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「俺は納得できません! どうしてハイランドの凶行を眺めているだけなのですか!!」 「マイクロトフ。おまえはこのマチルダを戦禍に巻き込め、と言うのか?」 静かに、だが威圧的に聞き返されて、青騎士団長・マイクロトフはうつむいて唇を噛んだ。マチルダの最高地位にある白騎士団長ゴルドーは椅子に深々と腰かけ、その様子を冷ややかに見ている。マイクロトフは逡巡したのち、顔を上げた。 「しかし! ミューズが陥ちた今、我々が戦わねば都市同盟は……」 「おまえの言っていることは所詮、理想論だ。騎士団だけでハイランドに太刀打ちできると思っているのか?」 言いかけたところをぴしゃりと遮られて、マイクロトフは再び沈黙する。しかし、今度はうつむいたりせず正面から真っ直ぐゴルドーの目を見据えた。実直な性格を表すかのようなその強い眼差しは少しでも後ろめたいことがある相手には煙たいものである。ゴルドーの顔色が変わってきたことを敏感に察知した赤騎士団長・カミューは、そろそろか、と口を開いた。 「マイクロトフは少し頭に血が昇っているようです。これでは話し合いにならないでしょう。ゴルドー様、御前を失礼します。 ……こい、マイクロトフ」 「しかしっ、カミュー……!」 何か言いかけたマイクロトフを視線で黙らせ、カミューはゴルドーに向けて軽く一礼すると、問答無用で腕を引いていく。背後でゴルドーが気に入らない、というふうに鼻を鳴らして「若造が……」などと口にしていたが、そんなことはどうでもよかった。 「カミュー! なぜ止めた?! おまえはこの状況をなんとも思わないのか?!」 赤騎士団長の執務室に連れこまれたとたん、食ってかかるマイクロトフにカミューはため息をついた。あのままあの場にいてもゴルドーが権力を盾に強引にマイクロトフの意見を退けるのが目に見えていたのに。 「何とも思わないわけがないだろう」 カミューとてハイランドの狂皇子ルカ・ブライトの残虐の限りを尽くした行いは決して許せるものではない。 「だったら……!」 「しかし、あの場ではあれ以上申し立ててもゴルドー様の怒りを買うだけだ」 カミューに冷静に返されてマイクロトフは、うっと詰まる。確かにゴルドーに出撃の意思がないことはそのそぶりでわかっていた。しかし、だからといって黙ってはいられなかったのだ。 「それでも、俺は……」 「確かにゴルドー様がおっしゃったことは正論だ。だが、俺も賛同はしかねる」 カミューの言葉にマイクロトフは勢いよく顔を上げた。その顔に喜色が浮かんでいたが、カミューは厳しい表情を崩さないで受け止める。 「それでも。いまは言うべきときではない。物事には順序というものがあるんだ」 「順序?」 「周りを、もう少し固めないといけない。ゴルドー様でも無視できないような、周囲の意見の一致が必要だ。白騎士団内にはまだ開戦反対意見の方が多い。赤騎士もまだ半々といったところだ……」 誰もがハイランドの凶行は許せない。しかし、戦うとなれば別だ。勝ち目が薄い戦を誰が好むだろうか。決して臆病ではない騎士団でも、まだ自国に脅威が降りかかってないことを理由に、静観を主張する者も少なくないのだ。 そして。それは青騎士団とて同じだった。マイクロトフはどのくらい把握しているのだろう……。 カミューの視線の意味をちゃんと理解したのだろう。マイクロトフは、はっとしたような表情になる。 言われてみれば自分の団内の意見がどうなっているのかまったく把握していなかった。いや、カミューに言われるまで、全員が開戦に賛成しているものだと思っていた……。 これは部下への一方的な驕りだ……とマイクロトフは唇を噛んだ。 カミューはその悔しそうな表情を見て、彼がいま何を考えているかを知る。本当に融通のきかない、駆け引きのできない性格だ。