〜大嘘鶴の恩返し〜




 むかしむかし、あるところにカミューという青年がおりました。
 カミュー青年は呉服屋を営んで生計を立てていました。センスがありましたし、整った顔立ちで、人当たりのいい笑みを浮かべるのが得意でしたから、女性から絶大な人気があり、なかなか繁盛しておりました。お金や女性に不自由することもなく、自由気ままに日々を過ごしていたのです。

 そんなある日。
 道端を歩いているとなにやら鳥のような鳴き声が聞こえてきました。最初は気にも留めませんでしたが、あんまり悲しそうに鳴くので、なんとなく気になって声のするほうへ行ってみます。すると、ワナにかかった一羽の鶴がいるではありませんか。雪のように真っ白い身体にびろうどのような黒い頭。カミューはその痛ましくも美しい姿を見て、思わず息を飲みました。
 カミューを見つけた鶴は自分を捕らえにきた猟師と思ったのでしょうか。脅えたように鳴きはじめます。
「怖がらなくていいよ。今、助けてあげるから……」
 カミューは安心させるように笑みを浮かべ優しく声をかけました。そして脅かさないようにゆっくり近づいていきます。すると、鶴はじっとカミューを見つめると、おとなしくなりました。言葉が通じたかのような鶴の様子にカミューは目を細めます。鶴などそんなに見たことはありませんでしたが、この鶴はどことなく普通じゃない気がしてきました。人間の言葉がわかるのではないか、という突拍子もないことを本気で思ったりします。
「いい子だね」
 カミューは鶴の足元に跪き、ワナを外しにかかりました。細い足からは血が滲みでて、痛々しいかぎりです。しかし、鶴はかなり痛いだろうに、じっとしてました。カミューは何度か優しく声をかけつつ、できるだけ早くワナを外し、足を解放してやります。
「ほら。これで大丈夫だよ」
 安堵の息を吐きつつ顔を上げると、鶴はそっと顔を寄せてきました。小さく何度も鳴く姿はまるでお礼を言ってるようです。カミューはなんとなく愛しさを覚え、思わず鶴の頬に唇を押し当てました。ふわふわの感触がなんともいえず心地良さを伝えます。すると、鶴はびっくりしたかのように「クエー」と声を上げ、ばたばたと羽根をばたつかせて、逃げていってしまいました。その慌てた様子にカミューは、残念、と思いつつ、笑い声が込み上げてきます。
「もう捕まるんじゃないよ」
 後ろ姿に声をかけると、「クエー」と返事のように鳴き声が返ってきました。カミューはその律儀な反応を微笑ましく思うと同時に寂しさが沸き起こります。相手はもの言わぬ鶴だというのに、自分でも不思議なほど別れるのがつらかったのです。
「また……会いたいな……」
 思わず、ぽつりとつぶやきました。


