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ドアを閉めると、何か起きやしないかと気を使いっぱなしだったカミューの口から思わず大きなため息が出る。 「……カミュー、シュウ殿のところへ早く行ったほうがいいぞ」 そんなカミューに背後からマイクロトフの容赦ない声が飛んだ。カミューはうな垂れながら、ちょっとは休ませてほしい、と思ったものの、そんなことを口にしても真面目な恋人を怒らせるだけである。惚れた弱みだ、とあきらめて「わかったよ」と応えようとしたが、ベッドに腰かけていたもう一人のマイクロトフが口を開くほうが早かった。 「おまえはそんなに体裁が大事か?」 「なに?」 「カミューが疲れている姿を見てなんとも思わないのか? カミューより他人の命令のほうが大事なのか?」 「マ、マイクロトフ……?」 一気に冷え込んだ空気にカミューは驚いて顔を上げた。ドアのところに立つマイクロトフとベッドに腰かけるマイクロトフは、またもまるで敵同士であるかのように睨み合っている。 「……命令に従うのは当然だろう」 「当然、か……。つくづく愚かな男だな」 「なんだと?!」 「誰のせいでカミューがこんなに疲労している? 俺がなぜ、こんなことを言っているのか、おまえにだってわかっているだろう?」 掴みかからんばかりに激昂するマイクロトフに、もう一人のマイクロトフは動じることなくどこか嘲笑するような笑みさえ浮かべて応えた。すると、痛いところを突かれたようにもう一人が唇を噛んでうつむいてしまう。 「マイクロトフ……」 うつむいたマイクロトフの表情があまりにも痛々しく、カミューは心配そうに歩み寄ろうとした。しかし、 「……いいから、早くシュウ殿のところへ」 硬い声がそれを拒んだ。 「え?」 「俺は……俺たちは大丈夫だから、早く行け」 「で、でも……」 「大丈夫だ。これは俺の問題で、周りには迷惑をかけられない」 「マイクロトフ……」 目を合わせないマイクロトフにカミューはしばし迷ったが、頑なな男はこれ以上折れないだろう。しかたない、ともう一度ため息を吐くと、 「わかった。じゃあいってくるよ。何かあったら執務室まできてくれ」 と言い、すれ違いざまに肩を軽く叩くと、部屋を後にした。 ドアが閉まり、部屋に沈黙が下りると、背後から皮肉めいた声がかかる。 「迷惑、か」 ぴくり、と肩が反応した。もう一人の自分にきつい視線を向ければ、酷薄な笑みを浮かべた同じ顔が迎え撃つ。 「迷惑というならこうなった時点ですでに手遅れだろう」 「黙れ」 「カミューが心配してくれているというのに、おまえはそんな態度しか取れないのだな」 「……黙れ」 「そうやって、いつかカミューに愛想を尽かされるのを待っていればいい」 「黙れ!!」 立っていたマイクロトフは耐えかねたようにベッドに座っているマイクロトフの胸倉を掴み、引き上げた。 「元はといえばおまえが出てくるからこんなことになったのだ! とっとと消え失せろ!」 「俺が出てきたのをおまえは誰のせいにしているのだ?」 俺はおまえなのに。 「っ……!」 返す言葉が見つからなくて唇を噛みしめるマイクロトフにもう一人は挑発するような笑みを浮かべる。 「どちらかが消えればいい。簡単なことだろう……?」 「…………いいだろう」 2人は睨み合うと静かに部屋を出た。 志願兵たちとの野外訓練を終えたビクトールとフリックは鍛錬場の近くを通りかかった。そこには今日は諸事情により自主訓練となっていたマチルダの騎士たちが集まっていて、何やら騒がしい。 「お、なんだぁ? この人だかりは……」 ここ、新都市同盟軍には様々な戦士が集まっている。豪腕同士の手合わせともなれば、こうして人が集まることも少なくない。だが、どこか雰囲気がおかしかった。 「あ、ビ、ビクトール殿……」 振り返った若い青騎士はどこか青ざめていた。 「どうした? 何かあったのか?」 