〜BUS STOP〜




 今日も平凡な1日で終わるはずだった……。


 カミューはバス停のベンチに座ってぼんやりとしていた。冬の匂いをまとった風が、酔って火照った頬に心地良い。
 今日は仕事が終わったあと、同僚たちと飲みに行ってきた。しかし、今日は仕事がいろいろと立て込んでしまい疲れていたため、「最終バスが行ってしまうから」と言ってようやく解放してもらった。そして、バスがくるまでの短い間、ここで休んでいるという次第だ。普段は地下鉄を利用している。しかし、地下鉄だと最終が遅いため、口実として「バスの時間が」と言ったのだから、解放してもらった時点で駅に向かえばよかったのだが、なぜか正直にバス乗り場にきてしまった。多少、アルコールが回っていて、判断力が鈍っていたのかもしれない。
 バスに乗るのなんて久々だなぁなどと思っていると、携帯電話の着信音が鳴った。短い着信音はメールの知らせ。カミューは胸元のポケットから電話を取り出した。しかし、相手は最近増えてきたダイレクトメール。いわゆる出会い系のサイトからのメールだった。ロクに読みもしないですぐ削除する。電話を再びポケットに突っ込んで、代わりに煙草を取り出した。口にくわえ、火をつけようとしたところにバスがきてしまう。
 カミューはタイミングの悪さに苦笑いしながら煙草をしまった。
 停車したバスの扉が開くと、デッキに躓かないように足元を見ながら中に乗り込む。その頭上から、
「お待たせしました」
 と、低い、張りのある声が耳に届いた。カミューはつられるように顔を上げ……思わず息を飲んだ。

 歳は自分とそんなにかわらないだろうか。いまどきめずらしいくらいの生真面目な顔つきでわずかに漆黒の瞳を細め、自分を見つめている青年に、心臓を掴まれたような衝撃を受けた。背筋をすっと伸ばし運転席に座っている凛々しい姿に見惚れた。
 深い青色の制服に身を包み、きっちりと帽子を被ったその姿。すべてが強烈に自分を惹きつける。

 なん、だ……? これは……。

 相手は男だというのに。いや、それどころか、いままで女性にすら感じたことがないくらい強く、心惹かれている自分にカミューはとまどう。鼓動が苦しいくらいに速い。
 金縛りにあったように動けなくなってしまったカミューは馬鹿みたいに運転手を見つめることしかできなかった。その視線の先で青年が困ったように眉を寄せ、何か言葉を発しようとしたのか口をわずかに開く。その動きにカミューの呪縛が瞬時に解けた。
「あっ、あの……っ!」
「200円になります」
「は?」
 カミューはぽかんと口を開けた。何を言われたのかわからず青年を凝視していると、青年も、あれ? という顔をしてカミューを見つめる。青年の顔に怪訝そうな表情が浮かびはじめた頃、カミューはようやく彼の言葉を理解した。

 バスの料金。

 乗るときに払うものなのに、自分がなかなか払わないから、わからないと思ったのだろうか。
 カミューは慌てて財布を取り出し、中から小銭を掴むと、デッキを昇り、料金箱に入れた。車内は最終に近い時間だったせいか数人の客しか乗ってなく、みな、疲れた様子で座っている。カミューは運転席がいちばん見える位置をと、左側のいちばん前に座った。いちばん前の席に座るなんて子供のとき以来だ、などと思いながら運転手の名前が記されたプレートをチェックする。

 マイクロトフ、か。

 名前を知っただけでいいようのない喜びがこみあげてきた。
 ドアが閉まりバスが発進すると、カミューは運転手の後ろ姿を見つめる。帽子からのぞく髪は瞳と同じ漆黒。暗い窓に映る真剣な眼差しに、また心臓が跳ねた。ウィンカーをつけるしぐさ、降りる客に「ありがとうございました」と控えめにかける声、すべてにどきどきする。一挙一動を見逃すか、と夢中になっている自分。これが本当に自分の身体なのか、というほど制御できなくなっていた。
 そして、その一方ではこれからどうしようかということに考えを巡らせている、冷静な自分がいる。このままでは一度きりの出会いで終わってしまう。都バスなど何百本と走っているのだから、次に会える保証などどこにもないのだ。

 こんなに惹かれているのに、一度きりになんてしたくない……!

