〜こんな日常・昼〜




 昼

 マイクロトフは集中力がある。仕事に限らずなんでも夢中になると周りが見えないこともしばしばだ。そんなマイクロトフが一心不乱にパソコンと向き合ってキーボードを叩いていると、突然、肩に重みがかかった。と、同時に、
「冷たい……」
 と、耳元で呟かれる。
「っ!」
 マイクロトフはあまりの不意打ちに飛び上がりそうになるのをなんとかこらえると、ぎっと自分の肩口に顎を乗せている男を睨みつけた。
「カミュー!」
「お誘いしたのに返事も来ないし。お昼になっても仕事してて気付いてくれないし……」
 カミューに恨みがましい口調でぶつぶつと言われ、マイクロトフは慌てて時計を見る。なるほど、12時をすでに回っていた。どうも集中しすぎて時間の概念がなくなっていたらしい。
 マイクロトフはお昼ぎりぎりになったらカミューに返事をしようと思っていたことを思い出し、申し訳なさそうな表情を浮かべた。外で昼食を摂るなら昼休みがはじまると同時に出ていかないと店が混んでしまい、入れなくなる。これから外出するのは無理だった。
「すまない……」
 しゅん、とした様子で謝るマイクロトフにカミューは短く嘆息する。真面目な彼が心底申し訳ないと思っていることは疑うべくもなく、そんな彼を責めることなどできるはずもなかった。
「いいけどさ……。食堂行く?」
「あ、ああ」
 促されてマイクロトフはのろのろと立ち上がる。これから食事だというのに気分は重い。カミューが選ぶ店はどこも美味しく、少し期待していたのに、自分のせいで行けなくなってしまったのだ。
「本当にすまない……」
「いいよ。今週は無理でも後で行けるだろ?」
 もう一度謝ってくるマイクロトフにカミューは慰めるように肩をぽんぽんと叩く。自分に対して申し訳ないと思うと同時に、おいしい食事を食べ損ねた、という落胆が手に取るようにわかり、可愛いなぁ、と思う。
 2人は社内食堂に行くべく事務所を出た。エレベーターホールに到着するとボタンを押してエレベーターを呼ぶ。時間が中途半端なせいか他には人影がなかった。2人でエレベーターの階数のランプを見上げていると、
「あ、そうだ」
 と、どこかわざとらしくカミューが口を開く。マイクロトフは上に向けていた視線を隣に移した。
「ん?」
「せっかくだからお詫びを受け取っておこう」
 言うが早いか、素早く唇を重ね、一瞬で離れていく。マイクロトフはあまりの出来事に目を見開いて茫然としていたが、ハッと我に返ると瞬時に顔を真っ赤にさせて怒鳴ろうと口を開きかけた。
「カッ……!」
「あ、エレベーター着いたよ」
 カミューのしらじらしい声と共にチン、と、硬質な音がしてエレベーターの扉が開く。エレベーターには数人乗っていた。まさか人前で怒鳴るわけにもいかずマイクロトフが口をぱくぱくさせていると、カミューはまったく悪びれることなくにっこりと微笑んで腕を引く。
「さ、早く乗ろう」
 エレベーターをいつまでも待たせておくわけにもいかず、マイクロトフは渋々それに従った。あまりのタイミングの良さに、一連の行動は計算されていたのではないかと疑いたくなる。
 エレベーターが動き出すと、先に乗っていた社員とにこやかに挨拶を交わすカミューをマイクロトフは悔しそうに睨みつけた。

