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マイクロトフはベッドの上に上半身を起こした格好で頭を抱えていた。べつに頭痛がするわけではない。今の状況に自己嫌悪に陥っているのだ。 しばし瞠目して、相手への悪態と拒みきれなかった自分への反省をひととおり終えると、気持ちを切り替えるように頭をひとつ振り、ベッドを降りようとする。と、腰に何か絡みついていた。 それは隣でまだ夢の中にいる少年の腕。 マイクロトフはため息を吐くとその腕をはずしにかかる。成長期が終わろうとしている彼の腕は成人男性のもののように骨ががっしりとし、筋肉も固くなり、自分とそれほど大差ないものになりつつあった。それに気付き、マイクロトフは妙な感慨に陥る。初めてこの腕に触れた頃はまだ少年特有の柔らかい筋肉で覆われていたというのに。 そんなことを思いつつ甘い戒めから脱出すると、無意識のうちに眠りを妨げないようにそっと触れていた自分に気付き、苦笑が漏れた。本当は彼も起こしてしまったほうがいい時間なのに。それでもぎりぎりまで寝かせておいてやろうと思うのは、寝ている姿があまりにも気持ち良さそうだからか。 どうせ起こしたところで風呂にはひとりずつしか入られない。放っておけばそのうち起きるだろう。 「まったく……」 そのつぶやきは、まったく起きる気配のない彼に対してなのか、言い訳めいたことを考えてまで甘やかしてしまう自分へのものなのか、マイクロトフ自身もわからなかった……。 だが、マイクロトフがシャワーを浴びてきてもまったく動いていなかった塊にはさすがにのんびりと構えていられなかった。 「カミュー、起きろ! 遅刻するぞ!!」 マイクロトフは大きな声で名を呼びながら、布団からはみ出ている剥き出しの肩に手をかけ、ゆさゆさと乱暴に揺すった。 すると、 「うーん、今日は休む……」 布団の中から寝ぼけた声が返ってくる。寝汚いのはいつものことで、マイクロトフはすかさず一喝した。 「馬鹿者! そんなことをしたら別れると言ってるだろう!!」 「あああ、いや、嘘です。起きます……」 と、少々慌てた声とともに、もそもそと動く気配がし、布団からようやく顔が覗く。マイクロトフはやれやれといったふうに一息つくと、タオルを差し出した。 「おはよう。時間がないぞ。とっととシャワーを浴びてこい」 カミューは手を伸ばしたが、それはタオルではなくマイクロトフの腕を掴む。 「おはよう……。ねえ、ちゅーして?」 「は?」 「俺が低血圧なのは知ってるでしょ? ちゅーしてくれないと気合いが入らなくて動けない」 「………………」 マイクロトフはしばしの間、睨みつけたが相手が引きそうにないことを知ると、軽くため息を吐いて身を屈めた。軽く唇を触れ合わせる。寝起きの唇は少し熱かった。 「ほら。これでいいだろう。さっさと起きろ」 「もっと熱烈なやつ〜」 「調子に乗るな!」 マイクロトフは26歳。ロックアクス高校の生物教師である。そして、カミューは17歳。同じロックアクスに通う高校2年生だ。 2人の関係はカミューの一目惚れからはじまった。 入学式の日。カミューは式がはじまるまでの時間をぶらぶらと散策してつぶしていた。そのときに桜の木の下に佇んでいたその姿に恋に落ちたのだと彼は言う。 告白したのは入学してから一ヵ月ほど経ってからだった。その間は勘違いではないかと自問自答を繰り返していたのだ。なにせ、相手は教師、しかも男だったのだから。だが、一ヵ月経っても冷めるどころかますます募る想いに耐えきれなくなって、カミューはマイクロトフに告白した。 最初、マイクロトフは相手にしなかった。 それはそうだろう。相手は生徒、しかも男なのだから。からかうのはよせ、と軽くあしらおうとして、失敗すると、今度は、勘違いだ、と説得しにかかった。親愛の感情を恋だと勘違いしているのだと。