悪魔と修道士見習い4
〜変わりゆく者たち・前〜




 マイクロトフは足早に村の出口に向かっていた。向かうはもちろんカミューの待つ、いつもの木の元へ、だ。

 流行り風邪にかかってから5日が経っていた。
 神父が言っていたように酷い風邪だった。最初の3日間は高熱にうなされ、食事もろくに摂れない状態が続いた。そして、4日目に入るとようやく熱が下がったためすぐに出かけようとしたのだが、当然、神父に怒られてしまい、その日もベッドの上で過ごすことを余儀なくされた。カミューのことを思うと、ひどく焦ったものの、神父が持ってきてくれた消化のいい食事をすべて食べることができなかった自分に、己がどれほど衰弱していたかを改めて知り、おとなしくするしかなかった。
 そして、今日。朝、目覚めたときから体調が戻っているのがわかるくらい回復していた。朝の勤めのひとつである掃除もいつもどおりに行なうことができたし、食欲も、今までの反動か、普段より食べるくらい旺盛だった。
 神父はこのように元気になった姿に目を細め、いつもより少し早く帰ることを条件に、外出を許可してくれたのだ。

 寝ている日々が続いたためか少々だるい身体に鞭打って足を急がせる。一刻も早くあの場所へ行かなくては、と思うと、本当は走り出したいくらいだったが、村の中でそんなことをすれば目立つことは間違いなく、後のことを考えると我慢するしかなかった。

 『あの夜』以来、姿を見せなかったカミュー。彼は今、どうしているだろうか。

 心を占めるのはそのことばかり。

 空腹に耐え切れなくて、どこかの村を襲ってしまったかもしれない。
 たまたま街道を通りかかった旅人を食らってしまったかもしれない。

 マイクロトフはそんな恐ろしい想像をする一方で、心のどこかで否定していた。
 なんとなくだが思うのだ。彼はそんなことはしていない、と。
 なぜ、と問われれば返答に詰まる。だが……。

 あの夜の、別れ際の淡い笑みが脳裏に焼きついて離れないでいた……。


「マイクロトフ」
 わき目も振らずに先を急いでいたマイクロトフは背後から名前を呼ばれて足を止めた。振り返るとそこには一人の少女がどこか緊張した面持ちで立っている。
 名前と顔は知っていた。歳もたしか自分とそんなに変わらないはずである。だが、この少女とは普段、挨拶程度の言葉しか交わしたことがなかった。
 マイクロトフは大して親しくもない自分に声をかけてきた意図がわからず、わずかに眉をひそめる。しかし、教会に関する何かの用があるのかもしれない、と思い直すと、急ぎたい気持ちをぐっとこらえて問いかけた。
「何か用か?」
 マイクロトフの問いに、少女はわずかに口ごもると頬を染めてうつむいてしまう。それは他の人間が見れば年頃の少女らしい可愛らしいしぐさだったのだろうが、急いでいたマイクロトフにはもどかしい以外の何物でもなかった。
 少しでも時間が惜しいマイクロトフは口を開く。
「すまないが、ちょっと急いでいるので……」
 後にしてくれ、という言葉はばっと顔を上げた少女の動作によって飲み込まれた。少女は胸の前で両手を組み、思いつめたような表情でマイクロトフに問いかける。
「この間、一緒にいた人、誰?」
「え?」
 マイクロトフは質問の意味がわからずとまどった。眉を寄せるマイクロトフに少女は一歩詰め寄ってさらに問いかける。
「亜麻色の髪の、とても奇麗な人。一緒に歩いていたでしょう」
「!!」
 マイクロトフは息を飲んだ。誰、などと疑うべくもなかった。どうしてこの少女が『彼』を知っているのか、と、全身から血の気が引いていく。
 少女は、みるみる青ざめていくマイクロトフには気付かない様子で、すがるような視線でマイクロトフを見上げた。そして、懇願するような、それでいて甘えるような口調で頼みを口にする。
「彼を紹介してほしいの。あたし、彼のことが忘れられなくて……一度でいいから話をしてみたいの」
「だめだ!!」
 マイクロトフは咄嗟に叫んでいた。この少女をカミューに近づけるなんてできるはずもない。
「あいつだけは絶対だめだ!」
 少女はマイクロトフの剣幕に一瞬驚いたようだったが、それで引き下がりはしなかった。すうっと無表情になったかと思うと、次の瞬間には怒りが浮かんでいた。
「どうしてよ!」
 先程までの恥じらっていた姿から一転し、ヒステリックな甲高い声で叫ぶ。
「あなたになんの権利があってそんな言い方するの?! 一度でいいと言ってるじゃない!!」
「だめだ!!」
「どうしてそんな酷いことを言うの?! 一目見ただけで彼が好きになったのに!!」
 少女の叫びにマイクロトフは目を見開いた。
「好、き……?」
 悪魔の、彼を……?
「そうよ! どうしても忘れられないの!!」
 少女の思いつめた目は、まるで何かに憑りつかれているかのようだった。マイクロトフはそれを見てぞっとする。一目見ただけでここまで思いつめてしまうものなのだろうか。これはカミューの魔力がなんらかの影響を与えているのか……。
「あたし、彼に会えるならなんでもするわ! お願いよ!!」
「だめだ……」
 彼は悪魔なのだから。
 マイクロトフは言えるはずのない事実にぐっと歯噛みすると、「近づこうなんて二度と思うな!」と言い捨ててその場を走り去った。少女が物凄い目で睨みつけていたのにも気付かず……。


