|
おまえは俺の望みを知ったとき、どんな顔をするだろうか? 恐怖に脅え、ひきつる? それとも、穏やかに瞳を閉じる……? 「もうすぐカミューの誕生日だな。何か欲しいものはあるか?」 熱く激しい時間が過ぎ、余韻を楽しむように指を絡めあい、眠りにつくまでのわずかな時間を過ごしていると、マイクロトフが口を開いた。見つめてくる漆黒の瞳はまだ少し潤んでいて。カミューは瞼にそっと唇を落とす。あんまり見つめているとやっと過ぎ去った熱が再びくすぶるような気がしたから。 「カミュー……?」 くすぐったそうに目を閉じてキスを受けながらマイクロトフが問いかけると、カミューはそっと唇を離す。 「俺が欲しいものはひとつだけなんだけど……。くれるかい?」 優しい、それでいて何かを含んでいるような笑みを浮かべてカミューが小首を傾げると、マイクロトフはちょっと身構えた。こういう笑みを浮かべるのは、大抵、何かを企んでいるとき。安請け合いしてとんでもないものを要求されても困る。しかも困っている自分の姿を見てからかうに決まっているのだ。 マイクロトフは墓穴を掘らないよう、慎重に答えた。 「……俺に、用意できるものなら」 そんなマイクロトフの様子にカミューはくすり、と笑う。 「俺が欲しいのは、マイクロトフ」 「え?」 マイクロトフが目を瞬かせると、カミューはもう一度、ゆっくり言った。 「マイクロトフ、だよ」 マイクロトフは頭の中でカミューの言葉を反芻した。そして、からかわれてる、と思い、少し目元を赤くして睨みつける。しかし、それを受け止めるカミューの視線は真摯そのもので、どこか切羽詰っているようだった。 また……、なにか不安になっているのだろうか……? マイクロトフは心の中でため息をつく。 いつも余裕たっぷりに自分を翻弄してばかりいるくせに、突然、脆くなることがある。何も言わず自分にすがるように抱きついてきたり、強引に抱こうとしたり。「好きだよ」と何度も繰り返し囁いているうちに涙を流していたり。 理由を問えば「夢を見た」「悪い想像をしてたら止まらなくなった」とか些細なもの。 自分にだけみせる弱さを嬉しく思いながらも、そんな些細なことでここまで不安にさせてしまうのか、と思うと胸が締めつけられるほど痛い。 どうして俺のことを信じてくれないんだろうな。 自分は確かにカミューのようにうまく愛を囁いたりはできない。でも、カミューに応えるかたちでは答えにならないんだろうか? マイクロトフはカミューの不安を取り除いてやりたくて、目を捕らえたまま口を開いた。 「俺は、もうすでにおまえのものだろう?」 カミューは一瞬目を見開いて。やがてゆっくりと微笑んだ。それがいつもの綺麗な、柔らかな笑みに戻ってきているのにマイクロトフはほっとすると同時に自分の言ったセリフにいまさらながら赤面する。 「そうなんだ? じゃあ、プレゼントはいらないよ」 嬉しそうに言うカミューに、マイクロトフはまだ顔を赤くしたまま少しぶっきらぼうな口調で返した。 「……そうはいかないだろう」 そんなマイクロトフがかわいくて、カミューは頬にちゅっと音をたててキスをする。 「じゃあ、マイクが考えて。俺にあげたいなぁって思うものをちょうだい」 「……苦手だから聞いたのに。俺はおまえみたいにセンスよくないからな」 眉を寄せるマイクロトフに、カミューはいつもするように人差し指を眉間に優しく押し付けた。「皺になるよ」といつものセリフをつけて。 「マイクがくれるものならなんでも嬉しいよ。たとえ髪の毛一本でもね」 「髪の毛? それで呪いでもかけるのか?」 笑いながらめずらしく茶化してくるマイクロトフに、カミューも冗談っぽく返す。 「いいねぇ。マイクが一生俺から離れられなくなる呪いをかけちゃおうかな」 「……必要ない」 くすくす。二人でおでこをくっつけて笑う。 そしてゆっくりと口づけを交わすと自然、深くなっていくのに、きりがない、とお互い思ったらしく、少し名残惜しげに唇を離した。2人して苦笑いを浮かべ、眠る体制に入る。 「おやすみ、マイク」 「ああ。おやすみ、カミュー」 見つめ合い挨拶を交わすとマイクロトフは目を閉じた。そして、数分もすると規則正しい寝息と変わる。 カミューはその様子に目を細めながらそっと手を伸ばして頬に触れた。 おまえは俺のものだと言ってくれたけど……、俺の正体を知ってからも同じことを言ってくれるだろうか? カミューは重いため息をついた。言うはずがない。自分は異形の者なのだから。 