 一方、仲間の元に帰ってきた鶴は待っていた鶴に声をかけられました。
「よう、マイクロトフ、随分遅かったじゃねえか」
「ええ、それが……」
 マイクロトフ、と呼ばれた鶴が言いよどむと、声をかけた鶴は様子がおかしいのに気づきます。
「ん? なんだ? 顔が赤いぞ。何かあったのか?」
「い、いえ、なんでもないです! ちょっと人間のワナに捕まりまして……」
 慌てて事情を説明するマイクロトフに、仲間の鶴は目をみはりました。
「なんだって? よく無事だったな」
「ええ。親切な人間の方に助けていただいたのです」
「人間に?」
 仲間の意外そうな声にマイクロトフはひとつ頷くと、真剣な様子で問いかけます。
「ビクトール殿、その方になんとか恩を返したいのですが、なにかいい方法はないでしょうか……?」
「恩返し?」
「はい。俺はこういうのを考えるのが苦手で……。お願いします。おしえてください」
 ビクトール、と呼ばれた鶴はマイクロトフをじっと見つめました。マイクロトフが律儀な性格なのはわかります。ですが、恩を返したいだけにしてはどこか必死になっているような気がしました。
 ビクトールは、ははあ、と意味ありげな笑みを浮かべます。
「その人間はべっぴんさんだったのか?」
 こんなに入れ込んでいるのはその人間に惚れたのではないか、と思ったのです。マイクロトフは先程までとは比べものにならないくらい真っ赤になってしまいました。
「べっ、べっぴん?! いや、そうかといえばそうなんですが……」
 もごもごと言いごもるマイクロトフにビクトールはビンゴか、とにやにやしながらさらに突っ込みます。
「ほう。おまえみたいな堅物がねぇ。そんなに美人だったのか?」
「ちっ、違います! 相手は男です!」
 マイクロトフが真っ赤になって訂正すると、ビクトールは、なぁんだ、と、拍子抜けしてしまいました。いくらべっぴんでも男では興味の持ちようがありません。
「男に助けてもらったぐらいでそんなに必死になることもねぇだろうが。適当に魚でも捕まえて届けたらどうだ?」
「い、いえ、そうはいきません。どうにかして彼を喜ばせてあげたいのです。何かいい方法はないでしょうか?」
 すがるように聞いてくるマイクロトフに、ビクトールはどこか言いづらそうにぽりぽりと羽根で身体を掻きました。
「男を喜ばせる方法か……。まあ、あるっちゃあ、あるんだが……」
「本当ですか?! おしえてください!」
 マイクロトフが意気込んで問うてくると、ビクトールは、うーん、と唸ります。
「けどな……、ちと問題がある」
「かまいません!」
 きっぱり言うマイクロトフに、ビクトールはため息まじりに応えました。
「まあ、相手が男なら簡単だな。美女が身の回りの世話をしてくれりゃあ、男なんてもんは大喜びよ」
「美女……ですか?」
 色恋沙汰に疎い、と言われているマイクロトフは、美女が男を喜ばせる、と言われてもいまいちピンときませんでした。首を傾げるマイクロトフにビクトールは傍らにいた鶴に声をかけます。
「おお。例えばだな……。ジーン、ちょっと人形(ひとがた)とれや」
「ふふ……いいわよ」
 ジーン、と呼ばれた鶴は一声妖しく鳴くと瞬く間に人間に変身しました。その姿は、長い銀髪の妖艶な雰囲気をまとった美女です。しかし、マイクロトフは思わず目を逸らしてしまいました。ジーンは見事なプロポーションを少ない布地で覆うという、大胆な格好をしており、正視できなかったのです。そんな純情ぶりをみせるマイクロトフにジーンは悪戯心を刺激され、人間の長い腕で抱きつくと細い指で顎をくすぐります。
「ふふ……どうかしら……?」
「ジ、ジーン殿、は、離れてください……」
 人間の身体で抱きつかれてしまうと鶴の身ではどうすることもできず、マイクロトフは硬直してしまいました。そんなマイクロトフにビクトールは苦笑いして、ジーンに、あんまりからかうな、と言ってやります。ジーンがくすくす笑って離れるとマイクロトフは、はあ、と心底安堵の息をつきました。そんなマイクロトフにビクトールは片目を瞑ってみせます。
「な。これが人間のいう美女だ。真似るくらいならできんだろ?」
「は、はい……」
「この姿でそいつの世話をすれば男なら喜ぶだろうよ」
「なるほど……」
 不安たっぷり、と顔に書いたままマイクロトフは小さく頷きました。そして、先程のビクトールの言葉を思い出します。
「それで……問題というのは?」
 マイクロトフの問いにビクトールは、これだけ純情だとわからねぇかな……とつぶやきました。
「男の元に女が行くってことはどういうことかわかっているのか?」
 どういうこと、と言われ、マイクロトフは、え? と、首を傾げます。そして、男と女の姿を思い浮かべているうちに、思わず淫らな光景を想像してしまいました。赤面したマイクロトフにビクトールは、さすがにわかったか、と少し安堵します。
「な。男なんてもんはそういうものなんだから、気をつけねえとやられちまうぞ?」
「は、はあ……」
「だがな、おまえは女じゃないし、ましてや人間じゃない。そうなったらとっとと正体をばらして逃げ帰ってくることだ」
「わ、わかりました……」
 神妙に頷いてみせるマイクロトフにビクトールは一抹の不安を覚えつつも「まあ、頑張れや」と声をかけました。


