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よしっ!! カミューは心の中でガッツポーズをした。 今日は従騎士になってから初めての部屋替えの発表の日。厳しい訓練の日々が続くため、プライベートはリラックスできるようにと比較的仲の良い者同士が同室になるらしい、という噂を聞いてからというもの、あちこちにアピールしたかいがあって、希望どおりマイクロトフとの同室となれたのだ。 「カミューと同室か」 隣で何もしらないマイクロトフが掲示板を見上げて言う。カミューはにっこりと笑った。 「そうみたいだね。よろしく、マイクロトフ」 「ああ。こちらこそ」 返ってくるのは屈託のない笑み。それはあまり他の人間に向けられることがない。カミューは優越感を覚えずにはいられなかった。 最初の印象は最悪だった。 なにもかも自分と違うマイクロトフが嫌いでたまらなかった。 穢れない彼を見ていると自分がどれだけ汚れているか思い知らされるから。 真面目な彼をみていると自分がどれだけずるい人間か思い知らされるから。 傷つけてやろうとわざと近づいた。仲良くなったふりをして裏切ってやろうと思った。 それなのに。彼の苦悩を知ったとき、彼の強く儚い心を知ったとき、いつのまにか彼に夢中になっていた。惹かれてやまなかった。 ……気がついたら恋をしていた……。 それでも最初は男相手に恋をするなんて気の迷いだ、と彼から離れて冷静になろうとした。とりあえず、あからさまに彼を避けてみた。しかし、彼の顔を盗み見たとき……いつも毅然とした彼がいまにも泣きそうに顔を歪めてるのを見てしまった瞬間に、カミューの中で敗北宣言が打ち出されたのだ。 それからは開き直って彼にべったりとくっついて歩いている。ときどきあきれた顔もされるけど、とくに拒まれないからよしとして。 日頃からそれとなく彼に想いを伝えているつもりだけれど、彼は恋愛ごとにとんと疎くて気づくそぶりもみせない。まあ男同士だし、ふざけ半分で接する自分も悪いんだろうけど。真面目な彼はからかいがいのあるタイプだし、なにより、まだ真剣に想いを伝える勇気が自分にはなかったから……。 「ねえ、マイク。ここの片づけが終わったら馬の様子を見て、街に遊びに行こうよ」 新しい部屋へ荷物を運び、それぞれ整頓してるとカミューが口を開いた。マイク、という愛称はいまのところカミューしか使っていない。それも密かな優越感。 今日は引越日のため訓練や授業は休みとなっていた。即答してくれると思ったのに、マイクロトフはちょっと手を止めて思案顔になる。 カミューはマイクロトフのほうに近づくとひょい、と顔を覗き込んだ。 「何? なんかまずいことでもあるの?」 あまりの至近距離にマイクロトフはちょっと顔を赤らめて身を引く。……もちろんカミューはわざとやっているのだが。 マイクロトフはちょっとうつむいたまま答えた。 「ちょっと……昨日の課題でわからないことがあって……」 ああ、マイクロトフらしいな、とカミューは微笑んで、 「じゃあ帰ってきたら二人で考えよう。勉強は夜でもできるけど、遊ぶのは明るいうちじゃないとね」 と言うと、マイクロトフはぱっと顔を上げて、 「そうだな」 と笑った。マイクロトフも行きたくないわけではなかったらしいことにカミューは嬉しくなる。 「そうと決まれば早く片づけよう」 「ああ」 二人は再び荷物の整理にとりかかった。 「それにしても暑くなってきたね」 「そうだな」 初夏の日差しの中をカミューとマイクロトフは厩舎に向かって歩いていた。 マチルダは寒冷地帯にあたるため夏は短く冬が長い。 「マイクは夏は好き?」 「……暑いのは苦手なんだ」 冬のほうがいい、と苦笑いするマイクロトフに、カミューは眩しいものを見るように目を細めた。 たしかに清廉な彼には真っ白な冬が似合う。 「カミューは?」 「俺は……そうだね。マチルダの夏は好きだよ。優しくて」 「優しい?」 わけがわからない、と小首を傾げるマイクロトフにカミューはちょっと笑う。 「グラスランドではね、夏は乾季にあたってて、雨はめったに降らないし、気温もマチルダよりかなり上がるから、過酷な季節なんだよ。ひどいときには死人がでたりする。 それに比べてマチルダの夏は植物たちに太陽の恵みが降り注ぐ、いい季節だと思うよ」 冬の寒さはこたえるけどね、とカミューは肩をすくめる。マイクロトフは、ああ、と納得した。 