1995年1月17日(火曜)午前5時46分・・・何の前触れも無く阪神淡路大震災が起こり、 100万ドルの夜景と世界に知られた神戸の港町は一瞬の間に崩壊したのです。 今また、北海道の洞爺湖畔にある有珠山が噴火しました。 最近では、台湾の南中部で大地震が起こり、世界を見れば至る所で災害が発生しているのです。 今年の春先は、いつもより突風が吹き荒れています。 何が起こるか、分かりません・・・。 7月にはご注意を私たちはボランティア活動にもっと積極的に参加しましょう。 |
95'1月27日(金曜)ボクと森君は早朝に京都を出て西宮に 到着。 駅前の亀裂の入ったビルを見て言葉もありませんでした。 サイレンを鳴らした緊急車両が街中を 右に左に走ります。 古い家屋はペシャンコに崩れ それを見ながら西宮エビスに向かいます。 |
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現場に着いたボクたちは収容場所も少なくて 路上につながれた犬たちに迎えられました。この西宮エビスは、大阪の赤松さんの娘さんが活動している「愛のかえる」を中心にした市民ボランティアの救援本部です。 てきぱきと指示をする責任者の言葉に、ボクと森君は運搬車に乗って奥の被災地に フードを運ぶ助手をすることになりました。ところが車に乗り込もうとしたボクに、運転の担当者が「実は助手で連れて行く約束をした学生さんがいる」とのことで、ボクは急遽本部に残りました。 |
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またまたビックリ、猫担当の班長さんの若い女性が「私は先生に教わったことが あります」と言う。「猫のことが難しいので 先生が来てくれたのは百人力です」相変わらずの忘れん坊で名前を覚えていませんが、これがきっかけで紹介されて、ボクは皆から「先生、先生」と呼ばれて、何だかすぐに自由に活動することができました。この写真は、家を失った猫がいるとの報告を受けて、保護に向かうところです。 | |||
本部のすぐ近くに猫好きのおじいさんがいました。 逃げ出した猫たちを1匹ずつ集めて小屋に収容 しているのですが、数が多すぎて小さな箱に4匹 ずつくらい入っているのです。 防寒設備は工事用の青テントだけで、信じられない思いですが、猫じいさんは「猫たちはこの小屋に慣れ ているからエサだけくれれば」とガンコですが、3日目に 説得して、市の保護施設に収容されることになりました。 いざ、緊急の場合を考えても、猫の多頭数飼育は止めたいものだと思いました。保護される猫にはノラ猫や放し飼いの猫もいて、収容ケージの中で暴れるのです。 やっぱり、飼い猫の放し飼いは止めたいものです。 |
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国連本部の動物関係者がマスコミと一緒に訪れました。 何故かボクが説明役で、通訳の人にCFAについて 話します。「小さなポスターに注目」 月間誌「CATs」の大平さんと出合ったのも、この現場・・ ボクの一番大切な思いでは、大阪から来たと言う娘さん 「1匹だけでも飼ってあげたいのですが・・・」、ボクが「可愛い子猫がいるよ」と白い子猫を指差したら、「でも、一番貰い手の無さそうな猫ちゃんがいいのですが・・・」と言う。 結局は片目がつぶれている猫を選んで「すぐにお医者さんに行こうね」とニッコリしました。 エビス神社の境内に入って、涙が止まりませんでした。・・・今も思い出に涙があふれて・・・・ 顔見知りでは、フェリーを乗り継いで駆けつけてくれた茨木さんが厚手の靴下と手袋を2つのケージに入れて、帰りには「何とか2匹だけ飼えるから・・・」と・・・感激! | |||
東京・麻布の獣医さんと中部?の獣医さんと一緒に ボクは1週間の予定でしたが、結局は4日目に高熱、 次の日の午後2時に帰京することにしました。見てくれは頑丈そうなのに・・・情けない・・ 何となく裏道を駅に向かったボクの前に現れたのが 小春です。西宮の市役所を過ぎてた路地で、小さな子猫を見つけたらポケットのエサに簡単に近寄ってきたのです。近くにいたおばさんに聞いたら、 可愛いけれど飼い主は避難してしまったし、あんたが飼ってあげてくれたら・・・」 帰りの新幹線ではボクのふところでグッスリ眠っていました。 |
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ボクは小春を抱いて、その年のニャンニャンの日に飛び入りしました。 それから、猫の集まりがあると小春と一緒に募金活動をしました。 |
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大震災のボランティア活動には京都の国松さんが教え子と一緒に 参加、会計を担当した森初枝さんも、エリザベス・サンダースさんの
動物救済活動に応援しました。 CFAJAPANでは、なかなか意見がまとまりませんが、 「CATレスキュー&ボランティア基金」を授けています。
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ボクと動物専門学校の教え子たち・・・ |
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ボランティア活動には、名前も知らない人が一杯参加しています。 |