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「今日は雨か……」 マイクロトフはカーテンを開けて呟いた。普段であればその呟きに「そうだね」と柔らかく応える声があっただろう。だが、今日はこの部屋にはマイクロトフ一人しか居ない。 「わんわん」 ……いや、一人と一匹が居た。 応えたのはここにいないもう一人の住人・カミューとマイクロトフに飼われているコーギー犬。 2人が同居をはじめて数ヶ月。ようやく生活が落ち着くと、犬を飼おうという話になった。もともとそのつもりで動物が飼えるマンションに引っ越したのだから異論があるはずもなく。早速、出掛けたペットショップで2人にナンパされたのがこの犬だった。 コーギーにしてみれば狭い檻から2人の新居に移り住むことができたのだから、幸せを手に入れたかのように思える。しかし、2人のアツアツ新婚生活ぶりを毎日目の当たりにさせられているあたり、心底幸せなのかは微妙であるといえよう。2人の互いへの愛情の残り、もしくは余波を向けられているような気さえする。だが、とりあえずはこの家の一員だという自覚はあるようだった。 カミューは数日前から出張に出ており、今日、帰宅予定である。バスの運転手であるマイクロトフは昨日が休みにあたっていたのだが、急遽代番を頼まれ出勤し、今日は代休となっていた。 いつもより少し遅い朝を迎えたマイクロトフは朝食を摂ると部屋の中を片付けたり、掃除したりしはじめた。洗濯はカミューが帰ってきたら出張に持っていったものと一緒に洗おうと後回しにする。 家事がひと段落すると、いつもと何か様子がおかしいことに気付いた。何がおかしいのだろう、と考えながらソファに座ろうとすると、ようやくその原因に思い当たる。 いつもは騒がしいまでにマイクロトフの後を追いかけてじゃれついてくるコーギーがソファに丸まって寝ていたのである。マイクロトフが近づくと耳を立て、片目を開けるが、安心できる相手と認識したのかその目を再び閉じてしまった。 マイクロトフはソファに座ると起こしてしまうかと思い、ソファに背中を預けるようにカーペットに座る。そして、ソファの上の柔らかい毛並みをそっと撫でてやった。 犬は雨が降ると外敵が近づいてこないと思い、安心して眠る習慣があると聞いたことがある。 マイクロトフは外の雨の音に耳を傾け、なんとなくわかる気がする、と思った。気持ち良さそうに寝ている犬を見ていると自分も眠気を覚えてくる。 カミューが乗る飛行機は3時に着くのだったな……。 時間は昼にさしかかるところだったが、食欲より睡魔のほうが強かった。マイクロトフは、昼から寝るとは怠慢だ、と少々後ろめたく思いつつも、カミューが帰ってくれば今夜は夜更かしさせられるのは間違いない、と自分の中で言い訳をし、眠りの誘惑に逆らわないことにした。1時間くらいなら、と目星をつけて、そっとソファにもたれかかって目を閉じる。 そういえば、カミューは俺が家にいることを知らないのだな。 予定では今日は仕事だったのだから。帰ってきたとき、目を丸くするであろう恋人の姿を想像し、マイクロトフの顔に笑みが浮かんだ。少しごちそうでも作って待っていようか。 しとしとと雨の音が耳に心地良い。雨の音が眠気を誘うのは犬だけじゃないようだ。 マイクロトフはそんなことを思いつつ、ゆっくりと眠りの波にさらわれていった……。 カミューは玄関を開けると、あれ、と思った。いつもならドアを開けると新しい家族が短い尻尾を振って待っていてくれるのに。今日はその愛らしい姿を見せないではないか。おかしいな、と首を捻りながら靴を脱ぐと、そこにマイクロトフの靴があるのに気付く。今日は仕事のはずなのに何かあったのだろうか、と急に胸騒ぎがし、カミューは慌てて部屋に上がった。 そして、カミューが目にしたものは。 ソファにもたれかかって眠る恋人の姿と、ソファの上でおすわりをして尻尾を振っている新しい家族の姿。 カミューは状況がわからず目を瞬かせたが、コーギーがソファから飛び降りて自分のほうに駆けてくると、その小さい身体を抱き上げた。カミューの久々の帰宅に興奮していたため、かまってやらないと鳴き出すであろうことは容易に予想できた。鳴けばマイクロトフはすぐさま目を覚ましてしまうだろう。眠り姫を起こすのは恋人である自分の役目だ。 「こら。人間様を差し置いて、ソファを占領していたのか?」 目線を合わせて、叱るというには優しい口調で言うカミューに、コーギーはペロペロと鼻先を舐めてきた。