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マイクロトフは部屋を出ようとして、もう一度鏡を見た。真新しいスーツは自分にはまだぎこちなくて。なんだか気恥ずかしく思う。ネクタイが曲がっていないのを確認すると、心の中でよしっと気合いを入れた。 今日は就職した会社の入社式。マイクロトフは朝から落ち着かないでいた。今日から社会人なんだ、という緊張した思いもあったが、それより彼の心を占める存在があったのだ。 カミュー…… 就職試験のときに知り合った謎めいた青年。 彼も合格しているだろうか……。いや、あの落ち着きはらった態度の彼が合格していないはずはない。ただ、他の企業に受かって、そちらに就職する可能性もある。 何度も辿りついた仮定にマイクロトフはため息をつく。半年前の就職試験が終わってからずっとこの調子だった。彼のことが頭を離れない。会いたいと、そればかりを思っていた。 彼に……強く惹かれていた……。 入社式の会場に着くと、すでにかなりの人数がそろっていた。マイクロトフは人ごみの中に彼の姿を探す。しかし、あの柔らかい亜麻色の髪が見当たらない。 別の位置から探そうと足を動かしたとき、背後から肩に手がかかった。 「やあ。久しぶりだね」 その、柔らかい声は……。 マイクロトフが振り返ると探し求めていた彼の姿があった。 「カミュー……」 呆然とマイクロトフが名を呼ぶと、カミューはにっこりと笑った。 「名前覚えていてくれたの? 嬉しいな」 半年ぶりに見る笑顔にマイクロトフの胸が跳ねる。 「よかった。君がいなかったらどうしようと思っていたよ」 「え?」 きょとん、とするマイクロトフにカミューにふふ、と笑った。 「ここを合格しているだろうことは確信していたけどね。他の企業にも受かって、そっちを選んだんじゃないかって、気が気でなかったんだ」 カミューの口から自分が危惧していたことと同じことを言われ、マイクロトフは目を見開く。思わず、「俺も……そう、思っていた……」と口走っていた。カミューは一瞬目を見開いてから、ふわり、と笑う。 「そうなの? 俺に会いたかった?」 「え?」 嬉しそうに問われてマイクロトフは赤面してうつむいてしまった。会いたかった、なんてまるで恋人に言うセリフのようだ、と思い、そんなことを考える自分にさらに赤面する。 な、なにを考えているんだ……。俺もカミューも男なのに……。 言葉が見つからずあたふたしていると、カミューがくすり、と笑いを漏らし、 「さ、そろそろ式が始まるよ。行こう」 と、助け舟を出して人ごみの方に促した。マイクロトフはほっと息をついて促されるまま歩きはじめる。そして、気づいた。 な、なんで腰に手を回されているんだろう……? 思わず隣を歩くカミューを凝視したが、彼は気にした様子もなく、ごく自然で。マイクロトフは何と言っていいのかわからず、けっきょくそのままエスコートされるように歩いていった……。 配属 マイクロトフ『労働部』 カミュー『営業部』 入社式が終わり、会社側の説明がはじまるまでのわずかな時間を休憩時間として与えられ、カミューとマイクロトフは自販機で買ったコーヒー片手に、控え室となった会議室の壁に寄りかかっていた。 「部署、別れちゃったね」 カミューが残念そうに口を開く。そして、少し不満げに唇を尖らせた。 「いちお、事務希望って言ったのになぁ」 拗ねたような口調は思いがけず幼くて、マイクロトフはちょっと笑った。 「カミューは話がうまいから営業向きだと思われたのではないか?」 「え?」 顔を上げたカミューに、マイクロトフは少し照れたように視線を外す。 「いや……、試験のとき、そう思ったのだ。話し方がとてもうまかったし、落ち着いていたから……」 「それって口がうまいってこと?」 カミューはからかうような笑みを浮かべて言ったのだが、視線を外していたマイクロトフはそれに気づかず、言葉どおりにとった。気を悪くさせた、と、慌てて言い訳しようとする。 「え? あ、いや、そうじゃなくて……、その、すまない。うまく言えないんだが……悪い意味じゃなくて……」 「冗談だよ」 ふわ、と微笑まれてマイクロトフの鼓動が跳ねた。どうも、この笑みは心臓によくないらしい……と、どこか他人事のように思う。 カミューはいらずらっぽく笑って自分の唇に人差し指をあてた。 