〜TVスター〜





「俺、歌うのやめようかなぁ……」

 何の前触れもなく呟かれたセリフに、マイクロトフは手にしていたミカンをぼとりと落とした。固まった姿勢のまま、目だけをカミューに向けてみたが、カミューは特別なことを言ったつもりはないらしく、さっきまでとなんら変わらない様子でこたつの上に顎を乗せ、ぼんやりとテレビを見ているだけである。
「…………なぜだ?」
 緊張で咽喉が張り付きそうになるのをなんとかこらえ低く問うと、カミューはどこか拗ねたような表情でマイクロトフを見た。
「だってさー、たとえばこの歌もだけど……」
 と、ちらり、とテレビに視線を向ける。テレビは年末特有の『今年一年を振り返って』といろいろなジャンルをランキング形式にした歌番組が放映されていた。ちなみに今は『彼氏に歌ってほしい歌ベスト10』の1位に輝いた『camus』のラブソングが流れている。画面いっぱいに大きく映し出された『camus』のプロモーションビデオに、画面の隅に別窓で映っている司会者たちが「この歌いいよねー」と少々大げさに賛同しながら歌を口ずさんでいた。
「俺はマイクロトフのことだけを想って作ったんだよ。それが、こうして全国で売られ、誰もが口にする。
 なーんか、マイクロトフへの愛が急に薄っぺらくされてしまったような気がしてさー……」
 むー、と唇を尖らす姿はまるでわがままを言っている子供のようである。マイクロトフは知らず力が入っていた肩をがくり、と落とした。心臓が止まるくらい驚いたが、どうやら本気で言っているわけではないようだ。
「それがおまえの仕事だろう」
「うん、まあ、それはそうなんだけどね……。
 だけど、わかってる? 俺はおまえのことだけを想って歌っているんだからね!」
 こんな姿を全国に何万といるファンの子たちが見たらどう思うだろう、とマイクロトフは思った。こんな狭い部屋で(俺の部屋だ)こたつに足を突っ込んだ『camus』がこんなゴツイ男(俺のことだ)に向かって、あの蕩けるようなラヴソングはおまえのために作った歌なんだよ、などと力説しているのだ。
「う、うむ、わかって……いる……」
 マイクロトフは真っ直ぐ見つめてくる視線に耐えられずに顔をわずかに背ける。頬が熱くなっているのを嫌というほど感じたが、
「そ、それに……俺は……歌っているカミューも好き、だぞ……」
 カミューが呆けたみたいに口を開けているのが視線の端に映る。マイクロトフは穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったが、本当のことなので簡単に歌うのをやめるなんて言ってほしくなかった。
 テレビからは相変わらず今年流行した曲が流れていたが、2人の会話は完全に止まってしまう。マイクロトフは清水の舞台から飛び降りる覚悟で正直に気持ちを告げたのだから何か言ってフォローしてほしい、と祈るような思いでカミューの出方を待った。
 と、
「マイクロトフ!」
 がばり、とこたつがひっくり返らんばかりのいきおいでカミューが抱きついてきた。大きく揺れた天板にマイクロトフは茶がこぼれる、と咄嗟に腕を伸ばそうとしたが、それより早くカミューの圧し掛かってきた身体によって床に押し倒されてしまう。
「カミュー、茶が……」
 こぼれる、と言いかけた口をカミューが塞いできた。開きかけの口内にカミューの舌が潜り込んできてすぐに深い口付けに変わる。いきなりの展開に身体を強張らせたマイクロトフだったが、カミューの誘うような舌先の動きにすぐに応えはじめた。彼と触れ合うのは心も身体も気持ち良いことであることを、今では当たり前のように知っている。普段は平凡なサラリーマンと売れっ子のシンガーという身分違いのような関係だが、このときは距離が0になるのだ。
「初めてだね」
 頭がぼうっとするほど口付けを重ねた後、カミューがうっとりとした表情で言った。
「え……?」
「おまえが、歌っている俺を好きだって言ってくれたの」
 そうだったか、とマイクロトフは思考がまとまらない頭で考える。そうかもしれない。あまり口がうまくないから、言いたいこともうまく伝えられず、心に秘めてしまうことも少なくないのだ……。
「俺は、カミューの歌も、カミューが歌うのも、全部好き、だ」
 本当はそれ以外にも、忙しい仕事の合間をぬってこうして会いにきてくれるところとか、自分の作った料理をなんでも『美味い』と言って食べてくれるところとか、他にもいろいろと好きなところはあった。だが、やはりうまく言えない。
 マイクロトフがもどかしい思いを少しでも伝えようと今度は自分から口付ける。すると、カミューにいきおいよく身体を引き離された。驚いてカミューを見上げると、カミューはなぜか怖いほど真剣な顔をしていた。
「カミュー……?」
「マイクロトフ、俺のマンションに行こう」
「行こうって、今からか……?」
 もうすぐ終電がなくなる時間である。戸惑うマイクロトフにカミューはぎゅっと抱きついた。
「だってここじゃ抱き合えないじゃないか……」
 カミューの意図を知り、マイクロトフは一気に赤面する。
「い、いや、布団を敷けば……」
「だめ。おまえが隣近所を気にする余裕もないくらいおまえを愛したいんだ。一度じゃ済まないし」
 あからさまな言葉にマイクロトフは酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせた。確かにこんなアパートでは壁もそれほど厚くないし、下の階への騒音も気になる。現に、ここで抱き合うときはマイクロトフが途中でセーブさせることが多いのだ。だが、だからといってわざわざ場所を変えてまで……。
 ためらうマイクロトフの気持ちを察したようにカミューが口を開いた。
「言っておくけど、俺をここまで煽ったのはおまえだからね」
 覚悟してよ、とカミューは身体を起こして上着を羽織る。マイクロトフにも立つように促して、そのへんにあった上着を放った。
「…………俺は明日仕事なんだが」
「このあいだ置いていったスーツがあるから心配しなくていいよ」
 ぶつぶつと文句を言いながらも上着を羽織るマイクロトフにカミューはにこりともしないで応えた。そしてテレビを消し、こたつの上をざっと片付けると、マイクロトフの手を引いて玄関に連れて行く。
「おまえも明日は早いと言っていなかったか」
「往生際が悪い」
 カミューは玄関先でくるりと振り返るとマイクロトフを壁に押し付けてもう一度口付ける。そして、そのまま顔を両手で挟んで至近距離で視線を合わせた。
「ねえ、こたつ買ってあげるから一緒に暮らそうよ」
「…………こたつで買収するのか?」
 ずいぶん安いものだ、とマイクロトフはおかしく思う。だが、あんな自分のぎこちない言葉でこれほどまでに舞い上がるこのトップスターもずいぶん安いものだ、と思えば、悪い気はしなかった。



 おしまい





「ヒトリノ夜」の続きです
くっついた後の2人の話


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