秋田書店 歴史と旅(増刊) 「現代遊芸の心得事典」 1999/7/10
2001/9/16加筆

『ニャンとなく猫である』  猫のけんじ 

 古今東西、猫を好むのは女性だと決められているようで、五十過ぎのヒゲ面男のボクに「なぜ猫が好きなのか?」と聞かれても、「ただニャンとなく」と答えるしかない。

 四十年以上も前、姫路城の目前にあった市営住宅で育った小学生の頃は、今思えばかなり広い庭があったので、そこに瓢丹池を掘って、ザリガニやらドジョウ、食用蛙、鯉なんかを飼っていた。食べられそうな奴ばかりで、ザリガニがコンクリートとに横穴を空けて水が無くなったり、オタマジャクシで水面が浅黒い緑色になってびっくりした。

 縁日で買ったヒヨコは大きくなって腹に納まった。今でも、首の無い鶏が走るのを覚えている。
 父親が貰ってきた子犬に大喜びをしたが、すぐに庭囲いの木塀を壊して逃げてしまったので、泣きじゃくりながら「ポチ、ポチ」と探し回った。ポチはどこに行ったのだろうか分らないが、今でもボクの思い出に遊んでいる。

 小学生・高学年の頃は東京の四ツ谷に引っ越していたが、当時は、町内の悪ガキの間では伝書鳩を飼うのが流行りで、我が家の狭い敷地にも手作りの鳩小屋があった。この頃はノラ猫が一番の敵で、ガンテツって仇名の同級生はノラ猫を退治したので英雄だった。


 かなり無鉄砲な若い時代を過ごして、いろいろな職業を流転した末に、三十才になる前には東京原宿で小さなラーメン屋を営んで繁盛していたが、ボク自身は職人さんでもなくて、いつも時間が余っていた。そのせいか、住まいの近くの明治公園で開催されるドックショーを見学しては、「小型の犬を飼って繁殖したい」なんて真剣に考えていたが、マンション暮らしで繁殖家になるのは難しく迷っていたのである。

 いくら思い出しても猫と一緒の生活なんてどこにも登場しないのだが、突然と猫を飼い始めて、あれよあれよと言う間に猫だらけの人生になったのだから、自分自身が一番驚いているし、人生の岐路なんてこんなものだろうと納得しているのである。

 きっかけなんてたわいないもので、週刊誌に載った写真に魅せられて、血統猫のアビシニアンを繁殖者から買い求めた。このアビシニアンは短毛で、小さな顔に大きな耳、アーモンド型の目が印象深い。筋肉質で細身の体のため動きが素早く、毛色は茶褐色で野性的に見えるが、人が大好きで利口さにあふれ、鳴き声の小さいことも魅力である。

 最初に飼った猫の繁殖者は、日本の猫界の第一人者と知られた故森春子先生で、本当はオスのアビシニアンを求めたのだが、このアビの前足の指の1本がねじれていたので、メスと交換することになって、再度お宅を訪問した。

 先生とは初めてお会いしたときから妙に気が合って話が弾んでいたら、そこに痩せこけて見えるシャムの子猫がヒョコヒョコと現れて、当たり前のようにボクの膝に載った。何だか哀れっぽい目つきでボクを見上げるので、子猫の喉をコチョコチョしてたら、ゴロゴロしながら眠ってしまった。 

 やっぱりこれも縁だったのだろうか、ガリガリの子猫がかわいそうに思えて、「この子猫、ボクに譲ってくれませんか?」と、ふと言ってみたら、「その子はとっても優秀だから残しているのよ」と意外な返事である。

 何となく、シャム猫のイメージは丸ぽちゃの狸に似ていると思っていたから、この不健康そうなキツネ顔の子猫が優秀だとは半信半疑だったが、駄目と言われれば余計に欲しくなるもので、あれこれ言ってお願いしたら「あなたがキャットショーに出してくれるなら渡すよ」と譲ってくれた。