 はあ……。

 カミューは深いため息をつきました。もう今日だけで何度目になるかわかりません。店は一応開けてはいたものの、お客がきてもずっとこの調子だったため、開店休業状態です。
「もう一度……会いたいなぁ……」
 カミューは昨日助けた鶴のことを考えていたのでした。時間が経つにつれ、寂しさが募り、鶴の姿ばかり思い出しています。どうして鶴なんかにこんなに惹かれているのかはわかりません。動物好きではありませんでしたし、今までこんなふうに頭から離れないのは人間の女性でもありませんでした。
 ほう、とため息をついては頬を染めるさまは、さしずめ初恋をした少年のようです。
「ああ……、怪我が治るまで、と言って拉致してくればよかったなぁ……」
 ……考えていることはちょっと少年っぽくなかったですが。
 そのとき。
「ごめんください」
 という女性の声がしました。カミューは、客か、と思いつつもやはり応対する気になれず、放っておくことにします。しかし、店に入ってきた女性は真っ直ぐカミューの元に近づいてきました。
「あの……、俺……じゃなかった、私をここで働かせていただけないでしょうか?」
 声をかけられカミューが顔を上げると、そこには銀髪の妖艶な美女が立っていました。抜群のプロポーションを見せつけるような露出度の高い大胆な服を着ているというのに、どこか落ち着かない様子でもじもじしています。
 男なら生唾を飲んで魅入らずにはいられないくらい魅惑的な娘でした。しかし、カミューは興味なさそうに一瞥すると、
「……悪いけど、間に合ってるよ」
 と、そっけなく答えます。普段であれば少しは興味をひかれたかもしれませんが、今は昨日の鶴のことで頭がいっぱいだったのです。
「そ、それでは困る……! いや、こ、困るのです。給金もいりませんので、どうか、ここに置いてください」
 美女らしからぬ必死な懇願にカミューは首を傾げました。これだけの美女ならこんな呉服屋で働かなくても他にいくらでも仕事があるはずです。それに、給金がいらないとはどういうことだろう……とようやく少し興味を持ったのでした。
「給金いらないの?」
「は、はい。ここに置いてくださればお金はいりません」
 慌てて頷く美女にカミューは、前に何度かあった押しかけ女房気取りかな、と思いましたが、この美女には見覚えがありません。それならば、と、さらに聞いてみます。
「……何ができるの?」
「え?」
 カミューの問いに美女はきょとん、と目を瞬かせました。カミューはおもしろそうに美女を見やります。
「ここで働きたいというなら、何ができるわけ?」
 もう一度問うと美女はしばし考え込んでしまいました。その様子は妖艶ぶりとはかけ離れていて、どこか愛らしさを感じます。どう答えるんだろう、とカミューが待っていると、やがて、恥ずかしそうに口を開きました。
「…………力仕事なら」
「は?」
 美女の答えにカミューは目を見開きます。こんな美女の口から「力仕事」とは。剥き出しになっている腕や足を見ても、自分の半分くらいの太さしかなく、どう考えても自分より力があるようにはみえません。
「力仕事……できるの?」
「は、はい! 力仕事なら得意です!」
 意気込んで答える美女にカミューは半信半疑でしたが、とりあえず自分の一番嫌いな力仕事をやってくれると言っているのだから、と、試してみることにしました。外見と中身がアンバランスな美女がなんとなく気になりはじめていたのかもしれません……。


 さて。ビクトールのアドバイスどおりジーンの姿を真似てカミューのところへやってきたマイクロトフは、ようやく働くことを許可されそうだ、と、ほっと一息つきました。タダで働くというのだから簡単に許可されるだろうと思っていたのですが、自分があまりにも計画なしだったことを思い知らされます。元々、嘘をついたりするのが苦手な性分で、駆け引きというものを得意としません。普段、周りから「もう少し考えてから行動しろ」と言われるのも改めて納得していました。
 そんなところに。
「ところで名前は?」
 と、カミューに唐突に聞かれ、どう考えても聞かれるであろうこの問いに、なんの答えも用意してなかったことに今更ながら焦ります。
「え? あ、あの、マイクロトフです……」
 咄嗟に嘘をつく芸当など持ち合わせておらず、正直に名乗ってしまいました。すると、カミューはかすかに眉を寄せ、
「マイクロトフ? 長いね。マイクって呼んでいい?」
 と、言ってきます。マイク、と呼ばれるのなんて雛鳥以来だ、と思いつつ、マイクロトフは頷きました。
「は、はい」
「そう。俺はカミューでいいから」
 ようやく恩人の名前を知ることができたマイクロトフは嬉しく思いながら名前を口にしてみます。
「カ、ミュー……」
 少しぎこちなく名前を呼ばれたカミューはわけもなく、どきっとしました。女性に名前を呼ばれたくらいで胸が高鳴るような可愛い男ではないことは自分でもよくわかっています。しかしこれは……。
 なにか不思議なものを感じずにはいられないカミューでした。