 しかし、焦れば焦るほどいい考えが浮かばない。そして、カミューが降りるバス停がきてしまった。
 そのとき。胸のポケットで短い着信音。また携帯電話にメールが入ってきた。カミューは条件反射的に電話を取り出して、ふと浮かんだ考えに手が止まる。

 他の誰かに拾われるかもしれない。
 彼も気付かないかもしれない。
 運良く彼に見つけてもらえても都バスの拾得物担当にまわされるだろう。
 それでも。

 1%ぐらいの可能性はあるかもしれない。……だったらそれに賭けるしかない。
 携帯電話には得意先や友人の電話番号が入っている。なくなればかなり困ることはわかりきっていた。しかし、そのリスクを背負ってでも彼と繋がりを持ちたい……。
 カミューはじっと電話を見つめていたが、決心したように座席の下にそっと忍ばせた。そして、降車を知らせるボタンを押し、バスを降りる。「ありがとうございました」という彼の低い声が耳に心地良く響いた。
 バスを降りたとき、外気の冷たさに一瞬身を震わす。しかし、興奮しているのか、酔っているのか、さほど気にならず、マンションに急ぎ足で帰った。



 告白する中学生のようだ……。

 カミューは電話の前で異常に緊張している自分をおかしく思った。
 アルコールのせいではないかと思った。しかし、どんなに冷静になろうとしても無駄な努力に終わっているのだから、白旗を上げざるをえない。
 さっきから時計との睨めっこだ。終点に着く前に電話をしてしまえば他の人に気付かれてしまう。かといってあんまり遅くなってはバスが車庫に入ってしまう。バスのルートを考え、道路状況を考え、作戦を練りに練って打ち出した時間がくるのをひたすら待つしかなかった。しかし、それが正しい時間だという裏づけは何一つない。
 バスの中での彼の姿を思い出すだけで胸が高鳴るのを感じる。ほんの十数分の出会いだったのに、すべてに魅了されていた。

 運命の出会いってヤツかもしれない……。

 そんな安っぽい言葉すらあたりまえのように受け入れてしまう。あまりにも一方的な想いであることは充分自覚している。ただ、きっかけさえあれば、そこからどんな手を使ってでも近づきたい……。

 よし。

 このくらいだろうと予想した時間に秒針がかかったとたん受話器を持ち上げる。ひとつ深呼吸して幾分気持ちを落ち着けると、自分の携帯電話の番号をゆっくり押した。少し指先が震えているのがなんとも情けなかったが。

 トゥルル……トゥルル……

 短い呼び出し音がとてつもなく長く感じる。祈るような気持ちで通じるのを待った。
 しかし。
 プツ、と呼び出し音が途切れたとたん流れてきたのは留守番電話の機械音声だった。
 カミューは安堵なのか落胆なのかわからないため息をつくと、もう一度コールする。

 遅かったのだろうか……。

 終点に着けば車庫に入れる前に運転手はバスの中を点検するはずだ。だが、座席の下に置いたから、ざっと見ただけでは気付かれないだろう。
 気付いたとしてももう拾得の担当のほうにまわしているのかもしれない。
 あきらめかけたそのとき。
『……もしもし?』
 低い声が遠慮がちに応答した。

 彼だ!