だが、それでも引かないカミューに、心底困り果てたようだった。相手が生徒だけにきつく突き放すこともできない。とまどっているマイクロトフにカミューは何度もアタックを試みた。そうこうしているうちにマイクロトフがカミューの家庭の事情を偶然知ることとなる。カミューはその家の養子で、家族とあまりうまくいっていなかったのだ。カミューは、明らかに動揺しているマイクロトフの態度に気付き、その優しさにつけこむかたちで恋人という地位を強引に得た。同情でもかまわないと思った。それが夏休みの終わりのことである。 付き合いがはじまるとカミューはあまり家に帰りたがらず、マイクロトフのアパートに入り浸るようになった。マイクロトフも事情を知ってしまった以上、そのへんはうるさく言わなかったのだが、外泊は許さなかったため、夕食を食べてしばらくくつろぐと、そろそろ帰れ、と促す。カミューは拗ねたような素振りを見せつつも帰るしかなかった。 初めて肌を重ねたのはクリスマスイブの夜。次の日、気付けば受け身になっていたマイクロトフがカミューの年に似合わないほどの手際の良さを真っ赤になって責めたのは余談である。 だが、一線を越えてからというもの、カミューは隙あらばすぐ身体を求めてくるようになった。マイクロトフは辟易し、そういうのは週末だけ、という決まりを言い渡した。こうして互いに都合のつく週末は(といってもほぼ毎週だが)共に過ごすようになったのだが。マイクロトフにしてみれば、ほぼ毎週末外泊させているのもカミューの両親に対して心苦しく思っているのに(しかも関係が関係だ)、カミューは平日を禁じられたことが不満で仕方がないらしい。 カミューがシャワーを浴びてる間にマイクロトフは簡単に朝食の準備をした。今からご飯を炊いていたのでは間に合わないためパンを焼く。ひとつのフライパンで目玉焼きとベーコンを焼こうとして失敗したのでそのままスクランブルエッグとなった。野菜室に残っていた野菜を適当に皿に盛り、簡易サラダとする。スープはインスタントで間に合わせることにした。 それらをテーブルに並べているとようやくカミューが姿を見せる。まだ髪から雫が垂れる状態なので制服ではなく、マイクロトフの部屋に置きっぱなしにしてあるTシャツとパンツを身に着けていた。 向かい側に座ったカミューは「いただきます」と緩慢な動きで手を合わせると、スープに口をつける。だが、まだ寝ぼけている脳には思っていたより熱かったのだろう。少し顔をしかめてカップを置くカミューにマイクロトフは小言めいた口調で言った。 「だいたい、平日はだめだと言っただろう」 恋人としての行為は週末に限定している。それなのに、昨夜、カミューは強引にコトに及んだのだ。 「だって。先生があんまり可愛いことするから……」 カミューが悪びれることなく肩をすくめて応えると、マイクロトフは口にしていたスープを吐き出しそうになり、激しく咽る。 昨夜、いつものように夕食を食べた2人だったが、カミューが突然膝枕をしてくれとせがんできた。マイクロトフはそんな恥ずかしい真似ができるか、と拒んだが、カミューの押しには弱く、根負けして膝枕する羽目となった。カミューは疲れていたのか、うとうととしはじめ、程なく寝息に変わる。髪を梳いていたマイクロトフは、その、まだ少年っぽさが残る寝顔に、普段は大人びていて、ベッドの上では主導権を握っている彼だが、こうして寝ていると17歳の少年にすぎないのだと思うとなんとなく微笑ましい気持ちになり、ごく自然に唇を寄せていた。 そして目を開けると目の前で琥珀色の瞳が自分を見ていたのだ……。 「なっ……! と、年上に向かって可愛いとか言うな!」 「年なんか関係ないじゃん。可愛いもんは可愛いんだよ」 寝ている俺にキスするなんて。 カミューは大人びた表情で目を細めると、パンに齧りついた。