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初めて出会ったのは就職試験の日。その柔らかい微笑みに強く惹かれた……。 マイクロトフは全力で走っていた。 今日は就職試験の日。時間に余裕をもって家を出たのに、電車事故があり、足止めをくらってしまった。会社にはもう連絡してあるが、ぎりぎり間に合いそうだと思うとどうしても急がずにいられない。 会社に着いたのが試験が始まる10分前だった。ビルに入るとすぐ並んで座っている受付嬢たちと目が合う。にこり、と微笑まれてマイクロトフはどぎまぎする。昔から女性と会話したりするのが気恥ずかしくて苦手だった。しかし、いまはそんなことは言ってられない。ひとつ息を吸って近づくと、とりあえず頭を下げ挨拶をする。 「おはようございます。マイクロトフといいますが、本日、こちらの採用試験を受けさせていただくのですが……」 「おはようございます。3Fの第2会議室になります」 「がんばってくださいね」 受付嬢たちが微笑んで場所を教え、励ましてくれた。マイクロトフは真っ赤になって、慌てて礼を言ってその場を離れる。 背後からくすくすと笑い声が聞こえた。ああいう雰囲気が苦手なのだ。 マイクロトフはエレベーターに飛び乗るように乗り込むと、ふう、と息をついた。それから、しまった! と思う。会議室の場所を聞いていなかった。3Fといっても広いだろう。せめてエレベーターを降りて右か左かぐらいは聞けばよかった……。 そうこうしてるうちにあっというまにエレベーターは3Fに着く。マイクロトフはどきどきしながらエレベーターを降りた。 やはり、さっぱりわからない。きょろきょろしていると一人の青年が歩いてきた。マイクロトフは藁にもすがる思いで声をかける。 「あのっ、すみませんっ!」 青年は突然声をかけられて、一瞬びっくりしたふうだったが、すぐ人当たりのいい笑みを浮かべた。琥珀色の瞳が優しく細められる。 「なにか?」 その笑みに、マイクロトフの胸がとくん、と鳴った。心を奪われるような、とても奇麗な笑みだった。マイクロトフは一瞬見惚れて、慌てて我に返る。 「あ、あの、第2会議室はどちらでしょう……?」 「第2? ああ、採用試験の?」 青年が小首を傾げると柔らかい亜麻色の髪がさらり、と揺れた。マイクロトフは急いで頷く。その様子に青年はまたふわり、と笑って、 「こっちだよ」 と、指差して自分も歩き出す。マイクロトフは後を追った。 「ここだよ」 青年はドアの開かれた一室を指差す。マイクロトフは安堵のため息をついてから、ハッとしたように慌てて頭を下げた。 「ありがとうございました。大変、助かりました」 「どういたしまして。そろそろ始まるから座ったほうがいいよ」 青年はまたも奇麗に笑ってドアのところで入るよう促す。マイクロトフはちょっと赤面してもう一度礼をすると、会議室の中に入った。会議室にはすでに他の学生たちが座っていて、緊張感が漂っていた。 マイクロトフは空いている席に腰を下ろすと、先程の青年が気になってドアの方にちらり、と視線を送った。すると青年も何食わぬ顔で会議室に入ってくる。 あれ? ひょっとして、試験官だったのかな? マイクロトフが不思議に思って青年の動きを追っていると、青年はマイクロトフの隣にきた。 「ここ、いいかな?」 「え?」 「お互い、がんばろうね」 「!!」 がんばろうって……この人も採用試験を受けるのか? ってことは俺と同じ、学生?! 会議室にすんなり案内してくれたから、てっきり社員だと思った。いや、それよりあの落ち着きぶりは絶対年上だと思ったのに……。 マイクロトフはびっくりして青年の顔をまじまじとみつめてしまった。彼はそんなマイクロトフの様子に気づき、おもしろそうに見返してくる。 「何? どうかした?」 「い、いや、て、てっきり社員の方かと……。ここの場所も知ってたし……」 マイクロトフがしどろもどろに言うと青年はきょとん、としてから、ああ、と、ちょっと笑った。 「一回、ここにきてたんだけどね。この雰囲気に耐えられなくてちょっとうろうろしてたんだ」 それで会議室の場所を知っていたのか……。 マイクロトフはようやく合点がいったが、それにしても、いきなり見知らぬ人に話しかけられて、ああまで落ち着いて対処できるだろうか? 自分だったらできない。 こういう人はきっと受かるだろうな……。 マイクロトフはうつむいてちょっとため息をついた。すでに実力の差をみせつけられた気分だ。青年はそんなマイクロトフの顔をひょいっと覗き込んで、 「何? 緊張してるの?」 と、優しく問う。そして膝の上に置いてあった右手をぎゅっと握ってきた。マイクロトフが驚いて顔を青年の方に向けると、安心させるように微笑んだ瞳とぶつかる。 「落ち着いてやれば、大丈夫だよ」 細められた瞳にみつめられて、とくん、とマイクロトフの胸が跳ねた。 な、なんだ……?! そんな自分の身体の変化に驚いて、マイクロトフは思わず胸のあたりをぎゅっと握る。視線は青年から離せない……。 そこに試験官が入ってきた。青年はさりげなく手を離し、姿勢を正す。手が離れた瞬間、マイクロトフの呪縛も解けた。我に返ったマイクロトフも慌てて前を向く。中年の男は学生たちをひととおり見回すと、書類に目を通しながら口を開いた。 