何度こうして彼のフォローにまわっているだろう。しかし。 それも愛しいと思っているのだから手におえないな……。 カミューは思わず苦笑を漏らす。それが、マイクロトフの思わぬ怒りを買った。 「カミュー! 何をにやにやしているんだ!! おまえはいつもそうだ! 俺が失敗するのをそうやって嘲笑っているのだろう!」 「ちょ、マ、マイク?」 「どうせ俺はおまえみたいに要領もよくないし、頭も良くない! 人付き合いもうまくない!! だが、俺にはおまえみたいに誰にでもいい顔をしたり、軽薄にご婦人方に愛嬌をふりまく真似はできない!!」 マイクロトフはカミューの言葉に、深刻に悩み、反省していた。しかし、カミューのちょっと皮肉げな笑みを目にしてしたとたん、かっとなってしまったのだ。嘲笑された気がした。自分にはできないことをさらりとやってのけるカミューに、嫉妬じみたやつあたりもあったかもしれない。しかし、そうとは知らないカミューは突然怒り出したマイクロトフにとまどいつつも、軽薄、などと言われてはさすがにむっとする。 琥珀色の瞳を険しくさせてマイクロトフの顎を少し乱暴に掴み、間近から覗き込んだ。 「マイク……、おまえは本気で言っているの? いつも言ってるだろう? 愛しているのはおまえだけだって」 「かっ、軽々しく愛などと口にするな! おまえの愛は軽くて俺には信じられない!!」 顔を赤らめながらも睨みつけてくるマイクロトフにカミューは一瞬目を見開いた。しかし、すっと目を細めると、無理矢理口付ける。マイクロトフは目を閉じる間もないほど驚いたがカミューの冷たい瞳にぶつかって、ぞっとした。思わず力いっぱい抵抗し、偶然腕が殴るようにカミューの頬に当たった。 「っつ……」 カミューは口付けを解いて頬に手をあてた。思い切りあたったわけではないが、少し赤くなっている。マイクロトフは謝ろうかどうか少し悩んだが、結論がでるよりカミューが口を開く方がが早かった。 「やきもちだったらもっと可愛く妬いてほしいものだね」 挑発的な笑みを浮かべて言い捨てる。それはいつもの明るくからかうものとはあまりにも違いすぎて。マイクロトフはカミューが怒っているのを感じたが、可愛い、などと言われてまた血が昇った。 「誰がやきもちだ!!」 「ああ、おまえがそういう色気あることをするはずないか。なにせ、色恋沙汰はまったくの苦手でいらっしゃるからな、青騎士団長殿は」 「なっ、なんだと?!」 「悔しかったら浮気でもしてみるかい? まあ、おまえにそんな甲斐性があるとは思えないけど」 「〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」 真っ赤になって睨みつけるマイクロトフを見て、カミューはさすがに言いすぎたかと思った。ろくに話し合わないで売り言葉に買い言葉で感情をぶつけあってしまったが、どこかにお互い誤解や言葉が足りないところがあるはずだ。 カミューはひとつため息をついて自分の荒れた感情を静めると口を開こうとした。が、マイクロトフが小声でなにやらつぶやいた。 「……やる」 「え?」 「浮気ぐらいしてみせる! あとで吠え面かくなよ!!」 カミューに指を突きつけ、マイクロトフは宣言すると足音も荒く部屋を出ていった。あまりの言葉に呆然としていたカミューはドアの閉まる音で呪縛が解ける。 「…………うそ、だろ…………」 赤騎士団長の執務室に残ったカミューはさっきのやりとりを思い出して、感情を荒立てていた。 だいたい、俺が何をしたっていうんだ! 愛が軽いだと? おまえ以外は何もいらないと思っている俺の愛が軽いだと?! おまえは全然わかってない!! カミューの苛立ちが最高潮に達したとき、ドアが開いた。赤騎士団副団長がいつものように柔らかい笑みを浮かべて書類を抱えて入ってくる。 「失礼します。