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遠征から帰ってきたカミューを待っていたのは、溜まってしまった雑務の山だった。地位が上がれば当然仕事も増える。赤騎士団の頂点に立つカミューは帰ってきた早々、書類と格闘せねばならなくなった。 そんな彼の元にマイクロトフが陣中見舞いにやってきた。机に高く積み上げられている書類の山を見て、マイクロトフは内心、げ、と思う。あまりデスクワークが得意ではない自分だったら見ただけで逃げ出したくなるような量だ。 気の毒に、と思いながらマイクロトフは声をかける。 「おかえり」 「ただいま。すまないね。先にそっちに顔を出したかったんだが、急ぎの書類があると強制連行されてしまった」 手を止め、拗ねたように口をへの字に曲げるカミューに、マイクロトフは気にするな、と頭を振った。 「いや、俺こそすまない。なるべくこちらで判断できるものは引き受けたつもりなんだが……」 カミューの負担がちっとも減っていないことにマイクロトフは申し訳ない気持ちになる。 自分が遠征に行ったときは、本当に青騎士団長としての判断が必要なもの以外はカミューが大抵片付けてくれていた。自分もその恩に報いたかったのだが……。 すまなそうに謝るマイクロトフにカミューはにっこりと笑った。 「それは聞いているよ。ありがとう、助かった」 もっと酷い有様だと思っていたからねぇ、と冗談めかして肩をすくめれば、マイクロトフは呆れたように眉を顰める。これより酷い有様などと想像もしたくない、といったふうだ。その、苦手なものを食べろと言われた子供のような表情にカミューはくすくす笑うと、再び書類に視線を落とした。 部屋に沈黙が下りると、マイクロトフはなんとなく手持ち無沙汰になる。沈黙に気まずさは感じないものの、特に用があって執務室を訪れたわけではない。単に帰ってきたカミューの顔が見たかっただけなのだから、用が済んだといえば済んでしまった。しかし、どこかまだ離れがたい気持ちが残り、かといって仕事を邪魔するわけにもいかず、それとなく視線を泳がせていると茶道具一式が収められている棚に目が止まる。 「そうだ。茶でも淹れるか?」 「そうだね。でも、この状況じゃコーヒーのほうがいいかな」 「砂糖とミルクは?」 「いらない。ちょっと濃い目に頼むよ」 「ああ」 マイクロトフは頷いたものの、普段は紅茶を好むカミューがコーヒーを、しかも濃い目のものを欲しがる、というのは遠征で疲れている頭を無理矢理覚醒させようとしているのではないかと思い、少し心配になる。だが、これは仕事であり、自分に回ってこなかったのだから赤騎士団長であるカミューにしか処理できないということで、私情を挟むこともできなかった。 せめて美味しいコーヒーを淹れてやろうと思ったマイクロトフは、自分の執務室にもらいもののコーヒー豆があったことを思い出し、執務室を一旦出た。そして、就業時間外であることをいいことに、廊下を走るのとあまり変わらないスピードの早足で颯爽と歩く。すれ違う部下たちが少々驚いた様子で振り返っていたが、気付かないふりをした。自分の執務室からコーヒー豆を持ち出すと、ついには人目のないところで走り出す。そうして、いつもの半分くらいの時間で執務室間を往復すると、多少息が切れたまま、コーヒーを淹れはじめた。 湯を沸かし、コーヒー豆の袋を開けると独特の香ばしい香りが辺りに広がる。マイクロトフはその匂いに目を細め、ふと昔を思い出した。 「……何を笑っているんだ?」 カミューの気を散らしてはいけない、と笑い声は噛み殺していたつもりだったが、聡い親友には気配でばれてしまったらしい。 「いや、昔のことをちょっとな」 苦笑して返すマイクロトフにカミューはペンを止め、顔を上げた。その嫌そうな顔を見て、マイクロトフは思わず吹き出してしまう。その顔は初めてコーヒーを口にしたときの表情と良く似ていた。 『なんだ、この苦い飲み物は! 泥水か?!』 『こんなのを美味いという感覚がわからないよ。