満月が近くなると自分の中の異質な血が騒ぎ出す。昔はほんの些細な変化だった。なんとなく気分が高揚したり、自分の中に何かが居るような違和感を感じたり。……何かが欲しくて欲しくてたまらない、という漠然とした激しい欲求を覚えたり。 それが年々強くなっていって、ある満月の夜、隣に寝ていたマイクロトフの無防備に晒された白い首筋を見たとき、頭が真っ白になった。そして、気がついたら自分がつけた鬱血の痕に唇を寄せ……歯を立てようとしていた。 そのときはまだなかったけれど、いまでは満月になるとはっきりと身体に変化が起こる。牙、が生えるのだ。 そして、何かが欲しい、という欲求の正体もわかった。……いちばん愛しい人の血。 だから、満月の日だけは、さりげなくマイクロトフに触れないようにしてきた。その日にあわせて用事を入れて外泊したり、前の日に激しく抱いて怒らせて「今日は絶対だめだ!」と言わせたり。 満月だけは、彼に触れてはいけない。 それなのに。今年の自分の誕生日が満月にあたる……。 やっぱり自分の誕生日に抱かないっていうのはまずいよなぁ……。 どう考えても不自然だし、だいいち自分が耐えられない。 しかし、正体がばれたら彼の傍にいられなくなる……。 自分の正体を知ったときも、どうやって隠し通すかということばかりを考えていた。正体がばれる前にマイクロトフの前から姿を消す、という選択など思いもつかなかったのだ。 カミューは穏やかに寝息をたてるマイクロトフを見つめた。意思の強い漆黒の煌きが瞼の陰に隠れると、意外と幼い寝顔になる。その寝顔が、満ち足りているように、安心しきっているように見えるのは自分の都合のいい思い込みだろうか……。 手放せない…… カミューは思った。彼を失った自分がどうなるかなんて想像もできない。自分がいなくなった彼がどうなるかなんて考えたくもない! やはり、だめだ。 カミューはもう一度ため息をつく。 我慢しよう。当日は酒を飲みまくってつぶれたふりをしよう。マイクロトフは呆れて、怒るだろうが、とりあえずは一日我慢すればいいのだから。次の日の反動が自分でも恐いが、それでもいくらでもフォローができる。未来を永遠に失うよりはずっといい……。 そう結論づけると少し気分が和らいだ。カミューは眠っているマイクロトフの額にキスをひとつ落とすと、自分も眠りにつくため目を閉じた……。 「カミュー、少しペースが早いんじゃないのか?」 「んー? だって、今日はお祝いなんだよ。マイクが、俺のために誕生日を祝ってくれるなんて、嬉しくて飲まずにいられないよ」 マイクロトフの呆れたような声にカミューはことさら陽気に返す。そして、手にしていたグラスをぐいっと呷ると、 「ね。今夜は飲もう」 と、空になったグラスをマイクロトフに差し出した。マイクロトフはちょっとため息をつくと、酒を注いでやる。カミューは嬉しそうに笑って礼を言うとまた口をつけた。 すでにかなりの量を飲んでいた。しかし、酔ったふりをしているだけで、頭の中は恐ろしいほど冷めているのが我ながら不気味だった。 昨夜は「前祝」と称してしつこく抱いた。ほとんど寝かさなかった。今日、つらそうにしているマイクロトフを見るたびに申し訳なく思ったが、これも今夜の布石。さすがに自分が求めれば義理堅い彼のことだから我慢して応えてくれるだろうが、このまま自分が酔いつぶれたら、これ幸いと思うだろう。そうなるよう……多少は今夜できない鬱憤晴らしもあったが……昨夜は仕向けたのだから。 「カミュー、明日も仕事だろう? いくらなんでも差し支えるぞ?」 「平気、平気。楽しい酒は残らないよ」 「……そんなわけあるか」 マイクロトフの少し呆れたような声にカミューはくすくす笑うと、酒瓶をマイクロトフのグラスに傾けた。 「ほらっ、マイクも飲もうよ」 「わ! ばか! 溢れてるぞ!!」 「ああ、いけないいけない」 テーブルを酒びたしにしながらも笑ってばかりいるカミューに、マイクロトフはため息をついて立ちあがる。怒る、というよりは悪戯っ子をたしなめるような感じでカミューの額を指ではじくと、布巾をとりにいった。 まだ……早いか。 マイクロトフの姿が消えたとたん、カミューの顔から陽気な笑みが消えた。かわりに浮かぶは自嘲に似た苦笑。さっきから酔いつぶれるふりをするタイミングを考えていた。それなのに、まだ早い、まだ早い、と先延ばしにしている自分に気づいたからだ。 どんなに芝居をしていても、マイクロトフと一緒にいられる時間はこのうえなく楽しくて幸せだった。