〜賭け〜




 それは、些細な『賭け』からはじまった……。


 カミューはマイクロトフが嫌いだった。
 嫌い、といっても話をしたことがあるわけではない。ただ、彼の存在が許せなかった。
 恵まれた家柄、勤勉な態度、まっすぐで純粋な性格……何をとっても自分にはないものばかりで、気に入らなかった。
 だから遊び仲間のあいだで、「賭け」の対象に彼の名前が挙がったとき、真っ先にのった。ずたずたに傷つけてやりたかった……。


 賭けの内容は
『一ヶ月のあいだにマイクロトフとキスできるか』
 男同志でキスなんて、気持ち悪いだけだが、堅物のヤツにはお似合いのお題だ。成功したときはさぞ笑えるだろう……。



 午前の訓練を終えたマイクロトフは、昼食の前に自分が世話をする騎士の馬の様子を見に行こうと厩舎に向かっていた。
 マチルダ騎士団に入団してから1年。ようやく厳しい訓練と従騎士としての役目を両立できるようになってきたところだ。
 背筋を伸ばしてまっすぐ前を見て歩いていたが、ふと視界の隅で何かが動いた気がして目をやると、馬の飼い葉などが置いてある小屋の影に数人の人影が見えた。
 それが、自分と同じ従騎士の連中で、一人の人間を囲んでいることがわかると、マイクロトフは思わず足を止める。
 どうみても穏やかな雰囲気ではなかった。
 どんな状況であろうとも、一人対多勢は許せない。
 厳格な家で、幼い頃から騎士の心得と教育を徹底的に叩き込まれて育ったマイクロトフはためらうことなくその輪の方に歩いていった。

「何をしているんだ?」
 凛としたマイクロトフの声に取り囲んでいた連中は一斉にこちらを振り返る。
「……マイクロトフか」
「おまえには関係ないだろ。あっちにいってろ」
 苦々しげな顔をして口々に文句を言われてもマイクロトフはまったくひるまない。
「一人によってたかって何をしているんだ。こういう行為は騎士を目指すものとして恥ずかしくないのか」
 きっぱり言い切るマイクロトフに、連中は顔を見合わせ忌々しげに舌打ちをすると、「行こうぜ」と囲んでいた一人を置いて立ち去った。その態度が少し芝居じみていたことなど、「人の気持ちに鈍感だ」と評されるマイクロトフが気づくわけもなく、ひとつため息をつくと、残された一人に目をやる。と、その人物を見て思わず眉間に皺が寄ってしまった。
「大丈夫か? ……カミュー」
「ありがとう。助かったよ。ええと、マイクロトフだっけ?」
 にこにこと。自分のさっきまでの状況など忘れたかのように微笑むその瞳はこの土地の人間にはありえない、琥珀色。遥か西方にあるグラスランドという国の出身だという。黒髪、黒い瞳、白い肌が特徴のマチルダの中で、目立ちに目立つ大地のような亜麻色の髪と琥珀色の瞳、健康的に焼けた小麦色の肌。どこにいても目立つ存在の彼は、最初は余所者ということで敬遠されていた。しかし、持ち前の話術と付き合いのうまさで、あっというまに人の輪の中心人物になってしまった。

 しかし、マイクロトフはカミューが苦手だった。といってもろくに話をしたことがあるわけではない。話が苦手で、人づきあいもあまり得意でない自分とはタイプが違いすぎるため、極力近づかなかったのだ。
 カミューは人の輪の中心でいつも笑っていた。が、マイクロトフには本当に笑っているようには見えなかった。琥珀色の瞳はいつも冷たく周りを観察しているように思えた……。

