〜ヒトリノ夜2〜




 マイクロトフ・26歳。どこにでもいる平凡なサラリーマンである彼は、この頃、居心地の悪い日々を送っていた。
 原因は、今、大ヒットしている1曲の歌。
 その歌を唄うのは『Camus』。今、最も注目を集めている男性シンガーだ。その歌とは、電車の中で偶然出会った人に一目惚れした、という内容の歌詞なのだが、それは……おそらく自分のことなのである。
 というのも、マイクロトフは以前、この『Camus』であろう人物に出会ったことがあった。そのときのシチュエーションが、この歌の歌詞とそっくりだったのだ。
 初めてこの歌を耳にしたときは食事中だったのだが、思わず口にしていたものを吹き出すくらい驚愕した。そして、その歌がなぜか大ヒットしてしまい、街のいたるところで流れはじめると、周りの人たちが自分を見ているような錯覚に陥り、居たたまれない気持ちになってきたのである。マイクロトフと『Camus』以外は知るはずのないことなので気のせいだとはわかっているが、どうしてもこの歌を聴くと落ち着かない。
 純粋に歌としてはとてもいい歌だと思う。『Camus』の少し掠れた甘い声と切ない想いを歌い上げた歌詞が見事に合っていて、一度聴くだけでずっと心に残るような惹き込まれる世界ができあがっている。だが、その歌詞の相手が自分のこととなると話は別だ。おそらく、彼は自分との出会いがおもしろかったため、それを男女に置き換え、恋愛感情を入れて歌にしたのだろうと思う(あたりまえだ。自分も彼も男なのだから)。だが、『Camus』が歌番組や雑誌の取材などでこの歌について思わせぶりなことを言ったらしく、世間ではファンを中心に、相手の女性(?)はどこにいる、とちょっとした騒ぎになっていた。話題作りのためにそんなことを言ったのだろうが、当事者にしてみればいい迷惑である。
 コンビニに寄ったときにこの歌が流れ、店内ですれ違った女子高生たちが「この歌好きー。相手の人ってどんな人なんだろうね」「一目惚れするくらいなんだから、きっとすごい美人だよ」と会話しているのを聞いてしまい、こんなゴツイ男ですまない……と内心謝ったこともある。もう二度と会うことはないだろうが、テレビなどで見かけるたびに心の中で悪態をつくのが習慣と化していた。
 そんなわけで、マイクロトフは誰にも言えない秘密を抱えてしまい、日々、戦々恐々と過ごしていたのである……。



 ある夜。
 週末を迎えたマイクロトフは仕事帰りに会社の同僚たちに誘われて飲みに行き、終電間際の電車に乗り込んだ。今夜は酒好きの上司に捕まってしまい、少々飲みすぎたようで少し意識がふわふわとしている。なんとかあいている座席を見つけ、腰を下ろしたが、ホッとしたと同時に眠気が襲ってきた。しかし、終電に近いこの電車で乗り過ごすと帰られなくなる可能性があるため、眠るわけにはいかない。マイクロトフはそう思い、バッグの中から携帯用のミュージックプレイヤーを取り出したが、酔った状態では耳慣れた音楽は子守唄の役目を果たしてしまったようで、ほどなく心地良い揺れに誘われるように眠りの波にさらわれていった……。