 マイクロトフは無我夢中で走っていたが、目的の大木が見えてくると、ようやく歩調を緩めた。5日ぶりだというのに、随分久し振りのような気がする。
 マイクロトフは木の元に辿り着くと、少々息を切らせながら上を見上げた。
 すると。
「カミュー?」
 いつも頭上の枝に腰をかけて自分を見下ろしている姿がなかった。マイクロトフの心臓がどきん、と跳ねる。どこにいったのだろうか、自分は遅かったのだろうか、と瞬時に不安が押し寄せ、見上げた格好のまま動けないでいると、
「マイクロトフ」
 不意に背後から名前を呼ばれ、弾かれたように振り返った。
「カミュー……っ?!」
 名前を呼びかけた声は、いきなり両肩を掴まれ身体を背後の木に押しつけられたことにより驚きに変わる。近づいてきた端正な顔にマイクロトフは意図を悟ると、慌てて制止しようと口を開いた。
「ちょっ……、待、てっ、カミュー、き、木の上に……っ!」
「待てない。ずっと……待っていたんだ……」
 カミューはどこか切羽詰った様子で囁くと、おもむろに唇を重ねてくる。強引に割り込んでくる舌の熱さに、マイクロトフの全身が震えた。己の舌に絡んできたかと思うと抜けるほどの勢いで吸われ、呼吸をする隙すら与えられない。その激しさに、抵抗しようとカミューの肩を掴んだ手からはみるみる力が抜けていき……マイクロトフはやがて意識を手放した。


 少女は怒りに燃えていた。勇気を出して『あの人』に会いたいと頼みにいったのに、マイクロトフは手酷く断ってきたのだ。
 今、思えば走り去ったマイクロトフは『彼』に会いに行ったのかもしれない。
 何ヶ月か前から、毎日のように村を出ていく姿を見かけていたのだが、それは『彼』に会いに行っていたのでは、と思うようになっていた。このあいだ見かけた2人の姿はとても親しげだったから。
 それならばマイクロトフの後をつければよかった、と思うが後のまつりであった。