 そんなことから、いきなり2匹の血統猫を飼うようになって、わずか3カ月後の日曜日、JCA全国本部展なるキャットショーが東京溜池の葵会館で開催され、シャムの子猫を出陳したところ、なんと、その日の夕方には「日本一の猫」の飼い主になっていた。おまけに週刊誌のグラビアページに、大きなトロフィーと子猫を抱いた家内の八重子さんの泣き顔が掲載されたのである。

 それからは毎月のように、大阪、名古屋と支部展に出陳したが、最初に日本一になっているのだから当然のごとく勝ち続けて、昔のキャットショーでは農林大臣賞まで戴いた。
 猫を飼って半年後には猫の世界で少し知られる存在になっていた。
 「どうしてこんなにきれいにしていられるの?」と問われると「デパートのペットショップで洗っている」とも答えられなくて、見様見真似で猫のシャンプーを覚えたり、本に書いてあることを暗記して、さも専門家のような返事をしていた。

 少しは勉強もした。学ぶと言うより実践的なものだったが、最初の一年間は毎日のように森家に通って、シャンプーを手伝ったり、エサを配ったり、猫トイレの掃除をしたが、それが勉強になったのである。

 森家に遊びに行くと、当時、アメリカから輸入された猫の大半がここを経由したので、チャンピオンタイトルの優秀なペルシャ猫、シャム猫を始め、まだ珍しかった、アメリカンショートヘア、コーニッシュレックス、ヒマラヤン、シャルトリューなんかが、いつでも見られた。

 2年目には森先生の推薦で、犬の専門誌「愛犬の友」のコラムに「シャム猫の歴史」を連載して、次に、月刊誌「Cats」にも「シャム猫の飼い方」について6カ月の連載をしたことから、単行本にまで名を連ねるようになり、浅い知識を隠すために、いろんな専門書を読み漁った。

 図々しいのか恵まれていたのか、猫を飼い始めて3年目には「猫の審査員」になっていた。その後、NHK大阪カルチャースクールで「猫の飼い方講座」が開設されて、森先生の代役でボクが講師になったときは、ラーメン屋の親父が先生と呼ばれて、なかなか快い思いをした。

 ボクが審査員になって1年後には八重子さんも審査員になり、後にも先にも日本で一組だけ夫婦の猫審査員が誕生した。

 バブル終末の前に店を売り払い、まあ食えるだけの資金も残ったので、夫婦二人三脚で猫まっしぐらに歩むようになったのである。

 しばらくして、動物専門学校が盛んになり、いくつかの学校で「猫学講師」として招かれた。二十歳前後の動物好きに囲まれて、ずいぶんと若い気持ちにもなれた。それも大抵が女子だから文句は無い。

 しかし、未だに猫なる生き物は不思議な動物だと思っている。

 現在、我が家に3匹の猫がいるが、それぞれの性格も行動も異なるし、猫はまったく自由気ままに活動する。腹が減ったときは甘える仕草でまつわりつくし、反対に、こちらが撫でてやろうとしても知らんぷりをされてしまうように、いずれにしてもマイペースなのである。猫の手を借りようにも役に立つことなど丸でないのである。

 猫が3匹いると、部屋中を走り回ったり、タンスの上やテーブルに乗ったり、観葉植物の鉢に隠れたり、小さな部屋はまるでジャングルである。こんな状況を笑っていられる人にだけ与えられる心の贅沢である。

 いけないと叱っても、物を落として壊したり、壁紙だって被害にあう。でも、何をやっても許せるのだからとても寛容な気持ちになれるし、猫を見ていると、人のあくせくするのが空しく見える。そう思わせるのだから、やっぱり、猫は不思議な魔力を持っているのかも知れない。

 さてさて、「たかが猫、されど猫」ということで猫話には切りが無いのだが、猫を飼う幸せを多くの人にも分けてあげたい。嫌いだと言う人に猫を勧めるつもりは毛頭ないが、どんな人でも猫を飼えば退屈しないし、心にゆとりが生まれて優しい気持ちになれる。

 「眠る子」からネコになったと言う説もあるくらい猫は眠っていることのほうが多いが、我が家には子供がいないので、この猫たちにはまるで赤ちゃんのように話しかけたりするが、何となく気持ちの伝達ができるように思えるのである。

