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マイクロトフは自室で椅子にもたれて本を読んでいた。執務も終わり、夕食も食べた後の、ゆったりとした時間。一日でいちばん至福のときかもしれない。自分のベッドを我が物顔で占領し、寝転がっている男も気にならない。……居て当然の存在だから。 しばらくして、マイクロトフはわずかに眠気を覚えて本にしおりをはさんだ。と、待っていたかのように頭上が翳る。マイクロトフが顔を上げると、いつのまに近づいてきたのか、カミューが椅子の背もたれに片手を置いて、自分を見下ろしていた。 肉食獣のようだ……と、マイクロトフはいつも思う。気配を感じさせない、しなやかな動作も、……自分を見つめる、欲望を含んだ琥珀色の瞳も。 カミューが美しい肉食獣なら、自分はさながら罠にかかった獲物。見つめられただけで魅了され、呪縛されてしまう。 マイクロトフがじっと見上げていると、琥珀色の瞳が細められた。その艶を含んだ笑みに、どくん、と心臓が跳ねる。……何度見ても慣れない、奇麗な煌き。 ゆっくりと顔が近づいてくるとマイクロトフはそっと目を閉じた。これ以上近くで見たら、どうにかなってしまいそうで。 耳元に熱い息がかかった。 「ねえ……」 「ん……」 「キスして……」 囁かれた言葉に驚いて目を開く。息がかかるほど間近から覗き込む瞳には、相変わらず欲望が孕んでいて、かすかにからかいの色も含んでいた。マイクロトフは瞬時に真っ赤になる。 「なっ……!」 「キスして」 もう一度言うと、マイクロトフは口をぱくぱくさせていたが、恥ずかしさのあまりかうつむいてしまった。 「い、いつもしてるだろう……」 顔を上げようとしないマイクロトフに、カミューは床に膝をついて、今度はマイクロトフを下から覗き込む体制をとる。 「俺から、でしょ? たまにはマイクから……して」 魅惑的な声で囁いてそっと目を閉じる。マイクロトフは途方に暮れて、その端正な顔をみつめた。しかし、カミューがそのまま動かないことがわかると、勇気をだして顔を寄せてみる。しかし、息が触れそうなほど近づくと慌てて引っ込めてしまった。 どうしても、できない。こういう関係になってから3ヶ月近く経つのに、いまだにされるのも恥ずかしい。付き合いはじめて知ったのだが、カミューはけっこうキス魔だったらしく、隙をみてはしかけてくる。何十、いや、もう何百かもしれないほど、交わしてきたキス。キスどころかそれ以上のことも交わしてきたのに。いつも初めてのときのようにどきどきする。緊張する。 慣れる、ということをしらない。飽きる、ということをしらない……。 「で、できな、い……」 声を震わせて紡がれた言葉にカミューは片目を開ける。と、泣きそうに潤んだ漆黒の瞳とぶつかって……カミューは白旗を上げた。マイクロトフの腕を引いて、自分から口づけ、そのまま引き倒す。 マイクロトフからのキス。カミューの密かなる夢。 しかし、それを叶えるにはもう少し理性を鍛えなくてはいけないらしい……。 『ねえ……、キスして』 昨夜のカミューのセリフが頭を離れない。おかげで今日はカミューの唇が気になってしょうがない。朝食を摂るときも、言葉を交わしているときも。ずっとあの形にいい唇に目がいってしまう。 いま、こうして向かい合ってお茶を飲んでいても……。 優雅な手つきでカップを傾ける、そのわずかに開かれた唇に、どうしても視線が吸い寄せられてしまう。 カミューはカップを唇から少し離して、くすり、と笑った。 「今日は……」 「え?」 「随分、熱心に俺をみつめてくれるんだね」 「!!」 気づかれていた! そう思った瞬間、マイクロトフは真っ赤になった。 見つめる、というより凝視する、といったほうが近い、マイクロトフの行動にカミューが気づかないわけもなく。おもしろそうだったから、こちらもしばらく観察していたのだが、どうしてもからかいたくなって、つい聞いてしまった。 思ったとおり赤面するマイクロトフに、マイクがこんなにかわいいのがいけない、などとまことに自分勝手な理由をつけて、至極満足そうにみやる。 「う……、すまない……」 「謝らなくてもいいよ。