そんな過酷な条件のもと育ってきたから、見た目は華奢な部類に入ってもこんなにたくましいのか、と。 「でも、グラスランドの夏でもひとつだけ楽しみにしてたことがあった」 子供のように屈託なく笑うカミューにマイクロトフは好奇心を刺激される。 「何だ?」 「スコール」 焼けるような日差しが一瞬にして雲に隠れ、ものすごい勢いで降る雨。 それは恵みの雨であり、生き物は束の間の潤いを得て、まさに生き返る。 カミューはこの雨の激しさが好きだった。自分から何もかも洗い流して、まっさらにしてくれるような感じがしたから。 厩舎につくとそれぞれ担当している騎士の馬に近づいた。 「やあ、ライラ。今日も奇麗だね。ご機嫌はいかがかな?」 カミューはまるでレディに接するかのように華やかな笑みを浮かべて優しく話しかける。乗馬するには異性のほうが相性がいいため牝馬が多い。カミューが世話している馬も牝だった。鼻先を摺り寄せてくるので優しく撫でてやる。 ちらり、とマイクロトフのほうを見ると、彼も優しく馬の鼻先を撫でてやっていた。そのようすはすごく穏やかな雰囲気で。カミューはライラに異常なし、と即決するとマイクロトフのほうに近づいた。そんなカミューの行動に気づかないマイクロトフの背後に忍び寄ると肩越しに話しかけた。 「パトリシアも相変わらず美人だね」 「わあっっ!」 肩越し、というよりマイクロトフの耳元で息を吹きかけるように話すカミューにマイクロトフは驚いて飛び上がる。カミューはくすくす笑った。 「マイク、そんなに大声だしたらパトリシア嬢が驚くじゃないか」 「おっ、お前が……っ」 頬を赤くして耳を抑えて振り返るマイクロトフをカミューはかわいいなぁ……としみじみ思う。でも口調はからかいを含んで。 「また蹴られるよ?」 「〜〜〜〜〜〜〜!!!」 今度は顔全体に朱が散った。前にここでこの馬に蹴られそうになったことがあったのを思い出したのだろう。そのときはカミューがかばって事無きを得たが(カミューは肋骨2本折ったが)、そのあと、カミューに「キスの仕方」と称して熱烈キスをくらった場所なのだ。 この反応はキスしたことを思い出したな、とカミューはちょっと嬉しく思う。それは自分を少なからず意識している証拠のはず。 あのときはまだマイクロトフに恋をしていると自覚していなかった、いや、認めていなかった頃。気がついたら身体が勝手に動いていた。いま思えば心より身体が正直だっただけのこと。 それがきっかけで、いまの充実してる自分がいる。我ながらよくやった! と褒めてやりたいくらいだ。 「どうしたの? マイク。顔が真っ赤だよ?」 なにか思い出した? と意地悪く問うと、マイクロトフはますます赤くなる。 「う、う、う、うるさいっ! 誰のせいだ! 誰の!」 「俺のせいなの?」 しらじらしく言いながら、ひょい、と顔を覗き込むとマイクロトフは驚いたように目を見開く。その無防備な姿がまたかわいい、とカミューはご満悦だ。 「ねえ……、もう一回しようか……?」 かなり本気で囁いて顔を寄せるとマイクロトフは硬直したように動かなかった。いや、実際、理解の越えた展開に硬直していたのだが。 吐息が掠めるくらいに近づいて……あと少しで唇が触れる直前にマイクロトフは我に返ると、慌ててカミューの端正な顔を押しやった。とっさのことだったので力加減ができず、ぐきっと嫌な音がする。 「いたたっっ……」 「なっ、何をする気だっっ!」 「何って……。キス」 首をさすりながらけろっと答えるカミューにマイクロトフは顔を真っ赤にして怒鳴る。 「かっ、からかうなっていつも言ってるだろう!!」 「からかってないよ」 ふっ、と真顔になるカミューにマイクロトフの心臓がどくん、と高鳴った。まっすぐ見つめられて目がそらせない。 二人の間に緊迫した空気が流れた。 マイクロトフはカミューの突然の言葉に真意が掴めなくて混乱していた。いつものようにからかっているんだ、と思うにはカミューの顔があまりにも真剣で……。 結局、この重い沈黙に耐えられなくなったのはカミューのほうが先だった。拒絶の言葉を聞くのが怖くて……。 「……って言ったらどうする?」 にやっといつもの笑みを浮かべるカミューにマイクロトフは一瞬あっけにとられて。それから我に返る。 「カ、カミュー!! いいかげんにしろ!!」 「あはは。かわいいなぁ、マイクは。だから俺みたいなのにからかわれるんだよ」 「かっ、かわいいとか言うな!」 