〜特別〜




 マイクロトフは深く深く悩んでいた。
 真面目な彼が悩むことといえば、受けた授業内容についての疑問だとか、理論はわかっても感情的に納得できないような戦略を聞かされたときなど、立派な騎士になるために一生懸命努力している過程であることが多い。だが、今の彼の頭を占めているのはまったく別のことだった。

『俺が好きなのはひとつだけだよ』

 数日前に聞いたカミューの一言が頭を離れない。それは、他愛のない会話での何気ない一言であるはずだった。
 毎日のように放課後にマイクロトフを誘っては、『好きなもの』を見せてくれたカミュー。そんなカミューに対して、マイクロトフが「カミューは好きなものがたくさんあるのだな」と言うと、それに対しての答えがこのセリフだったのだ。
 図書室での調べ物、めずらしい紋章球、骨董の短剣、焼きたてのパン、路地裏にいる野良猫……そんな、ばらばらなものにどんな共通点があるのか。いや、たったひとつだけ共通するものがあった。だが、『それ』は……。

 ハッと我に返ったマイクロトフは思いついた『それ』を追い払うように慌てて頭を振った。あの日からというもの、毎日これの繰り返しだった。何度も同じ答えに行き着いては、ありえない、と否定する。
 マイクロトフは疲れたように机に頬を押し当て、ぼんやりと遠くを見た。

 彼の好きなものが、『自分』だなんてありえない……。

 そんなの、図々しいにもほどがある。カミューは器用で細かいところまで気配りができて、1歳しか違わないとは思えないほどずっとずっと大人びていてしっかりしている。そんなカミューが何かと手のかかる自分のことなど特別に思っているはずがない。たまたま縁があって近しくなったから付き合ってくれているだけで、本来なら自分のようなつまらない人間になど声をかけたりすることもなかっただろう。
 あの日以来、カミューは放課後に『好きなもの』のところへ連れていってくれなくなってしまった。教室は違うが寮では同じ部屋だから毎日顔は合わせている。だが、あたりさわりのない会話は交わしても、前のように親しく話すことがなくなってしまった。さりげなく避けられているのがマイクロトフにもわかった。
 それは、自分がカミューのあのセリフに対してうまい言葉を返せなかったからだろう、とマイクロトフは考えている。あれはきっとカミューなりの何かシャレのきかせたセリフで、それに対してうまいこと答えてほしかったに違いない。それなのに、自分は驚くばかりで何も言えずにいた。結局はカミューが困ったように笑って、

『ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだ……』

 と、助け舟を出してくれるまで沈黙しか流れなかったのだ。情けないことに、そのときに咄嗟に浮かんだのもさっきと同じ答えだった。口にしなかったのが、せめてもの幸いといえた。

 俺は自意識過剰で気が利かない、どうしようもないヤツだ……。

 そんな後ろ向きなことを考えているうちに悲しくなってきてマイクロトフは唇を噛む。考えても考えても答えが出ないことがこんなに苦しいなんて。今までの疑問は先生に聞いたり、カミューに聞いたりして解決してきた。だが、今回の答えは自分で見つけなくてはいけない。それも、間違いない正解を。
 見つけたらカミューに、遅くなってすまない、と謝罪しつつ伝えるのだ。そうすれば呆れながらも許してくれるかもしれないから……。
 どんなにみっともなくてもいいからカミューに許してもらいたかった。マイクロトフにとってカミューは……

「マイクロトフ? まだいたの?」
 不意にかけられた声にマイクロトフは心底驚いて顔を上げた。慌てて振り返ると教室の入り口に見慣れた、しかしここ最近は見ることのなかった姿があった。
「カ、カミュー……!」
 どうして彼がここにいるのだろう。一瞬、幻かと思ったが、何度瞬きしても消えることはなかった。彼の姿に思わず、数日前までは当たり前のように続いていた状況と錯覚しそうになる。しかし、その顔に浮かんでいる表情が誘いにきたときの笑顔とは程遠いどこか困惑したようなもので、それが現況を物語っていた。
 マイクロトフが思いもしない事態に混乱していると、カミューのほうもそれ以上口を開くことはなく、その場に立ち尽くしたままだった。