 マイクロトフは彼が自分の名前を知っていたことに少々驚きつつも少し頷くと、カミューはやれやれと言ったふうに肩をすくめてみせた。
「まいったよ。新しい彼女がロディの恋人だったなんてさ」
 と、さきほどの連中の一人の名前を挙げる。
「でも、彼女の方からせまってきたんだからね。あんまり目くじら立てられても困るんだよなあ」
 マイクロトフはため息をついた。やっぱり噂どおりの女ったらしぶり。真面目なマイクロトフには次から次へと女をとっかえひっかえしてる、との噂が絶えないカミューが理解できなかった。これも彼を苦手とする理由の一つなのだが……。
「え? なに、いまのため息。ひょっとして俺、軽蔑されちゃった?」
 ひょいっと顔を覗き込まれて、マイクロトフは驚いて身を引く。こういう馴れ馴れしい態度には慣れてなくてどう対応したらいいのかわからなかった。
「あ……。やっぱりかなり嫌われてる?」
 マイクロトフの嫌いそうなタイプだもんね、俺って……とつぶやくカミューに、マイクロトフは苦虫をつぶしたような顔になる。
「べつに嫌ってはいない……」
「本当に? じゃあ、友達になってよ」
「……なっ……」
 いきなりの申し出にマイクロトフはとっさに言葉がでてこなかった。嫌ってはいないが、苦手なのだ。しかし、カミューはマイクロトフのそんな心境などおかまいなしで話し続ける。
「俺、今回のことでちょっと反省したよ。少し真面目になる。で、お手本がほしいんだ。だから、マイクロトフと一緒にいさせてよ」
「……俺といたって楽しくないと思うが……」
「なんで? そんなのやってみないとわからないじゃないか。たぶんお互いに新しい発見ばかりで楽しいと思うよ」
「………………」
「どうしても嫌になったら、迷惑だって言ってくれればそれでおしまいにするから。約束するよ」
 ね? とカミューに小首を傾げられて、マイクロトフはしぶしぶ頷く。するとカミューは嬉しそうに笑った。
「ありがとう。これからよろしく、マイクロトフ」
 その笑顔に、マイクロトフもつられて少し笑った。



 そのあと、二人で昼食を摂りにいって、早くもマイクロトフは後悔した。食堂に入ったとたん、ざわめきが起こり、全員がこちらを注目しているのが、さすがにマイクロトフにもわかった。気まずくてマイクロトフは視線を落として歩く。一方、カミューは全然おかまいなしで、「あ、あそこが空いてるよ」と一角を指差し、ずんずん歩いていった。席に向かう途中で、マイクロトフは下を向いて歩いていたため気づかなかったが、さっきカミューを囲んでいた連中の横を通り過ぎるときに、カミューは含みのある笑みを浮かべ、彼らにウィンクしていった……。


 カミューは確かに目立つ存在だったが、マイクロトフもまた、自覚がないだけで目立つ存在だった。自主的に朝練をしてたり、自由時間にも勉強をしていたりと、生真面目すぎるほどの態度は遊びたい盛りの同年代の中では完全に浮いていた。最初は「かっこつけやがって」とやっかむ連中もいたが、それがマイクロトフの地だとわかり理解されたのと、なにより、態度だけでなく実力も備わっていたため、そういう類はすぐおさまった。羨望し、慕う連中と、煙たがる連中とにわかれたが。カミューはどちらかといえば煙たがる連中のグループだった。


「マイクロトフは毎朝、朝練してるの?」
 カミューの問いに、マイクロトフはちょっと食事の手をやすめて首を傾げる。
「……そう、だな。よっぽどのことがないかぎりは……」
「よっぽどのことって? 例えば?」
「……その日授業で習う範囲でよくわからないところがあるときは教科書を読んだり……」
「ふうん。どこまでも真面目なんだね。マイクロトフは」
 つまらない奴、と心で思っていても決して顔にはださない。にっこりと感心したふうを装ってみせる。マイクロトフはちょっと赤面して「そんなんじゃない……」とうつむいた。
 そのしぐさは思いもかけず幼くて、カミューは今度は心の底から「へえ……」と思った。

 こんな顔もするんだな。

 普段のマイクロトフは仏頂面といってもいいほど気難しそうな顔をしている。それが周りからみればとっつきにくい原因となっているのだが。カミューはいつも遠目に見て「こいつは何が楽しくて生きているんだろう」などとかなり失礼なことを思っていた。
「そんなんじゃないってどういうこと?」
 我ながらしつこいかな、と思いつつ、カミューが質問を重ねると、マイクロトフは困ったように眉間に皺を寄せて、視線を泳がせはじめた。そんなあやふやな態度があまりにも彼らしくなくて、カミューは好奇心を刺激される。
「言いにくいこと? 誰にも言わないよ。約束する」
 少し身を乗り出して小声で言うと、マイクロトフは黙ってしまった。

