これって普通?普通じゃない?連載6
かわいいパンツとまとわるオムツ
わたしの部屋は中庭に面していて、日当たりがよく、病院のまん真中なので窓からなんでも見渡せて、病院で一番いい場所にあります。廊下のドアをトントンとたたいて訪ねてくる患者さんもいれば、窓ガラスをトントンと叩いて会いにくる患者さんもいます。Aさんは、味噌っ歯でニーッと笑って、窓から顔を出します。椅子をまわして後に振り向きその顔をみると、眼鏡をかけたちょっと太目の看護者と、味噌っ歯のAさんの2つの顔が窓辺にふたつ並んでいます。私もニッーと笑ってしまいます。
Aさんはみんなにかわいがられています。歌や踊りが大好きで、運動会でも、盆踊りでも、クリスマスでも人気者です。あの味噌っ歯のニコニコ顔をみると、私たちも笑顔になれます。40歳ですが接枝分裂病で、なんでもかんでも食べてしまうので、それがとっても困ります。ダーッときて、他の人のジュースも、お菓子も、ご飯もゴミも、みごとなはやさで掴んで口にいれます。紙オムツは食べてしまうので布オムツをつけています。便をこねるからと、私がこの病院にきたころはいつもあの「つなぎ」をきていましたが、最近はかわいい服をきています。赤やピンクの色が好きなようです。
今年の2月、またオムツはずしがひどく、汚れていないオムツもつぎつぎにはずし、ベッドのわきや、布団の上に放尿してしまうことが続いていました。夜はあちこちに出かけてはなんでもかんでも口にいれてしまいますから、個室で施錠されています。昼間は職員がついているのでできるかぎりデイルームにでており、OT活動にでかけたりと、おむつに執着しないように気をそらしているのですが、なかなかうまくはいきません。Aさんの表情も硬くなり、不愉快で、ストレスがたまっているのもわかるのですが、どうしていいか看護者もお手上げ。もう限界ですよ、というのです。
「だから、もう、パンツにしてみてよ。」と私は婦長に言いました。職員はお手上げなんだから、もうなんだっていいでしょ。やってみてよ、普通のこと。パンツでいれば気持ちがいい!おむつは気持ち悪いからはずす!これって、普通のことでしょ。婦長は「看護部長に言われなくたって、むろん私だってそうしたい。スタッフだってそうしたい。」と言いました。今、そのことを考えているのですと。考えているのだけど、便をふいては壁にこすり、あちこちにおしっこを撒き散らし、自分のうんこのついた紙オムツをたべてしまい、タバコもゴミも、なんでも口にいれるAさんをみていると、簡単にできますとは言えないのです。それはそうね。苦戦しているのはスタッフたちだし、スタッフが「パンツがいちばん」と確信しなければAさんはパンツを履き続けられない。やっぱりだめでしたと、すぐにオムツにもどってしまうことは目に見えているのですから。
パンツだけにしてもいいのではという話しは今までになかったわけではないのです。それどころか、すでに「パンツをはく」試みは、昨年の5月におこなわれており、やっぱりだめだったという経験から、もうお手上げだというのです。昨年の4月に新しい婦長が病院にやってきて、なんとかして、Aさんのオムツははずしをやろうと試みたのです。その時は、1・2時間おきにトイレに排尿誘導するというのが計画ですので、自由奔放に遊びたいAさんは、職員に「さあ、おしっこしましょう」と1日中追いかけ回されているのはさぞかしいやだったでしょう。パンツがよごれて、手で触ったらまた便を壁にこするだろうし、廊下やデイルームのあちこちにおしっこが垂れ流されては困るので、職員はしょっちゅうAさんを見張っているようなものです。Aさんのストレスを助長し機嫌がわるくなり、結局布オムツにもどしてしまいました。あのときのへとへとした疲れと、がっかりしたことを思い出すと、看護者たちがもう一度「パンツに挑戦」してくれるかどうか、婦長は自信がありませんでした。