 絶対に、許せない。

 こんなに『彼』に会いたいと思っている自分を置いて、自分だけのうのうと『彼』に会っているなんて。
 少女の足は教会に向かっていた。


「…………ん……」
 マイクロトフはわずかに息を漏らし、その己の声で目が覚めた。目を開ければいつもの『食事』の後のようにカミューの腕に抱かれていることに気付く。いつのまにか木の上に移動していた。
 顔を上げるとカミューと目が合う。髪を撫でていた手が止まった。
「あ……」
 なんと言ってよいものかわからず、言葉を探していると、カミューの手が頬に触れてくる。
「大丈夫かい……?」
 気遣うような声音に、マイクロトフは会ったらすぐ告げるつもりだった言葉を思い出した。ひとつ頷くと静かに口を開く。
「今日は、カミューの好きなだけ吸っていい」
「え?」
「5日も、食事をさせることができなくて申し訳なく思っている。だから、今日は……」
 気のすむまで摂ってくれ、と、真面目な表情で言うマイクロトフに、カミューは、くす、と笑った。
 生気を摂ることを『食事』と言っているが、本当は生きていくのにそんなに重要なものではなかった。低級な魔族たちは生きていくためには食べなくてはいけないが、自分たち上級の魔族になれば食べる、という行為を行なわなくても自然と周りから摂ることができる。ただ、欲望に忠実な生き物なため、美味いものは食べたい、と思うのだ。だから、5日間生気を摂らなかったところでどうってことはない。
 そうとは知らず、己を差し出そうとするマイクロトフがおかしかった。だが、それは無知に対する侮蔑とは違う。彼らしい律儀な健気な思想に思わず頬が緩むのだ……。
「俺の気のすむまでもらったら死んじゃうよ?」
 おまえはとても美味いのだから。
 漆黒の瞳を覗き込んで囁くカミューに、
「それでも……かまわない」
 マイクロトフが固い表情を崩さないで応える。てっきり恐怖の色を滲ませると思っていたカミューはわずかに目を見開いた。
 出会った頃からしばらくは自分に脅えていたのを知っている。それはいつか殺されるのではないだろうか、という人間なら誰しも持つであろう本能的な恐怖だろう。最近は慣れたのかだいぶ恐怖心は薄れたようだが、ふとした己の言動に表情を強張らせることがある。彼ら人間にとって『悪魔』とは畏怖の対象以外の何者でもないのだから。
 なのに、今日の彼の態度は……。
「かまわない、の?」
 からかおうと思っていたのになぜか口調は念を押すものとなっていた。
「ああ。カミューは約束を守ってくれた。だから……」
 言いかけた唇をふわり、と塞がれる。マイクロトフは一瞬目を見開いたが、状況を理解するとすぐ視界を閉ざした。深く重なってくると思われた唇はすぐ離れ、しかし、2度3度と啄ばむように触れてくる。そのまま頬や額にも柔らかい口付けが繰り返された。
 くすぐられているような感覚はいつもの『食事』とはあまりにも違っていて、マイクロトフは思わず腕を突っぱねる。
「カ、カミュー、そ、その、こんなんで食事になるのか?」
 とまどったような声に返ってきたのは愉快そうな笑い声。
「今日は俺の気がすむまでしていいんでしょ?」
 と、カミューはまったく取り合わず、今度は瞼に口付けてくる。拍子に目を閉じるとまた唇が重ねられた。


「神父さま」
 いつものように外を掃除していた神父に声をかける者がいた。神父が箒を動かしていた手を止め振り返ると、そこには少女が立っていた。小さな村なので、顔を見れば名前とどこに住んでいるかはわかる。全員が互いに顔見知りのようなものだった。
「おや、どうしました?」
 神父が穏やかに声をかけると、どこか強張った顔をしていた少女は軽く息を吸う。奇妙に感情が抜け落ちた顔で口を開いた。
「あの、マイクロトフのことなんですけど」
「ああ、マイクロトフかい? 昨日まで寝込んでいたというのに、友達に会いに行ってしまったよ」
 少女がマイクロトフに用事があったと思ったのか、病み上がりだというのに出かけてしまった彼を困ったように、それでいて良くなったことを喜ぶように言う神父に、少女は無表情に聞き返す。
「友達、ですか?」
「ああ。なにやら隣の村に友達ができたとかで毎日遊びに行っているよ」
「神父さま」
 少女は少し笑った。その笑みは少女にはあまりにも似つかわしくない、暗い、歪んだ笑みだった。
 やはり自分の勘は正しかったのだ。そのことが彼女の怒りにますます火をつけるが、顔には一切出さずに用意していたセリフを口にする。
「その人は友達じゃないですよ」
「え?」
「あたし、見ちゃったんです。二人が……」
 口付けを交わしているところを、と少女は声をひそめた。
 それはでまかせだった。酷いことを言ったマイクロトフにどうしても復讐したくて考えた嘘だった。
 自分の知らぬ所でまさにそんな行為が行われているとも知らず、少女は目を見開いた神父に満足げな笑みを浮かべた……。


「今日も送っていこうか?」
「い、いらん!!」
 帰るために木の下に降りると、からかうように言ってきたカミューにマイクロトフは顔を真っ赤にして怒鳴った。
 カミューの唇が、舌が、幾度も触れた顔や首筋、腕などが燃えるように熱い。そのわりには疲労が少ないのは生気を吸われていない、ということなのだろうか。
 マイクロトフはカミューに聞きたいことがたくさんあった。あの夜のこと、カミューに魅了された少女のこと、今日の『食事』のこと……。しかし、目の前でどこか満足そうに微笑んでいるカミューを見ていると、まあいいか、という気持ちになる。体調は戻ったのだから明日からもまた毎日会うのだ。いつかきっかけがあったときに話せばいいではないか、と思う。
「じゃあね。また明日」
「ああ。また明日……」
 手を上げるカミューにマイクロトフも同じように応えると背中を向けて歩き出す。「また明日」が永遠に来ないことも知らずに……。



 つづく




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