〜君が居れば〜




 たとえば。
 とても空腹なときに目の前に自分の好物が出てきたら。それを口にしないでいることができる人間はどのくらいいるだろうか。食べてしまったら、自分だけが悪いのだろうか……? 餓えている人間の目の前に、食べて、と言わんばかりに無防備に出てきた料理にはなんの罪もない、と言い切れるであろうか……?
 そう。たとえば、今の自分たちのように……。

 誘惑に負けたカミューへの報復は
「なっ、何をする?!!」
 という怒号と、顔面への強烈な一撃だった……。


 避ける間もなく食らったパンチは目から星が出るほど痛かった。カミューは殴られた頬を抑えながら目の前の少年を見る。
 艶のある漆黒の髪、意志の強そうな漆黒の瞳。雪国独特の白い肌。すらりとした身体にはようやく筋肉がつきはじめ、ようやく少年から青年へと成長しつつある。
 昨日までは、いや、つい一瞬前までは親友として隣に並んでいたマイクロトフ。
 その彼が全身で怒りを露わにし、自分を睨みつけていた。
「な、に、を考えている……?!」
 マイクロトフが唇をごしごしと乱暴に手の甲で拭うのを見て、カミューは少し悲しくなる。自分が触れたのはそんなに汚いことだったろうか。
「なにって……したかったんだ……」
 ぽつん、と応えるカミューにマイクロトフは目を見開いたが、それは一瞬のことで、またもきつく睨みつけてきた。
「したかっただと?! ふざけるな!!」
「ふざけてない! おまえが好きなんだ!」
 怒鳴るマイクロトフにカミューは負けじと言い返す。ずっと心に封印していた想いを口にしてしまっていた。
「っ!
 おまえはおかしい! こ、こういうことは女性とするものだ!」
 マイクロトフの主張はもっともだったが、カミューとてそれを簡単に認めるわけにはいかない。自分の想いを受け入れてくれとは言わない。だが、真剣な想いそのものを頭から否定されるのはあまりに辛かった。
「女性と、じゃない。好きな人と、だ」
「俺はおまえが好きじゃない!!」
 マイクロトフは反射的に叫んでから、ハッとしたように口を噤んだ。カミューの表情は変わらなかったが、瞳が明らかに傷ついている。
「い、いや、もちろん、友としては申し分ないくらい、好き……だ。だ、だが、恋愛の対象として見たことはない……」
 マイクロトフにしてみれば、初めての口付けが好きでもない人と、しかも同性、さらに親友と、だなんてあまりにもショックなことだった。いろんな感情が渦巻いて、カミューを責めなければあまりにも自分がみじめに思えたのだ。
 普段のカミューだったらそんなマイクロトフの心情に気付いたかもしれない。カミューは、口下手でなかなか思うように言葉を紡げないマイクロトフの、いちばんの良き理解者だったのだから。しかし、今のカミューには無理なことだった。
 カミューは真剣な表情でマイクロトフの瞳を捉えるとゆっくりと口を開く。
「俺が男だからってことだけで頭ごなしに否定するのはやめてほしい。一人の人間として、見てよ」
「そんなこと……できない……」
 痛いほど真っ直ぐな視線から逃れるように、マイクロトフは目を逸らした。冷静になっていろいろ考えたいのに、カミューがその隙を与えてくれないことに少し苛立ってくる。しかし、カミューはそんなマイクロトフに気付かず、さらに追い詰めるようなことを言ってきた。
「どうしてできないの? 好きになったのがたまたま男だっただけじゃないか」
「そんなのおかしい!!」
 ついに自分の心情を持て余し、癇癪を起こしたように叫ぶマイクロトフに、カミューも瞬時にカッとなる。
「なんだと、この頑固者!!」
「なんだと?!! 元はと言えば、おまえが変なことばかり言ってくるから悪いんだ!!」
「変なことってなんだよ! 俺は真剣なんだ!!」
「うるさい、うるさい!!」
 マイクロトフはこれ以上聞きたくない、というように目を閉じ、耳を塞いだ。そのあんまりな態度にカミューの中で何かが切れる。目を瞑っているのをいいことに、ずいっと1歩詰め寄ると両手で頬を挟み、噛みつくように唇を重ねた。マイクロトフがぎょっとして目を開くと、こちらを睨むように見ているカミューの顔のアップがある。慌てて、どん、と突き飛ばした。よろけながらも、ざまあみろ、というふうに舌を出すカミューに、マイクロトフの頭に血がのぼる。
「カ、カミュー!! い、一度ならず、2度までも!!」
「ふん。おまえがわからずやだからだ」
「わからずやはおまえだろう!! 俺はわからないって言ってるんだ!!」
「わからないんじゃなくて、考えないんだろう!! だいたい、口より先に手が出る癖、なんとかしたらどうだ?!」
 もはや、論点は完全にずれ、子供の喧嘩レベルだったが、本人たちにそれに気付く余裕はない。ぎゃんぎゃんと怒鳴り合っているうちに、やはりマイクロトフのほうが先に言葉に尽きてきた。口達者なカミューと言い合いで勝てるはずがない。マイクロトフは悔し紛れに「おまえとは絶交だ!!」と捨て台詞を吐いて部屋を飛び出していった。残されたカミューは激情のままにドアを蹴りつける。しかし、分厚い木製のドアはとても頑丈で、カミューの足を痺れさせただけだった。カミューは苛立ちと痛みに、くそっ、と毒づく。
「なんなんだよ、いったい……」
 こんなはずじゃなかったのに、とカミューは忌々しげに髪をかきあげた。