何度ノックをしても返事がなかったので……って、団長、備品を壊さないでください!」 赤騎士団副団長が目撃したのはゴミ箱を豪快に蹴飛ばした赤騎士団長の姿。カミューは息も荒く副団長を振り返る。その表情は普段の華麗な赤騎士団長の姿からは想像もできないほど怒りを露わにしていた。副団長は、まずいときにきてしまった……と己の不運を嘆いたが、無視できる状況でもない。 普段は鉄壁の微笑で自分の心理状態などかけらもみせないこの赤騎士団長がこうして感情を露わにしている、となれば理由はただ一つ。……恋人がらみ、ということだ。 若い頃は女性関係も派手に遊び歩いていたこの男が本命を手に入れてから、がらりと変わった。過去についても彼曰く「行き場のない想いを持て余していた」、失礼な言い方をすれば欲求のはけ口にしていた、ということらしい。 ずっと想い続け、しかし、結ばれることなどない、とあきらめていた相手と晴れて相思相愛となって浮かれているのはよくわかる。よくわかるが、最近は感情の起伏が激しくなってきたように思う。はっきりいえば幼い子供のようだ。副団長である自分にしか見せないからまだいいが、こういう姿を他の騎士たちが見たらどう思うだろう。 相手を怒らせたといえばどっぷりと落ち込み、何かいいことがあればにやにやしている。たいへんわかりやすいのだが、ちょっと度が過ぎているかもしれない。彼は従騎士時代から感情をうまく隠すすべを心得ている少年だった。それにくらべれば人間味があっていいかもしれないが……。機嫌がいいときはまだいいが、悪いときは仕事でやつあたりまではじめたのだからたまらない。微笑みのポーカーフェイスはどこへやら、という感じである。 「何かあったんですか? そんな顔をしていては私以外の騎士たちは逃げ出してしまいますよ?」 副団長・レイブリックはとりあえずにっこりと微笑んで問いかけた。その落ち着いた態度に、カミューは少し冷静になる。 「レイ……」 副団長の愛称を呼んでカミューは髪をかきあげた。ふう、と息をついたときにはいつもの顔に戻っている。副団長はそれを確認すると、しゃがみこんでカミューが蹴飛ばしたゴミ箱の後片付けをはじめようとした。カミューは慌てて制する。 「ああ、私がやるよ……」 「いえ、その書類に目を通していただけますか? 少し急ぎですので」 ゴミ箱は見事にひっくり返っていたが、幸いひびが入っただけで割れてはいなかった。副団長は散らかったゴミをゴミ箱に戻していく。カミューはばつが悪そうに「すまない」と小声で謝ると書類に目を通した。 その書類の下のほうには赤騎士団長と青騎士団長の署名する欄があった。両団長のサインが必要ということはかなりの重要書類となる。 しかし。いまのカミューにはタイミングが悪すぎた。青騎士、という単語が見えただけでまたさっきの怒りがふつふつと甦ってくる。 しかも浮気してみせるだって? 女性に話しかけられるだけで真っ赤になるおまえが? ……まさか、青騎士とじゃないだろうな。あいつら、俺のマイクに手を出したりしたら……ユーライアの錆にしてやる!! ゴミを拾いながらカミューが書類にサインするのを待っていた副団長は、いつまでたってもペンを走らせる音がしないことを奇妙に思い、顔を上げた。 「団長! それは重要書類なんですよ! 紋章を発動させて何をする気ですか!!」 赤騎士団長の執務室に赤騎士団副団長の悲痛の叫びが響き渡った……。 コンコン ためらっているのがわかるようなノックの音に、赤騎士副団長・レイブリックはきたな、と思った。すぐさま立ち上がり、ドアを開けに行く。ドアの外には思ったとおりの人物が立っていた。 「あ……」 中から「どうぞ」という返事がくるのを待っていたマイクロトフはいきなり開いたドアに少し驚いたようだった。レイブリックはにっこりと笑う。 「これは、マイクロトフ様」 その笑みが一瞬恐ろしいものに見えたマイクロトフは目を瞬かせる。