「マイクロトフに褒められるなら、口でもなんでも嬉しいよ」 そのしぐさに思わず視線を吸い寄せられて、マイクロトフはどきん、とする。カミューの形のよい唇を見たとたん、初めて会ったときのことを思い出したのだ……。 『緊張しないためのおまじないだよ……』 そう言って触れてきた、柔らかくて、優しい感触……。 あの瞬間、魔法にでもかけられたかのように彼に惹き込まれてしまった。彼を忘れられなくなってしまった。秋から何度も思い出した光景……。 「マイクロトフ?」 そっと名前を呼ばれ、マイクロトフは我に返る。カミューが心配そうな顔をして間近に顔を覗き込んでいた。その、思いもしない近距離にまたも鼓動が跳ねる。いままで回想していたことがことだけに、一気に血が上った。 「どうしたの? 顔が赤いけど……、具合でも悪い?」 カミューがそっと頬に手を伸ばすと、 「い、いや……、なんでもないっ」 と、マイクロトフは慌ててその手から逃げるように後ずさってしまった。触れられると自分のばくばくいってる鼓動が伝わってしまいそうな気がして。 そんなマイクロトフの行動に驚いたように、カミューは少し目を見開いている。マイクロトフはしまった、と思い、どうフォローするか考えた。しかし、生来口べたなマイクロトフにいい案が浮かぶわけもなく。ただ困ったようにカミューの目を見つめ返すことしかできなかった。 するとカミューが軽く苦笑して表情を緩める。 「そろそろ休憩時間も終わりだね。席に着こうか」 と、さりげなくマイクロトフの手にあった空のカップを取り上げて自分のと一緒にゴミ箱に捨てに行った。その後ろ姿を見送りながら、マイクロトフはまたも気を遣わせてしまったことに自己嫌悪に陥る。 カミューに呆れられる態度ばかりをとっている気がする。どうして、うまくいかないんだろう……。 胸が締めつけられるように痛かった。 そして。社会人生活が始まった。 入社して最初の1ヶ月は新入社員全員で研修を受けた。カミューとマイクロトフはその1ヶ月のほとんどを行動を共にし、10年来の友人のように仲良くなった。はじめはカミューを妙に意識し、ぎくしゃくしていたマイクロトフも、カミューの柔らかい人当たりに、優しい笑みにつられるように打ち解け、研修が終わる頃にはすっかり心を許すようになっていた。 そして、仲良くなるにつれ、マイクロトフの中でカミューの存在がどんどん大きくなっていく。それを友情と呼べるものかはマイクロトフ自身、わからなかった……。 入社して1ヶ月後。新入社員はそれぞれの部署に配置された。 慣れない仕事、初めて会う人々、覚えることは山のようにある。しかもマイクロトフが配属された部署は忙しいところだった。要領がいいとはいえないマイクロトフは四苦八苦しながら毎日を過ごしていた。 そんなマイクロトフの心の支えは部署が違うとはいえ、同期のカミューの存在。他にも同期は何人かいたが、明らかに交流の深さが違った。 カミューは部署の違うマイクロトフのところによく顔を出しにきてくれた。はじめは自分の部署から労働部へ提出する書類等を届ける口実で。慣れてくるとちょっと暇ができたときや、外回りの帰りなどにちょくちょく寄るようになった。 それはマイクロトフにとって、何よりの気分転換になる。こちらが忙しそうにしてると、「頑張っているか?」とか「忙しそうだな」とか一言二言交わすぐらいだったが、それだけで浮かれる自分がいた。カミューが外回りがなく会社にいるときは、必ずといっていいほど昼食は一緒にとっていたし、夕食を共にすることも多かった。 勤務データを扱う仕事に就いたマイクロトフはカミューの部署も常に忙しいことを知っている。それでもカミューは時間を作っては会いにきてくれる。それは嬉しいと同時に申し訳ない気持ちを引き起こしていた。いままで自分からカミューに会いに行く、ということをしたことがなかったのだ。ときどきそれを思うと、自分の仕事がデスクワーク中心だから他の部署には行きづらい、とか、カミューがほとんど外回りで事務所にいない、とか言い訳を考えてしまう。 会いたいのに自分からは会いに行けない。自分の意気地のなさがたびたびマイクロトフを自己嫌悪に陥らせていた。 そして、マイクロトフは考える。この気持ちはなんだろうと。他の友人たちに対する気持ちとは明らかに違う。昔から友人付き合いは淡白なほうだった。誘われれば付き合うが、自分から誘うことはほとんどない。