 想いに気付いたときから、告白するつもりなんて毛頭なかった。ただでさえ恋愛沙汰を苦手としている彼が男に告白されてすんなりと受け入れるはずがない、というのはわかりきっていたからだ。叶わない想いをわざわざ口にして、彼も自分も傷つくのはあまりにも馬鹿げてる……。
 ずっと隠し通して親友を演じ、想いが自分の中で浄化されたら、数年後にでも酒の席などで笑い話の種にでもするつもりだった。それが……。

 自分のベッドで無防備に寝ていた彼の姿を見たとたん、今まで築き上げてきたものがあっさりと崩壊してしまった。机には彼の教材が上がっていたから、何かわからないところがあって聞きにきたのだろう。そうとは知らず外でしばらく友人と歓談していた自分を待ち続け、睡魔に負けて横になったのだろうか。
 部屋の主がいなくても勝手に上がり込んでいい、という互いにだけ与えられた特権。
 それに浮かれていてこんな事態が起こりうる、なんてことは考えてなかった……。

 ベッドに横たわり、あどけない表情で寝息を繰り返すその唇に。
 気付いたら自分の唇を押し当てていた……。


「だいたい、あいつがこんなところで寝ているのが悪い」
 人の気も知らないで。自分がどれだけ苦労して最高の親友を演じていたと思っているのだ。日に日に募る恋情を押し殺し、対等であろうとしていた自分の努力を無にしやがって。
 普段のように汚れを知らないあの瞳で自分を見ていればよかったのに。それが己への戒めにもなっていたのだから。その瞳を瞼の奥に隠してしまうのが悪い……!
 カミューはやつあたりのようにここから飛び出していった少年を責める。
 状況を考えると、これからどうしたらいいのか、ということを考えなければいけなかったのだが、カミューはめずらしく感情を持て余していて、冷静になるにはしばらくかかりそうだった。
「キスは女性とするものだと? したこともないくせによくも言う……!」
 マイクロトフのセリフを思い出し、カミューは苛立たしげに舌打ちをした。とたん、殴られた頬がずきっと痛む。その痛みに少し我に返ると、今まで怒りに紛れて完全に失念していた重大なことを思い出した。

 そう。女性ともしたことがなかったのだから、自分に無理矢理されたのがファーストキス……のはず……?

「そりゃ……怒るよな……」
 カミューはいまさらながら青ざめた。


「おい、マイクロトフ! 待てってば!」
 廊下に響いた大声に周りにいた従騎士たちは、何事か、と振り返った。カミューが、足早に歩いているマイクロトフを追いかけている、という状況に一様に「なぁんだ」という空気が流れる。このコンビは仲がいいくせに、口の達者なカミューが真面目なマイクロトフをからかいすぎて怒らせる、ということが日常茶飯事だったため、こんな光景はめずらしくなかった。ただ、カミューの頬が痛々しく腫れているのは気になるところではあるが、それがマイクロトフと関係あるのかは誰もわからなかったし、またいつものじゃれ合うような喧嘩だろう、という認識が大半だった。
 さっきから待てと言っているのに一向に早足を緩めないマイクロトフにカミューは焦り半分、苛立ち半分で後を追いかける。
「マイク! 話を聞いてくれないなら、昨日のこと、大声で謝るぞ!!」
 カミューは脅しのつもりでそう言った。しかし、まったく無視され、はったりだと思っているな、と思ったカミューは、すう、と息を吸うと廊下に響くような大声を出す。
「昨日は無理矢理おまえのファース……むがっ」
「おっ、おまえ、こんなところで何を口走る気だ?!!」
 まさか本当にこんなところでそんなことを言ってくると思わなかったマイクロトフは背後からの大声にぎょっとしたように振り返ると、慌ててカミューの口を塞いだ。真っ赤になって自分の口を塞いでいるマイクロトフに、カミューはようやくこっちを見てくれたことに満足げに微笑む。口が解放されると、
「話を聞いてほしいんだ。逃げたら……もう一度大声で謝るよ?」
 と、にっこりと悪魔のような笑みを浮かべる。マイクロトフに逃れる道は残されていなかった……。