俺は嬉しいんだから。ただ、ちょっと理性に自信がないかな」 からかうように言うと、マイクロトフは赤面したまま睨みつけてくる。が、目に力が入るわけもなく。 「だめだよ、そんな目で俺をみちゃ。それとも誘ってる?」 「だっ、誰が!!」 「どうしても片づけなきゃいけない仕事がなければね……」 カミューはわざとらしく嘆息すると、マイクロトフをちらり、と挑戦的に見る。 「俺が仕事をとるか、マイクをとるかを試してみるかい?」 その目にはすでに答えがはっきりと浮かんでいて。マイクロトフは冗談じゃない、と慌てる。 「う、う、う、うるさいっ! 早く仕事に戻れっ、ばか!」 「はいはい。名残惜しいけど退散しますか」 カミューはくすくす笑うと紅茶を飲み干してカップをソーサーに戻す。そして、立ち上がると腰をかがめて、向かいに座っているマイクロトフの顎をすくい、軽く口づけた。 「じゃあ、またね」 真っ赤になって声もでないマイクロトフにウィンクを残して部屋を出ていく。ドアの閉まる音で、マイクロトフはようやく我に返った。 「な、んだって、アイツは……!」 自分がどうしてもできないことをさらり、と息をするみたいに自然にできるのだろう……と、マイクロトフは恨めしい半分、うらやましく思う。 カミューにキスされると恥ずかしい反面、すごく嬉しい。優しく口づけられるとカミューの暖かい、優しい気持ちが伝わってくる。激しく口づけられると自分を求めてる強さが伝わってきて、陶酔する。 どんなキスでも幸せになれるから。自分もカミューにしてみたいのに。自分のキスでもカミューも同じになるのか知りたいのに。 はあ……。 マイクロトフはひとつため息をつくと、すっかり冷まってしまった紅茶を飲み干して、執務の机に戻った。 こんこん。 なんの変哲もないノックの音。他の人にはわからないかもしれないが、このノックの仕方は愛しい恋人のもの。カミューは即座に返事をしようとして……、またも悪戯好きが顔を覗かせた。 椅子を反転させて窓側を向き、そのままもたれて寝たふりをする。マイクロトフが無防備に近づいてきたら驚かせてやろう。 こんこん。 もう一度ノックの音がして……やがてためらいがちに開かれた。 「カミュー?」 足音が近づいてくる。カミューはわくわくしながらそれを待った。 そういえば用件はなんだろう? 書類を持ってきた? それとも相談事だろうか。 ふと、そんな真面目なことも頭をよぎったが、それはこの悪戯が成功してから改めて聞けばいいだけのこと。 あと少し、あと少し、と、はやる気持ちを押え込んでじっと待ってると、自分の傍で足音が止まった。そっと覗き込む気配。 「……なんだ? 寝てるのか……?」 ちょっと抑えた声。カミューは帰ろうとするのを背後から襲ってやろうと、10からカウントダウンを始める。 そして……。 ゼロ! と、カミューが目を開けると、鼻がぶつかりそうなくらいのマイクロトフのアップがあった。 マイクロトフは寝てると思ったカミューが突然目を開けたのに驚く。 「う、わっ! カ、カ、カ、カミュー?!」 ……これって……? 「マイク……?」 「!!!」 瞬時に真っ赤になったマイクロトフは即座に顔を引いて、起き上がろうとするカミューの額にべちっと平手をお見舞いし、慌てて部屋を飛び出していった。 とっさだったのか、けっこう手加減なしの一撃をくらったカミューは顔を仰向かせたまま、 「しまった……」 と、つぶやいた。どうやら一世一代の大チャンスを逃したらしい……。 マイクロトフは自分の執務室に駆け込んで、バタンッとドアを閉めるとそのままドアに背中を預けた。心臓がばくばくいっている。 カミューの寝顔があんまり奇麗で……吸い寄せられるように顔を寄せていた。あのままカミューが目を開けなかったら……。 マイクロトフはそっと自分の唇に触れる。 だまし打ちみたいでいやだ。最初くらいはちゃんと、したい……。 カミューはちゃんと俺の目をみつめてからくれるのだから。 俺を好きだ、という気持ちを伝えてくれるのだから。 『ねえ……、キスして』 カミューの甘い声が脳裏に甦り、マイクロトフはちょっと唇を噛んだ。 いつか……きっと……。 おわり |