 いつもいつも。いいように振り回されてばかりだ。
 口は達者だし、手口も抜かりない。気を張っているつもりなのに、うまく裏をかかれてしまう。

 マイクロトフはそっと足を上げ、飄々とした表情で談笑している男のつま先をめがけて踵を落とした。


「ねえ、マイクロトフー、悪かったよ。そんなに怒らないで」
 社員食堂で昼食を摂りはじめてもマイクロトフは一向に口をきいてくれず、カミューが情けない声を出した。しかし、マイクロトフは無視を決め込んでいるのか無言のまま、ガツガツとハンバーグ定食を平らげ続ける。カミューは内心、やりすぎたか、と肩をすくめた。
 真面目なマイクロトフは公私混同、というか、会社で恋人として扱われるのを非常に嫌がる。まあ、男女ならともかく男同士なのだから、見つかったら即、身の破滅であることは考えるまでもなく、警戒したい気持ちはよくわかるのだが。

 でも、可愛いんだもんなぁ……。

 カミューは頬杖をついて目の前で豪快に食べ物を胃に流し込む男を見やった。
 精悍な顔つきにがっしりとした体格、今時めずらしいくらいに融通のきかない真っ直ぐな性格。男らしいことこのうえないのだが、ときおりみせる無防備な姿が可愛くてたまらないのだ。怒らせるとわかっていても、手を出さずにはいられない。
 そんな不埒な思いでマイクロトフを見つめていると、マイクロトフがふと手を止めた。
「……食べないのか?」
「え?」
 じっと動かないカミューを不審に思ったらしい。まだどこか怒っているものの、心配している口調にカミューは、ほら、やっぱり可愛い、と思いつつ、苦笑に似た笑みを浮かべる。
「だって、マイクロトフが口をきいてくれないから食欲がなくなっちゃって……」
「……馬鹿なことを言ってないでとっとと食べろ」
 ムッとしたように眉を寄せて食事を再開するマイクロトフだったが、その頬が薄く染まっていくのをカミューは目を細めて眺めていた。再びマイクロトフの手が止まる。
「……なにをにやにやしている?」
 じろ、と睨むような視線にカミューは慌てて首を振った。不躾な視線に気分を害したようだ。
「あ、いや……、なんでもないよ。そ、そうだ、これも少し食べるかい? 怒らせたお詫びに……」
 と、カミューは愛想笑いを浮かべて自分の生姜焼き定食の皿を差し出す。すると、マイクロトフはヤケになったように箸を突っ込み、肉をどっさりと持ち上げた。
「あ……!」
 カミューが止める間もなく、マイクロトフはその肉にかぶりつく。まるでやつあたりのように口いっぱいの肉を咀嚼して飲み込むマイクロトフをカミューは唖然と見ていた。咽喉が上下するのを確認するとがっくりとうなだれる。
 まだ茶碗には半分以上のご飯が残っているのに、おかずは肉が一切れと付け合せの野菜だけとなってしまった。
 まあ、自業自得か……とため息を吐きながら、カミューはとりあえずご飯をおかずのないまま食べはじめる。
 と、
 ぼとり、と茶碗の中に茶色い物体が落ちてきた。なんだろう、と思ってよく見るとそれはハンバーグの欠片。驚いて顔を上げるとマイクロトフは怒った表情のままそっぽを向いていた。その頬がほんのりと赤いのは、我ながら子供じみた真似をした、とでも思っているのだろうか。
 カミューはその横顔をしばし見つめていたが、にへら、としまりのない笑みを浮かべた。
 まったくもって可愛い男だ。
「わーい。マイクロトフの食べかけだ。これだけでご飯3杯はかるいな」
 不気味なセリフを嬉しそうに吐いて、早速ハンバーグにかぶりつこうとするカミューに、マイクロトフはぎょっとしたように目を見開く。
「なっ……、か、返せ!」
 そんな変なことを言われて平然としていられるはずもなく、マイクロトフは取り返そうと腕を伸ばした。だが、一瞬早くカミューはくるり、と90度横を向いてその追撃をかわす。にんまりと笑って見せつけるように口を大きく開けてご飯を頬張った。
「やだよーん。俺の大事なおかずだもん」
「やめろこの変態!!」
 最早、おかず、という単語すらもマイクロトフの耳にはまともに聞こえない。マイクロトフは真っ赤になって茶碗を奪い返そうとテーブルから身を乗り出し、カミューはそれを巧みに避けながら食事を続ける、というなんとも奇妙な攻防が繰り広げられた。そして、業を煮やしたマイクロトフがついには立ち上がってテーブルを回り込むと、カミューの腕を掴む。
「おまえ、いいかげんに……!」
「マイクロトフ」
 唇の端にご飯つぶをつけたカミューが冷静にマイクロトフの名を呼んだ。マイクロトフが、なんだ、と睨みつけるとカミューは肩をすくめ、
「目立ってる、目立ってる」
 と、からかうような笑みを浮かべる。ハッと我に返ったマイクロトフが周りを見ると、あちこちから視線を集めていた。まあ、大の男が大騒ぎしているのだから無理もないことだが。息を飲んだ次の瞬間には茹蛸のように真っ赤になるマイクロトフに、「相変わらず仲いいなー」と同僚のからかう声が飛ぶ。

