〜いのち〜




 コンコン

 書類に目を通していたマイクロトフはノックされる音に顔を上げた。毎日決まってこの時間に訪れる男のものではないことに、多少怪訝な面持ちで誰何する。すると彼の部下だった。入室を許可すると、いつもの柔らかい笑みを浮かべて姿を見せる。
「お忙しいところ申し訳ありません、マイクロトフ様」
「いや……、どうかしたのか?」
 ちょうど休憩をとるのに適したこの時間になるとカミューがこの部屋を訪れて茶の時間となる。それはいつのまにか暗黙の了承となっていて、よほど忙しくないかぎり日課となっていた。
 カミューが来ないだけなら仕事が忙しいのだろう、と思うだけだが、副団長自らやってくるとは何かあったんだろうか、とマイクロトフは少し胸騒ぎを覚える。赤騎士団の副団長はいつもの人当たりのいい笑みをおさめると、目を伏せて話し出した。
「あの……、団長のことなんですが……」



 マイクロトフは屋上に向かって歩いていた。手には厚手の外套を2枚持って。

 エレナが亡くなったそうです。

 副団長のセリフを思い出しマイクロトフはまた足を早める。エレナ、とはカミューが前に乗っていた愛馬の名前だった。年老いてきたため騎馬から引退し、牧場で余生を送っていた。
 大概の騎士は馬に愛着を持つし、大事にしている。しかし、一生同じ馬に乗れるはずもなく、長くても数年、運が悪ければ一度の戦で失ってしまう。騎士にとって馬は、共に戦場を駆ける大事なパートナーではあるものの、怪我をしたり老いたりすれば乗り替わる、どこか消耗品のような存在だった。……そう割り切らねば辛いだけなのだから。

 だが、カミューは……。

 マイクロトフは屋上に続くドアを開けた。重い鉄製のドアが鈍い音を立てて開く。本来は冬の間は雪を寄せることができないため閉鎖されている場所だった。ドアを開けたとたん吹きつけた雪と冷気に一瞬顔を庇う。それがおさまると辺りを見回して彼の姿を探した。

 いた……。

 カミューは。雪の上に膝を抱えて座り込んで、ぼんやりと鉛色の空を見上げていた。騎士服のままで、風に、亜麻色の髪を、紫色のマントを、好きなように弄らせている。マイクロトフはひとつため息をつくと彼の元に向かった。雪は脛のあたりまで積もり、少々歩きづらい。ざくざくと雪を踏む音が聞こえるだろうに、カミューは振り返ることもしなかった。それは、心を飛ばしているのか、近づいてきてるのが安心できる存在だとわかっているのか……。
 マイクロトフはカミューの背後に立つと外套を広げ、ばさっと顔から被せてやった。
「阿呆。こんなところで何をやっている」
 不機嫌そうな口調に、カミューは苦笑いしながら外套から顔を覗かせ、マイクロトフを見上げる。
「やあ、マイクロトフ」
「やあ、じゃない。上着も着ないでいつまでいる気だ?」
 言いながらマイクロトフはカミューの隣に腰を下ろした。カミューが軽く目をみはって「風邪引くよ?」と言うと「おまえが言うな!」と一喝される。展開にとまどっているのか、寒さに思考が麻痺しているのか、じっと動かないカミューにマイクロトフは痺れを切らしたように言った。
「さっさと着たらどうだ? 凍死したいのか?」
「えと……あの……」
 カミューは困ったように笑うと両手を軽く上げた。
「かじかんでうまく動かないんだ」
 マイクロトフは一瞬怒ったように眉を吊り上げたが何も言わず外套を羽織らせてやる。カミューは着せられている間、じっとしていた。そして、最後のボタンをはめ終わると「ありがとう」と小さくつぶやく。マイクロトフは無言のまま自分も羽織った。ひとつ息をつくと、外套の裾から手を伸ばしてカミューの外套の中に忍ばせ、手を探り当てて、ぎゅ、と握る。いつからここにいたのか、その手は氷のように冷たかった。
「あったかい……」
「おまえが冷たすぎるんだ」
 ぶっきらぼうな返事にカミューは目を細める。言葉では何と言おうが、ここに来てくれたことやこの手のぬくもりがすべてを語る。
 2人はしばらく空を見上げていた。相変わらず雪が舞い、風も強かったがそんなに気にならなかった。
「……いい馬だったな」
 マイクロトフがぽつりと言うと、カミューは小さく頷いた。
「うん……」