 数日前まではこんなふうに毎日のようにこの教室に迎えにきてくれて、遊びに連れて行ってくれたのだ……。

 そんなことを思うマイクロトフの中にひとつの決心が芽生える。勇気を振り絞るように拳をぎゅっと握ると、ゆっくりとカミューのほうに近付いた。
「カミュー」
「な、なんだい?」
「今日、時間はあるか?」
「え?」
 戸惑ったように瞬きをするカミューにマイクロトフは真剣な面持ちで言葉を続けた。

「付き合ってほしいところがあるんだ……」



 最初に連れて行ったのは、マイクロトフが幼い頃から通っていた街の剣道場だった。
 マイクロトフももうここの門下生ではないため、未来の騎士を目指す少年たちが一心不乱に模造剣を振っているのを、2人で戸口からこっそりと覗く。
「俺はここで剣を習ったんだ」
 マイクロトフが小声で言うと、隣でカミューは少し笑ったようだった。


 次はマイクロトフが小さい頃から何度も通っている肉屋に向かった。その店は生肉だけではなく、惣菜も少し扱っている。
「コロッケふたつください!」
 いつものように元気良く言いながらお金をカウンターに置くと、馴染みのおばちゃんがいつもの笑みを浮かべて応えた。
「あいよ!」
 この店で売られているコロッケは数種類あったが、マイクロトフが頼むのは牛肉たっぷりのコロッケと決まっているため、2人にはその会話で事が足りるのだ。そして、ほどなく揚げたてのコロッケふたつが一枚の紙に包まれてマイクロトフに差し出される。
「はい。熱いから気をつけるんだよ」
 それはいつものやりとりのはずだったのに、マイクロトフがどこか戸惑った表情を浮かべてコロッケを受け取るのをおばちゃんは、おや、と思った。そして、マイクロトフの視線がちらちらと背後に向けられているのを追って、そこにもう一人お客さんが立っていることに気付く。
「おや、まあ! 今日はお友達も一緒なんだね。早く言っておくれよ」
 どうりで2個のコロッケを一枚の紙に包んだのを困っているはずである。マイクロトフが気付いてもらえたことにホッとしていると、おばちゃんはもう1個新しいコロッケを紙に包んでそれをカミューに差し出した。てっきり自分が持っている2個のコロッケを1個ずつ包みなおしてくれると思っていたマイクロトフは慌てた。
「え、あ、あの……」
 2個分のお金しか用意していなかったマイクロトフが慌てて断ろうとすると、おばちゃんが軽くウィンクする。
「これはおまけだよ」
「え、で、でも……」
「マイクロトフ、俺が払うよ」
「いいってば。なんたってマイクロトフはウチの昔からの大お得意様だからね!」
 おばちゃんはカミューがお金を出そうとするのを遮って豪快に笑うと、2人は顔を見合わせた。
「ほら、子供がヘンな気使うんじゃないよ。冷めないうちにお食べ」
 もう一度促され、2人は好意に甘えることにする。
「ありがとうございます!」
「ごちそうになります!」
 深々と頭を下げて店を出た。その背中におばちゃんの大声が響く。
「1個ずつ食べて、最後の1個はちゃんと半分こにするんだよ。マイクロトフ、足りないだろうけど今日は我慢だからね!」
「わ、わかってます!」
 律儀に応えたマイクロトフの顔は真っ赤だった。カミューはたまらず吹き出す。これまでのやりとりからして、いつもマイクロトフは一人でコロッケを2個買っているのだろう。
「俺は一個で充分だけど?」
「だめだ! 2人で半分こだ!」
 カミューの申し出にマイクロトフはムキになって応える。答えはわかっていたカミューは肩を震わせて笑った。
「じゃあ、どこで食べようか?」
「とっておきの場所があるんだ!」
 こっちだ、とマイクロトフは照れ隠しもあるのか駆け足で目的地に向かった。


