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マイクロトフは急いでいた。 今日はどうしても城下街に行かなくてはいけない。しかも時間制限付きで。 いつもの自分からは想像もできないくらいの勢いで書類を片付け、やっとほんの少しの休憩時間を手に入れた。通常の休憩時間と合わせてぎりぎり往復できるか、という微妙な時間。次の執務が始まるまでに城下街を往復しなくては! どんなに急いでいても廊下を走ることは許されない。規則で火急の場合のみしか許可されていないからだ。団長職にある自分が破るわけにはいかなかった。 はやる気持ちを抑えて、これ以上はないってぐらいの早足で廊下を歩き続ける。 そこに、最大の障害が立ち塞がった。 「やあ、マイク。ずいぶん急いでいるみたいだけど、どこに行くんだい?」 「カミュー……」 ドアの陰からいきなり姿を見せ、にこやかに声をかけられても、マイクロトフはさほど驚きはしなかった。常日頃からなぜか自分の行く先々に彼が現れることは多かったから、どことなく予感めいたものを感じていたのかもしれない。 廊下を塞がれてやむなく足を止める。しかし、時間はぎりぎり。一分一秒が惜しかった。 「すまない! 話はあとで聞くから通してくれ!」 「やだ」 あっさりと断られてマイクロトフは思わず声を荒げる。 「どけと言ってる!」 「キスしてくれたら考えてあげてもいいよ」 できるわけないよね、という含みの笑みを浮かべてカミューが言った。マイクロトフは一瞬絶句し、すぐさま真っ赤になる。 「なっ、何をばかなことを言ってるんだ……!」 「ばか、ね……。いいけどさ、べつに」 カミューは軽く肩をすくめると笑みを浮かべたまま、真っ直ぐマイクロトフの目を見て歩み寄ってきた。顔はにこやかだけど、琥珀色の瞳がなぜか笑っていない。 「どこに行くの?」 「ちょ、ちょっとな……」 カミューがどうして怒っているのかわからないマイクロトフは、迫力に押されて少したじろいだ。そんなマイクロトフにはおかまいなしにカミューはずい、と、恐い笑みを浮かべたまま顔を近づける。 「俺も連れていってよ」 「う……、そ、それはできない……」 マイクロトフが気まずそうに目をそらすと、カミューは、へえ、と目を細めた。 「俺とのお茶の時間を蹴ってまで行こうとしているのに、俺には言えないし、連れていってももらえないんだ?」 拗ねてる、というよりは感情を表に出さない冷たい口調に、マイクロトフの背中に冷たい汗が流れる。これはかなり本気で怒っているときの声だ。 まずい……。街に行くことばかりに気を取られていて、すっかり失念していた……。 理由が理由だけにカミューには知られたくない。マイクロトフはどうやって許してもらおうか考え、とりあえず素直に謝ってみることにした。 「す、すまない。後で埋め合わせはするから……行かせてくれないか?」 「埋め合わせ? ……ふうん、今夜は徹夜で付き合ってくれるのかな?」 瞳に剣呑な光を浮かべ、さらりと言われたセリフに、マイクロトフはぎょっとする。 「そ、そんなことできるわけないだろう! 明日から遠征なんだぞ……!」 「わかってるよ。だから、今夜はゆっくり眠らせてあげようと思ったのに。だからこそ、お茶の時間を大事にしたかったのに」 カミューの睨みつけるような視線にマイクロトフは、うっ、と言葉に詰まった。カミューは殊更冷たい口調で続ける。 「でも、マイクロトフはそんなことはどうでもよかったんだね。だったら俺も余計な気を使うことはなかったってわけだ」 「カ、カミュー……」 カミューの心遣いを知って、マイクロトフは申し訳なく思うと同時に、自分の自分勝手さに歯噛みした。カミューはこんなに自分のことを思っていてくれたのに、自分はあまりにも自分のことだけを考えて行動していた。 ぎゅっと手を握って俯く。カミューがこれだけ気遣ってくれたものを自分が無にしてしまったのだから、怒って当然。とにかく謝罪をするしかなかった。 「すまな……」 「いいよ。どこへなりとも行ってくればいい」 カミューの突き放すような口調にマイクロトフは思わず顔を上げる。その視線を受け止めた琥珀色の瞳はあまりにも無表情だった。 