フリックが人垣の合間から場の中心に視線を向けると、本来であれば一人しか袖を通すことが許されない青い制服をまとった2人が剣を交えているところだった。ギイン、ギイン、と硬く重い音が何度も響く。 「なんだ? 自分が2人になったとたん、腕比べか……?」 いかにも真面目なあの男らしい、と笑おうとしたフリックだったが、2人のただならぬ殺気を感じ取り、顔を強張らせた。その異変に気付いたのはビクトールもほぼ同時で、慌てて人垣をかき分けて中に入っていく。 「やめろ! おまえら、何をやっているんだ!!」 ビクトールの制止にも2人の剣は止まらなかった。重剣を力任せに振りかざし、相手の急所をためらいなく狙う。剣が弾かれ2人の間合いが開くとわずかに動きが止まった。そして息を吸い込んでタイミングを計ると、同時に渾身の一撃を振り下ろす。 ガキッ! しかし、その剣は2人を傷つけることなく、別の剣に受け止められていた。間一髪、間に割り込んだフリックとビクトールが剣を押し戻しながら2人を睨みつける。 「何をしているんだ、おまえたちは!」 「おまえら、自分を殺す気か?!」 「フリック殿……」 「ビクトール殿……」 第三者の介入に2人のマイクロトフは気が抜けたように剣を下ろした。2人から殺気が消えたのを確かめ、ビクトールとフリックも剣を収める。 「ったく、どうしたってんだよ」 「…………………………」 ビクトールの問いに2人はうつむいたまま応えなかった。ビクトールはここでこれ以上騒ぎを大きくするわけにもいかないだろうと「部屋に戻るぞ」と2人を促す。そして、相棒に声をかけた。 「フリック、カミューを呼んでこい」 カミューは同じ人間が2人に分かれただけのはずなのに、なぜああも対立しているのか不思議に思い、自分なりに原因を考えてみることにした。ずっと気が動転していて、一人のマイクロトフが2人に分かれたという先入観で頭が一杯だったが、冷静になって考えてみれば、片方の言動に反論ばかりしている彼のほうが普段の彼らしくないといえる。マイクロトフは人に対し(と言っても、相手はもう一人の自分だが)こんなふうに相手を挑発するような口を利く男ではなかった。 そう考えると片方のマイクロトフは偽者なのだろうかという疑問が湧く。だが、マイクロトフは初めに「もう一人の自分だ」と認めていたではないか……。 ならば、あのマイクロトフは……? コンコン。 カミューの思考をドアのノックの音がさえぎった。 「カミュー、ちょっときてくれないか?」 「フリック殿? どうしました……?」 カミューは問いかけながらも嫌な予感が胸に広がっていくのを感じた。今の自分が呼ばれることといえば、彼らのことしかありえないだろう。 「マイクロトフが……何か?」 「どういうことですか?」 部屋に向かう途中、フリックから事の成り行きを聞いたカミューの顔は青ざめていた。 「どうもこうもない。あいつらは本気で互いを殺そうとしていた」 「そんな馬鹿な……」 口では否定しながらも頭の中のどこかでは否定しきれずにいた。あの2人はいずれはどちらかが『消える』と言っていたではないか。あれだけ互いを憎悪していたのだ。それを力ずくで行なおうとしたとしても不思議ではない。 やはり2人きりにしてはいけなかった。 何かあったら自分のところへ来い、とは言ったが、あの男が自分のことで人を頼るような性格ではないことはわかっていたはずだ。自分の判断の甘さが悔やまれる。 唇を噛むカミューにフリックは宥めるように背中を叩く。 「まあ、俺たちは深いところまで立ち入るわけにはいかないだろうからな。2人で、いや、3人で、か。ゆっくり話せ」 「はい……」 部屋の前に着くと、フリックがドアをノックする。ビクトールの声で応答があり、ドアを開けるとビクトールが椅子から立ち上がった。 「よお、きたな」 「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」 頭を下げるカミューにビクトールは気にするな、と笑う。