバー・ヒートの‘冬のソナタ’などの韓流ブームもあった。
また、国際・社会・経済問題に眼を転じると、イラクの泥沼化による平和壊乱、
ウソの塊の北朝鮮外交、年の暮れには史上最悪なインド洋の超越津波の発生。
世間を震撼させた幼児や両親の凄惨な殺害、卑劣なオレオレ=触れ込め詐欺。
「人生いろいろ・会社いろいろ」トップの無責任発言、
バレにバレた年金未納年金三兄弟ほか、
本末転倒なKCT損失補償等の川崎市。
政治と賄賂の悪弊、教育界の怠慢による小中学生の学力低下、地球温暖化対策の無策、
原油・卵の高騰、税・保険料の個人負担増、空虚な三位一体、
大企業独り勝ちの混迷する日本経済、etc.である。
これらのシワ寄せは、すべて国民が背負うのだ。
為政者やその任にある権力者には、言い訳はあっても、なす術はないのか。
展望が開けない現状に謙虚な反省と実効ある対応が望まれる。

2005年が「災い」転じて福となす。で、人々にとって名実ともに
「チョー気持いい」年になってもらいたいものである。
                                  2005.1.1 さきよし


ゆううつ春一番
  〜花粉の抜本的な対策が求められる〜


今年も春一番が吹いた。
春は、生物が冬眠から覚め、黄金色できらめく福寿草、
梅の香りが漂うなど四季を通じて、
輝かしく喜ばしい希望に満ちた時であるはずである。

ところが、春一番の強風にあおられ、杉や桧などの花粉が
舞い込み、人々にアレルギー症状を誘発させる要因になる。このころから、巷では、花粉の防除用マスクや眼鏡の
着用が目につくようになる。
加えて時季的にも三寒四温の現象もあって体調のバランスを
くずすことにもなる。

国民の約4割が花粉症に罹患し、昨年の
2倍の花粉量で、
ピークは
312日と41日だとする報告もある。
こうなると、原因が明確であり、もはや国民病といっても
過言でないであろう。

そこで、自分として、従前から思い続けていることがある。自然生態系の保全を前提に、日本列島の樹木のうち、
人や他の生物に悪影響を及ぼす植物を、
そうでないものに植え替え、移行する構想である。
例えば、移行する割合を年に
2%なら50年、5%だとすると20年、
10%なら10年で、国内から段階的に元凶を除去できることになる。

これを国策として、中長期計画で実施し、抜本的な対策を講じない限り、いつまでたっても、
我々国民に快適で安心できる春日は訪れない。

                     2005.03.03   さきよし


福寿草

蝋梅

日の出 知床半島羅臼で

知床半島羅臼での虹

愛犬あの世に旅立つ 〜17年におよぶパートナーとの惜別〜

 昨朝、175ヶ月間にわたり、生活を共にしてきた愛犬トロロが
静かに息を引き取った。朝から家族の号泣が漂う。
我が家での
5番目に飼った雌の雑種の洋犬で、性質も良く、
これまでに最もおとなしく手の掛からない素直な犬であった。

 一日が、トトロへの「おはよう」の挨拶で始まり、
日課の早朝散策やトレーニングのパートナーとして、
目的地から帰宅までの道順を良くわかっていて、
先導役を努めてくれていた。長く一緒に居るとわかることだが、
犬の習性としては、家人に忠誠であると同時に、心理状況を理解していること、聴力や臭覚能力が極めて高いこと、習慣性の強いこと、
亡くなる一時間前も小屋から出て、排尿をするなど清潔好きである。
ペットとしての可愛らしさは、姿かたちは当然として、裏切らないこと。最大の長所は、決して口こたえをしないことであろう。

 昨年末から老衰が目立ち始めたものの、決して朝の散歩を
嫌がることなく付き合ってくれていた。しかし、足のふらつきがみられた今年
2月中旬からは、同行を止めていた。
当のトトロは、幾分不満のようであった。高齢でもあり、
最近は餌を朝の
1回にし、シニア用ドックフードと缶詰ビーフを
与えていた。ずっと食欲はあったが、昨日は一切受け付けず、
今朝
7時半に見ると、小屋から数歩出て、排尿をした脇に横たわっていた。「トトロ!」と呼ぶと立ち上がり、小屋に入りかけたので、
牛乳を差し出すと、
2回ほど舌をつけた後、再度、横になった。
1時間後の8時半までは、こう着状態となり、その後、家族の見守る中、
永遠の眠りについた。惜別の情一入である。市内の施設で静かにダビに
伏された。どうか天国で、仲間達と持ち前の瞬発力で、
あの愛くるしいピョンピョンと跳ね回った
元気な姿を蘇えらせてほしいものである。

                            2005.5.10 さきよし

トトロ