 カミューは思わず受話器を握り直して、さっきから何度もシュミレートしたセリフを口にする。
「あ、あの、その電話、私のなんですが、バスの中で落としたかと思うんですが……。あ、バスに乗ったのは……」
『……知ってます』
「え?」
 思わぬ言葉にカミューが聞き返すと、彼に自分が乗った停留所の名前を言われる。そして、『左側の一番前の座席に座りましたよね』と続けられた言葉に、どうやら本当に自分のことを覚えているらしい、と、カミューは不思議に思う。
 しかし、少し冷静になって自分の行動を振り返ってみると、確かに印象に残るほどの奇行ぶりだったかもしれないということに気付いた。酔っていたとはいえ、初対面の相手を不躾なほど見つめていたのだから。
 カミューは、絶対印象悪いよな……と、苦笑を浮かべた。
『……必要なものなんでしょう?』
「えっ?」
 意識が逸れていたせいで、一瞬、聞き逃しそうになったカミューは慌てて受話器を握り直す。
『この電話……』
「あ、は、はい。それで取りに行きたいんですが、いまどこにいらっしゃいますか……?」
『……………………』
 返ってきた沈黙に、カミューは相手が迷惑がっているのだろうと思った。時間も時間だし、バスの運転手と客など、一期一会の他人のようなものだろうから、深く関わりたくないと思うのは当然だった。恐らく、明日にでも拾得担当に行ってくれ、と言われると思った。それは百も承知である。それをなんとか説得しなくては、と、あれこれ考えたのだから。
 しかし、彼の口から告げられた場所はカミューの予想範囲外だった。
 自分が降りたバス停にいる、と言ったのだ。
「……どうして……?」
 思わずつぶやいた言葉に、途切れ途切れの返答が返る。
『その、困っているだろうと思って……、あなたが降りたバス停まで……きてみたのだが……』
 カミューは目を見開くと、「いますぐ行きます!」と勢いよく答え、受話器を置いた。そして、先程脱いだばかりのコートをひっつかんで急いで外に出る。
 ツイてる、なんてものじゃない。彼の人の好さに万歳したい思いだった。
 こんなに必死に走ったのは生まれて初めてかもしれない、というぐらい全力疾走し、バス停に向かう。

 そして。
 彼が、いた。

 バスの中では座っていたためわからなかったが、かなりの長身だった。自分も180を超えているが、彼のほうがわずかに高いかもしれない。あたりまえといえばあたりまえだが、深い青色の制服はもう着ておらず、ラフな私服に身を包んだ彼はどこか所在なさげな様子で立っていた。そして、走り寄ってくるカミューを見つけるとちょっとほっとしたように息をつく。
 カミューは彼の自分を見て安心したような様子にわけもなく嬉しさが込みあがってくるのを感じながら、できるだけいい印象を与えられるように柔らかい笑みを浮かべた。普段、女性相手に使うものだが、同性とはいえ少しは効果があるだろうと思いながら。そして、声をかけようと口を開き、軽く息を吸ったとたん、
「すみま……っ、ゲホゲホッ!」
 慣れない全力疾走に、心は平気でも身体は正直だった。口を開いたのを引き金に、身体が限界を訴え、大きく咳き込んでしまう。一度箍が外れると止まらなかった。身体をくの字に折り曲げ、げほげほと何度も咳き込んでいるうちに苦しさのあまり目尻に涙まで浮かんでくる。
「だ、大丈夫ですか……?」
 彼の心配そうな声に応えたいのに、それどころではない。情けないこと極まりなかった。しばらく咳き込んでいたが、ようやくおさまりがついて顔を上げると、彼の姿がないことに気付き、焦る。

 ど、どこに行ってしまったんだ?!

 まさか自分のみっともない姿を見て帰ってしまったんだろうか、などと、彼がここに来た目的すら一瞬忘れて馬鹿な考えが浮かんでしまう。おたおたと周りを見回していると、彼が少し離れた曲がり角から姿を見せた。こちらに歩いてくる姿にカミューがほっと息をつくと、彼は遠慮がちに手に持っていたものを差し出す。
「よかったら……」
 手に握られていたのは缶コーヒー。どうやら近くの自動販売機に買いに行ってくれたらしい。
「好みとかわからなくて適当に買ってしまったが……」
 カミューは驚きのあまり目を見開いていたが、少し申し訳なさそうに「嫌いだったか?」という彼の言葉にハッと我に返ると、慌てて首を振る。
「ありがとう」
 咳き込んでしまったために声が少し掠れていた。格好つかないことばかりだ、とカミューはどんよりと落ち込みながら缶コーヒーを受け取る。冷たいコーヒーを一口飲むとひりひりしていた咽喉に染み渡り、幾分落ち着いた。ほう、と息をつくと改めて彼を見上げる。
「ありがとう」
 もう一度お礼を言うと彼は少しはにかんだように笑った。その表情にカミューの心臓が跳ねる。