が、同時に、満月に影響された自分の中に抑えがたい狂暴な欲望が膨らんできているのも感じる。これ以上マイクロトフといては危険だという思いと、まだ一緒にいたいという思いが激しく交錯していた。 でも、そろそろ……限界かもしれない。 「カミュー」 ふと背後から呼ばれて。その声が思いもしないほど至近距離だったのに少し驚く。考え事に没頭しすぎていたようだ。 カミューはまた芝居に戻る。笑顔を張りつけて振り返ろうとした。 「なんだい? マイ……」 言葉は最後まで続かなかった。ふわりと背後からマイクロトフに椅子ごと抱きしめられて、カミューは硬直する。 「カミュー……、その、あんまり飲むな……。今日はおまえの誕生日だろう」 カミューの肩口に顔を押しつけ、少し心配げな声でマイクロトフが言う。肩から首筋にかかる息に、どくん、と心臓が跳ねるのを感じながら、カミューは努めて明るく返した。 「誕生日だから飲むんじゃないか。祝い酒だよ」 何かおかしいかい? と聞き返せば、抱きしめている腕に少し力がこもる。 「その……、今日は、おまえの……」 マイクロトフは言いかけて口篭もってしまう。カミューはそんなマイクロトフを怪訝に思いながらも、問いただすこともできなかった。自分の中に荒れ狂う異質の血がその余裕を失わせていた。 心臓の鼓動が速まり、思考に霞がかかってきている。頭の中ではひっきりなしに警鐘が鳴り響いていた。 これ以上触れていては危険だ! カミューが沈黙したのを自分の続きを待っていると思ったマイクロトフは勇気を出して言葉を続ける。 「おまえの……、好きに、していいから……」 「え?」 イマ、ナンテイッタ……? 「マイ、ク……?」 カミューの声が震える。一瞬で思考が真っ白になった。言葉の意味を考えようとすると、いままで拮抗していた理性と本能の天秤が脆くも崩れそうだった。 聞き違いであってほしい。自分の勘違いであってほしい! 激しく拒否しながらも、幸福感に酔う自分がいる。 カミューの肩口に顔を伏せていたマイクロトフはカミューの混乱に気づかず、言葉を続けた。 「だからっ、今日は……、おまえの好きに……だ、抱いていい……。最後まで……付き合うから……」 言い終わると、これ以上はないというほど真っ赤になって、ますます抱きしめている腕に力を込める。 「カミュー……誕生日おめでとう……」 万感の想いを込めて囁くと、唇をカミューの首筋に押し当てる。びくり、とカミューの身体が震えた。マイクロトフはその過剰な反応に顔を上げる。 「……カミュー?」 怪訝そうに呼びかける。 喜んでくれると思ったのに。力強く抱きしめて、あの大好きな笑顔を向けてくれると思ったのに。どうして動かないのだろう。何も言ってくれないのだろう……? マイクロトフが不安に駆られていると、カミューがようやく口を開く。 「だめ、だ……」 震え、掠れた声が紡ぐ拒絶の言葉。今度はマイクロトフが、びくり、と震える番だった。 自分の一人よがりだった! カミューは俺など望んでいなかった……! 自分が急に醜いものに思えた。汚い、浅ましい、と思った。 足が、手が震えるのをなんとか宥め、カミューから腕を離す。 「……わかった」 カミューの顔が見られない。羞恥のあまり、いっそのこと消えてしまいたいと思ったが、それはかなうはずもなく。自力で消えなくてはいけない。 「じゃあ……、俺は寝るから……」 マイクロトフが抑揚を欠いた声で言うと、カミューははっと顔を上げた。マイクロトフが自分を避けるように踵を返すのを慌てて後ろから腕を掴む。 「違うんだ! マイク!!」 「離してくれ!!」 重なる怒号。マイクロトフは腕を振り払おうと力いっぱい腕を引いたがカミューの腕ははずれない。 「離せ! 俺のことを卑しいと思ったんだろ!!」 「そうじゃない! おまえを傷つけたくないんだ!!」 カミューの必死の叫びにマイクロトフの頬に朱が走る。昨夜のことを思い出し、カミューの言葉をそういう意味にとった。 マイクロトフは腕を引くのをやめて、 「だから……、何をしても、いいって……、言った……」 と、最後のほうは俯いて言う。 いつになく大胆なことを言っておきながら、いつものように恥らう姿が、カミューの理性を簡単に焼き切った。 もう……だめだ……。 刹那、カミューの目つきが変わった。理性と本能の間で揺れていた苦悩の色が消え、開き直りともとれる危険な色がちらつきはじめる。 「……何を……してもいいの?」 それは問いかけというよりは最終宣告。頷いてしまえば後戻りはできない……。 