「じゃあ、さっそくここを片付けてほしいんだけど」
 カミューがマイクロトフを案内した場所は反物が雑然と散乱した部屋でした。昨日、客が望む生地を探しているうちにこうなってしまったのでしたが、片付けるのが面倒でそのままにしていたのです。基本的に肉体労働は好きではありません。
 マイクロトフはひとつ頷くと、さっそく作業にとりかかろうとしました。が、この格好では到底無理なことに気付きます。ちらり、とカミューの方を見ると、カミューは興味深そうに自分を見ていて、部屋から出ていく素振りがありません。
「あ、あの……、カミュー……」
「なんだい?」
「その……申し訳ないのですが、お……私が作業をしている間は一人にしてほしいのです」
 マイクロトフの申し出にカミューは首を傾げます。
「どうして?」
「どうしてって……あの……」
 困ったようにうつむいてしまったマイクロトフに、カミューはこの格好で力仕事をしている様を見られるのが恥ずかしいのかな、と解釈しました。本当はどんなふうに作業をするのか興味がありましたが、嫌がっているのを押し切るのもかわいそうかと思い、引き下がることにします。
「わかったよ。じゃあ、頑張って。ゆっくりでいいんだから、くれぐれも無理しないでね」
「はい!」
 元気よく応えるマイクロトフにカミューは微かに目を細め、部屋を出ていきました。マイクロトフは最後に見せた優しい表情に思わず見惚れ、しばし、ぼうっとしていましたが、ハッと我に返ると作業にとりかかるべく変身を解きました。現れたのは、黒い短髪に白い肌の立派な体躯の青年。これがこの鶴の人形(ひとがた)では本来の姿です。
「さてと……やるか」
 青年は張り切って作業にとりかかりました。


 一方、カミューは。
 先程までと同じようにぼんやりとしていましたが、今度頭の中を占めているのはマイクロトフと名乗った美女のことでした。見た目と中身がちぐはぐで、どことなく違和感を覚えはじめたのです。なんというか、本来はああではないのではないか、という漠然とした疑念が浮かびました。ああではない、といって、なら、どうなのだ、と言われれば困るのですが、なんとなく騙されているような気がするのです。
 ただ、悪意がないのはわかりますので、しばらく様子を見ることにしました。どう考えても人を騙せるような器用な性格をしているようには見えません。
 いつのまにか、鶴のことではなく、マイクロトフのことを考えるようになってました。
 そこに。
「終わったぞ……じゃなかった、終わりました」
 と、マイクロトフがやってきました。もちろん、また銀髪の美女に戻ってます。カミューは目を見張りました。まさか、こんな短時間であの部屋が片付くわけは……と思いながら、部屋に向かいます。
 すると、反物がきれいに整頓されているではありませんか。
 茫然としているカミューに、マイクロトフは何かまずかったかと少しびくびくして声をかけます。カミューが前に立っていたため、表情が見えず、不安になったのでした。
「カミュー……?」
 声をかけられて振り返ったカミューの顔には満足げな笑みが浮かんでました。
「これからもよろしく頼むよ、マイク」
「は、はいっ!」
「それから」
「え?」
 自分の仕事ぶりを認めてもらえた、と喜んだのも束の間。今度はなんだろう、とマイクロトフは内心緊張します。またへんなところを突っ込んでこられたらうまく応対できるか自信がありません。しかし、カミューが言いたいことは違いました。
「言葉使い、無理しなくていいから。自分の口調を殺してまでかしこまる必要はないよ」
「え? ええ? し、しかし……」
 自分は彼に恩返しをしたくてここにきた身。いわば主従関係のようなものだ、と思っていたマイクロトフはカミューの申し出にとまどいます。
「言い直したりして会話がぎこちなくなるよりはずっといい。俺は気にしないから。いいね?」
「す、すまない……」
 恐縮して応えるマイクロトフにカミューは思わず吹き出しました。妖艶な美女に「すまない」はさすがに似合わなすぎたのです。