 マイクロトフが向かったのは古びた石段だった。近くに大きな道に続く新しい石段ができたため、そこを歩く人はほとんどいない。マイクロトフはそのひとつに腰を下ろした。カミューもその隣に腰を下ろす。
 2人は少し冷めて食べやすい熱さになったコロッケを頬張った。
「美味い」
 カミューがそう言うとマイクロトフは嬉しそうに笑った。
「そうだろう! ここの牛肉コロッケは絶品なんだ!」
「マイクロトフの好きそうな味だよね」
 微笑んで言うカミューのセリフにマイクロトフはハッとする。そうだ。自分の行動の目的をちゃんと伝えなくてはいけない。
「ああ。これは俺の大好きなものだ」
 マイクロトフの言葉に何かを感じたのかカミューは笑みを収めてマイクロトフを見た。マイクロトフは夕陽を見ながら言葉を続ける。
「ここは俺が好きな場所だ。よくここで日が沈むのを見ていた」
 緊張してきた気持ちを落ち着けるようにコロッケを一口齧る。飲み物があればよかったかな、と、きっとカミューだったらさりげなく気配りしたであろうことを思った。自分はどうしようもなく不器用で気が回らない。しかたないが、そんな性分なのだから、少しでもマシになるように努力するしかない。
「さっき行った道場も俺にとって大事な場所だ」
「うん……」
 カミューが応えるでもなくぼんやりと言うと、2人はしばし黙ったままコロッケを食べた。ほぼ同時に1個食べ終わるとマイクロトフが残った1個を半分に割ってカミューに渡す。ありがとう、と言って受け取るカミューに、マイクロトフは思い切って口を開いた。
「俺は好きなものがいっぱいあるけど……」
 自分を見るカミューの顔が夕陽に照らされて少し眩しい。このあいだの逆だ、とマイクロトフは頭のどこかで思いながら、赤く照らされたカミューの瞳が金色のような不思議な色合いになっているのが綺麗で惹き込まれるように見つめる。
「こうして少しでもカミューに知ってほしかった」
「……どうして?」
 問う声は静かだった。マイクロトフは不思議と心が落ち着いて、するりと想いがすべり出る。

「カミューは……特別だから」

 カミューの目がわずかに見開かれた。マイクロトフがその様子をじっと見つめていると、カミューは表情を隠すようにうつむき、少し低い声で問いかける。
「このあいだ俺が言ったこと、わかった?」
「…………わからないから教室で悩んでいた」
 わずかにためらいながらマイクロトフが応えると、カミューの瞳に何か確信を得たように光が灯った。顔を上げ右手を伸ばすと、マイクロトフの後頭部にそっと触れる。
「こんなに遅くなるまで?」
「わかりたかったから……」
 本当の答えを。
 逃げを許さない真っ直ぐ向けられた視線が少し痛くて、マイクロトフはわずかに目を伏せた。するとカミューは後頭部にまわした手に力を込め、少し自分のほうに引き寄せる。
「……本当にわからない?」
 ゆっくりと近付いてくるカミューの顔をマイクロトフは揺れる瞳で見つめ返しながら呟くように応えた。
「その答えがあっている自信がない……」
 言葉の最後のほうは息が触れるほどの距離しか残されておらず、マイクロトフは緊張のあまり身を硬くしてぎゅっと目を閉じる。カミューは目を伏せて首を伸ばし、最後の距離を詰めた。
「その答えであっているよ……」

 触れ合った唇は少し油の匂いがした……。






『放課後』の続きです
オチが見つからないまま終了〜


2006/11/29


−back−