「カミュー……」 いつも優しく微笑んでくれるカミューがこういう表情をするとかなり凄みがある。マイクロトフはいいようのない恐怖感に襲われながらも視線を外せなかった。目をそらした瞬間、死刑宣告に等しい言葉を叩きつけられそうで……。 絶望感に身体が震える。心臓がいまにも止まるのではないか、というほど早鐘を打っていた。何か謝罪の言葉を口にしなくては、と頭ではわかっていても、うまく言葉が出てこない。 苦しくて、苦しくて。いっそ、このまま気を失ってしまいたい、とさえ願うほどの重い沈黙。 息苦しさのためか歪んできた視界の先で、ふ、と、カミューの瞳が和らいだ。 「なんて顔をしてるんだい?」 「え?」 優しい声音にマイクロトフが思わず瞬きをすると瞳から一粒の涙が零れ落ちた。視界が歪んできたのは涙が溜まっていたせいだった、とようやく気づく。 「ちょっとおいで」 腕を引かれるままに導かれたところは、普段、人の出入りの少ない応接室。 カミューはドアを閉めると、 「ごめんね。怒った?」 と、ふわりと首に腕を回して顔を覗き込んできた。その表情はいつもの優しい笑み。マイクロトフは首を横に振る。 「怒るのは……カミューの、方……だ……っ」 あまりの安堵に言葉の途中で涙が溢れ、嗚咽が漏れる。マイクロトフは自分の口元を片手で覆った。カミューはその手を優しく掴んで口元から離すと、軽く口づけ、そのまま涙も拭う。そして、頭をそっと抱き寄せた。そのぬくもりにマイクロトフは箍が外れたように、ぎゅうっと胸元にしがみつく。 「ごめんね。泣かないで……」 「カミューが……謝る必要はない……。俺が、悪いのだから……」 許してほしい……とマイクロトフがつぶやくと、カミューはゆっくりと漆黒の髪を撫でた。 「ごめん。大人げなかったね。ただ、ちょっと淋しかったんだよ。マイクが俺以外のものに夢中になっているのが」 「すまない……」 「もう、いいよ。俺のほうこそじゃましちゃってごめんね」 言いながら髪を撫でていた手を顎にもっていき、掬った。涙に濡れた漆黒の瞳が自分を見上げてくるのを微笑みで受け止めて、ゆっくりと口づける。 口づけを解くとカミューは少し笑った。 「しょっぱいよ」 そう言うと、かあぁ、と顔を赤くする恋人が可愛くて。カミューはもう一度口づける。今度は少し深く口づけると、マイクロトフが素直に応えてきた。カミューは一瞬驚いたが、すぐ気を良くして夢中になる。深く、深く貪っているとやがて腕にマイクロトフの体重がかかってきた。どうやら腰が立たなくなってきたらしい、と思う頃にはカミューはすっかりその気になっていた。 力強く抱きしめて支えてやりながら、耳元で、「マイク……」と熱っぽく囁く。 「今夜の代わりに……、いま、いい?」 腕の中でぐったりと身体を預けていたマイクロトフはさすがに驚いて顔を上げた。 「だめ、だ……。まだ仕事が……。遠征前に片付けないと……」 言葉に力がないのは多少なりともその気があるはず、と、カミューは青い騎士服に手をかけ、襟元をくずしにかかる。 「後で手伝うし、終わらなかった分はマイクがいない間にやっとくよ」 「しかし、それでは……あっ……」 露わになった首筋に食いつかれ、甘い声が上がった。 その声が引き金になった。けっきょくは二人とも欲しがっていたのだから……。 「カミューは普段は本当に手を抜いているのだな」 マイクロトフがペンを片手にぶつくさと言っているのは、数時間前の行為からくる気恥ずかしさを隠すためか。同じくペンを持っているカミューはにっこりと笑って受け流した。 「そんなことないよ。ただ、愛するマイクを助けるために頑張っただけだよ」 「ばっ、……おまえというやつは……」 マイクロトフは瞬時に顔を赤くして書類に向き直る。 あのあとマイクロトフの執務室にカミューがついて来て、中で待っていた青騎士副団長に「明日からの遠征のことで打ち合わせをしていた」と、しれっと言い訳して去っていった。そして執務時間が終わってもマイクロトフは当然終わるわけもなく、書類と格闘していたところにカミューが助っ人に来た。聞けば自分の方は終わったとのこと。 それで先程のセリフがでてきたのだ。 「まったく……。