 こうして、2人の奇妙な同居生活ははじまりました。接客だけやればいいカミューと客が帰ったあとの後片付けをやればいいマイクロトフ。2人はとてもうまくいってました。
 しかし、それぞれの心中は日が経つにつれ、だんだんと穏やかではなくなっていったのです。

 マイクロトフは。
 自分とは性格も考え方もなにもかも正反対だというのに、なぜかカミューと一緒にいるのが楽しくなってきました。ですが、楽しくなってくるにつれ、姿を偽っているという後ろめたさも日に日に増していくのです。しかし、正体がバレれてしまえばここを去らねばなりません。しかも、自分が美女の姿をしているから優しくしてくれるのでは、と思うとバレるのが怖くて仕方ありません。
 マイクロトフにはいまの楽しい生活を壊す勇気がありませんでした……。

 一方、カミューは。
 最初はちょっとした好奇心と、予想以上に力仕事をこなす、という利便性を考えて同居をはじめました。美人、という点では生憎、いろんな女性と付き合ってきたので、特に気にしたところではありませんが、まあ、一緒にいるなら美人のほうがいいに決まってます。ところが、彼女は言葉使いは男のよう、物事に対する考え方がとても一途で、見てくれとはあまりにもかけ離れていました。それが、思いのほか楽しかったのです。
 しかし、マイクロトフと一緒にいるのが楽しくなるにつれ、彼女が自分に隠していることが気になりはじめました。普段はこちらが思わず笑みを零すほど正直者な彼女なのですが、いちばん大事なことを隠されているように思えてなりません。はじめに感じた違和感が日に日に大きくなっていくのです。そう、普通に考えるとありえないことですが、今の姿は彼女本来のものではないような……。
 力仕事を手伝おうとすると頑なに拒まれました。最初は自分に遠慮しているのかと思いましたが、どうやら違うようです。作業中を見ていることも許されないため、それが彼女の隠していることとなにか繋がりがあるのではないか、と思いはじめたら、気になってしかたありません。しかし、彼女がこんなに嫌がるのだから、その「何か」を知ってしまったら今の楽しい生活が壊れるのでは、と思うと強い態度に出られないのでした……。


 そんなある日の晩。いつものように2人で向き合って夕食を食べているときのことです。
「……抱いちゃおうかな」
 ぽつり、とカミューが言いました。マイクロトフは言葉の意味がわからず箸を止め、カミューを見上げます。
「は? 何をだ?」
「……マイクを」
「は? 俺を……抱く……?」
 マイクロトフは自分で言ってみて、言葉の意味に気付きました。あまりの言葉に硬直してしまい、拍子に手から箸が落ちてしまいます。そんなマイクロトフをカミューは不気味なほど静かな目で見つめていたかと思うとゆっくり立ち上がり、マイクロトフの目の前まで近づきました。そして、目線を合わせるようにしゃがむと、至近距離で顔を覗き込みます。マイクロトフは、カミューが急に知らない男に見えて、恐怖を覚えました。
「い、いきなり何を言ってるんだ……?」
 極度の緊張のあまり、声が掠れてしまいます。カミューはマイクロトフに手を伸ばすと顎を捉えました。
「だって、男の一人暮しに転がり込んでくるくらいなんだから、最初からそういうつもりだったんじゃないの?」
 わずかに歪められた唇。こんなふうに笑うカミューをマイクロトフは知りません。顎を捉えられているため、可能な限り必死に首を振ります。
「ち、ちが……」
「だったら、どうしてタダ働きまでしてここにいるの? そんなつもりがないなら、どういう目的だというんだい?」
 カミューの問いにマイクロトフはごくり、と喉を鳴らしました。ビクトールの言葉が脳裏をよぎります。逃げなければ……と身体に緊張が走りました。
 しかし、カミューはマイクロトフの瞳をじっと見つめていたかと思うと、ふっと視線を緩め顎を捉えていた手をはずします。
「ごめん、脅かして。ちょっとどうかしてたかな」
 苦笑いして自分の膳の前に戻ろうと立ち上がりました。その際にぽつり、とつぶやきます。
「本物じゃないと意味がないんだよね……」
 そう聞こえたような気がしました……。