 トントン、と肩を叩かれ、マイクロトフの意識が少し浮上した。目を閉じたまま、なんだろう、とぼんやり思っていると、
「お客さん、終点ですよ」
 と、声をかけられ仰天して飛び起きる。慌てて背後の窓を振り返ってみると、確かに終点の駅名が書かれた看板が目に入った。見事に寝過ごしてしまったらしい。
「な、なんということだ……」
 窓の外を眺めたまま呆然としていると、隣から笑い声が聞こえる。
「ずいぶんとぐっすり眠っていたみたいだったもんね」
「お、おまえは……!!」
 てっきり起こしてくれたのは駅員だと思っていたマイクロトフは、隣に座って笑っている男を見て再び仰天した。そこにいたのは、もう二度と会うことはないと思っていた人物である。整った顔立ちに少し色素の薄い髪。以前と同じようにサングラスをかけているその男は……。
「覚えていてくれた?」
 青年はサングラスを少しずらし、目を細めて笑った。マイクロトフは思いもしない人物の登場に激しく動揺したが、ふざけた口調にキッと睨み返す。
「忘れたくても忘れられるか!」
「冷たいなぁ。こっちは会いたくてしょうがなかったっていうのに」
 怒鳴っても気に留めたふうもなく軽く肩をすくめてみせる青年に、マイクロトフはあんぐりと口を開けた。
「あ、会いたかった……だと?」
 唖然としているマイクロトフに青年は首を傾げる。
「あれ、歌にも気持ちを込めたつもりだったんだけど、通じてない?」
「う、歌って……?」
 マイクロトフは青ざめる思いで聞き返した。頭のどこかで『あの歌』が浮かんだが、そんなことはありえない。だって、あの歌は……。
 そんなマイクロトフの心境など知る由もない青年は、悪戯っぽく笑いながらマイクロトフの顔を覗き込んだ。
「ひょっとしてまだ聴いたことないのかな? 一応、今、一番売れてる歌なんだけどね」
「あ、あれはラブソングだろう!」
 思わず言い返したマイクロトフに青年はあっさりと頷く。
「うん」
 わかってるじゃん、と青年はおかしそうに笑った。そこに、今度こそ車掌が車内の見回りにやってくる。
「すみません、この電車はもうすぐ回送となりますので……」
「ああ、はいはい。今降ります」
 青年はそう言うと立ち上がり、「ほら、行こう」とマイクロトフの腕を引いた。酔いと混乱のせいで判断力がないに等しい状態だったマイクロトフは、腕を引かれるままに電車を降りる。見慣れない駅の景色に途方に暮れていると、青年がマイクロトフの腕を引いたまま階段に向かって歩き出した。
「お、おい……?」
「ここにいたって仕方ないでしょ。どうせもう電車はないんだから」
「だ、だからってどこに……」
「俺ん家来る?」
「なっ、じょ、冗談ではない!」
 マイクロトフは青年のセリフにぎょっとして思わず腕を振り払った。2、3段先を上っていた青年は笑いながら振り返る。
「どうして? ゆっくり話でもしようよ」
「お、おまえと話すことなんかあるか!」
「えー? 俺はいっぱい聞きたいことがあるけどな〜」
 とぼけた口調で言う青年の言葉にマイクロトフは、自分こそ聞きたいことや言いたいことがあるということに気付いた。もちろん『あの歌』に関して、である。だが、だからといって初対面に近いこの男の家に行くなど、あまり気が進む話ではなかった。
「……話すだけなら別におまえの家じゃなくてもいいだろう」
「何? なんか警戒してる? 誘拐されるって心配する年でもないでしょ。どうせ帰られないんだし、泊まっていけばいいじゃん。
 それに、一応、あまり人に顔を見られたくないんだよね」
 マイクロトフの心境を見透かしたように笑う青年に、マイクロトフは返すべき言葉が見つからない。確かにどこか身構えていたが、それを悟られたのは面白くなかったし、有名人なのだから周りに見られたくないというのももっともだと思う。もちろん泊まる気などさらさらないが、話すだけなら
 何か変なことを言っていたが、体力には自信があるし、学生時代に培った剣道の腕前もある。いざとなればいくらでも逃げることができるだろう、とマイクロトフは酔いまかせに腹をくくった。



