ザ・アメリカンSH |
CFA公認審査員 高野賢治 |
★歴史の背景 |
 |
日本ではシャム猫が全盛の1970年代初めの頃、有名なペットショップが米国よりアメリカンSHを輸入したが、機熟さず次第にキャットショーからは衰退した。やがて、1980年代に入って次第に人気が出始めて、あれよあれよと今日の隆盛につながった。 思い出される人も多いと思うが「高層ビルの大きな窓越しにニューヨークの風景を眺める美しい縞模様の猫」、そのテレビ・コマーシャルが人気の火をつけて「アメリカンなら何でも売れる」と云う急激なブームが到来した。
当時のタビーマークが全てと云う風潮に疑問を覚えたこと、粗製乱造の危機感を持ったことから、私は数年にわたり何頭かのアメリカンを“自分の目で確かめて”輸入した。オス猫の3頭はいずれも若いCFA・GrCHで当時の日本のキャットショー(CFA以外を含めて)では、どの猫もベストキャットに選出された。しかし、それらの猫は全てトレードされたので、日本のアメリカンの歴史に私の名前は記録されない。 |
★優秀なアメリカンとは? |
アメリカンSHについて「優秀なアメリカンとは?」と質問されるなら「スタンダードに近い猫」と答えは決まっている。また「何故負けたか」「どこが悪いか」には答えを知らない。言えることが山ほどあっても惚けることにしている。もし、欠点を指摘すれば反発されるだろうし、褒めれば「では、なぜ負けた」と蒸し返されることは幾度も経験している。
「この猫はここが悪い」と指摘できるならストレスの解消になるのだろうが、審査は結果が全てであり、評価の低かった猫に対する言い訳はみっともないだけである。………と思っている。
「この猫は素晴らしいが、この点がこうだったら、もっと素晴らしいのに」と褒めたつもりが、小さな欠点を指摘した部分だけが拡大されて問題になることは誰もが経験することで、心得るべきは「百の褒め言葉も一つのけなしに適わない」と云うことである。
また、猫界で少し名前が知られると、審査員の悪口や新人いびりがが始まり、はたまた仲間の敵対しまでに発展することがあるが、言う側がいかに正論であろうと言われる側には悪口に過ぎない。このことがいかに猫界全体のムードを歪めているか、一人一人が考えなければならない時がきている。
「人間は反省するから成長するのだ」とありふれた理屈をこねるが、何故、短期間で同じ猫に対する評価が変わったのか、他人にでは無く自分に対して自信を持って答えられない場合がある。(それなりの理由はあるのだが、その理由が本当に正しいのか間違っているのか自分自身の中で葛藤しているのだ)
もう少し具体的に述べると、それは毛色のことや顔の丸さなど様々であるが、子猫のときは許容範囲であったものがオープンからチャンピオンになり、特にグランドを目指しているときに、突然とグランド・レベルとしての私の許容範囲を超えてしまう場合がある。猫が変わったわけでは無く、小さな減点部分が私の中で大きく膨らんでしまうのである。反対の場合もある。ある部分が許容範囲の外だったのに、その部分を認めることによって他の優秀な部分が蘇ったかのように光り始めるのだ。また、今まで見向きもしなかった猫が競う相手の変化によって突然素晴らしく見えてくる場合もある。
これらの感覚は何なのだろう。審査員として反省すべきなのか、反省したとしても自分の持っている感覚が変化するとは思えない。
|
★ファースト インスピレーション |
審査に当たっては「ファースト インスピレーション」、すなわち、最初の数秒間のイメージ(第一印象)を大切にしている。
最初と云っても、審査ケージの中で一見したときの印象、ケージから引き出したときの感触、テーブルに置いたときの全体像とバランス、その三点の最初の数秒である。
これは三段飛びのようなもので、もちろん最初の踏切りが一番大切だが、ホップ、ステップ、ジャンプと、どこかでこけたら着地も失敗するわけである。例えば、一見したときに「素晴らしい」との感覚を得たが、持ってみたら重量感が期待はずれだったり、テーブルに置いてみるとバランスが悪かったりすればマイナスの印象が残る。
当然、反対に良い結果になることもあるが、いずれにしてもドキッとさせるようなインスピレーションを残すか、ガッカリするか、どちらが強いかの違いである。究めて直感的なのである。
|
★審査員のハンドリング |
そして、審査員のハンドリングは猫の個性を引き出すのに非常に重要である。 私は一頭一頭の素晴らしさを引き出すために、それぞれの猫に従った自由奔放なハンドリングを心掛けている。すなわち、猫自身だってつかみ上げられるような審査は望まないだろうし、遊びたい猫は一緒に遊んで転がる猫は転げさせれば良いと思っている。それが部分評価の妨げになることは無い。一様に猫を目の高さに上げてにらめっこするのは御免である。
