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「マイクロトフさま」 恒例の朝練を終え、汗を流そうとテツが管理しているお風呂へ向かおうとしていたマイクロトフは聞きなれない女性の声に呼び止められた。振り返るとやはり見覚えのない女性。10人に聞けば9人は「美人だ」と答えるであろう、妖艶な、しかし気の強そうな美女だった。 「あの……なにか?」 マイクロトフがとまどい気味に話しかけると女性はちょっと目を伏せて、なにかを逡巡しているようだったが、きっ、と顔を上げると、少し甲高い声で言った。 「カミューさまとおつきあいなさってる、というのは本当ですの?」 「なっっ……!!」 思いもかけない質問に、マイクロトフの頭は瞬時に真っ白になった。 な……んだと? 俺とカミューが……? つ、つきあって……? マイクロトフはあまりの衝撃に硬直していると、 「そうなんですの?」 と、重ねて問われた。 はっ、と我に返ったマイクロトフは、今更ながら質問の内容にかあっと赤面する。 「そ、それは……」 と、言いかけたマイクロトフを遮ると、女性はため息まじりに言った。 「本当……ですのね?」 男同士でこんなことを聞けば、違うのなら即座に否定するはず。女は、パニックして言葉が出てこないマイクロトフの様子を勝手に解釈した。 「間違ってるとお思いになりませんの?」 「え?」 「男同士で、そんなことって……汚いですわ。 マイクロトフさま、カミューさまのためにも別れるべきです」 マイクロトフは頭を金鎚で殴られたような衝撃をくらった。 その場からどう辞して、どう歩いてきたのか記憶が無い。マイクロトフは気がつくと、カミューの部屋の前まできていた。 こんこん、と少し震えている手でノックする。返事がないのはいつものこと。毎朝、マイクロトフはカミューを起こしにきているのだから。 しかし、今は返事がないのがうらめしかった。名も知らぬ女性の言葉が頭の中をぐるぐる回っている。 男同士なんて汚い…… 別れるべきだ…… わかってる! そんなことはわざわざ言われるまでもなく、わかりきってたことなのに……! 胸が痛い。 自分がこんなに苦しんでいるのに、まだ惰眠を貪っているだろうドアの向こうのカミューに、裏切られた気にすらなってくる。 マイクロトフはいたたまれなくなって、踵を返した。 そのとき、背後で開くはずのないドアが開いた。同時に柔らかい声。 「マイクロトフ? どうして入ってこないんだい?」 夜着姿のまま、カミューが顔をだした。今朝はめずらしく少し前に目が覚めていた。が、毎朝の習慣となっているマイクロトフのモーニングコール(注:カミュー表現)が楽しみで、彼が起こしにくるまでベッドの中で待っていたのだ。いつものノックの音がして、きたっと思ったものの、待てど暮らせどドアが開く気配がない。で、しょうがなく自分から起きてきた、という次第だ。 「カミュー……」 振り返ったマイクロトフを見て、カミューの眠気は一気に冷めた。 「マイク? ……ちょっとこっちにおいで」 片手でマイクロトフの腕を強引に掴み寄せ、ドアを閉める。 なんて顔をしてるんだ……! いつもあきれるくらい前向きな彼が、こんな捨てられた子犬のような途方に暮れた顔をするなんて……! カミューは焦る気持ちを抑えきれず、両肩を掴んだまま少々乱暴にドアにマイクロトフを押し付けた。いつもなら「何をする」とか「離せ」とか文句を言うのに、マイクロトフはおとなしくされるがままになっている。指先からかすかに震えが伝わってきたのを感じると、焦りは抑えられなかった。 「……何があった?」 顔を間近に寄せても目を合わせようとしないマイクロトフに、カミューはなるべく穏やかに聞きだそうとしたが、失敗した。声が低く掠れてしまう。 「………………」 沈黙するマイクロトフにカミューはゆっくり顔を近づけた。動かないマイクロトフの目を覗き込んだまま、そっと唇を合わせる。 ゆっくりと5つ数えてから唇を離した。一拍おいてから、 「どうしたの?」 