 やはり、さっき友達になろうと言って、いきなり深い話じゃ無理か……。

 カミューがあきらめかけたとき、マイクロトフはぎゅっと目をつぶると小声で答えた。
「……他に……何をしたらいいのかわからないんだ……」
「は?」
 一瞬、彼が何を言ったのか理解できなくて、カミューはマイクロトフの顔を見た。マイクロトフは途方に暮れたような表情を浮かべていて、いま彼が言ったことが冗談や嘘ではないことは容易にわかる。カミューはマイクロトフの言葉を心の中で反芻してみた。

 ホカニ、ナニヲシタライイノカ、ワカラナイ……?

 それって……。

「自分がしたいことをすればいいじゃないか。友達とカードゲームをしたり……」
「わからないんだ……。そういうのはやったことがない」
「え?」
 よっぽどのことでは驚かない、と自負していたカミューはあんぐりと口を開けた。
「やったことないの? 本当に?」
 カミューが重ねて問うとマイクロトフはうつむいたままかすかに頷いた。心なしか目が潤んでいるように見える。
「家で……そういうのは一切許されなかった……」
「そういうのって……カードゲームとか?」
「騎士になるための教育しかさせない家だった。つきあう友達も親が口出しして……」
「なんだよ、それ!」
 思わずカミューは声を荒げた。
 そんな閉鎖的な家があるなんて信じられない。勉強以外することを知らないなんて……。
 そこまで考えてカミューはぞっとした。
 そんな家で育てば、こんなおもしろみのない、子供らしくない子供になってあたりまえだ。
 自分だったら気が狂ってしまう。
「カミュー?」
 声を荒げたかと思ったらそのまま黙り込んでしまったカミューに、マイクロトフは声をかけた。きっと気味悪がられただろう、と心の中でため息をつく。
 こうなることを予想していたから、この話はまだ誰にも話したことがなかった。それなのに、どうして知り合ってまもないカミューに話してしまったんだろう……。
 後悔の念にさいなまされていると、カミューが突然立ち上がった。
「行こう」
「え?」
 どこへ、と問いかけようとする前にぐい、と腕を引っ張られる。見た目はけっこう華奢な部類に入るのに、意外なほどの力強さに驚きながらマイクロトフは立ち上がった。


「カミュー、どこに行くんだ?」
「どこに行こうか」
 こともなげに言うカミューに、からかわれてる、と思ったマイクロトフはむっとして立ち止まった。自然、腕を引いていたカミューも足が止まる。
「カミュー、用がないなら……」
「部屋に戻って勉強でもする?」
 くるりと振り返ったカミューは、マイクロトフが思わず息を呑むくらいに真剣な顔をしていた。
「自分でもおかしいと思っているなら、直そうとか思わないわけ?」
「えっ?」
 マイクロトフは動揺した。確かにおかしいとはわかっている。でも、そう思っていることは口にしていない……。
 異国人、というハンデを乗り越えるため、常に人の顔色を窺い、慎重に生きてきたカミューにとって、マイクロトフのようにすぐ顔に出るタイプの思考は手に取るようにわかった。
 まっすぐマイクロトフの目を見て言う。
「あんな顔をしといて、気にしてない、とか言わないよね」

 あんな顔ってどんな顔だ?

 とマイクロトフは思わず顔に手をやる。その様子にカミューはたまらず吹き出した。
「ほんと、わかりやすいよね、マイクロトフって」
 声を震わせて言ったセリフは、前に友人に言われたのと同じ内容。マイクロトフはむっと眉をひそめた。
「なんだ? それは……」
「もしかして、自覚ない? 全部顔にでてるよ」
「!!」
 一気に赤面したマイクロトフにカミューは爆笑する。