カミューはくすぐったそうに目を細めると頭を撫でてやってからコーギーを床に下ろす。そして、足にまとわりつくコーギーを蹴らないように注意しながらマイクロトフの傍に歩み寄った。片膝をつくと、まずはそっと唇を重ねる。暖かい吐息に、柔らかいぬくもりに満足するとゆっくりと唇を離し、肩に手をかけた。 「マイクロトフ」 ゆさゆさと軽く揺さぶると、マイクロトフは「ん……」と眠そうな声を漏らし、ゆっくりと目を開ける。 「おはよう。めずらしいね、昼寝なんて。でも、毛布くらいかけないと風邪を引いてしまうよ?」 しかも犬にソファを追い出されるなんて、と、くすくす笑うカミューに、マイクロトフは「カミュー?」と、どこか寝惚けた様子で名を呼ぶと、2、3瞬きを繰り返した。そして、ようやく意識がはっきりしたのか、ハッとしたように時計を仰ぎ見る。時計は2時を指していた。 「なっ……! カ、カミュー! どうしてもう帰ってきたのだ?!」 予想外の出来事にパニックしたように口を開くマイクロトフにカミューは軽く肩をすくめる。 「それはこっちのセリフだよ。今日は仕事じゃなかったのかい?」 「お、俺は昨日、休出になったから、今日が代休になったのだ……」 「そう。それはお疲れ様だったね。俺は思ったより早く会議が終わったから予定より早い飛行機に乗れたんだ」 「そ、そうか……」 カミューが帰ってくる頃にはちゃんと起きて、出迎える予定だったマイクロトフはバツが悪くてうつむいてしまう。1時間のつもりが2時間近くも寝ていたなんて。しかもカミューが帰ってきたのにもまったく気付かなかったなんて。あまりにも不覚だった。 「疲れているのかい?」 カミューの気遣うような声にマイクロトフは力なく首を振る。カミューのほうが出張で疲れているはずなのに、帰って早々、気遣わせてしまうのが心苦しかった。 「でも、普段は昼寝なんかしないだろう?」 真面目な性格の彼は、昼は働き夜は寝るものだ、と、日中だらだら過ごすのを良しとしない。それが覆るのは自分が調子に乗って、前の夜に無理をさせてしまったとき。だが、原因である自分はついさっきまでこの部屋にいなかったのだ。 腑に落ちないカミューがさらに問うと、自己嫌悪に陥っていたマイクロトフはこれ以上気遣ってほしくないとばかりに怒ったように反論した。 「こ、今夜のために寝溜めしていたのだ!」 「今夜?」 カミューが聞き返すと、しまった、というようにマイクロトフが口に手をあてる。しかし、もう遅い。みるみる顔を朱に染めていくマイクロトフを見て、カミューはしっかりと的を得たようだ。にやにや、と意味ありげな笑みを浮かべる。 「ふーん。そうなんだー。今夜は期待しちゃっていいのかなー」 「う、うるさいうるさい!!」 マイクロトフが真っ赤になった顔を見られないようにとカミューに背中を向けると、コーギーが遊んでほしいのかマイクロトフの膝に上がってきた。カミューとのやりとりから逃げるかのようにコーギーを抱き上げようとすると、一瞬早く背後からカミューの手が伸びてコーギーをさらう。「おまえはまだダメ」とからかうように言ってからソファの上に乗せると、カミューはマイクロトフの正面に回り込んだ。 「ね、マイクロトフ」 「な、なんだ?!」 顔を背けるマイクロトフにカミューは目を細めて口を開く。 「……ただいま」 柔らかく告げられた言葉にマイクロトフは、あ、と思った。起きぬけから話がへんな方向にずれてしまって、数日ぶりに会ったというのに、肝心な挨拶を交わしていないではないか。 マイクロトフはまだ頭は混乱しているわ、恥ずかしいわで、平常心にはほど遠い状況だった。しかし、それをぐっとこらえてカミューに向き合う。 「……おかえり」 これ以上はないくらい真面目に返ってきた返事にカミューは優しい笑みを浮かべた。ゆっくりと腕を差し伸べ、背中を抱き締める。 「会いたかった……」 耳元で囁かれ、マイクロトフの身体がわずかに震えた。「俺もだ……」と小さく呟いた言葉はしっかりとカミューの耳に届き、カミューは嬉しそうに額に額を寄せる。 「俺、夜まで我慢できないかも……」 「ばか……」 寄せられた唇は暖かく迎えられた……。 くぅん……。 ソファの上に忘れられたコーギーは寂しげに鼻を鳴らしたが、ご主人様たちに届くことはなかった。あきらめたようにもう一度ソファに丸くなる。……やはり心底幸せとはいえないのかもしれない。 外は変わらず雨が降っていた……。 おわり |