しかし、それはカミューに対するように、会いたいのに会えない、というものではなく、基本的に1人で行動するのになんの抵抗もないからだった。人付き合いが苦手、というのもあった。友人と一緒にいるとそれなりに楽しいが、どこか気疲れする。それよりは1人で過ごす方が楽だった。 それがカミューと出会ってから変わってしまった。 2人でいるとカミューはマイクロトフの好きな、ふわり、とした笑顔をよく見せてくれる。それが嬉しくてマイクロトフはどんなに疲れていてもカミューの誘いを断らない。いや、疲れているときほど、「大丈夫?」と気遣ってもらえるのが嬉しくて誘いにのっているくらいだ。 その優しさに甘える自分を不甲斐ないと思いつつ、止められない自分がいた……。 入社して、3ヶ月が過ぎた。 マイクロトフはパソコンに向かって一心不乱にキーを叩きこんでいた。普段からひとつのことに夢中になると周りが見えなくなるタイプである。だから、カミューが背後に立ってじっと自分を見ていたなんてまったく気づいてなかった。 マイクロトフはひととおり打ち終わると、前かがみになっていた姿勢を戻して、ふう、と息をつく。それを待っていたかのように後ろから声がかかった。 「マイクロトフ、1箇所間違えてたよ」 「え?」 ここにいるなずのない人物の声が聞こえて、マイクロトフは驚いて振り返ろうとした。が、それより早くマウスに添えていた手に背後からカミューの手が重なる。 「ほら、ここ」 と、手を重ねたままカチッとマウスをクリックされた。マイクロトフは触れた手に、どきり、とする。 カミューは反対側の手でパソコンの画面を指差した。マイクロトフの背中にぬくもりが触れると同時に、ふわり、と彼の愛用のコロンが鼻梁をくすぐる。密着した体勢に心拍数が一気に上がった。 「ね? 0がひとつ多いだろ?」 耳元で話しかけられてもマイクロトフには応えることができない。震えだしそうになる自分を心の中で叱咤するのがやっとだった。 何か言わないと変に思われる……。 そうは思っても口の中はからからで喉の奥がはりついたように動かない。 カミューは気軽にこうして触れてくることが多々あった。心構えをしているときはまだなんとかやり過ごせるが、ふいをつかれるとうまく対応できない。マイクロトフにはこのうえなく心臓に悪い行為なのだ。向こうはなんとも思わず触れてくるのだろうと思うと、自分がこんなに意識していることに罪悪感を覚えずにいられない……。 「マイクロトフ?」 カミューに呼びかけられて、マイクロトフはようやく我に返った。 「あ、ああ。そうだな、ありがとう……」 と、慌ててカミューの手を振り払うようにマウスからテンキーに手を移すと、少し震える指で数字を打ち直す。 顔が真っ赤になっているのが自分でもわかった。カミューに突っ込まれたらどう答えたらいいのだろう……、と、どぎまぎしていると、背後で、くすり、と笑った気配がした。マイクロトフの心臓が鷲掴みされたように、ぎゅ、と痛む。 カミューはそっとマイクロトフの耳元に唇を寄せた。 「ねえ、今夜……食事でもどう?」 「わあっっ!」 いきなり艶のある低音で囁かれ、マイクロトフは耳を押さえて椅子ごとカミューから逃げる。カミューはその反応に肩を震わせて笑いだした。 「な、な、な、何をするっっ?!」 「いや、たまには色仕掛けをしてみようかと思って」 「な、なんのために?!」 「おもしろそうだから。って、案の定、おもしろかったけど」 くすくす笑い続けるカミューをマイクロトフは目元を赤くしたまま力なく睨みつける。周りの人たちもおかしそうに自分たちを眺めているのがわかった。いつも漫才のようなやりとりを交わしてる2人が密かに労働部の名物になっていることをマイクロトフは知らない。 「からかうのは……やめてくれ……」 「ごめん、ごめん。でも、食事の誘いは本当なんだけど。どう? 早く終わりそう?」 カミューの問いにマイクロトフは落胆を隠せなかった。今日は各部署の勤務データの締め切り日だから、残業は確実だったのだ。 各部署の勤務データはそれぞれの部署で入力されている。それをマイクロトフの部署で集計し、変なデータがないかをチェックし、確認する。そのデータは給与計算につながるものだから、非常に重要であり、締め切り厳守の仕事だ。月に一度の特に忙しい時期だった。 「今日は……すまない。残業なんだ……」 申し訳なさそうに言うマイクロトフにカミューは首を傾げる。 「どのくらい?」 