 ああ、これは決定的だな……。

 正直なところ、まだ心のどこかで、この想いは酔った勢いなのでは、というふうに疑っていた。普段、自分でも冷めているほうだと思う自分が、こんなふうに初めて会った人間に執着するなんてどこか信じられなかった。しかし、もう一度会ってみても想いは変わらない。いや、ますます魅せられているのがわかる。
 ちょっとした沈黙が降り、カミューが何か話そうと口を開きかけたとき、
『そこの車、駐車違反です。いますぐ移動しなさい』
 と、すぐ傍でスピーカーを通した声がした。カミューは、警察の駐車違反の取り締まりか、と思っただけだったが、目の前の彼がさあっと青ざめる。
「まずいっ!」
 彼はそういうと、声がしたほうに走っていった。カミューは一瞬きょとん、としたが、慌てて彼の後を追いかける。
 角を曲がると道路脇に寄せて止まっていた一台のミニワゴンタイプの車の横にパトカーがパトランプを点灯させて止まっていた。彼はパトカーのほうに走っていくと降りていた警官と2、3会話を交わして車に乗り込もうとする。追いついたカミューも思わず隣に乗り込んだ。彼は窓を開けて「すみませんでした!」と警察に声をかけ、車を発進させる。
 パトカーの姿が見えなくなるとどちらともなく深いため息が漏れた。
「見逃してもらえてよかったね……」
「ああ、本当に。……って、え?!」
 彼はカミューの言葉に頷いてから、ぎょっとしたように隣を見た。どうして乗っているんだ?! という視線に、カミューもつい勢いで乗ってしまったとは言えず、なるべく平然を装って応える。
「あ……、ほら、携帯を……」
「あ……」
 ここに来た目的がまだ果たされてないことに気付いた彼はばつが悪そうな表情になり、胸ポケットに手を突っ込むと、携帯電話を取り出した。
「ありがとう」
 カミューは微笑んで受け取るが内心は、受け取ったとたん、すぐ車を寄せて降ろされるのでは、とどきどきしていた。しかし、車はなぜか走り続ける。
 沈黙が流れるとカミューは何か言わなくては、とさっきから疑問に思っていたことを口にした。
「どうしてここまで持ってきて、待っていてくれたの? 降りたバス停がわかってもそれ以上はどうしようもなかったろうに……」
 カミューの言葉に彼は少し赤面する。
「携帯はも生活の一部のようなものだろう? 困っているのでは、と思ったら、つい来てしまっていた。いつも周りに考えなしに行動するな、と言われているのだが……」
「でも、俺から電話がいくとは限らなかったのに」
「とりあえず日付が変わるまでは待っていようと思ったのだ。連絡がなかったら、明日、忘れ物として届けるつもりだった」
 言われてカミューは時計を見る。ちょうど12時をまわったところだった。どうやらぎりぎりのタイミングだったらしい。
 ああ、やっぱり運命かもしれない、なんてカミューは一人勝手に浮かれる。
「それにしても、落としたのが俺だってよくわかったね」
「…………子供以外にあんなにじっと見られたのは初めてだ」
 憮然とした、しかしちょっと照れくさそうな口調に、カミューは、やっぱり印象が悪かったか、と赤面する。
「ごめん……」
「ただの酔っ払いなんだろうと思ったが……なぜか印象に残った……」
「え?」
 カミューは弾かれたように顔を上げた。隣を凝視すると彼はハンドルを握ったまま前を見ていたが、どこか落ち着きのない様子だった。カミューはその姿に、言うならいまだ、と思い、口を開く。
「俺も……君のことが忘れられなくて。どうしてももう一度会いたくて……電話を置いていったんだ」
 カミューの言葉に、今度は彼が驚いたようにこちらを向く。
「……わざとだったのか?」
「うん。ひょっとしたら、君が見つけてくれるんじゃないかと思って……」
「俺以外の人間が拾うんじゃないか、とは思わなかったのか?」
「思ったよ」
「俺が拾ってもすぐ忘れ物の担当にまわすとは思わなかったのか?」
「思った」
 即答するカミューに彼は呆れたようにため息をついた。
「俺に負けず劣らずの考えなしだな……」
「でも、会えたし」
 にっこりと嬉しそうに笑うカミューに彼は慌てて目を逸らす。
「……どうして、俺に……もう一度会いたい、なんて思ったんだ?」
「それは……」
 とまどいがちな彼の問いに、カミューは胸のあたりをぎゅっと掴んだ。間違いなく気持ち悪がられるであろう、自分の想い。でも、もう一度会うことができたのだから。もう、これきりかもしれないのだから口にしなくては……。
「君に……惹かれて」
「え?」
 わけがわからない、というふうに眉を寄せた彼に、カミューは、同性相手にそんな曖昧なことを言っても伝わらないか、と思いもう一度口を開く。
「君に……一目惚れしたみたいなんだ」
「っ!」

