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マイクロトフは書類に署名を記すとペンを置いた。長い間、座りっぱなしだったので身体のあちこちが痛い。うーっと両手を上に伸ばし、背伸びをした。書類ができあがるのを待っていた元・マチルダ騎士団青騎士副団長がその様子をみて、にやりと笑う。 「まあこんなところでいいだろう。一息つくといい」 尊大な言い方だが、こちらの方が年上だし、昔からこういう物言いなので、マイクロトフも気にしていない。やっとお許しがでたか、と肩をすくめた。 「ああ。そうさせてもらう」 もうこりごりだ、といった表情に、副団長は 「これに懲りたら書類整理から毎日逃げないことだな」 と人の悪い笑みを浮かべる。マイクロトフは苦笑いを返すしかなかった。 最近、剣の稽古をつけてもらえるのが楽しくて、ついついそちらにばかり夢中になっていた。ここ、同盟軍には自分など足元にも及ばない剣士がたくさんいた。マチルダではカミューとこのやり手の副団長、そして赤騎士の副団長ぐらいしか対等に剣を交える相手はいなかったのだが、3人ともあまりすすんで剣を振るうタイプではなく、マイクロトフは多少の不満を感じずにはいられなかった。それがここに来て一気に解消されたのだから、もともと苦手としてたデスクワークを避けていたのは自業自得としかいいようがない。 副団長が書類を手に部屋を出ていくと、マイクロトフは机の上の時計をみた。 もうすぐお茶の時間。 マチルダにいたときからの習慣。勤務中に二人で過ごせる貴重な時間。職権乱用と言われるかもしれないが、マイクロトフはよほどの急用がないかぎりこの時間を大事にしてきた。 マイクロトフは時間がくるまでぼーっとしていようと椅子から立ち上がると窓際に寄った。そして外を眺めると、下のほうで茶色い物体が動いたのが目に入った。 なんだ? 最初はむささびファイブの誰かかと思ったが違うらしい。マイクロトフは目をこらした。そして、正体がわかるとすごい勢いで部屋をとびだした。 コンコン。 ガチャッ。 「マーイク。仕事一段落ついた?」 しーん……。 カミューがドアの隙間からひょっこり顔を出すと、そこはもぬけのからだった。 「あれ? マイク?」 首を傾げて部屋に入り、周りを見回しても人影はみつからない。まさか自分じゃあるまいし、と思いつつ机の下をひょい、と覗いてみてがやはりいなかった。 「……どこいったんだ?」 マイクロトフは普段の行儀の良さはどこへやら。どたどたと勢いよく階段を駆け降り、廊下を全力疾走して目的地へ向かっていた。周りの人間は「何事か?」と呆然と見送っていたが、それに気づくふうもない。 そして外に出ると自分の執務室から見えた場所に向かう。 いた! 茶色い物体を確認するとマイクロトフは足を止めた。そこにいたのは生まれて2ヶ月くらいだろうか、小さい小犬。 ころころと丸い身体は全身が茶色だが、お腹のほうは白かった。手足の先も白くて、耳の先が前のほうに垂れている。つぶらな黒い瞳がとても愛らしい。小さな尻尾は濃い茶色で黒が多少まじっており、くるんと上のほうにカーブしていて、毛先はやはり白かった。 ここまで駆けてきた勢いで傍にいったら驚いてたちまち逃げ出してしまうだろう。マイクロトフは呼吸を整えるようにゆっくり息を吸い、そっと近づきはじめた。小犬もマイクロトフに気づいていてじっと彼を見てる。 逃げてしまうかな…… たぶん野良犬がどこからか迷い込んできたのだろう。野良犬は警戒心が強いからこれ以上は危険だ、という距離まで近づけば逃げ出してしまう。ある程度近づいていくと小犬が近づいた分だけ下がりはじめた。どうやら警戒区域内に入ってしまったらしい。マイクロトフは仕方なく足を止めた。 それでも、マイクロトフはこんなに可愛い姿を近くで見られた、というだけでもよかった。 本来、動物好きだが、なかでも人懐っこい犬が特に好きだった。家で飼っていた大型犬ももちろん大好きだったが、こんな小犬も可愛くてたまらない。 マイクロトフはだめでもともとと、しゃがんで片手を差し出した。 「おいで」 すると小犬はきょとんと首を傾げたが、すぐとっとっとと駆け寄ってきて、マイクロトフの手をぺろりと舐めた。 マイクロトフは思ってもみなかった小犬の行動に一瞬びっくりしたが、すぐ目を細めると小さな頭をそっと撫でた。小犬はちょこんと座り、おとなしくされるがままになっている。 野良犬がそんなに人懐っこいわけがない。……となれば、 「ハラが減っているのか?」 と優しく問う。自分をじっと見上げる瞳が肯定してるようで、マイクロトフは急いで考えをめぐらした。 食べ物、食べ物…………そうだ!! 考えついてマイクロトフはがばっと立ち上がった。その動きにびくっと身を震わせた小犬に慌てて謝る。 「すまない。驚かせてしまったな。 すぐ戻るから待っててくれ」 犬に話してもしょうがないのだが、マイクロトフは「すぐ戻るから」ともう一度言うともときた道をまた全力疾走していった。 さて、マイクロトフの執務室では途方に暮れているカミューがいた。待てど暮らせど待ち人は来ない。 