「早くて2時間くらいか……」 「それくらいなら、俺もすることがあるからいいよ」 あっさり応えるカミューにマイクロトフは慌てる。2時間とは言ったものの、それで終わる保証はないのだ。 「え? し、しかし……」 「なに? 行きたくないの?」 「いや、行きたいが……」 思わず正直に答えてしまって、マイクロトフは、はっとして真っ赤になる。カミューは満足したようににっこり笑って、 「じゃあ、決まりだね。また後で」 と、軽く手を上げて事務所を出ていった。マイクロトフはしばし呆然とカミューの後ろ姿を見ていたが、我に返ると、慌てて仕事を再開した。 「え?」 マイクロトフは目の前に立っている人物の言葉に、とっさに反応することができなかった。ただ、唖然と相手を見つめる。相手は資材部の主任。心底、申し訳なさそうな顔をしていた。 「いや、本当にすまない。どういうわけかわからないんだが、消えてしまったんだ」 「全部……、ですか?」 「ああ……」 話によると資材部の勤務データが消えてしまったというのだ。有給休暇の取得データも残業のデータも、すべて。資材部の全員の分が。 「すまないけど、とりあえず、紙にまとめるから、入力してもらえるかい?」 勤務データは不正にいじられることのないように、各部署ではその週のデータしか入力できないようになっている。つまり、1週間以上前のデータは統括部署である労働部でしか入力できないのだ。 「え、ええ。わかりました……」 マイクロトフには引き受けることしかできない。少しでも早く終わるようにと必死に仕事を進め、この調子でいくとどうにか終業後2時間ほどで終わりそうな目途が立ったばかりだった。他の日だったならまだよかった。カミューせっかく誘ってくれた今日だということがマイクロトフの心を重くした……。 資材部の主任が自分の事務所に戻っていくと、マイクロトフはそっとため息をついた。それはあきらめのため息だった。 結局、資材部のデータを記した紙がきたのは終業間際だった。いまからこのデータを入力し、集計作業に入り……と思うと、もう終わる時間すら予想がつかなかった。 終業のチャイムが鳴ると、マイクロトフは重い足取りでカミューのいる営業部へ行った。もちろん今夜の予定を断りに、だ。しかし、営業部に行ってみるとカミューの姿はなかった。聞けば、外回りからまだ帰ってきてないという。 マイクロトフは自分の部署に戻って仕事を再開した。この仕事は手分けができるものではない。同じ部署の人間は自分の持ち分が終わると申し訳なさそうに帰っていった。 そして、2時間くらい経つとカミューが顔を出しにきた。そのときには労働部にはマイクロトフ1人になっていた。 カミューは外回りの帰りらしく、少しあせったような、それでいてはしゃいだような表情を浮かべていた。 「ごめん、遅くなっちゃって。すぐ片付けるから待って……」 「カミュー、すまない。今日は無理だ」 マイクロトフは早口にカミューの言葉を遮った。カミューの声が、自分との約束を楽しみにしているように聞こえて、つらかったのだ。 カミューはちょっと首を傾げた。 「なに? もう少しかかりそう? なら、俺もまだ仕事があるから……」 「いや。まだどのくらいかかるか見当もつかないんだ」 「なにかあったの?」 「ちょっと、トラブルがあって……」 「そっか。大変だね。……その仕事、今日じゃないとダメなの?」 カミューの問いかけにマイクロトフの胸はずきりと痛む。カミューが行きたがっているのにそれに応えられない自分。 「ああ……」 「手伝おうか?」 「そうはいかない」 「そうだよね。じゃあ、待ってるよ」 「だめだ!」 あっさりと紡がれた言葉にマイクロトフは反射的に叫んでいた。カミューが驚いたように目を見開く。マイクロトフは内心泣きたくなりながら口を開いた。 「そんなに……カミューに甘えるわけにいかない。今日は帰ってくれ」 「マイクロトフ……」 「頼む……」 カミューの顔が見られず、うつむいて言うと、ため息が聞こえた。怒らせた、とマイクロトフはぎゅっと目を瞑る。 「わかった……。あんまり根つめるなよ」 カミューは静かにそう言うと、事務所から出ていった。ドアが閉まる音がするまでマイクロトフは動けなかった。バタン、という音と同時に瞳から一筋の涙が零れ落ちる。マイクロトフはそれを拭うと仕事を再開した。 タン。 最後のキーを叩き終わってマイクロトフは大きく息を吐いた。時計を見ると12時を回っている。