 人気のない場所に移動した2人が向かい合うと、マイクロトフはまるで決闘をするかのように睨みつけてきたが、カミューは苦笑いを漏らす。もちろん、マイクロトフがかなり怒っているのはわかるが、2人きりになってまた不埒な真似をされるのでは、と、心のどこかで脅えているらしく、まるで尻尾を逆立てた子犬のような必死さを感じさせるのだ。
「そんなに警戒しないで」
「話はなんだ?」
 宥めようとしたがマイクロトフはとりつくしまもない。カミューは軽く肩をすくめたが、とりあえず表情を改めた。ふざけていては自分の真意が相手に伝わらない。
「まずは謝る。昨日は無理矢理おまえのファーストキスとセカンドキスを奪って悪かった」
「そっ、そういう言い方をするな!!」
 とたん、真っ赤になって感情を露わにするマイクロトフに、カミューはやっぱりマイクロトフはこうじゃないと……とかなり自分勝手な満足感を得る。思わず意地悪げな笑みが浮かんでしまった。
「だって、そうじゃないか」
「うっ、うるさい!! そ、そんなくだらないことが話だというなら俺は帰る!!」
 カミューは、そう言って背中を向けようとするマイクロトフの腕を慌てて掴む。
「待って。話はこれからだよ」
 マイクロトフは目元を赤くしたまま睨みつけてきたが、律儀な性格が災いしてか、立ち去ることもできずにその場に留まる。カミューは、勝負はこれからだ、と緊張のため乾いた唇を少し舐めた。
「無理矢理キスしたことは謝る。だけど、それだけだ」
「え?」
「おまえに告白したことはなかったことにするつもりはない。だから、おまえが選ぶ道はふたつだ。俺を2度と近寄らせないか……受け入れるか、だ」
「なっ……!」
 マイクロトフは突然突き付けられた選択肢に絶句した。今日は気持ちの整理がつかなくてずっとカミューを避けていたのだが、そのうちカミューが謝ってきて、なかったことにしよう、と言ってくる、と心のどこかで確信していたのだ。いつも喧嘩をしたときはカミューのほうから折れてきてくれる。今回も、あんなことをされたというのに、なぜかそうなることを信じて疑ってなかった。
「それは……友人に戻らないってことなのか……?」
 頭が真っ白になったまま口を開くと、カミューは緩やかに頭を振った。
「戻れない。もう、気持ちは打ち明けてしまったし、おまえは自分をそういう目で見ている男を隣においといて平気なのかい? またキスされたり、もっと酷いことをされるかもしれないよ?」
 最後に薄く笑ったカミューの顔をマイクロトフは知らない。いままで、自分にこんなに冷たく、それでいてどこかせつない笑みを見せたことがなかった。それは固い決意をあらわしているようで。マイクロトフは働かない頭を叱咤して、打開策を探そうと躍起になった。カミューが自分の傍からいなくなる、なんて考えたことがなかった。考えられなかった……。
「おまえが……その……恋、愛感情を、捨ててくれれば……」
 もごもごと紡がれた言葉にカミューは苦笑を漏らした。彼が自分が離れることを嫌がってくれているのは嬉しいが、それは少し都合が良すぎる妥協ではないか。
「それは……ちょっと残酷なんじゃないか、マイクロトフ。俺は、今までだってずっと抑えてきたよ。最高の親友として振る舞ってきたつもりだ。でも、昨日の、あんな些細なことですら抑えきれなくなる。もう、この気持ちを殺せ、と言われても無理なんだよ……」
 カミューの言葉にいたたまれなくなってうつむいたマイクロトフに、やっぱり離れるしかないようだね、とカミューが呟く。マイクロトフは慌てて顔を上げた。普段、きりり、と引き締まっている眉が泣きそうに歪んでいる。
「ま、待ってくれ……! そ、その……」
 なんとか引き止めようとしても二の句が告げない。ただでさえ口下手なのだ。必死に何かを言おうとしているマイクロトフに、カミューはたまらなくなって両肩を掴んだ。
「おまえだけが……苦しいと思わないでくれ。俺だっておまえの傍に居られなくなるのなんて耐えられない……! だけど、もう自分を抑える自信がないんだ……」
 震えた声に、掴まれた肩の痛みに、カミューの葛藤が伝わってくる。マイクロトフはいまさらながら、自分は自分のことしか考えてなかったことを感じた。カミューは己の心と向き合い、そして、自分の気持ちを尊重しようとしてくれているのに。
 カミューの手がはずれると、マイクロトフは少しでも伝われば、と思い、自分の心情を正直に吐露することにした。
「俺は……カミューの言う『想い』が理解できない……」