青汁でも飲んでたほうがまだマシだ』 カミューが生まれ育った村ではコーヒーを飲む習慣がなかったらしい。好奇心いっぱいに飲んでみたカミューだったが、その感想は散々たるものだった。 小さい頃は牛乳と砂糖をたっぷりと入れた、コーヒーとはいえない飲み物を飲んでいたマイクロトフも、歳を重ねるごとに甘味が少なくなり、ミルクの量が減り、と、16歳の頃にはコーヒーそのものの味を楽しめるようになっていた。それなのに1歳上のカミューがそんな反応をするものだから、マイクロトフはおかしくてしかたなかった。 そんなカミューがマイクロトフの前でコーヒーを飲んで、「美味い」と言ってみせたのはその2年後だった。やっと味がわかるようになったよ、と笑うカミューが、2年間もこっそり(少なくても自分の前では飲んでみせたことがなかった)努力してきたのかと思うと、やはりマイクロトフはおかしかった。 カミューも同じことを思ったのだろう。ふん、と鼻を鳴らして下を向いたが、その耳がわずかに赤かった。 「……カップは左側の戸棚に入っている」 「ああ。わかった」 マイクロトフは笑いをこらえて言われたように戸棚を開けた。そして、カップを取り出し、目を見開く。 「これ……、まだ持っていたのか……」 出てきたカップはマイクロトフがカミューに「コーヒーが飲めるように」とプレゼントしたものだった。たまたま入った店で見つけた、深い赤の色合いのマグカップを一目ですっかり気に入ってしまい、カミューに贈ったのだ。10年近く昔のことである。 「そりゃあ、愛しい恋人に買ってもらったものだからね」 大事にしてるさ、とカミューは目だけ上げてウィンクしてきた。マイクロトフはちょっと顔を赤らめつつも、「あの頃は恋人ではなかったろう!」と反論する。カミューはペンを置いて頬杖をついた。 「でもさ、そのカップによく似たデザインで、すごく綺麗な青色のがあったんだ。おまえに買ってやろうと思ったのに、買いにいったときには売れていた」 あのときの落胆した気持ちを思い出したように寂しそうな表情を浮かべるカミューに、マイクロトフは「俺も飲むからカップを持ってくる」とそっけなく言って再び執務室を出て行った。 ほどなくして戻ってきたマイクロトフの手に握られていたのは……。 「あれ? そのカップ……!」 「……同じ店でこれを見つけたとき、つい買ってしまったのだ」 憮然、というよりは照れ隠しのようにぶっきらぼうに言うマイクロトフにカミューは驚きを隠せない。 「同じ店ってことは……おそろい?」 「うるさい。恥ずかしいことを言うな!」 「いや、恥ずかしいのはマイクロトフだろう。知ってて買ったんだから」 カミューは、あの店がマイクロトフがカップを買ってくれた店だとは知らなかった。だが、マイクロトフは……。 「うるさい! うるさい!!」 見る間に真っ赤になっていくマイクロトフを見てカミューの顔に笑みが浮かぶ。 「ねえ、コーヒーまだ?」 てっきり更にからかいの言葉が飛んでくると思っていたマイクロトフは一瞬、拍子抜けしたような表情を見せたが、すぐ我に返るとちょうど抽出が終わったコーヒーをカップに汲んだ。 「ほら」 机にカップを置くとその手を掴まれる。なにを、と言う前に唇が塞がれた。久しぶりの、それでいて馴染んだ感触にマイクロトフは、そういえばコーヒーを飲むと口の中が臭くなるんだよな、などと色気の『け』の字もないことを考えつつ、目を閉じて甘受する。 しかし、腰に腕が回り、角度を変えてはしつこくしつこく口付けてくる男にさすがに痺れを切らしはじめた。 「コーヒーが、冷める……っ」 口付けの合間に抗議すれば、 「コーヒーよりおまえのほうが断然元気になるし」 と、取り合う様子もなく、またも唇を塞がれる。 結局、カミューが満足したのはカップから湯気も出なくなった頃であった。マイクロトフはぶつぶつと文句を言いながら青いカップにサーバーのコーヒーを注ぎ、カミューに渡す。赤いカップの冷え切ったコーヒーは仕方がないので自分で飲んだ。 「うん。美味いコーヒーだね」 「今頃言っても白々しいぞ」 |