しかし、時間より、数時間前の出来事の方が心を重くした。 あとできちんと謝らないと……。許してくれるだろうか……。 どんな顔をして出ていったのか見てないだけに、カミューがどういう心境だったのかわからない。ただ、間違いなく怒っているだろうと思った。ひょっとしたらもう誘ってくれないかもしれない。 マイクロトフは疲れた身体と暗い心を引きずりながら、のろのろと後片付けをし、事務所を後にした。廊下に出ると、営業部の事務所から明かりが漏れているのに気づく。 まさか、と思いながら中を覗き込むと、応接セットのソファーにもたれて眠るカミューの姿があった。 「カ、ミュー……?」 待って……いてくれた……? マイクロトフは信じられない思いで事務所の中に入っていく。カミューはドアの開く音にも起きる様子はなく、穏やかに寝息を立てていた。 マイクロトフはそっと近づいて寝顔を覗き込む。 カミューだってこんなところで寝てしまうほど疲れているのに。自分を……待っていてくれた……。 マイクロトフの中で熱い感情が一気に溢れ出た。……それはカミューへの想い。激しい奔流となって身体を駆け巡る。 マイクロトフは引き寄せられるように顔を近づけていった。目を閉じて、かすかに震える唇に万感の想いを込めて、カミューの唇に触れる。 一瞬とも永遠ともつかない時が流れた……。 マイクロトフは静かに唇を離し、目を開けた。すると……琥珀色の瞳が静かに自分を見ていた……。 「カ、ミュー……」 マイクロトフは信じられないものを見るように目を見開く。自分が今したことがどんなことなのかを理解した瞬間、はじかれたように身体を起こして、逃げ出そうとした。しかし、一瞬早く、カミューの手がマイクロトフの腕を掴む。 「マイクロトフ」 「離してくれっ!」 マイクロトフはカミューの手を振り払おうとした。しかし、カミューの手は外れない。逆に、ぐいっと引き寄せられた。バランスを崩したマイクロトフはソファーに手をつく。その隙にカミューはもう片方の手も伸ばして背中に回すと、マイクロトフが逃げられないようにする。 「マイクロトフ……、今のは?」 「すまないっ! 俺は……っ」 恐怖から逃れるように目を閉じて身体を離そうと足掻くマイクロトフの両頬を、カミューの手が包み込んだ。 「マイクロトフ」 静かな声にマイクロトフはびくり、と身をすくめる。 「マイクロトフ」 もう一度、名前を呼ばれてマイクロトフは恐る恐る目を開ける。その漆黒の瞳には恐怖と絶望が浮かんでいた。 それを真正面から捉えたカミューがそっと口を開く。 「どうして……俺にキス、したの?」 間近に琥珀色の瞳に覗き込まれてマイクロトフは泣きそうになる。これでカミューとの関係が終わるのだと思うと自分の軽率な行動が悔やまれた。 「どうして?」 静かな、しかし、逃げを許さない問いかけにマイクロトフは絶望を抱えたまま重い口を開く。 「カミューが……好き、なんだ……」 想いを口にしたとたん、涙が零れ落ちた。溢れてしまった自分の想い。裏切ってしまった大切な友情……。 「軽蔑してくれ……」 マイクロトフは震える声でそう言うと、カミューから浴びせられるであろう、罵声を待った。が、 「……俺のこと、好き、なの?」 カミューの口から出たのは静かな問いかけ。どこか優しさを含んでいるように聞こえるのを、自分の都合の良すぎる解釈だ、と自分の浅ましさを卑下し、マイクロトフはかすかに頷いた。想いはかなわなくていい。ただ、カミューに軽蔑されるのが怖かった。 「そう……」 言葉と共にふわり、とぬくもりがマイクロトフを包んだ。それがカミューに抱きしめられている、と理解するのに数瞬かかる。 「カミュー……?」 マイクロトフが呆然と名を呼ぶと、かすかに抱きしめている腕に力がこもった。 「おまえの気持ちはわかったよ……」 優しい、声。 「だから、泣かないで……」 優しく髪を撫でられて、マイクロトフの瞳に新たな涙が浮かぶ。それは、自分の気持ちを否定しないで受け止めてくれたカミューへの、感謝と歓喜の涙だった……。 カミューはますます泣いてしまったマイクロトフの髪を優しく撫で続ける。 カミューの胸に顔をうずめているマイクロトフには気づくよしもなかった。……カミューが満足げな笑みを浮かべていたことを。 やっと……言ってくれたね……。 心のつぶやきはマイクロトフの耳に届くことはない……。 おまえは、もう、俺のものだよ…… 終わり |