近況報告 10月

 すっかり、ご無沙汰しました
 昨年は、皆さまに大変お世話さまになりましたこと、改めまして、御礼申し上げます。ありがとうございました。
 その後は、時間を有効に利用することを念頭に、心身の鍛練と修養に努めてるとともに、微力ながら地域の環境改善にあたっております。
やってるよ
奥多摩川を遡上する鴨の一群 02.4.29
地元の神木山 等覚院にて 02..4.22
薫風ただよう庭の月見草
 雨にしっとりと、彩りもあざやかに咲き誇っている紫陽花は、人々や他の生きものに何か、うるおいと安らぎをもたらして、くれているようです
 衣替えの月でもありますが、時季的にも入梅に向かって、かなり寒さを感じる日もあると思います。あまり無理をなさって風邪など召さぬようご自愛ください。
 早いもので、ことしも半年目を迎えたわけです。自らを『学び』の年して、もっぱらセミナーなどに通っています。
 いま、権力者による税金の不正流用や不穏な発言など悪政が続き、国民をあざむいていまが、これを一喝するかのように待望の日韓共催によるワールドカップが熱気の中でキックオフしました。この『世界のスポーツ祭典』の成功をみなさんとご一緒に祈るものです。
                   
2002.6.1     さきよし  
2002.5.1
妙楽寺あじさい 02.6.3



暑中お見舞い申し上げます
 

 
 サッカーW杯熱の燃え盛るさなか、皮肉なことに夏至を迎えた6月中旬からの低気温で冷え冷えとした肌寒い日々が続きましたが皆さまには体調の方は、いかがでしたでしょうか。

 
 川崎市は、ことし、78回目の誕生日を迎えました。1924年(大正13年)7月1日に市制を施行した時の人口は、5万188人であったといいますから、今では127万人ですので何と25倍の市民をかかえる大都市に発展したわけです。市民パワーもますます大きなものになって「生かそう民なの財産」(拙著2001年刊行)の礎となり都市の発展をご一緒に祈るものです。
 
 小生、相変わらずデジカメをたずさえて自然生態系の実態を追い求めたり、セミナーへの参加やウォーキングなどで健康管理に努めております。
                   
                 2002.7.1  さきよし
 
キリンの群れ 多摩動物園 02.6.9

近況報告 8月
「おじさん! なにやっているの いつも同じことやって何がおもしろいの?」 いや別に面白いことなんかないよ と言うと 「じゃ僕たちと一緒に遊ぼうよ!」と手を取られ子供たちの仲に引きづり混まれた。
これは、自分が日課として愛犬の散歩をかねて朝の体操の場にしている公園での光景である。子供たちは、顔見知りの小学校低学年生である。
 自宅から回り道で1キロメートルほどの所にある約千uぐらいの「さくら公園」でのこと。

 しばらくすると「ね…。 おじさん! こっちの方が面白いでしょう また、遊んであげるからね」には、どっと笑いがこみ上げ、元気付けられると同時に、いささか返答に戸惑った。

 今年も早や大暑がすぎ、ここ連日30℃を超える猛暑が続いております。お変わりありませんか。

 先月20日、土用の丑の日に学校も夏休みに入ると同時に、ちょうど梅雨明け宣言の日でもあった。

 この公園の道路をはさんだ北側の森林を含めた緑地が、今、無残にも宅地造成が進められ自然環境が破壊さている最中である。
 
 多摩丘陵の一角を成す、この地には今もなお、微生物、昆虫、野鳥など、種の地域特有の野生植物が生息・生育する。川崎市内としては、限られた貴重なエリアであって、同時に人々の生活の潤いと癒しの空間を保ってきただけに、残念でならない。

 土壌は、多くの機能をもち生態系の基盤でもある。そこに棲む生物は、有機物を無機物に変えたり汚染物質を分解したり、大切な働きをして自然浄化を果たして、良好な生活環境の保全に寄与しており、地域が長年にわたる人間の営みの中から生まれた貴重な社会資産である。

 表層土壌が1cmできるのに100年〜数百年という世紀単位の時間が必要とされている。それがどうだろう利益優先にのみに走り、大型バックホーで、瞬く間にえぐり破壊しているサマは、国によっては、犯罪行為として厳罰に処せられると聞く。当然である。
 
 動植物の多様性の減退などで地球温暖化がさけばれるなか、地域住民らの反対要望にも拘らずに無謀な開発を目の当たりにするにつけ、憤りを覚えるこのごろである。
 2002.8.1    さきよし            
朝のラジオ体操に励む子供たち
       ’02.8.1
無謀な開発が進む 宮前区五所塚2丁目
        