 マイクロトフは沈んだ気持ちで反物を片付けていました。昨夜の出来事が頭を離れません。そろそろ潮時なのかもしれない、と思う反面、どうしても別れ難いのです。しかし、それでは彼をずっと騙し続けることになります。
 いろんな思いや感情が交差して、すっかり注意力が散漫になってました。うっかりと山の中にある反物を引き抜いてしまいます。すると……
「うわっっ!!」
 がらがらと反物の山が崩れ、マイクロトフのほうに雪崩れてきました。すごい量の反物が頭上から降ってきます。マイクロトフはなんとか頭を庇いますが、次から次と降ってくる反物に埋もれてしまいました。その衝撃に一瞬気が遠くなります。
 その衝撃はさながら地震のようで、店にいたカミューにも伝わりました。慌てて部屋に駆けつけ、中に入ります。
「マイクロトフ!!」
 部屋は無残な状態でした。床一面に反物が錯乱しています。カミューは人型に盛り上がった一角を見つけると、急いでそちらへ向かいました。
「マイクロトフ! 大丈夫か?!」
「あ、ああ……、大丈夫だ……」
 反物の中から聞こえてきたその声は。普段のマイクロトフからは考えられないくらい低い、どう聞いても成人した男のものでした。カミューは目を見開きましたが、それは一瞬のことで、すぐ反物をかき分け、マイクロトフを助け出そうとします。そして、反物の中から現れたその姿は。見慣れた銀髪の美女ではなく黒い髪の青年でした。
「君は……」
 カミューの茫然とした顔に、マイクロトフは、どうしたのだろう、と首を傾げます。
「カミュー……?」
 どうした? と言おうとして、マイクロトフは己の声に目を見開きました。仕事中だったため、青年の姿に戻っていたのです。
 ばれた! と思ったマイクロトフは慌てて逃げようとしました。しかし、一瞬早くカミューの手がマイクロトフの腕を捉えます。
「これが君の本当の姿なんだね?」
 それは問いかけというよりは確認に近い口調でした。マイクロトフはぎゅっと目を瞑って観念したように小さく頷きます。どんな罵声を浴びせられるか、と思うと目の前が真っ暗になりました。しかし、
「あ! 君、このあいだの鶴だね?!」
 と、突如カミューに叫ばれ、目が点になります。
「え?」
「そうだ、間違いない。どうして、最初から本当の姿で現れてくれなかったの? 俺、ずっと会いたかったのに!」
 カミューは茫然としているマイクロトフにおかまいなしで、勝手に結論づけると興奮したように矢継ぎ早に言葉を紡いできます。マイクロトフは思いもしない展開、思いもしないセリフに瞬時にパニックに陥ってしまいました。
「なっ、なんで、ジーン殿の姿を借りてたときは全然気付かなかったくせに、この姿で一発でわかるんだ?!」
「え? 愛の力?」
 なんでもないように応えるカミューにマイクロトフはますます混乱します。
「あ、愛……? って、どこを触っているっ?!!」
 マイクロトフの腕を捉えていたはずのカミューの腕はなぜかマイクロトフの服の中に侵入し、さわさわと腰のあたりを撫でるように動いてました。マイクロトフは背中に何やらむずむずするのを感じましたが、それどころではありません。今の自分が置かれている状況がまったくわかりませんでした。
「だって、やっと本当の君に会えたし」
 カミューは全然答えになってないようなことを言うと、マイクロトフの顎を捉え、自分のほうに向けます。間近に迫った端正な顔にマイクロトフは心底焦りました。なんとなく身の危険を感じます。
「お、俺は男だぞ?!」
「そんなの見ればわかるし、関係ない。会いたかった……」
 言うが早いか、カミューの唇がマイクロトフの唇に重なりました。そのまま体重をかけ、反物の海にマイクロトフと共に沈み込みます。どさっという衝撃にマイクロトフは我に返りました。しかし、上から覆い被さったカミューの執拗なまでのキスに抵抗することができず……そのまま結ばれたのでした。

