〜光と影を抱きしめたまま〜




 騎士たる者、鋼の精神と鉄の忠誠心を胸に誇り高く生きていくことを信条とするべし。

 だが、ある日突然、すべてが失われてしまったら……?



 都市同盟軍にマチルダ騎士団の赤・青騎士団長をはじめとする騎士団からの離反者が参入して1ヶ月が経った。規律厳しい騎士団に身を置いていた騎士たちは、はじめは都市同盟の統一性のない自由な風習に戸惑っていたが、徐々に新しい環境に慣れ、ようやく馴染み始めた頃である。
 そんな中、一人苦悩を抱えている男がいた。
 その名はマイクロトフ。マチルダ騎士団の元・青騎士団長である。
 彼は26歳という若さで青騎士団を束ねる立場に就いていたことでわかるように、非常に優秀で、勇猛な男だった。能力が秀でているだけではない。誰にでも公正で私欲がなく、正義のための強い信念を持った威風堂々とした性格の持ち主で、絵に描いたような騎士の鑑、と周りに尊敬され、多くの人間に慕われていた。彼の人望は、彼が上司である白騎士団長との意見の衝突により騎士団を離反した際に、部下たちが半数近く彼に従ったということでも証明されるであろう。
 そんな彼が何を悩むのか。
 いや、それはそんな彼だからこその悩みだった。

 彼は……自分の身の振り方がわからなくなっていたのだ。


『あんまり堅苦しく構えるなよ。気楽にいこうぜ』
 傭兵たちを束ねているという風来坊ふうの男が気さくに笑った。

『騎士団みたいにまとまった集団ではないから、最初は戸惑うかもしれないがな。まあ、目指すところは同じだし、頑張ろうぜ』
 隣で青いバンダナをした男が片目を瞑ってみせた。

『マイクロトフ、もうちょっと肩の力を抜いたほうがいいよ。もう俺たちは騎士ではないのだから』
 どんなときも傍に居て支えてくれる親友が優しく笑う。


 それらの発言が、常に堅苦しい態度しか取れない自分に対する気遣いだということはよくわかっている。だが、それが却ってマイクロトフをがんじがらめに縛りつけていた。

 ……どうすれば……いい……?

 騎士だった頃は常に己に厳しく振る舞っていればよかった。騎士たるもの、という心構えは幼い頃から周りに叩き込まれてきたため、騎士らしくあるために取るべき行動はいくらでも頭に浮かぶ。だが、それが通用しないとなれば? 自分はどんな行動を取ればいいのか……?
 肩の力を抜け、と言われてもどんなふうに振る舞えばいいのかわからない。堕落しろと言われているわけではないというのはわかっているのだが、力の抜き方がわからない。他人が聞けば馬鹿げた話だと思うかもしれないが、マイクロトフにとっては本当にわからないことなのだ。
 こんなとき、自分の歪さを嫌がおうにも思い知らされる。
 たとえば、カミューなどは、明らかに騎士団に居た頃より生き生きとしていた。部下たちも今までに見たことがなかった一面などを目にしたことが多々ある。みんな、騎士団での生活は騎士団の厳しい規律にあわせていただけで、それは意識しての行動だったのだ。それが騎士団という枠がなくなり、開放感に満ちている。だが、自分は……。
 幼い頃より騎士となるための教育を厳しく受けてきたマイクロトフにとって、規律の中に生活することこそ普通に近かった。それが、なくなってしまった今、どうすればいいのかわからない。
 確たるものをなくしたマイクロトフは、道に迷って途方に暮れた子供のように一歩も動けなくなってしまっていた……。