02.8.1
すずらん 宮前区五所塚2丁目
       
02.3.28
斎藤 良夫

近況報告9月
 このところ、外出の際は、たいがい徒歩で駅まで行くことにしている。その一つに溝口がある。限られたエリアのなかでも、排ガスかぶりから逃れようとするのは、人情の機微である。
徒歩のコースを自宅のある五所塚から東名高速道路したを通り、平瀬川沿いを神木本町→上作延→津田山→下作延を経て溝口駅までの道のり約4キロメートルをゆったりしたペースで約50分(徒歩にして約5,700歩)でたどり着く。
3つの小学校区域を通り、それなりに楽しみながら適度な運動を心がけている。

平瀬川は、源流が宮前区水沢の谷戸で、そこから高津区の二子橋の付近で多摩川に合流する全長7.5キロメートル。自分の歩く区間は、ちょうど全延長の2分の1に当る中流域のところ。川幅7〜8メートルで、防護用のフェンスで覆われ、両岸に4メートルほどの道路が通っているが、比較的自動車の通行量が少なく、ウォーカーにとっては、うってつけの道である。

この地域は、かつては集落(ムラ)、耕地(ノラ)、二次林(ヤマ)、河川(カワ)といった平地農村の基本構造として調和の取れた、のどかな田園地帯であった。しかし、今となっては、都市化で流域は、集合住宅の立ち並ぶ街に変貌している。ところが、うれしいことに、わずかではあるが昔ながらの耕地が点在している。川の流れに沿って小さな中州も見うけられ、色とりどりのコイ、フナなどの中小の魚や春先にはふ化したカモの子が親の後に一列に続くさまは、地域の人気ものになっていた。純白なサギなどの鳥類との共生がほほえましい。

川のまわりは行き届き過ぎるほどに、どっしりとコンクリートで固め尽くされ、脇の道もアスファルト舗装されている。行き交う者にとっては、ありがた迷惑といった面もある。自然生態系の破壊で、生活環境にヒートアイランド現象を助長させ、気象上昇の要因に繋がってていることが否めない。多自然型護岸整備など環境に配慮した工法が求められる。
持続可能な種を確保するためにも、土壌を人工物で覆うことなく、自然環境の保全を基軸にした整備が今後の課題である。     2002.9.1  さきよし


 
平瀬川・中流域の光景
一度は行ってみたいと長い間おもい続けてきた日本のシンボルともいえる富士山の登山をかなえることができました。
子供たちの夏休み最後にあたる8月31日(土)〜9月1日(日)の日程でした。
8月31日は表富士宮口五合目(標高2,400m)を11:00にスタート六合目、新七合目、七合目、八合目を経て、我々の宿泊施設の山小屋がある9合目(3,460m)に着いたのが15:32でしたので、昼食など何回かの休憩タイムを含めての所要時間は約4時間半で、歩数約7,000歩のペースでした。

9月1日は、未明の3:30再スタート。暗闇の中
ヘッドライトと道添えの要所に設けられているロープを頼りに、いくぶん緊迫感を保ちながら頂上をめざし、4:45の登頂でした。寒風をさけ岩陰に待機すること30分。5:15、朝焼けとともに御来光のクライマックスを迎えました。その直後、登山者一同から歓声と拍手がわいた一瞬でもありました。

それから、山頂噴火口を一周する御鉢めぐりでは、富士の自然そのままの姿を目の当たりにし日本最高峰の3,776mの頂上では、予想以上の雄大さをじっくり感じ取ることができました。
富士山測候所の9月1日5:00時点の観測データによると、風向SSE、風速8.2m/s、気圧650,8hPa、気温3.6℃、天候晴。ちなみに東京地方のこの日の最高気温は32℃でした。


晴天つづきのこともあって、火山灰の粉塵をかぶりながらの下山でしたが、前日のスタート地点の五合目に到着したのが11:00でしたので、ちょうど24時間という予定どおりの行程で全員無事にゴールすることができました。          2002.10.6   さきよし

