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カミューが昔の想い人・マイクロトフと偶然の再会(といっても一方的にだが)をしてから一週間が経った。数年ぶりに見た彼は昔の面影をわずかに残しつつ、精悍な顔つきの好青年になっていた。それでも軟派なことが苦手だった性格はそのままなのか、どこか恥ずかしそうに花を買う姿は昔の彼を思い出させて……時が逆行したかのように胸が締め付けられるような想いがよみがえってしまった。 想いを告げることなどできないまま高校を卒業すると、自分は県外に、彼は地元に残ったためにそれきりとなっていた。それから数年の間に友人が増えたり、恋人を作ったりと様々な人間関係を築いてきたというのに、彼に対する想いはまったく色褪せていなかった。 最後に別れたときの後ろめたさから、再会しても声をかけることなどできずにただ見送った想い人……。 カミューは店のカウンターに上半身を寝そべらせて、はあ、とため息を吐いた。以前は、若い男が花屋なんて、と恥ずかしくて裏方や配達などあまり人目につかない仕事ばかりを引き受けていたというのに、あの夜以来、積極的に店番をするようになっていた。今日もあと数時間で年が変わるというのにまだ店を開いている。両親が、今日は早く閉めよう、と言ったのを、正月用の花を買いにくる客がいるかもしれない、と以前のカミューからは想像もできないようなことを言って説得したのだ。急に仕事熱心になった息子に両親は目を白黒させながらも、カミューに促され店から繋がっている自宅に戻り、年越しをゆっくり過ごしているだろう。 カミューが家業の花屋を手伝うようになって半年近く経つが、一週間前に初めて店を訪れた彼が常連のはずがない。しかも、一週間前といえばクリスマスイヴであり、彼は『若い女性向け』の花を買っていったのだから、それが誰に送られるものなのかは想像するまでもない。それに……万が一、彼が再び店を訪れたとして、声をかけることすらできないのだ……。 しかし、カミューはそれらをすべて承知の上でも店に少しでも長く居ようとするのをやめられなかった。矛盾だらけだとわかっていても、ただ苦しいだけだとわかっていても、抑えきれない衝動がカミューをこんな行動に駆り立てているのだ。 馬鹿だな……。 せめて、別れの時、無理矢理キスをするなんて馬鹿なことをしていなかったら。大学に進んでからも帰省するたびに連絡を取って会えただろうに。嫌われて……いや、下手すると憎まれてすらいるかもしれない。きっと彼には初めてのことだっただろうから……。 そんな彼も今は花を送るような女性ができたのだ。ひょっとするともう結婚しているのかもしれない。 そんなことを考えると胸がズキンと痛む。付き合いの長かった彼女とは、なんとなく結婚をほのめかされたことがあったが、いまいち踏み切れず、そのまま別れてしまった。それは彼に対する想いが残っていたからだと今ならわかる。 ぼんやりと店内を彩る花たちを見ていると、鉢植えの鮮やかな黄色い花が目に映る。 エクレールミカ 彼の花束にそっとしのばせた小ぶりの花である。別名を『初恋草』というが、そんなことを彼がわかるはずもない。 あーあ。でも、あの花は最後には彼女の元に渡るんだよなー……。 束の間だけでも彼の手の中にあれば、と思って入れたものの、その末期を考えるとちょっと辛い。 そんなことを考えていると……。 カラン、とドアにつけたベルが鳴ると同時に、 「すみません。まだやってますか……?」 どこかためらいがちな声がした。 ほら。こんな日でも花を買いにくる物好きはいるんだよ。 男なんてめずらしいけど。そんなことを思いながらカウンターから顔を上げようとしたカミューは、店の入り口に立つその姿に驚愕する。 「マっ……?!」 ずっと思い続けていたせいで幻でも見ているのだろうか。カミューは一瞬そんな馬鹿なことを考えたが、ハッと我に返ると慌てて近くに置いてあった店の名前が入っている帽子を被り、立ち上がった。 