部屋の奥にいる2人のマイクロトフに目をやると、2人ともどこか気まずそうにしてベッドに腰かけていた。さすがにビクトールの前ではいがみ合ってはいなかったようだ。そのことに少しホッとしていると、部屋を出ようとしたビクトールがぽん、と肩を叩く。 「まあ、何かあったら呼べよ」 「ありがとうございます」 カミューは礼を言うとマイクロトフの元に歩み寄った。そして、1人の制服の胸元あたりが切り裂かれ、もう1人の頬に薄い切り傷ができているのを見つける。先程のフリックの話では2人が切り結んでいる姿は、部下であるはずのマチルダの騎士たちですら止めることができなかったほど鬼気迫っていたものだったと……。 この2人がいなかったらどちらかが傷ついていたかもしれないのだ。最悪、命が失われていたかもしれない……。 その想像はカミューの血を凍らせた。 「あ、あの、お2人とも」 部屋から出て行こうとしていたビクトールとフリックを慌てて呼び止める。 「ん?」 「どうした?」 「……本当にありがとうございました」 数々の修羅場をくぐり抜けてきたこの2人だから止めることができたのだろう。カミューは2人がその場に居合わせた幸運に感謝せずにはいられなかった。 「ああ……」 「気にするなって」 2人はどうってことない、という態度で軽く手を上げ、部屋を出て行く。部屋に沈黙が満ちると、カミューがゆっくりと2人を振り返った。 「おまえたちは……どちらも本物のマイクロトフだって言ったよね?」 「…………ああ」 「そうだ……」 2人が肯定するとカミューの中で何かが弾け飛ぶ。 「だったら……なぜこんな真似をした?! おまえたちのどちらかがいなくなればどうなるんだ? どちらかが残るのか? だったら、いなくなったほうのおまえはどうなる?!」 「カミュー……」 こんなふうに激昂するカミューをマイクロトフは見たことがなかった。昔、何度か起こした大喧嘩のときですら、カミューは冷静にマイクロトフを言い負かす方向で仕掛けてきたというのに、こんなふうに感情を剥き出しにした姿は初めて見ると言ってもいい。 「カミュー、すまない……。俺はただ……」 「っ! やめろ!」 うろたえたように口を開くマイクロトフに、もう1人のマイクロトフが慌てて止めようとする。それをカミューが制した。 「マイクロトフ。俺は2人の話を聞きたい」 「カミュー……」 「おまえはときどき、そうやって苦しそうな表情を浮かべることがあったね。でもすぐに押し殺してしまって、決して俺に話すことはしなかった」 カミューの言葉にマイクロトフはハッとしたような表情を浮かべる。 「おまえが俺みたいにひねくれていたらそんなに心配しないんだけどね。おまえは真っ直ぐだから……」 「やめてくれ!」 突如、大声を上げたマイクロトフにカミューは目を見開いた。 「マイクロトフ?」 「俺は……真っ直ぐな人間などではない……」 マイクロトフは片手で顔を覆い、苦しげに言葉を吐き出す。カミューはその様子を茫然と見つめていたが、きゅ、と唇を引き結ぶと、もう1人のマイクロトフに向き直った。追い詰められたようなマイクロトフの様子が気になったが、話を進めなくてはこれ以上先に進まない。最早、2人の区別がはっきりとついているカミューには、こちらのマイクロトフが鍵なのだと確信していた。 「おまえは……マイクロトフに『醜い部分』と言われていたね。そうなのかい?」 カミューの問いにもう1人のマイクロトフは一瞬傷ついた表情を浮かべる。 「カミューは……俺を醜いと思うか?」 「思わない。思うはずがない。おまえはおまえなんだから」 「俺がどんなマイクロトフなのかわからないのに、か?」 「おまえがおまえであるかぎり、俺の気持ちが揺らぐことはない。俺の知らない一面を知ったって、そんなところもあるのか、と思うくらいだ」 カミューは不安げな顔で自分を見上げているマイクロトフに優しく微笑んだ。 