マイクロトフは反論しようと口を開きかけたが、何を言っても無駄だと思ったのか憮然とした表情でレタスにフォークを刺す。 「だいたい今月に入ってもう二度目だぞ。親御さんに心配をかけるような真似は……」 「あの人たちが心配するわけないだろう。むしろ、帰ってこなくてほっとしてるさ」 冷たい物言いにマイクロトフは気まずそうに口を噤む。それを察したカミューが、 「しかも、泊まり先は学校の先生だしね」 と、からかうように片目を瞑ってみせる。昨夜のことを思い出してマイクロトフは赤面した。 服をはだけられ、後ろからカミューが覆いかぶさってきた状態でカミューの家に電話をさせられたのだ。それは、もう引けないところまで煽られたマイクロトフが、泊まるなら家に電話しろ、と口うるさく言ったことへの意趣返しだった。のしかかった体勢で電話を手にしたカミューは感情のこもらない声で簡単に先生のところに泊まる旨を伝えると、マイクロトフに電話を手渡した。必死に平静を保とうとして話しているのに、カミューはおかまいなしに悪戯をしかけてくる。肩甲骨の敏感なところを吸われたときには声を上げそうになった。まさか、電話の向こうでそんなことが行なわれているとは、こんな関係になっているとは思いもしないだろう。 そこまで考えて、常につきまとう背徳感がまたマイクロトフを襲った。教師と生徒がこんな関係、許されるはずがない。どうしてもどこか後ろめたい気持ちは消えることはなかった。 黙り込んだマイクロトフの表情の変化を敏感に感じ取ったカミューは、一瞬痛みをこらえるように眉を寄せたが、すぐ消し去ると、 「先生! 急がないと遅刻だよ!」 と、勢い良く立ち上がった。 その日もやはりカミューはマイクロトフのアパートを訪ねてきた。マイクロトフが「今日はだめだぞ」と言うと、「わかっているよ」とカミューが笑う。 2人で準備した夕食を向かい合って食べていた。 「カミュー、今日は進路希望の提出期限だったろう?」 まだ提出していないのはおまえだけだと担任の先生が言っていた、とマイクロトフが言う。ご飯を頬張っていたカミューは咀嚼しながら頷いた。口の中が空になると口を開く。 「ああ、うん。前に就職って出したんだけどさ。考え直せって戻された」 「それはそうだろう。大学には行ったほうがいい。おまえの成績なら奨学制度も受けられるだろうしな」 カミューは学年でもトップクラスの成績を誇る。しかも、本気で勉強していないことはマイクロトフにはわかっていた。常日頃から、高校を出たら一人立ちしたい、と言っているが、奨学金をもらえるようになれば、バイトすればなんとか実現できるだろう。 だが、カミューは首を横に振る。 「やだよ、大学なんて。先生との結婚が4年も遠退くじゃないか」 「……おまえが行ったほうがいいのは大学じゃなくて病院か」 呆れたように言うマイクロトフにカミューはムッとしたように箸をテーブルに置いた。 「なんだよ、人が真剣に話しているのに!」 「男同士で結婚などとほざくどこが真剣なんだ!」 マイクロトフが怒鳴り返すとカミューはふっと表情を改める。 「結婚って戸籍上のことだけのもの?」 「え?」 「ずっと一緒にいようって誓って、一緒に暮らすことは結婚って言わないのかな?」 「カミュー……」 「法律なんて関係ない。戸籍上なんてどうでもいい。大事なのは二人の気持ちでしょ?」 違うかな、と痛いほど真剣な眼差しを向けられてマイクロトフは視線を逸らした。 「おまえはまだそんなことを考える歳ではない」 「先生!」 責めるように呼ぶカミューを避けるようにマイクロトフは食べ終わった食器を片付けはじめた。何か言いたげなカミューの視線を背後に感じながら食器を洗う。 わかっている。 逃げているのは自分だと。 だが、カミューはまだ高校生で、人生はこれからはじまるといってもいい。これから様々な出会いが待っているだろう。その出会いの中に運命の相手がいないとどうして言える? 