「さ、どうぞ」
 マイクロトフはドアの向こうの光景に唖然、と口を開けた。いかにも高そうなマンションに着いたときも、ドラマの世界のようだ、と驚いたものだが、最上階に案内されて更に驚く。目の前に広がるは、自分のアパートの部屋が2つ3つはすっぽり入るのでは、と思うほどの広い空間。これが個人で住む部屋なのだろうか。
「……ここがおまえの部屋なのか?」
「うん? まあ、部屋というか、寝床かな。ここのフロア、貸し切っているから」
「何っ?!」
 この部屋だけでも家賃など想像がつかないというのに、この最上階のフロアを全て貸し切っているとは。ひょっとしたら1ヶ月の家賃が自分の年収とあまり変わらないのではないか。
 マイクロトフはそう思ったが、それを聞いたところでヘコむのは目に見えていたので確かめることはしない。住む世界が違うのだ、と割り切ることにした。酒の勢いもあってか、ずかずかと上がり込んで周りを見渡す。部屋は広いが、家具をシックな色調に抑えているためか、なんとなく無機質な印象を与えた。必要最低限のものしか置いていないようで、あまり生活感の感じられない部屋になんとなく寂しさを覚える。こんな広い部屋で一人で過ごすのはどんな感じなのだろう……。
「まあ、適当に座ってよ」
 背後から声をかけられ、マイクロトフはリビングのソファにでも座ろうかと思ったが、1.5人用くらいの中途半端な大きさのソファがひとつしかなかったため、仕方なく傍らのカーペットが敷かれた床に座る。ビール缶を持ってきた青年がそれに気付き、ビール缶をテーブルに置きながら、「ソファに座っていいよ」と笑って自分が床に座った。マイクロトフは家の主を差し置いて座るわけにはいかない、と思い、そのままテーブルを挟んで向き合う位置に移動する。
 青年はそんなマイクロトフの行動をおかしそうに見ていたが、まあ、いいか、とでも思ったのか何も言わずにマイクロトフにビール缶を差し出した。
「いや、俺はもう……」
 今夜は飲みすぎた自覚のあるマイクロトフは断るが、青年は笑って引き下がらない。
「なんだよ。せっかくの再会に乾杯ぐらい付き合ってくれてもいいだろ」
「う、うむ……」
 そう言われると強引に断れないのがマイクロトフの人の好いところだった。少しだけ、と缶を開けると、青年が缶を傾けてくる。マイクロトフは、何をやっているのだろう、と微妙な気持ちを抱えつつそれに軽くぶつけた。青年は一口ビールを飲むと、嬉しそうに目を細める。
「運命の再会に乾杯……ってヤツかな」
 そのセリフにマイクロトフは口をつけたビールを吹き出しそうになった。それをなんとかこらえると、
「……おまえの言っていることはわけがわからん」
 からかうにもほどがある、と憮然と呟く。すると、青年は首を傾げた。
「そうかな? 単純明快なつもりだったんだけど」
「何がだ?」
 会いたかっただの、あのラブソングに気持ちを込めただの、この男の言っていることはまるでわからない。たとえて言うなら、男女の恋愛事のような戯言ばかりではないか。
 そう思ったマイクロトフの胸が変な音を立てて跳ねた。
 まさか。いや、そんなはずがない。と、頭の中をありえない想像がぐるぐると回りはじめる。
「どうしたの?」
 赤くなったり青くなったりしているマイクロトフに青年が不思議そうに首を傾げた。マイクロトフは奇妙な生物を見るような目つきで青年を見つめたが、思い切ったように口を開く。
「……おまえが歌っているあの歌は、お、俺のこと、なのか?」
「そうだって言ったじゃん」
 即答される返事にマイクロトフの胃がきり、と音を立てたような気がした。
「あ、あれはラブソング、だよな?」
「そうだね」
 ためらいなく頷かれ、マイクロトフの背中に嫌な汗が流れ落ちる。
「ま、まあ、なんだ。売れるためにはラブソングあたりがうけるからな。多少脚色を加えるのはあたりまえだと思うが……」
「…………………………」
 慣れない愛想笑いまでして、当然のことを言ってやったというのに目の前の青年はなぜか黙った。
「……なぜ黙る」
「あのさぁ……」
 青年はどこか呆れたような表情を浮かべ、髪をかきあげた。いい男がそんなしぐさをすると嫌味なくらい様になる。思わず見惚れたマイクロトフに青年はピッと指を差す。
「鈍いって言われてるでしょ」
「なっ?!」
 不躾なセリフにマイクロトフは目を剥いた。確かに時々、周りに言われることがあるが(主に女性絡みの話で)、それをほぼ初対面のこの男に言われる筋合いはこれっぽっちもない。
「う、うるさい! 俺のどこが鈍いと言うのだ!」
「だってさー、こんなにストレートに気持ちを伝えているというのに、わからないなんて」
 鈍い、鈍い、と青年は頭を振る。その小馬鹿にした態度にマイクロトフがキレた。
「わからないだと?! じゃあ、聞くがな! おまえは男の俺に対してラブソングを作ったとでも言うのか?!」
「そうだよ」
 怒りをぶつけたつもりが、あっさりと肯定され、マイクロトフはあんぐりと口を開ける。
「な、なんだと……?」
 呆気に取られているマイクロトフに青年は目を細め、テーブル越しに手を伸ばして頬に触れた。
「どういうわけか、あの夜から忘れることができなくて……もう一度会いたいと思って何度もあの電車に乗ったんだ」
「え……?」
 マイクロトフが乗っている路線は5分おきぐらいに一本走る。待ち合わせをしたって同じ電車に乗れるものではない。それを何時に乗るかわからない自分に会うために乗っていたというのか。この、今一番売れている歌を歌っている男が。
 マイクロトフが茫然としていると青年は嬉しそうに笑った。
「やっと会えた……」
 そのきれいな笑みにまたも見惚れてしまったマイクロトフだったが、ハッと我に返ると頬に触れていた手を振り払う。ほだされそうになっている場合ではない。自分たちは男同士ではないか。
「お、おまえは『そっち系』なのか……?」
「そっち……? ああ、同性愛好者ってこと? それは違うよ。でも、一目見ただけでこんなに気になったのはキミが初めてだ。これでもけっこう悩んだんだけどね……」
 青年はそう言って苦笑を浮かべた。
「とりあえず、正直な気持ちを歌にしてみた。で、結果がこれだ」
 どう思う、と窺うような視線を向けられ、マイクロトフは逃げるように視線を逸らす。そんなことを言われても困る。非常に困る。
 そんなマイクロトフの心境など手に取るようにわかるのだろう。青年は少し笑ってビールを呷った。
「まあ、そんなわけだから、あとはお互いに少しずつでもわかりあっていってどうなるか、だよね」
「う、うむ……」
「何かついていけないところを見つけて、嫌になるかもしれないし」
「そ、そうだな!」
 青年の策略とも気付かず、マイクロトフは勢いよく頷いた。そうだ。男同士なのだから、うまくいくはずがない。なんの間違いか、今は恋だと勘違いしているようだが、すぐに目が覚めるはずである。
 ようやく先に進めそうになったことに青年は嬉しそうに微笑んだ。マイクロトフはその笑みにまたも惹き込まれそうになったが、いかんいかん、と戒め、気を引き締める。
「よ、よし、なんでも聞いてくれ」
「そうかい? じゃあ、まずは……」