「……気持ち悪いだろう……男が好きなんて……」
 カミューの自嘲気味な応えにマイクロトフは慌てて首を振った。これが他の人間だったら、背徳的な思想に嫌悪したかもしれない。だが、カミューにはそんな思いを抱くことはなかった。痛いほど真剣だというのがわかるからなのだろうか……。
「違う! そうじゃない。カミューは昔から女性に人気があったし……噂が飛び交うくらい、いろいろな女性と付き合っていたではないか……。そんなカミューが、俺を……好き、だなんて……」
「確かに俺はいろんな女性と付き合ってきたよ。でも、おまえと一緒に行動するようになってからやめただろう?」
「あ、ああ……」
 最初は正反対の性格、思考から互いに敬遠していた2人は、ひょんなことがきっかけで、一緒に行動するようになった。そして、しばらくするとカミューの女性の噂がぱったりと止んだ。口の悪い友人などは「おまえがしつこく説教したんだろう」なんて笑っていたが、特に何も言ったことはなかった。ただ、いい顔はしていなかったかもしれないが。カミューの付き合いかたはどこか軽くて、女性に対して失礼だ、とマイクロトフは常々思っていたのだ。
「その頃なんだ。おまえが好きだと自覚したのは。
 最初はさすがに思い違いだと思ったよ。おまえは大事な友人で男で……と何度も自分に言い聞かせた。だけど、想いが消えることはなくて。それどころか日増しに強くなっていったんだ。だから、女性との付き合いはやめた。……本当の恋、というものを知ってしまったから、まったく意味がなくなってしまったんだよ」
 マイクロトフは目を見開いた。本当の恋、という単語が心臓を鷲掴みにされたような痛みをもたらす。幼い頃の淡い想いならいざしらず、恋、というものを経験してこなかったマイクロトフにはあまりにも重すぎる言葉だった。
「お、俺は……どうやったらおまえの気持ちが理解できるんだ……?」
 困ったような、だが、真剣な表情で聞いてくるマイクロトフに、カミューは右手を掴むとてのひらにそっと唇を落とした。
「なっ……! なにをする?!」
 とたん、真っ赤になって手を奪い返すマイクロトフにカミューは優しく微笑む。
「おまえが好きだよ、マイクロトフ……」
「っ!」
 突然の告白にマイクロトフが息を飲んで硬直していると、カミューは、にや、と人の悪い笑みを浮かべた。
「どう? どきどきした?」
「あっ、あたりまえだろう!!」
「じゃあ、脈ありかな」
「は?」
 カミューの言っていることがわからず、マイクロトフが目を瞬かせていると、カミューはもう一度手を取り、自分の頬にあてた。
「どきどきしてくれるのは、俺を意識しているということだろう。だったら、そのうち好きになってくれるかもしれない」
 だから付き合おう、と、まるで、どこかに遊びに行こう、というような軽い口調でカミューが言った。
「なっ、なんでそうなる?!」
「え? 俺が傍に居ないほうがいい?」
「い、いや、そうは言ってないが……」
 意地悪く聞き返すと口ごもってしまったマイクロトフを可愛いなぁ、と思いつつ、カミューは晴れやかに笑う。これからだ、と、昨日とはうってかわって明るい展望が見えていた。
「俺、マイクロトフに好きになってもらえるよう、努力するよ」
「ちょ、ちょっと待て! 話が……」
「大丈夫。俺が恋愛のノウハウを手取り足取りおしえてあげるよ。俺を好きになってもらうくらいなら待てると思うから」
 でも、あんまり待たせないでね、と、ちゅ、と頬に素早くキスされ、マイクロトフは目を白黒させる。
「カミュー!!」
 怒鳴って拳を振り上げても、カミューは、あはは、と楽しげに笑って身体をかわした。すっかりカミューのペースに巻き込まれてしまったマイクロトフは、憮然とした表情で暖かい感触が残る頬に手をやった。悔しい、と思う反面、心のどこかで、まあいいか、と思う自分がいる。

 恋愛ごとは相変わらずよくわからないけれど。カミューが傍に居てくれるなら。きっと乗り越えられるはず……。



 おわり




34567HITしてくださったパンプキンさまからのリクエストで
「赤の片想い。無理矢理ちゅーからスタート」でした。
このほかにもいろいろとシチュエーションにリクをいただいたのですが、
ほとんどクリアできませんでした(汗)
申し訳ないです……。
けっきょくウチの青はほだされてしまうようです(笑)


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