 しかし、カミューが目を覚ますと、傍らにマイクロトフの姿はありませんでした……。


 マイクロトフは仲間の元に帰ってきてました。
 カミューが偽りの姿より本当の自分を選んでくれたというのはとても嬉しいことでした。一目見ただけで自分のことを助けた鶴だとわかってくれたのも驚いたけれど嬉しいことでした。そして、肌を重ねた……ということも死ぬほど恥ずかしかったものの、幸せだと思ったりしました。何度も「愛してる」と言われ、嬉しく感じてる自分に、自分もカミューに恋をしていたんだということを知りました。
 しかし。
 カミューの底無しではないかという求めに身体がもたない、と逃げ帰ってきたのです。カミューが眠りにつくまで何度抱かれたかわかりません。やっと眠りについた隙にようやく逃げ出せたのです。

 人間って恐ろしい……。

 マイクロトフは痛む腰を撫でながらしみじみ思いました。


 そして数日後。
 マイクロトフは鶴の姿で散歩に出かけました。自分から逃げ帰ってきたというのに、カミューがなんとなく恋しくて人里近くまで飛んでいきます。

 もう少し……人並みだったら……。

 数日前の行為を思い出しマイクロトフはなんともいえない気持ちになりました。いまだ腰に鈍い痛みが残っています。いっそ、ジーンの姿のままだったらずっと一緒にいられたかもしれない、と正体がばれてしまった自分の迂闊さを後悔するばかりです。
 と、そんな物思いにふけっていたマイクロトフの鼻孔にいい匂いが漂ってきました。どこか懐かしいその匂いに、マイクロトフは無意識のうちに近づいていきます。
 すると、目の前に自分の好きな肉料理が落ちているではありませんか。マイクロトフは鶴の姿に戻ってから一度も食べていない好物に思わず、ごくっと喉を鳴らします。どうしてこんなところにこんなものがあるのか、なんて疑問は食欲の前にきれいさっぱり消え去っていました。
 肉にかぶりつこうと無防備に近づいたそのとき。足になにやら引っかかりました。ハッとして足元を見るとワナが自分の足に絡まっているではありませんか。そのワナは前にかかったときのものとは違い、なぜか足を痛めないような仕組みになっていました。ですが、捕まったことには違いありません。マイクロトフは、しまった! と青ざめ、なんとか逃れるために暴れようとします。
 しかし。
「ふふふ。捕まえたよ、マイク」
 地を這うような声が背後から聞こえてき、ぎくっと身体を強張らせました。聞き覚えがありすぎる声に動けなくなっている身体を後ろからがしっと掴まれます。長い首で恐る恐る振り返ると、心底嬉しそうに笑っているカミューと目が合いました。
「カ、カ、カ、カミュー?! どうしてここに……?!」
「甘いよ、マイク。君の好物を知らないわけがないだろう?」
「は、謀ったな!」
「そんな人聞きの悪いこと言わないで。君を愛するあまり、なりふりかまっていられなかった憐れな男なのさ。
 家に帰ったらたらふく食べさせてあげるよ。さあ、俺たちのスィートホームに帰ろうか」
「は、離せーっ」
 じたばたしても、羽根ごと身体を掴まれてる今、自由になるのは細い足だけで。まったく抵抗になりませんでした。
「もう離さないよ、マイク。幸せになろうね♪」
「嫌だーっっ!!」


 こうして。カミューとマイクロトフは末永く幸せに暮らしましたとさ。



 めでたしめでたし。




49000HITしてくださった来原まことさんからのリクエストで
「大嘘鶴の恩返し」でした。
美女の姿にはなんの反応もせず、本当の姿を見たとたん
夢中になる、という赤さんが書きたかったのです(笑)
相変わらず暴走な赤さんと憐れな青さんでした。


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