「名前、おしえてくれる?」



 お互いの名前からおしえ合う、といういささか間の抜けた状況からはじまった自己紹介は、青年・カミュー(芸名ではなく本名だった)の巧みな話術によりスムーズに進んでいった。なるべく嫌われるように、と意気込んでいたマイクロトフだったが、カミューの話の上手さに引き寄せられるように様々な質問に答え、こちらからも質問していくうちにいつしかその目的を忘れ去っていた。気付けば長年の知り合いのように話が弾む。しかし、缶ビールを3缶あける頃には会社の人間と飲んでいた分のアルコールも蓄積され、強い眠気がマイクロトフを襲った。うつらうつらとしはじめたマイクロトフに気付いたカミューが笑って奥の部屋を指差す。
「眠いならベッドにいきなよ」
「いや、何を言う。俺は居候の身なのだから、ソファで充分だ。ここを借りるぞ」
 マイクロトフは半分目を据わらせた状態で、傍らの1.5人用くらいのソファをポンポン、と叩く。
「居候って……」
 カミューが苦笑して何か言おうとしたが、マイクロトフはさっさとソファに登り、ごろりと横になった。
「おやすみ」
「おい、スーツが皺になるぞ」
「ぐー」
 酔っ払いは人の話を聞いたりしない。マイクロトフは気持ち良さそうに目を閉じてしまった。最初の頃の堅苦しいまでに真面目そうだった態度は跡形もない。カミューは苦笑しながら毛布を取りに行った。戻ってくる頃にはマイクロトフは完全に寝息を立てている。カミューは毛布をかけてやってから、その寝顔を覗き込んで静かに笑った。
「まあ……正直言うと勝負はほぼついてると思っているんだけどね」
 耳元でそう囁き、ポケットから何かを取り出す。それはマイクロトフが電車で聴いていたミュージックプレイヤーであった。マイクロトフは、酔っていたのと思いもしない展開にすっかりその存在を忘れていたようだが。
 カミューがマイクロトフを見つけたとき、マイクロトフはすでに寝入っていた。隣に座ったカミューは、初めて出会ったときのようにマイクロトフの耳からヘッドホンを拝借してみた。その耳に飛び込んできたのは……。

「嫌だったら……わざわざ聴いたりしないよね」

 カミューは上機嫌に微笑んでマイクロトフの黒髪にそっとキスした。明日、このアルバムを「お近付きになったしるしに」と言ってプレゼントしたらどんな顔をするだろう、と楽しく思いながら。



 おわり?





オフ本「BLUE」の「ヒトリノ夜」の続きです
なぜかこの話は、続きが読みたい、という感想を
けっこういただいたので…(笑)


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