今度はいつもの柔らかい声が出せた。安心させるようにできるだけ優しく抱きしめる。 あとは根気勝負だ。頑ななマイクロトフを追いつめても答えは引き出せないことをカミューは承知していた。 どのくらいそうしていただろうか。 気がつくとマイクロトフの身体の震えはおさまっていた。やっと重い口を開きはじめる。 「……カミューは」 「うん?」 「カミューはどうしてこういうことをする?」 「……こういうことって、マイクを抱きしめたりってこと?」 「……ああ」 「好きだから」 あっさりとカミューは答える。マイクロトフはそのあっさりすぎる答えに、またいつものようにからかうような笑みを浮かべているのだろうとむっとしながら顔を上げると、カミューは真顔だった。 「好きだから。愛してるから。誰よりも大事な人だから。……失いたくないから」 目をみつめて言葉を重ねるカミューに、マイクロトフは目頭が熱くなってくるのを感じた。声が震えるのを懸命にこらえる。 「……汚いと言われた」 「そう思いたいヤツは思わせておけばいい」 「別れるべきだと言われた……」 「悪いけど、離す気、ないから」 覚悟してね、と瞼にキスされる。目を閉じた拍子に涙が一粒、頬に零れ落ちた。カミューはそれを舌ですくって、 「他には? 何を言われたの?」 と、いたずらっぽく笑う。マイクロトフは静かに首を振ると穏やかに言った。 「もういい……」 不安になった自分が情けなかった。 「ところで」 しばらくぬくもりを確かめ合うように抱き合っていると、カミューがぽつりと口を開いた。 「誰なんだい? マイクにそんなことを言ったのは」 声は静かだが、長いつきあいのマイクロトフには彼が怒っているのがわかった。しかも相当。フェミニストの彼なら相手が女性だと知れば、手荒なことにはならないだろうとマイクロトフはあわてて言った。 「な、名も知らぬ女性だ……」 「ふうん……。顔は覚えているかい?」 「えっ……? あ、ああ」 「失礼、レディ」 後ろから女性を魅了してやまない柔らかい声をかけられて、女は上品に振り返った。もちろん相手が誰かわかったうえでの計算されたしぐさだ。 「まあ、カミューさま……。なんでございましょう?」 媚びを含んだ物言いに、カミューは前に酒場でそれとなく誘われたことがあったな、と思い出した。プライドの高そうな女だな、ぐらいの印象しかなかったが。 「少しお話があるのですが……。よろしいでしょうか?」 にっこりと女を虜にするような笑みを浮かべる。女も例外ではなく、頬を染めて頷いた。 「ここではなんですので……。すこし人気のないところに行きましょう」 優雅に促すカミューに、女は期待に胸をふくらませた。 「なんだってカミューは……」 ここで待ってろ、と言ったのだろう……。 マイクロトフは無人の図書館の片隅で意味もなくうろうろと歩いていた。エミリアにはカミューがうまく言ってしばらくのあいだ席を外してもらっている。 カミューは例の女性を自分に確認させると、ここで待っててくれ、と言い残してとっとといなくなってしまった。女性相手に乱暴したりはしないだろうが、去りぎわの好戦的な笑みが気になる。 と、ドアの開く音がした。 カミュー? と呼びかけそうになったが、入ってきた気配がふたつなのに気づく。 とっさに本棚の陰に隠れてそうっと見やると例の女性が一緒だった。 「お話とはなんでしょう?」 自分に話しかけてきたときとは明らかに違う、甘ったるい声。 マイクロトフが「女性というのはいろんな声がだせるのだな」などと妙な感心をしていると、カミューはにっこりと一見人好きのするような笑みを浮かべた。それは、付き合いの長いマイクロトフにはわかる、戦闘態勢。 「ええ。実は相談がありまして……」 「まあ? 私ごときに答えられるものでしょうか?」 女が媚びを含んだ目でカミューを見つめる。カミューは心の中で冷笑しながら、なおも笑みを深くした。 「あなたにお聞きするのが一番いいと思いまして。お手間をとらせてすみませんが、少しお付き合いいただけますか?」 