 老齢を迎える人には、ぜひ、手入れの簡単な短毛猫をお勧めしたい。猫を飼う人はボケにならないようで、実際に猫を撫でるだけで血圧も安定する。それでなくても、猫は単調になりがちな生活にアクセントをつけ、何よりの安らぎと信頼を与え、孤独感からも開放してくれるのである。

 子供の情操教育にも一匹の猫が効果的である。例えば、可愛がっている猫が死んだら、誰が教えなくとも涙を流して生命の尊さを感じるように、動物との正しい触れ合い、弱者への思いやり、自然を愛する心、責任を持つ心、などなど、猫を通じて教えられることは多く、猫を飼う家庭の子供は親の教えを素直に聞くことが実証されている。

 子供のいない夫婦にも猫をお勧めする。会話の中にも笑いが生まれるし、夫婦げんかも猫がむしゃむしゃ食べてくれるのである。
 ただし、自分たちに赤ちゃんができたからとか、引っ越すことになったとかの自分勝手な理由で、いとも簡単に猫を捨てる人もいるが、そんな夫婦が幸せ円満だとは聞いたことが無いのである。

 独身の男女にも猫を飼うことをお勧めしたい。学問や仕事のために暇などない人でも、一匹の猫が同居することで余裕が持てるし、慰められることも多いのである。ちょっと気張って、優秀な血統猫を手に入れてキャットショーにでも参加すれば、たちどころに素敵な恋人に巡り会えることも請け負えるのである。

 繁殖家とかトリーマーとか動物の専門家を目指す人にも、猫を学ぶように勧めたい。例えば、人気のある犬の分野ではピラミッドに上るのも難しいが、猫に関してはまだまだ未開の世界で競争も少ない、そこにチャレンジすることで大きな夢が描けるのである。

 そして、ボク自身は原稿を書く不規則な生活で、時々、猫と一緒に昼寝を楽しむが、猫のおかげで我が家は天下泰平である。

  我が家の猫を紹介しよう。

 我が家には3匹の猫がいる。以前は40匹もの猫屋敷だったが、マンションの管理規定に敗北して現在は3匹だけになった。
 しかし、人でも猫でも同じらしく、八重子さんも含めメスばかりいると、性格も動きもそれぞれに違うし、騒がしいけど飽きずに楽しいものである。

 ボスの小春は阪神淡路大震災のおり、ボランティア活動に参加した帰り道で拾った。ウサギのような短くて丸まった尻尾で、真っ白な体に頭と尻尾にだけ黒と赤の色が付いた飛び三毛の日本猫である。 

 小春はいつもマイペース、部屋が見渡せる食器棚の上か熱帯魚の水槽の上や、八重子さんのタイプ打ちが始まると、その前で寝ている。エサの時間も、ちょこちょこ食べて、腹が減れば八重子さんに擦り寄って、口元を嘗めて催促したり、足下を8の字歩きをして、いつまでも貰えないと踵をかんだりキックする。

 次が、ロシアからやってきたエルザ、尻尾は短くちょん切れて、シャム猫と同じ毛色、目の色は宝石のアクアマリーンの水色をしている。世界で一番小さい猫の種類だが食欲旺盛で2kgを少し超えている。

 エルザは、小春に尻を嘗めてもらって育ったから、もしかすると小春を母親だと思っているのかも知れない。甘え上手で、いつも小春の傍に居るが、ハナビの出現で、何故かライバル意識を燃やして小競り合いばかりしている。

 3匹目は、新入りのアビシニアンで、ハナビと言う名前である。この猫を基礎にして、もう一度、世界でもナンバーワンのアビを繁殖しようと計画している。 ハナビは、勝手気ままで傍若無人、他の猫がいるときは絶対に人に甘えようとはしないのに、ボクの寝室に同居しているため、寝る前はベタベタと、ボクの顔を両足でつかむようにして顔を擦り寄せて、咳き込むまでゴロゴロしている。

 何で閉めればよいのやら、猫に付いて話し出すと止まらないが、しかしながら、少々猫を好きだからと言って、猫なら安易に飼えると思う人にはこんな幸せを分けてあげたいとは思わないのである。