「そして、必ず前より好きになる」 「カミュー……」 マイクロトフは信じられないというふうに目を見開いた。顔を覆っていたマイクロトフも驚いた表情でカミューを見つめる。2人の反応にカミューは苦笑を浮かべた。 「見くびってもらっては困るな。俺がどんなにマイクロトフのことを愛しているのか知らないのか? 俺は何度でもおまえに恋をするよ。知れば知るほど好きになる」 幸せそうに、だがどこか切なく語るカミューの言葉に、2人のマイクロトフの瞳が大きく揺らぐ。しばしの沈黙の後、『醜い部分』のマイクロトフが苦しげに口を開いた。 「カミュー……。だが、俺は……」 「醜い? おまえはどんな自分を醜いと思っているの? 聞かせてよ」 「俺は……」 「うん?」 「俺は歪んでいるんだ……」 「どうしてそう思うの?」 「騎士として振る舞うのは簡単だった。見本となるものが周りにいくらでもあったからな。だが、今は騎士である必要がない。そうしたら、どうやって自分が存在したらいいのかわからなくなった……。肩の力を抜け、と言われてもどうやって抜いたらいいのかわからない。自由になったとたん、何もできなくなったんだ……」 マイクロトフはすがるようにカミューの腕を掴んだ。 「おまえがこんなに好きなのにそれを伝えるすべも持たない。おまえに愛されてどんなに幸せなのかを告げることもできない。俺は……っ」 黙って聞いているのはそこまでが限界だった。カミューは2人の肩を引き寄せ、力いっぱい抱きしめる。 ようやく彼の正体がわかった。彼はマイクロトフがずっと押し殺していた感情の塊。周りを裏切ることはできない、と自分の奥底に無理矢理押し込めた感情を彼はいつしか『醜い』と思うようになっていたのだ。それをカミューにすら見せず、どれほど苦しんできたのか。 「馬鹿だな……」 カミューはぽつりと呟いた。 「俺がいたのに。俺では支えになれなかった?」 「そ、そんなことはない……!」 「俺は……カミューに嫌われるのが怖くて……」 感情の塊は素直に気持ちを打ち明けてくる。それはそれで嬉しいが、そんな弱音をうまく言えない彼も好きなのだ。……つまり、どんな彼でも愛している。 「さっきも言っただろう。俺はおまえを知れば知るほど好きになるって」 2人の髪を撫でてそう告げると、2人の肩がわずかに震えた。 「カミュー……すまない……」 こんなにも愛されていたのに。信じることができなかった自分はなんて愚かだったのだろうか。 マイクロトフは自分がまったく周りが見えていなかったことを改めて思い知る。 「カミュー……、好きだ。愛している。おまえに会えた奇跡を感謝せずにいられない……」 その言葉を口にしたのが元の自分のほうだと彼は気付いているのだろうか。 「困ったな……」 カミューは喜びに打ち震える感情をようやく収めると、苦笑を浮かべた。 「カミュー……?」 不思議そうに名を呼ぶ2人を抱擁から解放し、顔を見比べる。 「今すぐキスしたいのに、2人同時には無理だし……」 カミューの言葉に、ぼん、と火がつく勢いで2人が赤面した。こういう反応は人格が分かれても変わらないんだな、とカミューが笑っていると、2人は顔を見合わせ、頷き合う。そして同時に目を閉じ、まるで口付けるように顔を寄せると……そのまま片方がもう片方に吸い込まれるように姿を消した。姿が完全に消える直前に「カミュー、ありがとう」という声が耳に届く。 1人になったマイクロトフをカミューは愛しげに見つめた。 「マイクロトフ」 カミューに名を呼ばれ、マイクロトフがゆっくりと目を開ける。カミューと目が合うと、穏やかな、そして満ち足りたような笑みを浮かべた。 「カミュー……」 その笑みに吸い寄せられるようにカミューはマイクロトフの両頬を包み、息が触れる距離で甘く囁く。 「今日もまたおまえに恋をしてしまった。責任を取ってくれるかい?」 「…………俺でよければ」 2へ |