 キキキーッ!!
 ガツッ

「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!」
 突然の急ブレーキに、カミューは勢い余ってフロントガラスに額をぶつけた。一瞬、目の前に火花が散る。カミューは痛みのあまり声も出ず、しばし額を押さえてうずくまった。
 そして、痛みが幾分和らぎ、ようやく動けるようになるとゆっくり隣を見上げる。信じられない、といったふうに目を見開いている彼と目が合った。

 あ……、嫌悪されたかな……。

 カミューは妙に落ち着いた気持ちで彼の目を見返す。すると、ハッと我に返ったように彼が後ろに身体を引きながら口を開く。
「なっ、何を言っているんだ?! お、俺は男だぞ?!」
「うん……。さすがに間違えようがないでしょ?」
 静かに応えるカミューに彼はなんとも言えない表情を浮かべた。
「……おまえ、実は女なのか?」
「……残念ながら」
 カミューが苦笑して首を振ると、彼は緊張したように咽喉を鳴らす。
「……男が、好き、なのか?」
「君が好きなんだよ……」
 真剣な眼差しで応えるカミューに彼は困惑を隠せない様子だった。
「今日、初めて会ったばかりだぞ?」
「うん。自分でも驚いている」
「一時の気の迷いじゃないのか?」
「そう思いたかったんだけどね……。もう一度君に会ったら、ますます惹かれてしまった。一目惚れなんて生まれて初めてだからどうしたらいいのかわからなくて……」
 どこかあきらめたように目を伏せて笑うカミューを、彼はじっと見つめる。どう対応したものか、と悩んでいるのは明らかだった。
「……気持ち悪いって罵らないの?」
「……真剣なんだろう?」
 カミューが頷くと、
「真剣な気持ちを軽々しく否定することなどできない」
 と、ため息と共に吐き出される言葉にカミューは目を見開いた。
「それって……俺の気持ちを受け入れてくれるってこと?」
「……わからない。だが、俺も毎日何百人と見ているのに……なぜかおまえだけは印象に残った……」
 彼の告白にカミューの胸がしめつけられる。