どこに行ったんだ? マイクは…… 一日の約半分を占める執務時間中に、ゆっくり二人っきりになれるこの時間はとても大切にしてるのに。てっきりマイクロトフもそうだと思っていたのに。 カミューはちょっと寂しくなってため息をついた。 自分だけがどんどん好きになっていく。自分ばかりが夢中になっていく。 わかっていたけどね…… あの純白な心はきっと何色にも染まらない。自分にも他の誰にも。 それとも……誰かできたのだろうか。自分との時間を投げ打ってでも夢中になる相手が。 ずきり、と胸が痛んだ。 自分以外の誰かといるなんて。自分を見てくれなくなるなんて。 狂う。きっと狂ってしまう。 バタンッ! 「カミュー!!」 大音響とともにドアが開き、息を切らせたマイクロトフが入ってきた。カミューはその勢いに驚きながらも、ソファーから立ち上がる。 「マ、マイク! 今までどこにいってたんだい?」 「カミュー! 今日の茶菓子はなんだ?!」 カミューの問いに答えもせず、詰め寄るマイクロトフにカミューは思わず迫力負けする。 「え? ええと、グリンヒルのクッキーだけど……」 「そうか! すまない、もらっていくぞ!」 「えっ?!」 カミューの返事も待たずにマイクロトフはテーブルの上に置かれたかわいらしい包みに手を伸ばす。そして大事そうに持つと、回れ右をしてまた外に向かう。 「ちょっ、マイク!! いったい何が……」 呼び止めようとしてもマイクロトフは止まるそぶりもみせない。カミューは慌てて追うことにした。 どたどたと。またもや勢いよく走るマイクロトフのあとに、今度はカミューが続くという奇妙な光景に周りの人間はきょとんと見送っていた。 先ほどの場所に戻ると、小犬はまだそこにいた。 マイクロトフはぱっと顔を輝かせて、近づいていく。向こうも小さな尻尾を振って歓迎してくれているようだ。 「ほら。お菓子だ」 本当は人間の食べ物をそのまま食べさせるのはよくないのだが、少しだから、と心の中で言い訳しながら菓子を持った手を軽く掲げる。すると中味がわかったのか小犬が走り寄ってきた。マイクロトフは相好を崩してしゃがみ込んで小犬が到着するのを待つ。袋を開け、中からクッキーを1枚取り出した。ちぎれんばかりに尻尾を振る小犬。そこにカミューがようやく追いついた。 しゃがみこんでるマイクロトフの後ろから肩越しに覗き込む。 「小犬か……!」 「ああ。可愛いだろう?」 満面の笑みを浮かべてクッキーを食べさせるマイクロトフ。小犬はよほどお腹が空いていたのかがつがつ食べていた。 「確かに可愛いね……」 しかし、犬に俺は負けたのか……と少なからずショックを受けるカミュー。確かにマイクロトフの動物好き、特に犬好きは知っていたが、こうまで夢中になられると……。 カミューがため息をつくとマイクロトフが振り返った。 「なんだ? そんなに食べたかったのか? ほら」 マイクロトフは犬にあげていた手の逆の手でクッキーをつまむとカミューに口元に持っていった。カミューは、違うんだけど……と思いつつ、これはこれでおいしいと素直にクッキーにぱくついた。……マイクロトフの指ごと。慌てて引き抜こうとした指をぺろりと舐め上げた。 「っっ! カ、カミュー!」 瞬時に真っ赤になるマイクロトフににやり、と笑いかけて 「ごめん、ごめん。あんまりおいしそうだったから、つい」 と澄まし顔でクッキーを咀嚼する。マイクロトフは何か言おうと口をぱくぱくさせていたが言葉がでてこないらしく、あきらめて仏頂面をよそおった。……頬が赤いままではあまり効果がなかったが。 小犬なんかより100倍かわいい…… カミューはうっとりとその顔を見つめる。と、視界の隅で何か茶色い物体が動いた。そちらに視線をうつすと、クッキーを食べ終わった小犬がマイクロトフの手を一生懸命かじっている。 「……ねえ、マイク……犬が噛んでるよ?」 マイクを噛んでいいのは俺だけだっ、とカミューが引き離そうとすると、マイクロトフは笑ってそれを制した。 「ああ、甘えてるだけだから。全然痛くない」 好きにさせておけ、と言ったその顔は慈しみにあふれていて。カミューはちょっとおもしろくない。 マイクに甘えていいのは俺だけだっ、と心の中で思ったりしてみたり。でもさすがそれを口にするのは大人げないと思い、自分もマイクロトフの隣にしゃがみ込んだ。小犬は何回も角度を変えてあむあむと甘噛みを繰り返している。その様子は確かに愛らしい。マイクロトフも頬が緩みっぱなしで、もう片方の手で頭をぐりぐり撫でている。 「ほんとに痛くないの?」 「ああ。このくらいの時期だと『敵』を認識する意識もそう強くないからな。本気で噛んだりはしないんだ」 「ふうん……。 可愛いね」 「ああ」 「野良犬かな?」 「……たぶんな」 「城主殿にお願いしてみようか。飼ってもいいかって」 カミューが言うとマイクロトフがぱっと嬉しそうな顔を上げた。その表情にカミューも自然と微笑みが浮かぶ。 「俺が聞いてみるよ。こんなに人懐っこいし、子供たちも喜ぶだろう」 カミューはそう言って小犬の頭を撫でようと手を伸ばした。 がぶっ ……………………。 どうやら俺は『敵』らしい…… おしまい。 |