それに目聡く気づいたレイブリックは 「どうかなさいましたか?」 と、笑みを深め、完璧に隠しとおす。マイクロトフはその様子に、気のせいだったと思い直し、慌てて首を振った。 「いや……、突然押しかけてすまない……」 「いいえ、かまいませんよ。立ち話もなんですから、どうぞ」 レイブリックはドアを大きく開き、マイクロトフを中に促す。マイクロトフは逡巡したのち、すまない、と小声で謝って中に入った。 「お茶でも煎れましょう。どうぞ、おかけください」 マイクロトフにソファをすすめて、手早く紅茶を煎れるとレイブリックは向かい側に座った。 「忙しいのにすまない」 「いいえ。大丈夫ですよ。どうなさいましたか?」 恐縮するマイクロトフに優しく笑いかけて話をしやすいよう促す。 マイクロトフが自分を訪ねてくる、というのはおおかた予想していた。自分の上司と何かあった、というのは先程嫌というほど思い知ったし、恋愛沙汰に疎いマイクロトフが一人で解決できるような事態はそう多くないだろうと思っていた。と、なれば相談相手に選ばれるのはマイクロトフより無愛想だ、と評判高い青騎士団副団長より、団は違えど自分にくるのではないかと思っていたところもあったのだ。 ええ、何があったかは知りませんけど、団長には少し痛い目をみていただきましょう……。 レイブリックがちらり、と視線をやったゴミ箱の中にはなにやら燃えかすが捨てられていた……。 レイブリックが暗い笑みを浮かべていると、マイクロトフはちょっとうつむいて視線をさまよわせていたが、思いきったように顔を上げると口を開く。 「浮気の仕方をおしえてくれ!」 …………はい? カミューに負けず劣らずの鉄壁の微笑みで何事にも動じることなく応じる、と評されている赤騎士団副団長は笑顔のまま凍った……。 マイクロトフは真っ赤にしたままレイブリックをみつめていたが、相手のあまりの驚きように、やはり自分の悩みはおかしいのだ、という結論に辿りつき、慌てて立ち上がった。 「す、すまなかった! いまのは聞かなかったことにしてくれっ」 「え? あ、ああ、お待ち下さい!」 レイブリックは背中を向けようとするマイクロトフの腕を間一髪掴む。そして彼の言葉を心の中で反芻してみた。 浮気……ねえ。あの団長ならいまこうして私と二人でいる、というだけでも充分、嫉妬ものなんだけどね……。 赤面したまま振り返るマイクロトフにレイブリックは微笑んでみせた。 「わかりました。ご協力致しましょう」 その笑みが、またも何やら恐ろしいものに思えてマイクロトフは背筋を震わせた……。 コンコ……ガチャッ レイブリックが再び赤騎士団長の執務室をノックすると2度目を叩き終わらないうちにドアが開いた。赤騎士団長はこれでもかっというぐらい優しい、というか愛想たっぷりの笑みを浮かべて部屋から顔を出している。 「やあ、レイ。しょ、書類はできたかい?」 「ええ。『おかげさまで』同じ文章を2回書くだけでしたので、できあがりました」 にっこりと笑みを浮かべながら『おかげさまで』を強調する部下にカミューは労うように肩を叩く。さすがに反省しているらしい。 「お、お疲れ様。じゃあ、さっそくサインするよ」 と、書類を手にすると机にむかう。そしてサイン欄を見ると、既に青騎士団長のサインがあった。 「……マイクロトフに先に行ったのかい?」 サインした後に「自分が持っていくよ」と、マイクロトフのところに行こうと思っていたカミューは思わずつぶやいた。 なんだかんだいってもやっぱり喧嘩したままなんて耐えられないのだ。時間が経つにつれ、怒りよりも寂しさと、ありえないだろうとは思っているが、万が一、有言実行されていたら、という焦燥感の方が強くなっていた。かといって普通に会いにいって冷たくあしらわれたら、と思うとそれも怖くてできなかった。