「えーと、マイクロトフくんはきているかな?」 「あ、はい。お、私です」 マイクロトフが手を上げると試験官は「ああ、間に合ったんだね」と、頷き、試験の説明を始めた。 「では、午前中はここまでです。昼食をお摂りください。午後は1時から面接です」 試験官はそう告げると会議室を出ていった。とたん、ほっとしたような空気が広がる。マイクロトフも例外ではなく、うーっと伸びをした。 ようやく筆記試験が終わった。あとは午後からの面接だ。 用意された弁当を取りに行くと朝の青年に声をかけられた。一緒に食べよう、と。知り合いが一人もいないこの状況ではその申し出はありがたく、マイクロトフは即答した。 二人で向かい合って弁当を食べながら他愛のない話をかわした。名前や住んでる場所、学校名など、自己紹介を兼ねて。 マイクロトフはカミューと名乗った青年の話のうまさに内心舌を巻いた。お互いに同じようなことをおしえ合ってるのに、自分は彼に聞かれたことをぶっきらぼうに答えるだけで精一杯なのに対して、カミューはすらすらとわかりやすく、惹き込まれるような話し方をする。しかも自分がちょっとわからないようなところがあると、どういう訳か、口にする前にすばやく察して補足してくれた。 改めて向かい合ってみると、カミューはいままでみたことのないくらい、整った顔立ちをしているのがわかった。話し方とあいまって、間違いなく女の子にモテるだろう。 色恋沙汰に疎い、と周りにからかわれるマイクロトフでもそれぐらいはわかった。……自分もときどき見惚れてしまうくらいなのだから。 周りが静かだから普通の声では話しづらい。会話は自然と小声になった。 頬杖をついたカミューがそっと囁く。 「二人とも受かるといいね」 「……カミューは受かると思うぞ」 「ありがとう。でも、どうせなら二人で受かりたいよ」 せっかく知り合えたんだしね、と、魅惑的、としか表現できない瞳で微笑まれて、マイクロトフの鼓動がいきなり早まる。あせったマイクロトフはガタっと椅子を鳴らして立ち上がると、「ちょっとトイレに行ってくる……」と、言い残して会議室を出た。 はあ……。 マイクロトフは深いため息をついた。言葉どおりトイレには行ったが、動悸がおさまらず、落ち着くために人気のない階段の踊り場付近にきていた。 自分はどうしてしまったのだろう……。カミューの表情に、態度に、過剰反応してしまう。これでは、まるで……。 「緊張してるの?」 「わあっっ!」 いきなり後ろから耳元で話しかけられて、マイクロトフは飛びさすった。振り返ると、いつのまにかカミューが立っている。 「いつまでも戻ってこないから、探しにきたんだ」 「あ、ああ。すまない……」 今の今まで考えていた人物を目の前に、マイクロトフは顔を上げられず、うつむいた。カミューはそんなマイクロトフの肩にさりげなく腕を回して、そっと顔を覗き込む。 「面接に緊張してるの?」 カミューのことを考えていた、などと言えるわけもなく、マイクロトフは曖昧に頷いた。 「あ、ああ……」 くすっとカミューの笑う気配。 「じゃあ、緊張しないおまじないをしてあげるよ」 「え?」 きょとん、と聞き返すマイクロトフに、カミューは安心させるようににっこり笑った。 「目を閉じて?」 優しく言われてマイクロトフは思わず素直に目を閉じる。肩に回されていた手にわずかに力がこもった。 そして…… ふわり 唇に柔らかい、暖かいものが触れて、すぐ離れた。 マイクロトフは驚いて目を開ける。すると息が触れるほどの至近距離にカミューの端正な顔があって……。 カミューは肩に回した手でマイクロトフを少し引き寄せ、 「これで大丈夫だよ。頑張ってね」 そっと耳元で囁いて離れる。 呆然としているマイクロトフを残してカミューは会議室の方に戻っていった。マイクロトフは状況を把握するのにたっぷり10分は動けなかった……。 マイクロトフは自分の部屋に帰るなり、ベッドに倒れ込んだ。あのあとの面接で自分が何を言ったかなんて覚えていない。……たぶん、落ちただろう。 それよりも。今日初めて会った人が頭から離れない。 あの魅惑的な瞳が、心地よい声が、柔らかい微笑みが。 忘れられない。 そして……、 どう、して……あんなことを……? そっと自分の唇に触れてみた。柔らかい感触を思い出して一人赤面する。 どうして、男の俺にあんなことをしたんだろう……。 本当におまじないだったのか……。それともからかっただけ? あのあとカミューは一声もかけることなく、こちらを見ることもなく、面接が終わるとすぐ帰っていった。電話番号も、住所も知らない。自分があの会社を落ちればもう二度と会うこともないだろう。それだけの、縁……。 マイクロトフはため息をついた。 もう会えないかもしれない、と思うと胸が痛んだ。試験をまともに受けられなかった自分の不甲斐なさに涙が滲んでくる。せめてあの会社に受かれば同期になれたのに。 「もう一度会いたい……」小声でつぶやくと涙が零れてきた。 もっと話をしたい。 もっと彼のことを知りたい。 もっとあの微笑みを見たい。 もっと……一緒にいたい……。 マイクロトフは生まれて初めてのせつない感情に翻弄されて、ただ、ただ、枕を濡らすことしかできなかった……。 そんなマイクロトフのもとに採用通知が届いたのは一週間後のことである……。 おわり |