 まだ自分たちが従騎士だった頃、一人の騎士が他勢力との戦闘の際、殉職した。そのとき、彼の馬も死んだのだが、その馬はカミューが世話をしていた馬だった。皆、騎士の死を悼み喪に服す中、マイクロトフは馬小屋の陰で一人泣くカミューの姿を見つけた。その頃はまだあまり仲良くなかったが、びっくりして思わず声をかけると、彼は最初はバツが悪そうにしていたが、自分がからかいにきたわけではないとわかると、ぽつり、と言った。「人の死も悲しいが、馬の死もそれに等しい」と。普段、冷たいというか、他人にあまり関心がないような彼からは想像もできない物言いだった。
 そして、仲良くなってから、カミューが生まれたグラスランドは騎馬民族がほとんどで、自分も物心がつくかどうかという頃にはもう馬に乗っていたということを聞いた。あたりまえのように馬と共に育ったのだと。
 馬の扱いはもちろん抜群に上手かったし、誰よりも愛情をもって接する姿はまさに家族同然で、マイクロトフの目には微笑ましくも痛ましく映った。どう頑張っても馬の寿命は短い。ちょっとした怪我で走れなくなってしまうし、矢を受けて死んでしまう馬もいる。騎士になってからはさすがに涙を流しはしなかったが、恋人という親密な仲になってから自分にだけ見せる、心を痛めている姿を見て、やりきれない思いを抱えていた。

 昔に思いを馳せていたマイクロトフは握っている手に少し力を込めた。
「生き物はいつか死ぬ。それは馬も人も同じことだ」
「うん……」
 心あらず、といった生返事にマイクロトフは少し口調を強める。
「俺だっていつ死ぬかわからないんだぞ?」
「マイクは死んじゃだめ」
 カミューのセリフにマイクロトフは空から視線を戻し、隣を見た。カミューの琥珀色の瞳は真っ直ぐマイクロトフを捉えていた。
「マイクロトフはその健康体で長生きして、若い頃の不摂生が祟って早死する俺を『そらみろ』って怒ってくれなきゃ」
「……勝手なことを言うな」
 呆れたように応えるマイクロトフにカミューはようやくいつもの明るい笑みを見せる。握られていた手を動かし、指を絡めた。このほうがずっと密着する。
「どうしてここがわかったの?」
 どこに行く、なんて誰にも言わなかったのに。
 カミューの問いにマイクロトフは渋い顔をする。
「おまえがどこにいるか、なんてだいたい見当つく」
「わ。以心伝心ってやつ? 俺ってけっこう愛されてるのかな」
「阿呆」
 ぶっきらぼうな口調と裏腹にわずかに染まった頬にカミューは満足し、戻ろうか、と立ち上がった。繋いでいる手を引っ張ってマイクロトフを立ち上がらせる。マイクロトフは、やっと気持ちの切り替えができたかとほっとすると同時に、ほんの少しだけこの状況が終わるのを残念に思った。
「ん? もう少しここにいる?」
 目聡く気付いたのかカミューがからかうように言う。マイクロトフは、相変わらず動物並みの勘の良さだ、と思いつつ怒ったふうを装った。
「俺がおまえを連れ戻しにきたんだ。仕事がたまっているぞ」
「やだなー」と笑うカミューはいつものカミューで。マイクロトフは用は済んだとばかりに繋いだ手を外そうとする。しかし、カミューの手に力がこもり、それはかなわなかった。
「もう少しだけ、ね?」
 甘えるように小首を傾げるカミューにマイクロトフは大仰にため息をついてみせる。
「いい歳して甘えるな」
「だって。暖かいんだ」
 手が。心が。
 カミューが柔らかく微笑む。マイクロトフは亜麻色の髪に手を伸ばし、くしゃ、と撫ぜた。

「安心しろ。俺は馬よりは長生きするから」



 おわり




思いついたままに書きました(いや、いつもか)
ちょっとセンチ(死語すぎ)なカミューさんと
母のように強いマイクロトフ(笑)
冬も終わるというのに真冬な話です……。


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