「カミューなら……、いい……」 俯いたままぼそぼそと応えたマイクロトフの両頬を、カミューはそっと包み込んで上向かせた。促されるまま顔を上げ、自分を見つめる少し潤んだ漆黒の瞳に、カミューは艶然と微笑む。それはマイクロトフもみたこともないくらい綺麗で……魔性じみていた。 「マイク……」 うっとりと愛しい名前を呼んで唇を寄せると、マイクロトフは鼓動を速め、至極のときを待つように目を閉じた。吐息が唇を掠める。 と、 ぎり、と腕を捩じ上げられた。 「っっ!!」 マイクロトフは声にならない悲鳴を上げた。何が起こったのかまったくわからないまま目を開けようとする。が、それより早く、もの凄い力で壁に身体を押しつけられた。その痛みにまたきつく目を閉じる。そして顎を掴まれ、悲鳴を上げかけた口をカミューの唇に塞がれた。 荒々しく口内をまさぐり、舌をマイクロトフのそれに絡めて強く吸い上げる。いつもの、お互いの気持ちを昂ぶらせるものとはまったく違う一方的な口づけに、それでもマイクロトフは健気に応えようとしてきた。が、カミューはおもむろに口づけを解くと、そのまま唇が触れそうな位置で言葉を紡ぐ。 「マイク……、おまえは馬鹿だ……」 「カ、ミュー……?」 いままで聞いたことのない低い掠れた声に、マイクロトフは痛みをこらえてようやく目を開ける。間近で覗き込んでいる瞳は見慣れた琥珀色のはずなのに、何やら強い光を帯びていて……金色に見えた。激しい焦燥を孕んだ、それでいて、深い悲しみを含んだような複雑な色。 そしてその顔に浮かぶ笑み。いつもの穏やかな笑みとは違いすぎて……そう、獲物を仕留め、舌舐めずりをしている肉食獣のようだった。 「この俺の正体も知らないで、軽はずみなことを言ったね……」 「しょう、たい……?」 カミューが何を言い出したのかわからない。マイクロトフはいつもの優美なしぐさからは想像もできない、獣じみた様子に得体の知れない恐怖を感じる。 「でも、マイクが言ったんだから……」 「カ……」 言いかけた言葉を再び唇で塞がれる。カミューはマイクロトフの舌を絡めとると、自分の口内に器用に導いた。されるがままカミューの口内に侵入した舌はカミューによって奥へ奥へと導かれる。そして、とある一点に辿りつくと、びくっとマイクロトフの身体が震えた。奥歯のさらに奥に、なにやら尖った感触……。それは昨日まではなかったもの。普通、ないもの……。 硬直したマイクロトフを感情の読めない目で見つめていたカミューはそっとマイクロトフを離した。2人の間にできた銀糸がマイクロトフの顎を伝う。それを指で掬って、 「わかったかい?」 と、自分の舌で舐めとる。マイクロトフは先程自分の舌が触れた感触に呆然としていた。 「カ、ミュー……、いま、のは?」 自分を見つめる漆黒の瞳に脅えのような色が宿るのを見て、カミューは昏く笑った。 「わからない? じゃあもっとわかりやすくしてあげよう……」 言い終わるとマイクロトフのシャツに手をかけ、一気に引き千切る。露になった首筋に眩暈のような陶酔感を覚えた。両肩を抑え、吸い寄せられるように白い首筋に唇を寄せる。 「これなら……わかるかい?」 奥歯の奥にある牙を軽く立てると、びくり、とマイクロトフの身体が震えた。 さあ! 俺を化け物だと罵ってくれ! その一言が聞けたらまだ俺はマイクロトフの前から姿を消すことができる! カミューは心の中で叫ぶ。言ってくれ、と願う自分。言わないでくれ、と脅える自分。相反する自分が激しく攻めぎあう。 ごくり、とマイクロトフの喉がなった。両肩に置いた手にかすかに震えが伝わってきた。 「カミュー……、俺の血が、欲しいのか?」 掠れた声に、彼の恐怖の度合いを知る。 「……ああ、欲しいね」 自嘲気味に笑ってカミューが応えた。実際、いますぐにでも牙を突き立てたい衝動を抑えるのに必死だった。 早く……早く! 言ってくれ!! 「カミュー……」 一拍の沈黙。カミューは死刑執行台に立った気持ちで返事を待つ。 「いいぞ」 「?!」 カミューは耳を疑った。思わず顔を上げ、マイクロトフの顔を見る。マイクロトフはカミューの瞳を見つめ、穏やかに微笑んだ。 「言っただろう。 何をしてもいいと。俺は、おまえのものだ……と」 心持ち顎を上げ、そっと目を閉じる。その姿はすべてを許す聖人のようだった。 ああ……、おまえは穏やかに目を閉じてくれるんだね……。 カミューは歓喜に心が震えるのを感じながら、最愛の人の首筋にもう一度唇を寄せた……。 終 |