 どうしよう……期待してしまう……。

「じゃあ……付き合ってくれる?」
 話がいきなり飛躍したカミューに彼はぎょっととしたように目を見開いた。
「なっ、そ、それとこれとは話が別だ……! 互いのことをよく知りもしないでそんな真似ができるわけないだろう! と、とりあえず友じ……」
「友人なんて無理だよ。それならいっそきっぱりと断られたほうがいい」
 カミューが彼の言葉を遮って言うと、彼はとまどったように眉を寄せた。少し泣きそうにもみえるその表情にカミューはどきっとする。彼の頬にそっと手を伸ばした。触れたとたん、彼の身体がびくっと強張る。脅えるような過敏な反応にカミューは力なく笑った。
「はっきりと拒んでくれればまだあきらめもつくのに……」
 それは嘘だ。はっきり言われたところで自分があきらめる、なんて想像もつかないのだから。
 カミューの言葉に彼は目を伏せて緩く首を振る。
「だが……俺にはわからないんだ……」
 嘘をつけない性格なのだろうか。ごまかしたり逃げようとしない彼に、カミューは卑怯だとは思いつつ、突け込むことにした。
「じゃあ、キスをしてみよう」
「え?!」
 目を見開く彼にカミューはにっこり笑う。
「それで嫌だったらやめるってことにすればいいよ」
「ちょっ、ま、待て……! そんな……っ」
 慌てる彼を内心気の毒に思いつつ、カミューはあえて無視した。彼を気遣うより、キスできる、という展開に心が踊るのを止められない。
「目を閉じて……」
 艶を含んだ瞳で見つめながら顔を寄せてくるカミューに、彼は怖いものから避けるかのようにぎゅっと目を閉じてしまった。
「好きだよ……」
 カミューは想いを込めて囁くと、自分も目を閉じ、そっと唇を重ねる。ぴくっと震える唇に征服欲を掻き立てられるが、それを必死に抑え、ゆっくり唇を離した。目を開けると真っ赤になった彼がなんともいえない顔で自分を見ていた。
「どう?」
「どうって……」
「嫌、だった?」
「……………………」
 困ったように目を逸らす彼にカミューは、ひょっとして、と思う。これは押し切れるかもしれない……。
 逸らされた視線を追って再び漆黒の瞳を捉えた。そして、膝の上に置かれている手を握る。その大きくてごつごつとしている手は紛れもなく男の手だったが、思いのほか滑らかでカミューの手を楽しませた。
「付き合って、ほしい。俺のこと、好きになってもらえるように努力するから」
「……男同士だぞ……」
 ぼそっとつぶやく彼にカミューは苦笑いする。もはやそんなことも気にならなくなっている自分がおかしいのだということはわかっているのだが。
「それについては悪いと思っているけど……。こればかりはどうすることもできないからね……」
「……俺なんかの……どこがいいんだ?」
「どこって言われると困るんだけどね。まだ君のことを全然知らないし……」
「そうだろう? やはり、そういうのは恋愛とは言わな……」
 カミューの言葉に彼は、的を得た、とばかりに説得を試みたが、
「全部、じゃだめかな?」
「っ?!」
 続けられたセリフに息を飲んだ。カミューはそんな彼を見て、少し照れたように笑う。
「一目惚れって初めてだからよくわからないけどさ、これからいろんな面を見て、どんどん好きになっていくと思うんだ」
「……どんどん嫌いになっていくかもしれないぞ?」
「それはないね」
 きっぱりと言い切ったカミューは真正面から彼の視線を捉えた。
「一方的な想いを押しつけて悪いと思っている。でも、この気持ちを大事にしたい、というのはあまりにも勝手かな……?」
「……………………」
 カミューの視線から逃れることができなかった彼は観念したようにそっとため息をつく。
「好きに……すればいい……」
 彼の言葉にカミューの顔がぱっと明るくなった。
「本当に?! ありがとう!
 絶対大事にするから! これからよろしくね」
 あまりにも無防備な笑みを浮かべて喜ぶカミューに彼は毒気が抜けたのか、わずかに苦笑を浮かべた。
「……ああ」



 そして、朝、月に何度かバス通勤するカミューの姿があった。もちろんその日の運転手は深い青の制服がよく似合う彼である。
 カミューは当然のように運転席のすぐ後ろに立ち、そっと小声で話しかけた。
「ねーねー、今度の休み、どこに行く?」
「……運転中は運転手にみだりに話しかけないでください」
 つれない恋人(なりたて)は乗客への注意事項を書いたプレートを指差す。しかし、そんなことではカミューは負けない。
「みだりって淫らに似てるよね」
 ちょっと艶を含んだ声で囁くと、帽子からのぞいた首筋が朱に染まった。
「っ! そんなばかなことを考えるのはおまえぐらいなものだ!!」
 小声のやりとりは混雑したバスの中では周りの人間に気付かれないほど些細なもの。しかし、2人には、特にカミューにとっては貴重な時間だった。
 カミューが降りるバス停にバスが止まる。カミューは名残惜しそうに彼の肩に一瞬手を置いた。本当は手を握りたいくらいなのだが、生憎彼の手はハンドルを握っている。
「じゃあいってくるね」
「ご乗車ありがとうございました」
 漆黒の瞳を細め、わずかに笑みを浮かべた彼に満足してカミューは足取りも軽くデッキを下りた。すぐ背後でドアが閉まり、バスは出発する。カミューはなんとなくその後姿を見送った。
 ……カミューは気付くよしもなかった。出発間際に彼がカミューが触れた自分の肩にそっと手を添えたことを。


 今日も平凡ではない1日が始まろうとしていた……。



 終わり




恐れ多くも「帽子企画」に提出させていただいた文です。
パラレルだし、帽子なんて存在感ないし……(汗汗)
でも久々のパラレルは楽しかったです♪
楽しい分、上手くなっているかといえば、ごめんなさいですが(爆)


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