「い、いらっしゃいませ……」 顔を見られないようにうつむいたまま、混乱している頭に必死に、落ち着け、落ち着け、と言い聞かせる。どうして彼が再びやって来たのか。こんな日にどんな用事で花が必要だというのか……。ひょっとして彼女(もしくは奥さん)が正月用の花を買ってこいとでも言ったのだろうか。 カミューは混乱した頭でぐるぐるとわけのわからない自問自答を繰り返していたが、店に入ってきた男・マイクロトフがなぜか入り口に立ったまま動かずにいることに気付いた。 「あ、あの……何か……?」 カミューが恐る恐る声をかけると、マイクロトフはハッとしたように肩を強張らせ、慌てたように口を開く。 「あ、あの、しょ、正月用の花を……」 「あ、は、はい……。正月の花ですね……」 正月用の花として松や南天を中心にした束がすでに用意してある。カミューは背後のバケツからひと束取り出した。視線を合わせないように顔を上げないまま口を開く。 「こちらになりますが、よろしいでしょうか?」 「…………………………」 返ってきた沈黙にカミューはあれ、と思った。まさか、花の良し悪しがわかるような男ではないはずだが、何か気に入らなかったのだろうか……。 「あ、あの……?」 「…………カミュー」 低く呼ばれた名前にカミューは目を見開いた。思わず顔を上げるとマイクロトフは高校の頃と変わらない真っ直ぐな瞳でカミューを見ているではないか。 「マ、マイクロトフ……?」 「よかった……。俺のこと、覚えていてくれたんだな」 目を伏せてつぶやく彼にカミューは反射的に叫んでいた。 「忘れるわけがないだろう!」 その剣幕に驚いたのか、マイクロトフは顔を上げて2、3瞬きを繰り返したが、また目を伏せてしまう。そんな憂いを帯びたような表情は少年の頃には見たことがなく、マイクロトフを知らない男であるかのように思わせてカミューは動揺した。いつから気付かれていたのか、どうして彼から声をかけてきたのか、なぜこんな表情を見せるのか……わからないことだらけである。困惑しきったカミューが黙り込んでいると、マイクロトフはうつむいたままぼそりと呟いた。 「……そんなふうに言うなら……」 「え?」 「そんなふうに言ってくれるなら、どうして一度も連絡をくれなかったんだ?!」 よく聞き取れず眉を寄せたカミューにマイクロトフは顔を上げて大声で言い放つ。カミューは驚きに目を剥いた。 「おまえは俺に連絡先をおしえてくれなかった。俺はおまえの連絡を待つしかなかったのに……!」 確かにそのとおりだった。まだ携帯電話など普及していなかったあの頃は家を出てしまえば連絡先など知りようがなかった。それに対してマイクロトフは家に居たのだから、カミューからは連絡を取ることができたのだ。だが……。 連絡を待っていた……? 俺とは口もききたくないはずなのに……? カミューは動揺と混乱でもはや何を言ったらいいのかすら、わからなくなってしまった。マイクロトフの真っ直ぐな視線から逃げるようにうつむく。 「だって……」 「だって、なんだ?」 「最後に……おまえに最低なことをしたし……」 ずっと引きずっている傷を本人に向かって懺悔する日がこようとは。場に満ちた沈黙に、カミューは逃げ出したい衝動に駆られたが、ここは自分の家の店。逃げる場所がない。 「…………ああ、確かに最低だったな」 低い声で肯定され、肩を強張らせたカミューはやっぱり、と思う。やはり怒っている。当然である。 「キ、キスしておいてそのままいなくなるなんて……残された俺はどうすればよかったんだ……」 「え?」 怒るところはそこじゃないだろう、とカミューは思わず顔を上げた。すると、目の前のマイクロトフは頬を赤く染め、視線を斜めに逸らしていた。その顔は怒っているというより……。 「……マイクロトフ」 「なんだ?」 「おまえ、怒っていないのか……?」 カミューの問いかけにマイクロトフはキッとカミューを睨んだ。 