 こいつは……思っていたより楽しい『一ヶ月』になりそうだ。

 久々に『本当に』笑っている自分に気づかず、カミューが笑い転げていると、業を煮やしたマイクロトフが怒鳴った。顔は赤いまま。
「カミュー! いつまで笑っているんだっ」
「ごめん、ごめん。じゃあいこうか」
 笑いすぎてにじんだ涙を人差し指で拭いながら、カミューはようやく笑いをおさめた。
「だからどこに行くんだと聞いている」
「遊びに、だよ。夕方からの訓練に間に合うように帰ってくればいいだろ?」
 カミューはにっこり笑った。



 奇妙な友情関係がはじまった。



 マイクロトフとカミューはよく二人で行動するようになった。
 いつもカミューがマイクロトフをみつけるとそばにくる、というパターンだったが、1週間もすると、マイクロトフも無意識のうちにカミューの姿を目で探すようになっていた。ただ、マイクロトフの場合はカミューをみつけてもカミューが人の輪にいることが多かったので声をかけたりしなかったが。


 カミューはマイクロトフとひとつしか歳が違わないのが嘘のように、マイクロトフが知らないことをたくさん知っていた。マチルダで生まれ育った自分も知らないような場所も知っていた。
 カミューの話はおもしろく、マイクロトフはカミューの前だと好奇心いっぱいのただの少年にすぎなかった。
 自分の生きてきた世界がいかに狭く、乏しいものだったかを改めて実感する。
 そして、話してみて、カミューが意外と真面目だったことも知った。驚くほど博識で、彼と、騎士についてとか、課題に出された戦略シュミレーションの予想などを話し合うのは楽しかった。
 訓練中に初めて剣の手合わせをした。正直、あんなに強いと思わなかった。小さい頃から剣の稽古を習い、毎朝鍛練してきた自分と互角だった。何度攻めても流れるような剣さばきで、かわされる。結局は決着つかずだったが、自分のほうがはるかに練習量が多いはずなのに、勝てない、というのは少し悔しかった。が、同時に、強い相手に出会えて嬉しかった。
 負けたくない、と純粋に思った。ずっと競い合っていきたい。より高みを目指すために。……二人で。
 そう、言葉にしたことがあった。カミューは一瞬驚いたように目を見開いたが、ゆっくり微笑んで、「そうだね」と言ってくれた。
 いつのまにかカミューと一緒にいるのが、楽しくなっていた……。


 マイクロトフは想像以上に単純だった。
 なんの話をしてもおもしろそうに聞き入り、苦手な話(女の子がらみなどいわゆる下世話な話だ)になるとだんだん顔に出てくるから、ぎりぎりで話題を変えてやる。新しい遊びを教えてやれば、けっこうムキになって子供のように飽きることなく繰り返した。そんな姿は年相応に無邪気で、思っていたほどがちがちの石頭ではなかったことを知った。
 たまには彼の好きそうな固い話題をわざとふってやった。案の定、マイクロトフは目を輝かせ語りだす。意見を求められれば、彼の喜びそうな返答をしてやると、それを聞いてマイクロトフは嬉しそうに微笑む……。
 意外だったのは冗談半分で「男同士でも恋愛って成立すると思うかい?」と話を振ったときだ。てっきり「そんな非常識なことはありえない!」と怒るだろうと思っていたのに、彼は少し考えたあと、神妙に頷いてみせたのだ。お堅いマイクロトフがそんな人の道に外れたようなことを肯定すると思わなかった。彼は真剣な表情で「人を好きになるというのは形から入るものじゃないと思う。異性だから、とか、かわいいから、という前置きはいらない。魂が惹かれたら、と俺は思っている。それがたまたま男だった、ということもないとはいえない」……よくわからないけどな、と最後は彼らしく赤面させて、照れくさそうに。なぜだか少し胸が痛んだ。
 ある日、「二人で競い合って、より高みを目指したい」と言われた。とっさに反応ができないくらい驚いたが、とりあえず頷いてやると、また奇麗に笑った……。
 知れば知るほど彼が本当に汚れを知らない、純粋な心を持っていることをいやがおうにも見せ付けられる。自分はすでに失ってしまったもの。
 壊したい、とカミューは思った。心のどこかで否定する自分に気づかないふりをしながら……。



 友情劇は続く。





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