ところが、スタッフにもちかけると、もうここまできたんだから、だめもとでやってみようというのです。まあ、開き直りというか、この際もんもんとしているより、何でもいいからやってみよう、ということだったのでしょう。Aさんはかわいいパンツをはくことになりました。みんなでかわいい、かわいいと手を叩いてよろこびました。むろん、かわいいパンツはたくさん用意しました。Aさん好みのピンクや花柄がいっぱい。
ひとりの職員が今日はもうAさんのことは私にまかせて、ほかの人は口も手もださないでくださいといったそうです。なにしろ、今までオムツをしていたわが子が、いきなりオムツをはずし、かわいいパンツをはいたのですから、うまくおしっこやうんこができるかしらと、だれもが気になるのです。ハラハラする大勢の「母親」をまえにして、その職員は「わたしにまかせなさい」と断言したのです。今度は、トイレへの排尿誘導はやめました。時間でおしっこをしに行かなくてはならないのは、天真爛漫のAさんにそぐいません。ですから、部屋にポータブル便器をおいて、しらんぷりをしているという作戦がとられました。Aさんに近寄るなというので、誰もAさんに「おしっこしましょ」も「うんこしたくない」も尋ねません。おしっこをもらしたら、拭いてパンツを履きかえればいいだけですから。
さて、数時間後、職員はみつけました。ポータブル便器のなかにある一本のウンコを。ちゃんと、自分で便をしていたんですよ。かわいいパンツを脱いで、便器に座って、便をして、またパンツを履いていたんです。紙で拭かなかったから、パンツには便のあとが一筋ありましたけどね。
尿意もあり、排泄行動もできるAさんの排尿の援助計画に、看護者は一生懸命でした。Aさんはオムツをいやがる。だからオムツをはずしたい。どうやってオムツをはずしたらいいか。布がいいか、紙がいいか、何時間で排尿誘導しようか、夜間はどうしようか、そんなカンファレンスをしたんですけど、あれってなんだったんでしょうね。Aさんにはできない。という前提でどうしたらいいか考えていたのです。昨年の5月にパンツをはくことをこころみたときだって、パンツが汚れたり、床が汚れたら掃除が大変だ。なるべくそういう手間がかからないように、Aさんに声をかけてなんとかトイレで尿や便をしてほしかったというのが本音かもしれません。まあ、いってみれば、Aさんのことを考えてといいながら、職員の都合を考えていたということです。
本当に困ってお手上げの時、何をしたらいいのと患者さんにきいてみたのですといいます。Aさんはただ、ニコニコしたり、不機嫌だったりするだけで、何かいってくれるわけではないのです。声なき患者さんの声を聞こうとするようになったというのです。職員の姿勢はこの1年の間にずいぶんかわっていったように思います。わからないときは、患者さんにきいてみようとするようになりました。できないから、やらないのではなく、普通にやってみようからはじめていこうかと考えるようになってきたような気がします。
つなぎを脱いで、ピンク色の普通の上下服をきて、かわいいパンツをはいているAさんはむろんニコニコしています。それにもましてニコニコしているのは職員の方。「おしっこやウンコでパンツをよごしてもいいよ。ちゃんとできるんだものね。」とすがすがしい顔で話しかけていました。また、もとにもどったっていいんです。また始めればいいだけですから。職員が深刻になって思いつめたら、患者さんも思いつめちゃいますからね。痴呆治療病棟ではおむつはずしをしていこうと、排尿誘導していくことをすすめていたときの事です。なんどやってもうまくいかないので、スタッフがこの患者にはもう無理ですよといったときのこと。「もうおむつなんてやめて、ちゃんとしたパンツだけはいてもらってちょうだいそれも、すごくかわいいパンツよ!パンツはかわいくなくちゃダメ!」と婦長は叱りつけたんです。どうなったと思いますか。パンツに変えただけで、おもらしもなし。トイレでおしっこしたんですって。だって、おむつはおしっこするためにつけているけど、かわいいパンツは汚したくないからちゃんと脱ぎますからね。
これって普通のこと!やっぱりパンツはかわいくなくちゃ。