「怒っている! どうして連絡をくれなかったんだ!」 聞いていなかったのか、と言わんばかりの剣幕で怒鳴るマイクロトフにカミューは慌てて両手を振る。 「い、いや、そうじゃなくて……、その、キス……したこと」 「え……?」 今度はマイクロトフが目を見開く番だった。カミューの視線の先でマイクロトフはしばらく固まっていたが、言葉の意味をようやく飲み込めたのかみるみる赤くなっていく。 え……、こ、この反応って……? カミューが唖然とマイクロトフの表情の変化を見つめていると、マイクロトフはその視線から逃げるように顔をうつむかせた。そして、ぼそりと聞き取れるかどうかというぐらい小さい声で呟く。 「お、怒っていない……」 「え?」 「べ、別に怒っていない!」 最後には顔を真っ赤にして目を瞑り、叫ぶように言うマイクロトフにカミューは咄嗟に両肩を掴んでいた。 「どうして? 俺はおまえの親友だ、なんて言いながら、おまえを裏切っていたんだぞ?!」 「……裏切っていたのか?」 カミューの言葉にマイクロトフの顔色が一変した。信じられないものを見るように目を見開くマイクロトフにカミューは永遠に口にすることはないと思っていた秘めた想いを吐き出す。 「ずっとおまえが好きだった。俺は親友という立場を利用しておまえの傍に居たんだ。だから……だから、最後に……」 「……だから最後にキスしたのか?」 「ああ……」 カミューは罪を白状する重さに押しつぶされそうになりながら視線を逸らして答えた。これで何もかも終わりだ……という暗い気持ちの中に、ほんの少しこれで終われるんだ、という安堵が混じっている。再会した1週間前から、いや、彼の前から逃げた卒業式の日からカミューの中の時間は止まったままだったのだから……。 カミューがそんなことを思いながら沈黙に耐えていると、 「だったら裏切ってなんかいないではないか……」 信じられない言葉が耳に届いた。 「え?」 カミューが弾かれたように顔を上げると、マイクロトフは再び顔を赤くしたままカミューを痛いほど真っ直ぐ見ていた。カミューは彼のこんな表情を知っていた。口が下手な彼は言いたいことが上手く言えないときにこんなふうに悔しそうな、それでいてカミューにすがるような視線を向けるのだ。 いつもの、もしくは高校時代のカミューなら、彼の言いたいことを察知してやれたかもしれない。だが、今のカミューにはとてもそんな余裕がなかった。ただ、戸惑いながらその視線を受け止めるだけである。マイクロトフもそれがわかったのか、きゅ、と口元を引き締めると、一歩前に踏み出した。 そして…… 「これが、俺の答えだ……」 と、上半身を伸ばし、そっと唇を触れ合わせる。すぐに身体を引こうとしたマイクロトフだったが、いつのまにか回されていた手に後頭部を押さえられ、それはかなわなかった。 「カ……んっ……」 わずかに離れた距離を今度はカミューが詰めてきた。マイクロトフの触れるだけの口付けとは違い、角度を変えて深く重ね合わせる。カミューはカウンターに肩膝を乗り上げ、マイクロトフの身体をぐいっと引き寄せた。そのはずみでバランスを崩したマイクロトフがカウンターに手をつくが、その手が口付けの激しさに震える。カミューはすべてを奪うように激しく、それでいて愛しさが溢れているような口付けを続けた。それは永遠に続くのではないかというほどに何度も繰り返されたが、カウンターについたマイクロトフの手が崩れ落ちたはずみで終わりを告げる。 「おっ、おま……っ、殺す気かっ……?!」 窒息寸前までに追い込まれたマイクロトフが息も絶え絶えに抗議すると、カミューは、やはり怒るのはそっちなのか、と浮かれながら思いつつカウンターにもう片方の足も乗せてカウンターの上に両膝で立ち、マイクロトフの身体を力一杯抱きしめた。 「好きだ、マイクロトフ。初めて会ったときからずっと……」 「カミュー……」 「俺は本当に馬鹿だ。あのとき、もう少し勇気を持ってちゃんとおまえに気持ちを伝えていればよかった……」 「……そうだ。