仕事がらみだと向こうも無視するわけにはいかないだろうから、いい機会だと思っていたのだ。 レイブリックは見るからに落ち込んだカミューに気づかないふりをしてすまして応えた。 「ええ。先程おじゃましてきました。……本当にじゃましてしまったようで、申し訳なかったのですが」 「え?」 思わず顔を上げたカミューにレイブリックは曖昧な笑みを浮かべた。 「マイクロトフ様にあんな可愛らしいお知り合いがいらっしゃるとは知りませんでしたよ」 「……なんだって?」 「マイクロトフ様のご家族に連れられていらっしゃったみたいでしてね。とても楽しそうに過ごしておいででした。そうとは知らず、無粋な真似をしてしまったものです」 レイブリックの言葉にカミューは鈍器で頭を殴られたようなショックを受けた。 可愛らしい、知り合い……? 家族に連れられてって……家族公認の仲……ってことか……? マイクロトフはマチルダでも有数の名家の出だ。家柄で決められた婚約者の1人や2人いてもおかしくはない。しかし……そんなことは一度も聞いたことがなかった。しかも、あれほど女性を苦手としているマイクロトフが……。 「……楽し、そうに……?」 「はい。マイクロトフ様もいつになく優しい笑みを浮かべておいででした。私に気づくと照れくさそうに引っ込めてしまいましたが……」 バンッ レイブリックの言葉にカミューはこらえきれなくなって机を力任せに叩いた。はずみでインクが倒れ、書類を黒く染めていく。しかし、レイブリックは慌てることなく、 「ああ、なんてことをするんですか。またダメになってしまったじゃないですか」 と、もう一枚の書類を取り出した。それはさっきと同じ書類。うつむいているカミューに差し出す。 「こんなこともあろうかともう一枚用意しておいたんですがね。 申し訳ありませんが、マイクロトフ様のところに行ってもう一度サインをいただいてきてもらえませんか?」 「……私に行けというのか?」 顔を上げたカミューの表情はいろんな感情が入り混じっていて、歪んでいた。怒り出しそうにも、泣き出しそうにもみえる。しかし、レイブリックはまったく動じず、微笑み返した。 「自業自得でしょう? 私とて同じ書類にまたサインをもらいにいくのは嫌ですよ」 「……マイクロトフの客人が帰られてからでも……」 「団長。何度言わせる気ですか? その書類は急ぎなんですよ。 それにマイクロトフ様は喜んで彼女を紹介してくださると思いますよ。あなたは大事な『親友』なんですから」 優しい、しかし、容赦ない口調で言い切られてカミューは目を閉じる。 「……わかった……」 死刑宣告を受けたかのような口調にレイブリックは満足げに微笑んだ。そして、書類片手にとぼとぼとドアの向こうに消えた赤騎士団長の後姿を見送ると、少し苦笑いする。 『親友』を強調したのは少し意地悪だったか……。 でも、まあ、たまにはいい薬だろう。 レイブリックは悲惨なことになっている上司の机を片付けはじめた。 はあ…… カミューは青騎士団長の執務室へ向かう廊下を歩きながら何度目かのため息をついた。足が鉛のように重い。 喧嘩なんかするんじゃなかった……。冗談でも浮気もできないだろう、なんて言うんじゃなかった……。 相手が女性では自分に勝ち目はない。彼を強引に手に入れておきながらも、心のどこかでは彼と結ばれるのは清楚な女性であるべきだ、とわかっていたから……。 女性が苦手なマイクロトフはひょっとして喧嘩した意地で無理矢理その女性と一緒にいるのかもしれない。しかし、家族公認の女性ならば彼女がその気になればあれよあれよというまに結婚話にまで進んでしまう可能性だっておおいにありえるのだ。 しかも。 本当に楽しげにその女性といたら、自分はどうなってしまうのだろう……。まさか女性相手に殴りかかるとはさすがに思わないが……。 泣いてしまおうか。 ぽつん、と浮かんだ考えは名案のように思えた。