女はにっこり笑って頷く。いままで何人もの男を虜にしてきた笑み。 しかし、カミューには通じるわけもなく。平然と受け流し、すました顔で話をはじめた。 「実は、私の『愛しい』マイクロトフが、私と別れたいなどと言い出しまして」 恥ずかしげもなく『愛しい』を強調するカミューに女は唖然とし、マイクロトフはというと思わず吹き出しそうになってあわてて口をおさえていた。 「なっ……」 「彼と別れてしまっては私はもう生きていけません。彼以外には私の『伴侶』は考えられない」 多少芝居がかって(かなり本気だが)言葉を続けるカミューはちらりと女を見た。呆然としている女ににっこりと微笑みかける。 「それで、どうしたら彼を引き止めることができるか、あなたにお聞きしたいんです」 「な、何……」 「あなたのように数多くの男を食い物にしてきた方なら男の心の捕え方も熟知してらっしゃるでしょう?」 カミューはいきなり辛辣な言葉を投げかけた。笑みも人当たりのいいものから挑発的な笑みに様変わりしている。女は城中の憧れの的の突然の変貌についていけなかった。 「な、何を……」 「まあ、あなたに本当に好きになった人を引き止められるほどの魅力があるとは思えませんが」 「なっ、なんですって?!」 あからさまな侮蔑の言葉に思わず金切り声を上げた女を見てカミューは冷笑を浮かべる。 「それがあなたの本性ですか? あなたが男をとっかえひっかえしようと、何しようとかまいませんけどね。私『の』マイクロトフに余計なとこを吹き込まないでください」 「わっ、私はカミュー様のことを思って……」 「それが余計だというのです。それに私のことを思って、じゃなくて、あなたのために、でしょう? あなたがどんなにあがこうと私がマイクロトフと別れることはないし、あなたの遊び相手になることはもっとありえません」 屈辱的な言葉を遠慮なく投げつけるカミューに女は顔を真っ赤にして大声を上げた。 「おっ、おかしいと思いませんの?! お、男同士で恋人なんて……!」 その言葉に、カミューはふっと真顔になった。一転、静かな口調で問いかける。 「……あなたが人を好きになる基準はなんですか?」 「え?」 「たとえば。私に興味を持ったのも『男』だからという前提があるからでしょう?」 「あ、あたりまえじゃない……」 女が質問の真意が掴めないままとりあえず肯定すると、カミューはちょっと笑った。それはどこか寂しげな笑みだった。 「そんな……、その程度の思いで、私たちの間を邪魔しないでください。 私は、男色家じゃないし、もちろんマイクロトフもそうです。 私はマイクロトフが男であろうと女であろうと関係なかった。たとえ、親子ほども歳が違っていても彼を好きになっていたはずです。……マイクロトフの綺麗な魂に惹かれたのだから」 言いながら、カミューはマイクロトフが隠れていた本棚まで歩みよって、彼の腕をとった。しゃがみこんでいたマイクロトフはされるがまま立ち上がり、その胸に抱き込まれる。普段なら人前でそんなことをしたら憤死しそうな勢いで怒るはずのマイクロトフはおとなしく顔をうずめた。……泣き顔を見られないように。 カミューは幸せそうな笑みを浮かべて髪を優しく梳く。 「愛してるよ、マイクロトフ」 「……俺もだ……」 少し震えた小声で答えてくるマイクロトフにカミューはこめかみにキスを落とす。 目の前で繰り広げられるお熱いラブシーンに、女のプライドはずたずたで憎々しく口を開いた。 「カミュー様って女性には優しいんじゃなかったんですの?」 「マイクロトフに危害が及ばなければ、という条件つきです」 嫌味もなんのその。きっぱりにっこりと答えるカミューに、女は敗北を認めざるを得ない。大げさにため息をついたその顔はなぜか少し晴れやかだった。 「ごちそうさま。せいぜいお幸せに」 軽く手を上げて出口に向かう。 自分の美貌に溺れて大事なことを忘れていた。今度は少しマシな恋ができそう……。 パタン……。 ドアが閉まる音がすると図書室に残った2人はどちらともなく唇を合わせた……。 FIN |