 御来光のクライマックス  02.9.1 5:16 富士山頂
九合目付近から駿河湾を望む 02.8.31 15:45
他の映像は、つぎの「気ままな散策」に集録しあります。ゆっくりご覧ください。
近況報告
近況報告
5月
6月
近況報告 11月 
 巨人軍の日本シリーズ優勝パレードが11月4日に行われた。
用向きの道すがら覗いてみることにした。多勢の人の群れには驚いた。
選手たちが見えてくると熱っぽい声援があちこちからわき、ビル街にコダマした。とりわけ55番のホームランバッター松井秀喜には、FA宣言によるメジャーリーグ行き発表直後でもあり、ひときわボルテージが上がっていた。
 
 ことしのプロ野球日本シリーズは、4連勝の最少対戦で巨人が日本一をしとめたわけだが、4戦全勝優勝は、ジャイアンツでは、もちろん史上初めてである。この半世紀では4回目、直近では12年前の1990年に、くしくも今年の対戦相手の西武であった。

 今シリーズは新しいシリーズ男としての二岡智宏を誕生させたシリーズでもあった。3試合連続猛打賞、さらに、なんと第3戦では、優勝に王手をかける決定打となった満塁ホームランまで演出して、MVPに輝いた。好打の際にはニコニコと会心の笑みを浮かべ、普段の無表情が明るい満面に一変する。シーズン中盤まで度重なる怪我に泣いて欠場し、消えるかと思っていたところ、しぶとく立ち上がった男、これからが大いに期待されるシャイでセンスある若武者である。

 
 優勝パレードの翌日には、2002年の正力賞に原辰徳監督の受賞が伝えられた。就任1年目にして、優勝に導いたことは称賛される。選手の果敢な起用が日本一をもたらしたものであって、衆目の認める当然の受賞である。

 ところで、このところ、イモ、栗、柿、みかん、新茶、新米などのバラエティーに富む収穫で、秋の味覚に魅せられ、浸りながら短い昼の時間を有意義にと動き回っている。
 
 地元町内会の五所塚まつり運営のサポート、近くの緑化センター、東高根森林公園、隣接都市の散策、10月14日の体育の日には陣馬山(標高875m)そして、1週間後には、三頭山(標高1,531m)と、いずれも自宅から至近距離にある山々を精力的に歩き、汗を流しながら、そのつど自然生態系にふれ、心を癒している。

 高齢者階層への仲間入りで、健康保持とともに、わが身の老齢化への減速を試みている近頃である。           
                     2002年11月15日    さきよし
巨人軍優勝パレード
五所塚まつり
近況報告2002年12月

 11月の中旬、何年かぶりに伊豆半島へ家族で1泊ドライブに出かけることになった。

 というのは、近く米寿を迎える母が今年5月に外出先で転倒。右大腿骨を骨折して即日入院。3ヵ月後に退院の日程が決まった矢先に、不運にも
院内のトイレで誤って転び、今度は左大腿骨の骨折というアクシデントに見舞われた。

 高齢なだけに自力歩行ができるまでの回復が危ぶまれていたが、医療機関スタッフの献身的な対応、リハビリを含め、本人の苦痛を乗り越えての懸命な努力、家族などの弛みない看護で、5ヵ月後の11月上旬に無事退院することができた。ということで、母の社会復帰の機会にと、久しぶりの小旅行に介添え役となった次第。

 母は、途中、昼食などの下車のときでも前面と左右両面がコの字になっている舗装具、本人いわく「ピックアップ・ウォーカー」を器用にこなして、野外での歩行にも多少なりとも自信を持てたようだ。浄蓮の滝のところで休憩後、宿は天城湯ヶ島の上船原で、高齢・障害者へ配慮した部屋の割り振り、また気候も温暖で車窓からの実りの秋の光景や雪化粧の富士山にも満足したようで、マイナスイオンにもタップリ触れる中で退院後、初となる旅は晴れ晴れとした快適なものとなった。

 34回目を迎えた『日展』に今年も行くことになった。最終日の日曜日でもあったせいか、多くの鑑賞者でごった返していた。
 会場の上野公園の東京都美術館には、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門からなる全部で2,892点が所狭しと、72室にわたって陳列されていた。一通り観るだけでも一日では、とても廻りきれない作品の数々である。

 この日、運良く興味深い作品の創作者にお会いすることができ、作品を前にして創作のモチーフなどについて、詳しいお話を直接に伺うことができるなど、有意義なひと時であった。
浄蓮の滝 天城で
宿の庭 上船原で
2002.12.27  さきよし
鮎の塩焼き 天城で
わさび田 天城で
    過去の記録  
親孝行・日展
巨人軍優勝パレード五所塚祭・山頭山
富士山登頂
平瀬川
近所の情景と環境破壊
日課と雑談
咲き誇るアジサイ
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