 コンコン、と聴き慣れたノックの音に、ベッドに腰かけてぼんやりとしていたマイクロトフはわずかに身体を強張らせた。慌てて傍らに置いてあった本を手に取り、適当なページをめくる。
 この部屋はマイクロトフの部屋であると同時に、ノックした相手の部屋でもあった。都市同盟の本拠地となっているこの城はまだあちこちが改装中で、そこに新たに転がり込んだマチルダ騎士団の元・団員たちにあてがわれる部屋などあるはずもなかった。マチルダでは民たちに敬われていた誇り高き騎士だったが、ここ都市同盟ではただの戦士である。狭い部屋に大人数で押し込められ、雑魚寝状態の日々を送っていた。しかし、野外戦などをいくつも経験してきた彼らにしてみればこんな境遇もどうということもない。マイクロトフも自分もそのような環境で一向にかまわなかったのだが、一応、騎士団の元・団長という肩書きから優遇されることになり、個室を与えられた。しかし、それもお世辞にも広いとは言えない部屋を、同じ肩書きを持っていた男と2人で使用することになっている。
 こんな夜更けに近い時間に部屋を訪ねてくる、いや、この部屋に帰ってくるのは一人しかいなかった。それ以前にロックアックスに居た頃となんら変わらないノックの仕方でわかっている。
 そう思ったマイクロトフはあえて返事を返さなかった。相手もそれは承知の上なのか気に留めたふうもなく、ドアを開けて部屋に入ってくる。そして、少し色素の薄い瞳に笑みを浮かべたまま、視線も上げずに本を読んでいるマイクロトフの傍に歩み寄ると、
「マイクロトフ」
 と優しく名前を呼び、後ろから抱きしめた。その体温にマイクロトフの鼓動がどくどくと早鐘を打ち始める。それを覚られないように仏頂面を崩さずに背後の男・カミューを仰ぎ見ると、待っていた、とばかりにその顎を捉えられ、唇が重なる。それほど体温は高くないはずなのに、彼の唇からは火傷しそうなほどの熱が伝わってくる。マイクロトフは眩暈のような酩酊感に襲われた。しかし、それをカミューに気付かれるわけにはいかない。必死に眉を寄せて渋々という態度を崩さないようにする。そんなマイクロトフの努力を嘲笑うかのようにカミューは口付けを深め、よく鍛えられた身体に手を伸ばしていった。背骨を辿るように撫で上げる指の細やかな動きに官能を引きずり出されそうになり、マイクロトフは仰け反りそうになるのを必死にこらえながらきつく目を閉じる。力が抜けそうになる身体を支えるために何かにすがりたかったが、手の届くところにはカミューの身体しかなく、それはかなわなかった。カミューの身体に触れたりしたら……きっと自分がこの行為に溺れていることに気付かれてしまう。浅ましく悦んでいるなどと知られるわけにはいかない。
 カミューのこういった行動は次がまったく読めなかった。口付けだけで終わることもあれば、そのまま身体を求めることもある。マイクロトフはされるがままだ。
 散々口内を荒らしまわった後、ようやく唇が離れる。マイクロトフが、は、と足りなくなった酸素を取り込んでいると濡れた唇が耳に押し付けられた。
「マイクロトフ……いい?」
 低い声で囁かれ、マイクロトフの全身が粟立つ。今日は最後まで求めるつもりらしい。普段の生活では聞くことのない低音はマイクロトフの何かを刺激してやまなかった。しかし、その正体を深く考えてはいけない。それはきっと汚いものだから。
 そのため、マイクロトフは必死にすべてを押し殺してぶっきらぼうに応えるしかなかった。
「……好きにすればいい」
 視線を逸らしたマイクロトフは気付かなかったが、カミューの目に一瞬傷ついたような色が浮かぶ。しかし、ひとつ瞬きする間にそれを完全に消し去り、唇を笑みのかたちに吊り上げた。
「そういうことは言わないほうがいいと思うけど……」
 どこか不敵な笑みを浮かべてカミューが言う。マイクロトフが、何が、と問い返すより先に、
「まあ、せっかくだからそうさせてもらうよ」
 と、再びマイクロトフの身体を暴くべく身を沈めた。

 夜はマイクロトフにとって最も幸せであり、苦痛の時間だった。カミューに愛される喜びと、それに応えることができない苦悩。これも、どうしたらいいのかわからないという壁に当たっていた。
 こんなふうに愛されることなど、カミューとこういう関係になるまで知らなかった。だが、いまだにカミューがどんな自分を好きでいてくれているのかわからなかった。その不安がマイクロトフに枷をかける。もし、気を緩めたとたん、呆れられたら。もし、応え方を間違ってカミューの愛想を尽かされたりしたら……。