「そうやってムキになるところがかわいいんだよ」 余裕しゃくしゃくに言い返されて。マイクロトフは、こいつに口で勝てるわけがなかった、とあきらめのため息をついた。 唇のあいだから覗いた赤い舌がゆっくりと白いものを舐め上げるのを見て、カミューは、人がものを食べる姿ってちょっと扇情的だな、とか思う。相手がマイクロトフだからだろうか。 「どう? おいしい?」 「ああ。うまい」 マイクロトフの素直な感想にカミューはにっこり笑う。 二人は城下街にきていた。カミューが、おいしいアイスクリームのお店がある、と連れてきた店での会話だ。 「そう? よかった」 嬉しそうに笑うカミューに、マイクロトフはもうひと舐めしてから小首を傾げて問う。 「それにしても、カミューはいつのまにこんなお店を調べるんだ?」 このあいだ連れていってもらったパスタの店もうまかったし……と感心したように言うマイクロトフにカミューは 「ふふ。企業秘密」 と満足げに笑った。自分もアイスを口にする。少しして、マイクロトフがじっとこっちを見ているのに気づくと、ああ、と口を開いた。 「そうだ、マイク、一口ちょうだい。はい、交換」 「え? あ、ああ」 マイクロトフがいきなり差し出されたアイスを受け取るときに、少しほっとしたような、嬉しいような表情が浮かんだのをカミューは見逃さない。 マイクロトフがけっこう食べるのが好きで、自分がマイクロトフと違うものを食べていると味見してみたい、と思っているらしい、と気づいたのはちょっと前。言い出すのは恥ずかしい、とか思っているらしくて自分から言わなかったから気づくのが遅れた。それからというもの、自分が食べたいんだ、というふうに持ちかけてこうして交換している。……彼の嬉しそうな顔がみたいから。 ぺろり、とマイクロトフのアイスを舐めると口いっぱいに広がるバニラの香り。 間接キスじゃん、とか思ってる自分がおかしくてたまらない。そんな純情な少女のようなことを考えてるなんて。しかも、それが嬉しいなんて。 重症だね。 くすくす笑いはじめたカミューにマイクロトフが不思議そうな顔をする。 「カミュー?」 「ごめん、ごめん。なんでもないよ」 「どうせまたへんなことでも思い出していたんだろう?」 ちょっとむくれたように言うマイクロトフに、さらに笑いを誘われる。 「へんなことってどんなこと?」 「う……。そ、そのっ、いろいろだっっ!」 自ら墓穴を掘ったことに気づいたマイクロトフが顔を真っ赤にして話を打ち切ると、そのままアイスを食べることに専念しはじめる。 ああ、ほんとかわいいなぁ……と思いながら、カミューは自分の方を見ないでムキになって食べ続けるマイクロトフをじっとみた。 「あのさあ、マイク……」 「なんだ?!」 こっちを見ないままの怒ったような返事。もうすぐ食べ終わる勢いだった。それが自分の次のセリフでどういうリアクションをとるのかとても楽しみだ、とカミューはにやり、と笑う。 「それ、俺のなんだけど?」 「!!!」 とたん、硬直するマイクロトフにカミューはたまらず爆笑した。マイクロトフは2、3回口をぱくぱくさせると、しょんぼりとうなだれて小声でつぶやいた。 「……すまない」 その様子は、怒られて耳を垂らした小犬のようで。カミューは、いじめすぎたかな? と、わざと食べ終わる頃に声をかけた自分の性格の悪さに苦笑いする。 「気にしてないよ。マイクに食べさせたくて連れてきたんだから。こっちも食べるかい?」 と、本来マイクロトフの分である、自分の手の中にあるアイスを差し出す。マイクロトフはうなだれたまま力なく頭を振った。 「よかったらカミューが食べてくれ……」 「でも、マイクはこっちが食べたいから注文したんだろう? だったら最後まで食べてあげなきゃ」 ね? と、カミューができるだけ優しく言うとマイクロトフは顔を上げて、 「しかし……それではカミューが……」 と、心底申し訳なさそうに答えてくる。カミューは、あと一息、と、にこりと笑いかけた。 「それに、さっきの食べかたで味がわかったのかい?」 「う、うまかったぞ」 「もっと味わって食べてほしかったな」 「う……。しかし……」 「じゃあ最後に一口もらうからさ」 ぺろり、と溶けかけてた部分を舐めとると、はい、と渡す。条件反射的に受け取ってしまったマイクロトフは困ったようにカミューの顔をみていたが、カミューが頬杖をついて促すようににこにこと笑っていると、小声で「すまない……」と、もう一度謝ってアイスを食べはじめた。 