今の気持ちが真剣であるのはわかるが、それが続くという保証はどこにあるというのだ。思春期の恋慕など、一過性の熱病のようなものではないか……。 カミューと別れるのが怖い。カミューの気持ちが冷めてしまうのが怖いのだ…… はまってしまったのは自分の方だった。最初はがむしゃらに求めてくるカミューに押し切られるようにはじまった関係。だが、すぐカミューに惹かれ、夢中になった。歳の差なんて関係ない。教師と生徒という関係も何の意味もない。カミュー、という男を愛しいと思ってしまったのだから……。 このままでは別れ話を切り出されたとき、冷静を保てるかわからない。みっともないところなど見せられないのに……。 「先生」 物思いに沈んでいると、背後から腕が回った。ぎく、と身体を強張らせるマイクロトフの耳元にカミューは唇を寄せる。 「ごめん……。困らせるようなこと言って……」 出会った頃は20センチ近く身長差があったのに、今はさほど変わらない背丈になった。マイクロトフはカミューの成長を改めて感じながら、どう応えたものか答えを探す。その沈黙をどう捉えたのか、カミューは懺悔するように言葉を重ねた。 「俺、焦っているんだ……。早く先生と同等に並べるようになりたくて」 カミューの告白にマイクロトフは目を見開く。カミューが自分が年上であることに不安を感じているとは思わなかった。いつも対等に接してきていたのは、彼なりに背伸びをしていたのか。 「早く大人になりたいよ……」 わずかに震える声で告げるカミューに、マイクロトフは言いようのない愛しさが込み上げてくるのを感じる。2人がそれぞれに不安を感じているなら、きっと大丈夫。それは、まだまだ互いに歩み寄れるということだから……。 「……焦る必要はないだろう」 「焦るよ。先生が俺に呆れて愛想を尽かされないかって思うと、すごく怖い」 宥めるように言っても腕に力を込めて背中に頬を押し当ててくる。マイクロトフの顔にようやく笑みが浮かんだ。 「……馬鹿だな」 マイクロトフは泡のついた手をカミューの手にそっと重ねる。 これから話し合わなくてはいけないことが山ほどあるというのに。でも、それは焦らなくていい。ゆっくりと時間をかけて解決していこう……。 夕飯の後片付けが終わると、2人は並んで床に座り、ソファに背中を預けて、テレビを見ていた。2人の間にはしっかりと握られた手がある。最初は、恥ずかしい、と嫌がっていたマイクロトフだったが、一度繋いでしまうと振り解こうとはしなかった。 「俺、ホストになろうかな」 カミューがテレビの内容に触発されてぽつりと言う。 「だめだ」 即答するマイクロトフにカミューは、予想してたけど、とおかしく思いながらマイクロトフの顔を見た。 「なんで? むいてると思うけど。ナンバーワンになって先生を養ってあげるよ」 テレビではホストたちの華やかな生活が紹介されている。サラリーマンや公務員には一生縁がない世界だろう。 「あのな……。むいているのはわかる。だが、だめだ」 「どうして?」 問い詰めるカミューにマイクロトフはぷい、と横を向いた。しかし、じーっと見つめる視線に負けてヤケになったように応える。 「……おまえが、仕事とはいえ、他の人にべたべたするのが嫌なんだ!!」 マイクロトフのセリフにカミューは、ぽかん、と口を開けた。頭の中で反芻し、惚けたようにつぶやく。 「うわー……。先生、可愛い……」 「可愛いって言うなって……んっ」 マイクロトフの抗議の声はカミューの唇の中に消えた……。 そのままなし崩しに肌を重ね、ベッドに移動してもう一度愛を交わしたあと、マイクロトフは思い出したように話を蒸し返した。 「そういえば、どうしてそんなに大学に行くのを嫌がっているんだ?」 「だって、俺が大学に行ったらさ、卒業するとき、先生、31歳だよ?」 カミューの言葉にマイクロトフの表情が凍りついた。 おわり |