 そんな恐怖心がマイクロトフを石のように頑なにさせていた。



 マイクロトフの朝は早い。従騎士の頃から自主参加形式で行なわれていた朝練に参加しており、それはここ新都市同盟に移ってからも、続けられていた。たとえ、前夜にカミューと肌を重ねてもそれは変わることはない。
 カミューは、たまには一緒に起きよう、と甘えた声で誘う。傍らのぬくもりに、ときどき、その言葉に従いたい誘惑に駆られるが、それを許すわけにはいかなかった。堕落した自分をカミューが軽蔑するかもしれない。
 マイクロトフは気を取り直すように頭をひとつ振り、少しけだるい身体を起こすと朝練に向かう準備をはじめる。
 朝、起きてからは部屋を出るまでカミューの姿は見ないようにしていた。見れば、いらない方向に気持ちが揺らいでしまいそうになるし、どうしても夕べの痴態を思い出してしまう。
 軽く湯を浴び、制服を身につけていると、マイクロトフは、ふと自分の身体に何か違和感を覚えた。どこか軽いというか、何かが足りないというか、喪失感に似たようなものである。しかし、それはあまりにも抽象的な感覚で、特に体調が悪いというような感じではなかったため、それほど気に留めず部屋を出た。
 ……このとき、一度でも振り返れば、その『足りないもの』の正体がわかったのだが、マイクロトフはいつものように背後を振り返ることはなかった。



「団長、今日は体調でも悪いのですか?」
 部下に気遣わしげに言われ、マイクロトフは、やはり傍から見てもそう感じるのか、と思った。決して体調が悪いわけではない。部屋を出るときに感じた違和感が続いているのだ。力が入らないというか、何か茫洋としたものが全身を包んでいて動きを妨げているような感じがつきまとっていた。
「今朝の訓練はこのくらいで切り上げたらどうですか? 朝食でも食べればすっきりされますでしょう」
 部下の言葉にマイクロトフは苦く笑う。多少体調が悪くても美味いものを食べれば復活するだろうと思われているあたり、子供扱いされているようだ。しかし、そんなからかいの言葉にも気遣う気持ちは伝わってくる。マイクロトフは「そうだな」と頷き、早朝訓練を解散させた。
 早朝訓練にはマチルダからきた騎士たちはもちろん、新都市同盟軍の兵士たちも参加するようになり、今ではけっこうな人数が参加している。それぞれが思い思いに散っていく中、マイクロトフは部屋に戻ろうと踵を返した。
 と、
「よお、おまえもこのままレストランに行くのか?」
 声をかけられ振り返ると、ビクトールとフリックが立っていた。この2人は毎朝ではないが、気が向いたときは早朝訓練に参加している。堅苦しい性格が近寄りがたくさせているであろうマイクロトフに気さくに声をかけてくる数少ない人間だった。
「いえ、一度部屋に戻ります」
 きっと朝食に誘ってくれているのだと気付いたマイクロトフがどこか申し訳なさそうに応えると、2人は顔を見合わせる。そして、事情を察したのか苦笑を浮かべた。
「ああ、毎朝ご苦労なことだな」
「アイツはそんなに朝に弱いのか?」
 朝練に顔を出したことのないマイクロトフの相棒に軽口を叩く2人に、マイクロトフも苦笑を浮かべる。
「いえ、特に弱いわけではなく人並みだとは思うのですが……」
 マイクロトフの言葉にフリックが肩をすくめた。
「まあ、確かに騎士様が寝込みを襲われたなんて笑い話にもならないからな」
「おまえさんが世話してくれるから甘えているんだろうぜ」
 ビクトールが豪快に笑うと、マイクロトフは意外な言葉を聞いたというふうに目を瞬かせる。
「そ、そうでしょうか……?」
「なんだ、自覚していないのか? おまえさんも相当人が好いな」
 フリックにも笑われ、マイクロトフは思わず頬を赤らめた。以前、カミューにも『人が好い』と言われたことがあるが、自分のような無愛想な男のどこが人が好いというのかさっぱりわからない。
 どう応えたものか困っていると、ちょうどレストランとの分かれ道に着いた。
「で、では、俺はこれで……」
 マイクロトフが頭を下げると2人も軽く手を上げる。
「ああ」
「じゃあな。あんまり甘やかすんじゃないぜ。癖になるからな」
「おまえが言えた立場か」
 ビクトールの言葉にフリックがすかさず突っ込みを入れ、2人はレストランへと向かっていった。それを見送ったマイクロトフも部屋に戻るべく歩を進める。
 思えば、ここ同盟軍に来てからというもの、毎朝カミューを起こすようになっていた。マチルダに居た頃は朝練には参加しないものの、迎えにいけばすでに起きていて身支度をすませていることもあったというのに、今では起こしにいくまで完全にベッドの住人である。ビクトールが言うように甘えているわけではないと思うが、やはり騎士という肩書きがなくなったことに安堵しているのかもしれない。
 そんなカミューを口では「だらしない」と叱っているマイクロトフだが、カミューを起こすのは嫌いではなかった。いや、楽しみにさえしていた。無防備に寝ている彼の姿は本当に幸せそうで、それを起こすのは少し気が引けるのだが、柔らかい髪に触れ、あの綺麗な琥珀色の瞳が開くのを一番最初に見ることができるのが自分だということに、言いようのない喜びを感じている。この想いをうまく伝えることはできないが、マイクロトフもまた、カミューのことを愛しいと思っているのだから……。
「…………………………」
 マイクロトフは目を伏せ、胸のあたりをぎゅ、と掴む。いつまでたっても自分の気持ちすら伝えることができない。そんな自分が嫌で仕方なかった……。