猫が興奮している場合、以前は興奮状態の猫を反対向けてケージからさっと引き出してくるくるっとハンドリングした(古いタイプの審査員を真似ていた)こともあるが、これが実に馬鹿げた行動(パフォーマンス)だと考えるようになったので止めた。
私は自分でケージから引き出してハンドリング出来れば問題は無いが、審査の過程でオーナーを呼び出して手助けを求める場合は、かなりの減点であると考えている。また、審査ケージの中で唸り声を上げているような猫は、例え個々の構造が優秀でもショーにエントリーされるべきではない。ただし、これは審査員としての意見では無く、ブリーダー、出陳者の一人一人の自覚の問題である。
いずれにしても、審査員は出陳者と一体になり笑いと拍手も含めてショーアップを計るべきで、私は猫とオーナー、見学者がショーを楽しんでくれるようなハンンドリングのパフォーマンス心掛けたいと思っている。
|
★審査員とブリーダーの視点は異なる |
ショーにおいて審査員とブリーダーの視点は異なるものかも知れない。
「審査対象の全ての猫は褒められるべき」と言うのが審査員としての基本であり「自分自身の繁殖の成果を発表すること、その実績」がブリーダーの基本である。
各部分が構成されて全体のイメージにつながるのだから、各部分が大切なことは当然だが、スタンダードの配点はマイナスされることがあってもプラスされることは無い。例えば、目の形が10ポイントであれば、それが9ポイントに減点されることがあっても、それがどれほど素晴らしくても11ポイントに評価されることは無い。すなわち、審査の上では必要以上に個々の部分にこだわってはいけないと思っている。
審査はスタンダードが全てと思われるかも知れないが、『ベストキャット』を決めるときに、『その猫種に対するメッセージ』を託す場合もある。これは総体的な骨格構成、筋肉の発達、バランスなど、また仔猫では理屈抜きの愛らしさなどの総体的なイメージが、個々の部分的なマイナスをあえて無視させるのである。
ベストを選ぶのは「私が欲しい猫」の順番であることが多い。これはどの猫種においても同じで、ベストの猫は私が考えるよりも先に『猫自身が私を手招きしている』ように感じている。
反対にブリーダーとしては部分にこだわり続けることからオリジナルなキャッテリー・カラー(毛色ではありませんよ)が誕生するのだと信じている。ブリーダーとして優秀な猫を繁殖するために大切なことは自分自身に妥協しないことだと思う。
私の専門ブリードのアビシニアンは完全にこだわっているから、私の猫が他人の審査で負けても気にならない。気にならないと言い聞かせているが悔しくなることが多いのも隠せないが、…………、
アメリカンは他の品種に先駆けて、各パーツのバランス比率を明確にしたが、もう十年したら、体高、体長、体重においても許容範囲を数値で表わすことが可能になると思う。これは歴史とその完成度がもたらしたもので、アメリカン ファンシャーは誇りにするべきである。
しかし、長い年月を経たとしても、例えばブラウンカラーの色調やジェントルカーブの度合いについて一点だけを言い切ることは無い、そもそもスタンダードは理想猫の最大公約数であり、それらには「許容範囲」があることを理解しなければならない。
|
★アメリカンの各部分についてスタンダードの解釈 |
さて、アメリカンの各部分についてスタンダードの解釈を具体的に述べてみよう。 私はスタンダードを学び、私なりにそれを理解している。だが、ここでそれだけを論じてもつまらないと思う。もっと私見を交えて勝手放題を書くので、一言一句のあら捜しはご勘弁願いたい。 |
★マズル |
マズルについて四角い(スクウェアー)ことは重要だが、その構成がより大切である。 四角くても前に突き出したり、締まりがなかったり、ウィスカーパッドの辺りに品が 無かったりしてはいけない。力強さと品格が大切である。(品格とは究めて抽象的なも ので多分に個人の感性が品格の有る無しを判定する。) |
★プロフィール・ライン |
プロフィール・ラインのジェントル カーブについては、ややエクストリームなものが 顔全体のイメージにプラスすることが多いのだが、過度のエクストリームはペルシャやバーミーズの血を感じさせるので評価は全く逆転する。
時の流れも多少は影響するが、その尺度を言葉で表現するのは困難なので審査で答えを出すより仕方ない。 |
★耳 |
耳は頭全体に大き過ぎず小さ過ぎない中位の大きさ。間隔が狭いと立ち耳になり貧相さ を感じさせるので、耳と耳の間隔は十分に広いことが大切。
耳の付け根の内側を垂直に下ろすと目の中心である。 |
★目の形 |