 マイクロトフは自覚がなかったが、2人は社内ではかなり有名だった。しかも2人一組で。それぞれが一人で行動している分にはそうでもないのだが、2人が揃うと、とたん、目に付く。社内を歩いていると、部署が違うというのに、「あれ? 今日は一人か?」などと聞かれる始末であった。

 カミューは、くすっと笑うと、この場をどう繕ったものか、とあたふたしているマイクロトフの肩をぐっと抱き寄せ、
「えー? だって、俺たち、愛し合ってますから」
 と、片目を瞑って応えた。
「なっ……!」
 絶句するマイクロトフを余所に、周りからは笑いと冷やかしの声が飛ぶ。「ご飯つぶついてるぞ、色男」なんて野次にもカミューはすました顔で口元を拭ってみせた。
 愛想のいい笑みで周りの騒ぎに応えると、カミューは硬直しているマイクロトフの腕を取って食堂を出る。数歩歩いて人気がなくなると、ようやく立ち直ったマイクロトフが口を開いた。
「カ、カミュー! おまえってヤツはあんなところで……っ」
「ああいう場では『そうなんでーす』ぐらいのノリで応えたほうがウケるのに」
 誰も本気にするわけないだろう? とカミューがおかしそうに笑うと、マイクロトフは頬を赤くして憮然と反論する。
「俺はっ、あ、あんな冗談は好かん……」
「冗談……ね」
 ぽつん、とつぶやいたカミューにマイクロトフの心臓がどきっと跳ねた。棘があるような、それでいて寂しいような含みを感じ取って、失言だったか、と内心ひやり、とする。カミューは自分に対して、惜しみない愛情表現をしてくるが、自分がうまく返せないため、常々不満に思っているであろうことは簡単に予想がつく。こんな些細なやりとりですら彼を傷つけたのか、と思うとさすがに申し訳ない気持ちになった。
「そ、そのな、カミュー……」
「大嫌いなんて嘘でも言わないけど、大好きだって嘘なんかじゃ言わないからね」
「え?」
「バーイ、愛内●奈、I can't stop my love、はーと」
「は?」
 カミューが突然何を言い出したのかさっぱりわからなかったマイクロトフは頭の中で反芻してみると、そういえばそんな歌があったような、と、かろうじて記憶の隅に引っかかる。だが、いきなりなんなんだろう、と、目をぱちくりさせているマイクロトフにカミューはふっと笑うと、
「俺の気持ち」
 と、指を銃口の真似をするように折り曲げ、人差し指をマイクロトフに向けると、「じゃあね。午後も仕事頑張って」と、軽く手を振って自分の事務所に戻っていった。残されたマイクロトフはカミューが口にした歌詞を思い起こしてみる。

『大好きだって嘘なんかじゃ言わないからね』

 それはつまり、ああいうふざけた場でも口にする言葉は本気だと……?

「……恥ずかしいヤツだ……」
 マイクロトフは一人赤面してつぶやいた。



 つづく




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