さきほどの怒りにまかせてがつがつ食べていたのとは正反対にしおらしく食べている様子に、カミューは満足げに目を細める。 怒らせて、悲しませて、喜ばせて。 いろんな顔がみたくて、あれこれ計算して作戦立ててちょっかいだして。 どんな表情でも残らず見せてほしい。他のヤツらには見せないでほしい。 こんなひねくれたヤツに好かれるなんてほんとに運が悪いよね。 でも……。 「なんだ?」 気がつくとマイクロトフを凝視していたらしい。マイクロトフが居心地悪そうにこっちを見ていた。 「なんでもないよ。おいしそうに食べるなぁって思っただけ」 くすくす。 ……離さないから。 店を出るとだいぶ日が傾いていた。結局、あのあと、喉が渇いたとジュースを追加したりしているうちに、マイクロトフが頭を悩ませてる課題の話になってその場で討論がはじまり、すっかり長居をしてしまった。 それはそれで有意義で楽しい時間だったのだけれども。 「そろそろ門限だね」 本当はまだ連れて行きたいところがあったのに、とカミューは残念そうに言った。そのすねたような物言いにマイクロトフはちょっと笑う。 「じゃあまたあとで来よう」 あっさりと紡がれた言葉にカミューは一瞬目を見開き、次いでふわり、と笑った。 「うん。絶対だよ、マイク」 他意はないのだろうけど。彼の一言に自分はこんなに喜んでしまう。 カミューはくすぐったいような幸福感に包まれた。 「じゃあ帰ろう」 「ああ」 二人で並んで歩き出すと、ぽつり、と頭に冷たいものが落ちた。二人同時に「?」と顔を上げると、ざあっとすごい勢いで雨が降りだす。日差しがさしたままの天気雨だった。 「うわっ」 「夕立だ!」 周りの人々が慌てて走り去る中、カミューはふと故郷の匂いがする気がして全身に雨を浴びるように天を仰いだ。故郷で降る雨よりは激しくないけれど、それでも夏の雨にはかわりない。スコールと違って、雨と日差しを同時に浴びられるのが不思議な感覚だった。 「カミュー! 何してるんだ?! 早く雨やどりしよう!」 「もう遅いよ、マイク。暑いからちょうどいいじゃないか。濡れて帰ろう」 にっこりと笑ったカミューがとても嬉しそうで……。マイクロトフは思わず口を噤む。 この土地ではめずらしい、カミューの亜麻色の髪がみるみる間に濡れて、深い大地の色に変わるのが奇麗だと思った。 「マイクは雨の中、歩いたことある?」 カミューの問いにマイクロトフは我に返る。いつのまにか見惚れていたらしい。 「いや……。こんな大雨の中はない……」 「だったら、何事も体験! さあ、行こう」 ぐいっと強い力で腕を引かれて、バランスを崩しそうになったマイクロトフがたたらを踏むと、カミューに抱きとめられる。頭上から降りてくるくすくす笑う声に文句のひとつでも言ってやろうと顔を上げると、子供のように屈託なく笑うカミューの瞳とぶつかった。透きとおるような琥珀色の瞳が、雨に濡れて潤み、煌いている。 それは息を呑むほど美しくて。マイクロトフは動けなくなってしまう。 そんなマイクロトフに、カミューもまた魅了されていた。 濡れて艶を帯びる黒髪。雨なのか、自分から伝ったのか、わからない雫が次々とマイクロトフの白い頬に落ち、流れ、首筋を伝っていく。そして自分を見上げる黒曜石のような無垢な瞳。 まるで魔法をかけられているみたいだ……。 うっとりとマイクロトフの顔をみつめていると、 「わっ」 ぽたり、とひときわ大きな雫がマイクロトフの目を直撃した。はずみで瞳が閉じられた瞬間、カミューの呪縛が解ける。ふわり、とマイクロトフの瞼に暖かいものが一瞬触れてすぐ離れた。目を開けたマイクロトフは何が起こったかわからず、きょとんと目をしばたいていたが、間近で覗き込むカミューの、悪戯っぽく笑う瞳を見て事態を把握した。 「カッ、カミュー!!」 瞬時に顔を朱に染めて怒鳴るマイクロトフに、カミューは抱きしめていた手を離し、あはは、と笑いながら逃げ出す。 「なっ、なんてことをするんだ! お前は!!」 「大丈夫。こんなどしゃぶりじゃ、誰も見てないよ」 悪びれず、手をひらひらさせるカミューにマイクロトフも駆け出した。 「みっ、見てる、とかそういう問題じゃないだろ!!」 ばしゃばしゃと水を撥ね上げて追いかけてくるマイクロトフに、たまには彼に追いかけられるのもいいね、とカミューは心の中で笑った。 雨が上がったら虹ができるだろう……。 おわり |