目の形は、新しく規定された上半分はアーモンド、下半分は円を描く、この正しい表現 の通りである。下の線の目尻の延長は耳の先端を指すのが理想である。
真ん丸い目、飛び出した目は一見華やかだがエキゾチックやブリティッシュSH、バ ーミーズの血につ ながるので厳重に注意が必要。
|
★毛色とマーキング |
毛色とマーキングについては、大らかに眺めて、スタンダードに適合して美しければそ れで良い。
仮に毛色かタイプかとの二者択一が迫られるなら「タイプ」であると明確に答えるが 現状の日本では極端にシルバー(最近ではブラウンも)の出陳頭数が多いのだから、もっと重視しなければならないと考えている。
また、毛色と目色に共通した疑問はその多くがブリーダーサイドの問題である。その 問題解決には信念とこだわりを持てる誰かが“カラーブリード”に取り組むべきである★毛質は基本的に密で厚みがあり、心地よいハードな手触りでなければならない。
|
★首 |
首は見逃しがちな部分で、肩に頭部が乗っている感じが力強いと思っていたが、米国で 素晴らしいブリティッシュSHを審査して、アメリカンSHには力強い適度な首が必要 なことを実感した。またまた猫から学んだようだ。
|
★ボディタイプ |
ボディタイプはスタンダードで明快な基準が表現されたように、「肩から脇」「脇から後肢の付け根までの胴部分」「尻の部分」が三等分になる。肩幅は広く平行な胴体の線 で腰と結ばれる。
重量に関しては骨格と筋肉の発達を意味するものだから見た目以上の重量感が必要で あり、砲丸のような感触が理想である。
|
★脚 |
脚はボディと比較して細過ぎる(一般的に)ように感じているが、これは運動量の不足 が一つの原因だろうと思う。食事の改善?だけでは本当の筋肉の発達は望めない。 |
★大きさ |
大きさに関してはバランスがより重要である。
全体的なイメージは、コンディション、プレゼンテーション、テンパラメント、アペアランス、フィールそしてバランスが非常に重要で、加えて「スウィート・エクスプレッシャン」で明るい表情でなければならない。………誰もがこの意味の一つ一つを大切に考えるべきだと思う。
|
★『コンディションの良い猫は光って見える』
|
コンディション(健康)の良悪は全ての部分に影響を与える意味から、コンディション が良いことはスタンダードを述べる大前提である。
◆フイジィカル・コンディション(健康状態)は最良でなければならない。
ここで私は迷うことがある。痩せてガレた猫は論外だが、太りすぎの基準に対して、も う少し厳格にしなければと反省している。
|
◆プレゼンテーション |
プレゼンテーション(見た目の美しさや雰囲気)は審査におけるプラスアルファーにな る場合が多い。
グルーミングはコンディションを良くも悪くも表現する。もし、審査台で被毛が飛び 散ったり、べとついたりしていれば理屈抜きに減点する。 |
◆テンパラメント |
テンパラメント(性質)は猫種の全体の評価、人気に関わるものであるから、ブリーダ ーサイドにその有り方を問うべきである。 |
◆アペアランス |
アペアランス(容姿)に関して、猫の自由な動作(静も含めて)の中に、この猫種の本 質が表われている。すなわち、アメリカンSHは陽気で人馴れして、力強さと品格の高 い優雅さなどを持ち合わせている。 |
◆審査員のハンドリング |
審査員のハンドリングは個々の猫の本質を引き出すことが大切である。
|
◆フィール |
フィール(感触)は骨格、筋肉の発達を直感できる。望めるなら砲丸のような固さと重さを感じたい。 |
◆「バランス」と「スウィートエクスプレシャン」これは血統猫を評価する基本であり、 『コンディション』と合わせて「ザッツ・オール」と感じている。
|
◆最後に述べたいことは、 |
100年前のアメリカンはドメスティックだったことである。
ルーツがブリティッシュであったことは手段に過ぎない。その途中経過においても様々な血統猫が隠されていることは否定できないが、これも手段に過ぎない。それを消し去ることが大切である。
スタンダードで求められているのは「理想とするアメリカの家庭猫」である。どこにも他の猫種の陰を感じさせてはいけない。
作られすぎたアメリカンは…………私は嫌いだ。
審査員としてブリーダーとして年月を重ねると、あらゆる面でプロフェッショナルとしての自覚は必要であるが、それが恰かもプロフェッショナルかのように、どんどん個々の小さな部分構造に捕らわれるようになる。しかし、忘れて成らないことは初心の気持ち、自分自身がアメリカンの何処に魅力を感じたのか、誰も初めはスクウェアーなマズルなどに注目した訳では無いのだ。
すなわち、プロであれ、アマチュアであれ、アメリカンSHは「誰が見ても力強く美しく、かっこいい猫」と云う素朴な見方が一番重要なのだと信じている。
|
|