おまえは馬鹿だ。おかげで9年も無駄にしてしまったではないか……」 少しためらいがちにカミューの背中に腕が回る。そんなしぐさに信じられないほどの幸せを感じたカミューだったが……。 バッと突然マイクロトフの身体を引き離した。 「カ、カミュー?」 いきなりの行動に目を白黒させるマイクロトフにカミューは両肩を掴んで大事なことを聞き出す。 「そうだ、彼女は?!」 「かの、じょ……? 誰のことだ?」 「おまえのだよ! イヴに花を買っていったじゃないか!」 「あ、あれは……っ」 かあ、とマイクロトフの顔が赤くなった。その反応にカミューは天国から地獄に突き落とされたような絶望をおぼえる。彼女がいたのをすっかり失念して、がっついてしまった自分に今更ながら血の気が引く。 「い、妹だ」 「え?」 「妹が、結婚が決まって……祝いに花が欲しいって言われたんだ……」 へたり、とカミューはカウンターに尻をついた。そういえば彼の2歳下に可愛い妹がいたではないか。一時期、淡い想いを寄せられているのに気付き、マイクロトフの代わりに付き合おうか、なんて不埒な考えが浮かんだこともあったっけ……。 カミューは手を出さなくて本当によかった、と当時の自分を心底褒める。そんなことをしていたら、今のこんな展開などありえなかっただろう。 「なんでわざわざイヴに……」 カミューは脱力しながらぼやくように呟いた。そんな日じゃなければ、彼女がいる、なんて絶望的な思い込みにも少しは希望が残ったのではないか。いや、すべては結果論になるのだが。 すると、マイクロトフはちょっと怒ったような表情を浮かべ、口を開いた。 「妹が、いつまでも彼女を作らない俺に対する嫌がらせだと言っていた……」 「嫌がらせ……」 兄にべったりだった彼女のことだから、嫌がらせ半分、心配半分といったところだったのだろう。もし、これから彼女ができてそんなおねだりをされたとき、どうしたらいいのか困らないように、という妹の気遣いがあったはずだ。 「それはそうと……」 マイクロトフが何かを言いかけたとき、ゴーン……と鈍い音が店内に響いた。カミューがつけっぱなしにしていたラジオからである。時計を見ればあと数分で日付が変わるところだった。 「もうすぐ年明けだね」 「そうだな」 「話したいことがたくさんあるよ」 「俺もだ……」 「……初詣に行こうっか?」 「……ああ」 カミューの誘いにマイクロトフは目を細めて頷く。高校の頃は3年間、一緒に近所の神社にお参りにいったものだった。1年、2年は夜が明けてから友人たちと。3年生のときは日付が変わってからすぐに家を出て2人で。 それが9年ぶりに再開されるのだ。 カミューは飛び上がらんばかりに浮かれながら傍に置いてあった上着を羽織った。そのまま店を出ようとすると、 「帽子」 「え?」 「かぶったまま行くのか?」 マイクロトフがおかしそうに聞いてきた。カミューは慌てて店の名前が入った帽子を取る。もう帽子のことなんてすっかり忘れていた。もう顔を隠す必要はないのだから用済みになっていたのだから……。 浮かれているのが見通されたようで恥ずかしくなりながらカミューが帽子をカウンターに置くと、ちょうどラジオの時報が新年を告げた。 「年明けだ……」 「マイクロトフ」 カミューはマイクロトフに正面から向き合った。今年は去年までとは違う。違う一歩を踏み出せるのだ。 「明けましておめでとう。今年もよろしく……」 最初に挨拶できるのが彼なんて。夢みたいだ、とドキドキしながら口にした。 すると、 「明けましておめでとう、カミュー。今年『は』よろしくな」 『は』を強調して意地悪っぽく笑うマイクロトフに、カミューは、やられた、と思った。昔はそんな気の利いたからかいなどできなかったのに、9年という年月は彼を随分大人にしたらしい。 「今年も、来年も、これからずっとよろしく、だ!」 カミューは負けじと宣言した。 新しい年が良い一年になりますように。 今度こそおわり |