芝居の必要がないほど泣きたい気分だったから。 そうだ。マイクの前で泣き出してやろう。彼はどうするだろうか? 彼女にはどう言い訳する? ……どうせ最後なんだから、うんと困らせてやろう……。 そんな後ろむきな結論が出たところで青騎士団長の執務室前に着いた。カミューは目を閉じてもう一度ため息をつくと、思いきってノックをする。中から少し慌てたような誰何の声が上がった。カミューが「俺だよ……」と答えると「カ、カミューか。ちょっと待ってくれっ」というさらに慌てたような声がする。カミューはその声を聞いて、何をしてるんだ?! と瞬時に切れてドアを開けた。 そして……。 「カ、カミュー……!」 「マ、イク……? ……何、してるの……?」 カミューは目の当たりにした光景に呆然と口を開いた。マイクロトフは真っ赤になって、慌てた様子で身体を起こそうとする。 「い、いや、これは、そのっ、……うわっ、待て! ヴァル!」 べろべろ。 マイクロトフに茶色い大型犬がのしかかっていた。尻尾を振って、嬉しそうに顔中を舐めまわしている。マイクロトフもくすぐったそうにしているが、顔は笑っていた。 「…………彼女は?」 カミューはレイブリックが言っていた女性のことを聞いたつもりだった。だが、マイクロトフは犬をなだめて身を起こすと、 「彼女はヴァルキリーだ。ヴァル、挨拶しろ」 と、犬を紹介する。犬はその場におすわりすると、カミューにむかってワン! と鳴いた。マイクロトフはその様子に目を細めて頭を撫でてやると、カミューに向き直った。 「それにしても、ヴァルがメスだということがよくわかったな」 「え、いや、その……、マ、マイクの犬かい?」 「ああ。最近家に帰ってなかったから、すっかりはしゃいでしまってな」 言ってるそばからヴァルキリーは興奮した様子で立ち上がり、マイクロトフにのしかかろうとしていた。マイクロトフは笑いながらそれを軽く受け止め、あちこちを撫でてやる。 ご主人様と飼い犬の楽しげなじゃれあいをしばし呆然と見ていたカミューはがっくりと膝をついた。 …………やられた…………! バタンッ 「レイ! あれはどういうことなんだ?!」 ドアが開くと同時に怒鳴りこんできた上司に、レイブリックは平然と書類に向かっていた顔を上げた。 「おや。なんのことです? 私は彼女が『人』だとは一言も言ってませんよ」 しれっと受け流す部下に、カミューはバンッと机を叩く。 「犬だとも一言も言わなかっただろう!」 「大事な書類を燃やされた仕返しです。公私混同はほどほどにしてくださいね」 にや、とめずらしく人の悪い笑みを浮かべるレイブリックにカミューは歯噛みした。 「……おまえがこんなに性格が悪かったなんて知らなかったよ」 「そうですか? それとも私に相談にきたときに……」 「相談? マイクがおまえのところにきていたのか?!」 「ええ。浮気の仕方をおしえてくれ、と言われました。 あの方に懸想してる輩をけしかけたほうがよかったでしょうか?」 「何?! そいつは誰だ!!」 「お教えできません。行方知れずになったり、死体で発見されたりしたらさすがに目覚めが悪いので」 「……………………」 カミューは、この男だけは敵にまわさないようにしよう……、と心に誓った。 「カミュー……」 「ん? なんだい?」 漆黒の髪を梳きながら優しく問い返すと、肩のあたりに顔を埋めていたマイクロトフは少し身じろぎして上目遣いにカミューを見た。 「その、レイブリックは、俺たちのことを……知っているのだろうか……?」 「…………マイク」 カミューはなんともいえない曖昧な笑みを浮かべると、マイクロトフの頬を両手で包んで瞳を覗き込んだ。 「世の中には知らないほうが幸せなことがあるんだよ…………」 マイクロトフはよくわからなかったが、昼間垣間見た恐ろしげな笑顔を思い出して、なんとなく納得した……。 おわり |