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循環型セラピー
私の葛藤
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症状や悩みに耳を傾けることの必要性を痛感
私は自称自然性回復セラピーという名前で、
体あるいは時に心身丸ごとのサポートをさせていただいている金光由展と申します。

ご訪問ありがとうございます。

このホームページはコンテンツサイト「体と心・丸ごと生もの派!」「喘息が治る条件」の運営元としてのHPです。

ここにはNRTワークという心身への関わり方についての基本的なことや、私に関してのあれやこれやが書いてあります。


私は最初のうちは、ある療術を中心に仕事をしておりました。

しかし、自然をテーマに仕事をしていくうち、時が経つにつれ自分にとっても、仕事上においても、症状や悩みに耳を傾けることの必要性を痛感するようになりました。

どうしてかというと、そのほうがいろいろな面で本人にとって有益で、
あまりにもリアルで感動的な出会いがあったからです。

体という私とは一体どんなものか、それは子供のようでもあり、母や父のようでもあります。

他に二つとないこの体の可能性はまだまだ未知の世界に満ちていました。
私は幼少期から体が弱かった。そう感じていたし、そう思っていたので当然の成り行きとして体や健康のことに興味を持ちました。

自然食、ヨガ、指圧、療術それなりにかじりました。
そして基本的には整体の仕事をしてきました。

整体と言っても背骨をポキポキ鳴らしたり、体をギューギュー押さえたり、気合一声!そういった類いではありませんが、長くなるのでここでは詳細を書きません。


ただ、私は体と心のつながり方、心身の自然ということが今ひとつ分からないでもどかしかったのと、自分で言うのも変ですが、

なぜか私にはこれはもう心理的問題だと明白な方との縁が多かったのです。

それが故に体と心を別々にして扱うことに無理を感じてきました。

中には心理職の人にお世話になった方が良いのではないかと、そう思わざるを得ない人もいました。

● 上司、家族と上手くいかなくて体をおかしくしてしまったなどの心身症的な人

● 神経症的であり不眠症の人、精神病院でボロボロになった人、自殺志願、とんでもない夢を見て当惑している人

● 電車の中で体に異変が起きてパニックになった人、デパートはおろか自家用車にも乗れなくなったなどパニック障害と思われる人。

● ご主人の素行に問題があることが発覚して混乱した人。

● 身内の死によって未完了の問題を抱えてしまった人。

● 家族との葛藤のために喘息になっていた人。

● セミナーに出て気づきは得たけど、体あるいは心がガタガタになっちゃった人。

これらの人は精神病院でボロボロになった人を除いて皆良くなりました。
中には数回、一回の臨床で良くなった人もあります。

この精神病院は日本のものではありませんが、ヨガ(沖ヨガ)を学んでいるときにも精神病院で変になった人には、それなりに数多く出会いがありました。

精神病院関係にもいろいろあるでしょうから、一概に中傷批判をするつもりはありませんが、どうも古いタイプのカウンセリングでのトラブルは多く聞きました。
体や心を支えている自然の働きって?
これらの臨床では、整体やヨガを始めとする東洋的で総合的な観点が私を支えてくれたように思います。

技術や知識はその次の問題だったと考えています。

詳しくは述べませんが、整体は体と心をバラバラには見ていないので大変役立ちました。ヨガは統合的な観点から多くの指針を与えてくれました。

例えば、尾骨が感情と関係している事をご存知の方はいるでしょうか?

女性の生理においては体も心も大きく変動があり、感情の混乱にもその回復期にも尾骨を整えることは心身両面での大きなサポートになるのです。

ボディワークを行なっている所は別として一般の心理セラピーに出ますと扱うのはこころのみです。

○○体操、運動法、健康法と身体的な健康法の世界では体のみです。

宗教の多くでは個人のプロセスより教義が優先される傾向がでてきます。

特定の教義も無く、心身どちらかにも偏らず、場合によっては個人とグループ(家族など)という全体と個人も分離せず、

等身大の人間の心身のトラブルを体験科学的に、ある程度の根拠を持ちながら丁寧に扱う方法はないものかと私は考えてきました。

結局、迷った時に私を支えてくれたのは東洋的な観点での自然ということでした。
支えてくれたのは東洋的観点
それぞれの人に対して、「 一体全体、この人の場合体を先にするべきなのか、心を先に整えるえるべきなのか? 」と私もいろいろ悩んできました。。

これは結局、ケースバイケースとしかいいようがありません。

心のみを見つめて堂々巡りするなら体の声も聴く必要があるかもしれません。

病気や症状が転々としたり、何度も似た現象に襲われるならメンタルな角度から見直す必要があるかもしれません。

いろんな方法を試してみても駄目なら何もしないことか、共存共栄するだけの創造性が症状の中に隠れていることを見直す必要があるかもしれません。

それより、もしあなたに心身の問題があるなら、つきなみではありますが、


あきらめないで欲しい!


ご自分を小さく見積もらないで欲しい!


と申し上げたいです。


いきなり100%信頼しなさいとはいいません。そんなの無理ですし、
頭にあまり力を入れる必要はありません。

もしご縁があるなら整体やワークを触媒、媒介にして、

心身全体のバランスをとろうとする力に触れようとしていただきたいと思います。
あきらめないで下さい
自然ってどういうこと?
痛い、辛い、疼く、苦しい、悲しい、憤怒、これらの心身の症状は何らかの異常があるから生じるのです。だから改善されるべきです。

しかし、ただ症状が消えても止めても二次的に三次的にエネルギーを潜伏させたのでは、それはまたいつか力をつけて別の形で現れるのです。

このことがあるので起きている現象にどのような自然現象があるか、
その見いだし方は大変重要になってきます。

私は多くの人が近道を行こうとして遠回りをしているように思えてなりません。


症状を放っておくわけにもいかないし、かといって部分的に取り除いたり抑えたりするのでは、長い眼で見ると良い結果にはなり得ないでしょう。

あるいは、アメリカがベトナムに枯葉剤を撒いたみたいに力ずくなことをしては健康な部分まで壊してしまいます。



言葉を要約すると、単純な「排除」の発想では不自然を残してしまう。

では、一体どうしたら良いのだろうか、ということになってきます。

結局のところ大事なのは「調和」としかいいようがありません。

詩的な表現をするなら再会とでも言えるでしょう。

考え方、感じ方、体の使い方、それらの適応の方法の癖のためにアンバランスに
なってしまった状態を回復させるエネルギーを取り戻すのです。