 部屋でぬくぬくと朝寝を楽しんでいたカミューは、ふと傍らにぬくもりがあることに気付いた。傍らにいるであろう人物は一人しかいない。だが、彼はいつも早朝に訓練に出てしまうため、ここにいるはずがなかった。
 眠りにつくときは2人でも目が覚めると一人、というのが通常である。そのなんともいいようのない虚無感が嫌で、いつも彼が起こしにくるまで寝ていることにしていた。マチルダに居た頃は立場上、あまり遅くまで寝ていられないこともあったが、ここ新都市同盟軍にきてからは、どんなにマイクロトフに怒られようとも徹底して起こしにくるのを待った。一緒に惰眠を貪りたい、という要求はいまだに叶えられたためしがなかったのだが、もしかしたら、今日こそ成就するのだろうか。
 いやいや、あの堅物のマイクロトフがそんな真似をするはずがない。ひょっとしたら夢を見ているのかもしれない、とカミューはとりあえず目を開けてみた。すると、間近に漆黒の瞳とかち合う。
「……おはよ」
「おはよう……」
 信じられない思いで挨拶をしてみると、少し恥ずかしそうに返事が返ってきた。カミューは、ぽかん、と目の前で所在なさげに視線をさまよわせているマイクロトフを見つめる。
 ひょっとして体調でも悪くて起きられなかったのだろうか。そんな考えにたどり着いたカミューは聞いてみようと口を開きかけた。
 そのとき、

 コンコン

「カミュー、そろそろ起きたらどうだ?」

 聞き慣れたノックの音と共にドアが開く。そして、いつものように声をかけながら部屋に入ってきたのは……。
「マ、マイクロトフ?」
 カミューは信じられない姿に目を大きく見開いた。いや、こちらの姿こそ、いつもの彼だった。だが、それでは、今、自分の隣に寝ているのは……?



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リクエストは「2人になったマイクロトフ(シリアス)」です。
話はすぐに浮かんだのですが、なかなか思うように表現できなくて
大変時間がかかってます。
まだまだ終わりが見えませんが、長い目でお付き合いいただけると嬉しいです。


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