今度、ゴルドー様に言って仕事の分担を考え直してもらわねば」 「おいおい。勘弁してくれよ」 マイクロトフに恩を着せる楽しみが減るじゃないか、とはさすがに口にしなかったが、にやにや笑っていると、じろり、と睨みつけられた。カミューは、くすくす笑って口を開く。 「早く終わらせよう。夕食を用意してもらっているから」 「え?」 マイクロトフが顔を上げると、カミューは大げさに肩をすくめてみせた。 「おや。明日から遠征に行ってしまうおまえとしばしの別れを惜しむため、ささやかな晩餐を用意してはいけなかったかい?」 「い、いや、とんでもない。 ……カミューは本当に気が利くのだな……」 慌てて首を横に振り、最後はうつむいてため息まじりに言うマイクロトフに、カミューは艶やかに微笑み返す。……その笑みが少し意地悪げだったことには下を見ていたマイクロトフは気づかなかった……。 「カ、カミュー!! は、謀ったな!!」 仕事を終え、カミューが用意してくれた夕食の席に赴いたマイクロトフは、テーブルの上に並べられたおいしそうなごちそうを目の前に一瞬呆然とし、我に返るとカミューに向き直った。カミューは人の悪い笑みを浮かべる。 「おまえの行動なんかお見通しだよ」 余裕しゃくしゃく言い返されて、マイクロトフは悔しくて地団太を踏む。 テーブルの上に並べられた数々の料理の中で、メインとなっているステーキ。これはマイクロトフが今日買いに行くつもりだったマチルダで一軒しか扱ってない特別な肉だった。今日はこの店の特売日だったのだ。マイクロトフはここの店の肉をいたく気に入っており、遠征に行く前に最後に食べておこうと計画を練っていたのに。 肉を買いに行く、なんて恥ずかしくて言えなかったばっかりに、カミューにうまく説明できなくて、怒らせてしまった。カミューの言い分に自分の身勝手さを反省して、嫌われるのが恐くて必死に謝った。そして、泣く、なんて醜態をさらしてしまったが、許してもらえたのが嬉しかった。 ……と、思っていた。それが。 招待された夕食でその肉が出てくるなんて……! この男の中では最初から筋書きができていたのだ!! 「お、おまえという奴は〜〜っっ!!」 顔を真っ赤にして烈火のごとく怒るマイクロトフにカミューはくすくす笑いを漏らす。 「一度あきらめた分、嬉しさも倍増だろ?」 俺もおいしい思いができたしね、と、ニヤっと笑うカミューに、マイクロトフは更に顔を赤くした。それはあんなところであんな真似をしてしまったことに対する羞恥。 「っ!! この、性悪!!」 「はいはい。今更言われても全然こたえないよ。それより、せっかく温めなおしてもらった料理が冷めてしまう前にいただこう」 ぽんぽん、と肩をなだめるように叩かれて、マイクロトフは更にムキになる。 「俺は怒っているんだぞ!!」 「うんうん。怒ってるマイクも可愛いけどね。文句は食べたあとに聞くよ。ほら、こんなにおいしそうなのに、もったいないだろう?」 「う……」 言われてマイクロトフの腹が鳴った。カミューはとどめとばかりににっこり笑う。 「さあ、いただこう」 「う、うむ……」 うまく言いくるめられて、マイクロトフは渋々席に着いた。 マイクロトフはおいしいものを腹一杯食べたあとは機嫌が良くなる、ということをカミューはもちろん確信していた。マイクロトフがカミューへの怒りを思い出したのは、和やかな雰囲気のまま食事を終え、おやすみのキスにしてはかなり長い口づけを交わし、自分の部屋に戻った直後だった……。 後日談 無事、遠征から戻ってきたマイクロトフは、ようやくたまっていた通常の執務も一段落しつつあった。カミューがかなりの量をこなしていてくれたおかげなのだが。 そして。今日は例の肉店の特売日。 マイクロトフは廊下を急いでいた。 そこに、あたりまえのように赤い騎士服をまとった男がにこやかに立ち塞がる。 「やあ、マイク。そんなに急いでどこに行くんだい?」 「どけ、カミュー」 「……キスしてくれたら考えても……んっ」 いきなり言葉を封じられて、カミューは目を見開く。呆然としているカミューに、マイクロトフはしてやったり、といった笑みを浮かべ、脇をすり抜けた。 「じゃあな」 おわり |