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ノースウィンドウ城の酒場は今日も繁盛していた。 日が暮れると一日の疲れを酒と会話で癒そうとする男女が集う場は、夜が更けるにつれ賑わいを増していく。時間を忘れるような喧騒の中、ようやくカウンターで一服することができた女主人・レオナは、ふと店に入ってくる二人組の姿を見つけた。 酒場独特の薄暗い明かりの中に溶け込みそうな深い青の制服と、ランプの炎をはじくような赤い制服。 先日、マチルダ騎士団の最高権力者である白騎士団長の方針に反発し、部下たちの約半数を率いて新都市同盟軍に参入した元・マチルダ騎士団の青騎士団長・マイクロトフと同じく赤騎士団長・カミューの二人であった。 彼らが仲間になってまだ日が浅いが、傭兵あがりやミューズ市などの私兵たちが多かった新都市同盟軍の中では、騎士団という組織は存在が際立っていた。その騎士団を率いているということで、この二人はあっというまに顔と名が知れ渡っている。 酒場に入ってきたとたん、酒場中の視線を集めていることに気付いているのかいないのか、二人は気にした様子もなくテーブルで飲んでいる部下たちに2、3声をかけながらカウンターに近づいてきた。 「こんばんは、レオナ殿」 柔らかい笑みを浮かべるカミューと後ろのほうで軽く頭を下げるマイクロトフに、レオナは煙管を片手に軽く頷いた。 「あいよ。一杯飲んでいくかい?」 この二人が酒場に姿を見せたのは初めてだったが、こんな時間に酒場に来るといえば、飲みにきたか、自室で飲むための酒を調達にきたかのどちらかだろう。 そう思ったレオナだったが、 「いえ、今夜はレオナ殿にお願いがありまして」 「お願いだって?」 カミューの口から意外な単語が出てきたことに軽く目を瞠る。カミューはにこやかな笑みを崩さず頷いた。 「はい。申し訳ないのですが、グラスを2ついただけませんか?」 「グラス?」 「ええ、どんなものでもいいのですが……」 確かに酒場なのだからグラスは山ほどある。だが、わざわざ酒場に足を運んでおいて、酒を頼まず、グラスが欲しいとはどういうことなのか。レオナは不思議に思って聞いてみた。 「いいけど、グラスだけでいいのかい?」 すると、カミューはレオナが言わんとしたことに気付いた様子で補足する。 「あ、いえ、ここで使うのではなく、部屋に置いておきたいのですが……」 「ああ、そういうことかい。騎士さまに貸すには色気も素っ気もないものだけど、これでよかったら持っておいき」 レオナはようやく事情を把握して、背後に並んでいるグラスの山から適当な二つを取り出した。 騎士団を離反し、マチルダを追われる立場で出てきた彼らは、私物などほとんど持ち出せていないだろう。最低限の日用品は支給されたはずだが、日が経つにつれ必要なものが増えていくのは当然である。 「ええ、充分です。ありがとうございます」 カミューはグラスを受け取るとそれを背後に立つマイクロトフに渡しながら、女性だったら誰もが見惚れるような笑みを浮かべて礼を言った。……とはいえ、体ひとつで数々の戦渦をくぐり抜けてきたレオナにはあまり通用しなかったようで、彼女は涼しい顔で煙管を咥えると、ゆっくり煙を吐き出す。 そして、 「じゃあ、グラスのお礼に今度は二人で飲みにきておくれ。あたしもどうせならムサい男より色男を相手してるほうが楽しいからねぇ」 そう言いながら、お返しとばかりに色気を含んだ瞳を細めてみせた。するとカミューは平然としていたが、カミューの背後にいたマイクロトフが顔を赤くさせてうつむいてしまった。そんな対照的な反応で二人の性格がだいたいわかったレオナは、なるほどね、とおかしそうに喉の奥で笑う。そこに、カウンターの隅のほうで彼らのやりとりを聞くとはなしに聞いていたビクトールが、さっきのレオナのセリフは聞き捨てならないとばかりに口を挟んできた。 「おい、レオナ、それは俺らのことか?」 「おや、自覚があったのかい?」 レオナがしれっとして応えるとビクトールは、「なんだと!」と噛み付く。だが、レオナは「悔しかったら鏡を見ておいで」とぴしゃりとやり返した。ビクトールの隣にいたフリックがそんなやりとりに苦笑いを浮かべつつ、マイクロトフにむかって声をかける。 「まだまだあれこれと入り用だろ。大変だな」 「ええ。ですが、おかげさまでだいぶ不便なく生活できるようになってきました。このグラスも必要なもの、というよりは欲しいもの、ですし」 「そうか。とりあえず落ち着いたら一緒に飲もうぜ。いろいろと話してみたいしな」 「はい、喜んで」 マイクロトフは控えめな笑みを浮かべて軽く頭を下げた。歳はそう変わらないだろうが、マイクロトフはあくまでも礼儀正しく接してくる。意外とざっくばらんな性格のフリックはそんなに肩が凝る受け答えをしなくても、と思ったりもするが、ある程度打ち解けるにはそれこそ酒でも酌み交わすのが手っ取り早いだろうと考え、その場では口にしない。 フリックとマイクロトフが会話している隣ではビクトールもカミューに話しかけていた。 「向こうにはいろいろと大事なものとか置いてきたんじゃねぇのか?」 「ええ、そうですね。枕とか」 「枕とかな!」 カミューの答えを受けてビクトールは愉快そうに笑った。 「枕が変わると眠れねぇもんだよな!」 「……いつでもどこでもぐーすか寝ているくせに」 呆れたようにフリックが突っ込むとビクトールは「なにぉ!」と今度はフリックに噛み付く。またも軽口の応酬になりそうな雰囲気だったが、それよりカミューが口を開くほうが早かった。 「まあ、一番大事なものはちゃんと持ち出したので大丈夫です」 「お、そうなのか? よくあの混乱した中で忘れなかったな」 「ええ、忘れるわけがありません。日々の生きる活力になりますし、安眠にも役立ちますし、手放すことなどできないものですから」 カミューの言葉にビクトールは感心したように唸る。 「へー。ずいぶん大事にしているものがあるんだな。今度、見せてくれや」 ビクトールにそう言われ、カミューはなぜかちらり、と背後に視線を向けた。ぼんやりと会話を聞いていたマイクロトフがその視線に気付くと、一瞬の間をおいて、ざあっと音がするのではないかというほど一気に青ざめる。急に落ち着きがなくなったマイクロトフにカミューは満足げな笑みを浮かべると、優雅なしぐさでビクトールに頭を下げる。 「申し訳ありませんが、ちょっとそれは人にお見せするわけにはいきませんので……」 「なんだよ、もったいぶるなよ」 「やめろって。誰だって大事なものをおいそれと他人には見せたくないものだろ」 食い下がるビクトールをフリックが止めに入った。「俺は平気だぞ」「おまえに大事なもの、なんて繊細なものがあるか!」と言い合いをはじめた2人を尻目にカミューはレオナに笑みを向ける。 「じゃあ、我々はこれで。レオナ殿、グラス、ありがとうございました。大事に使わせていただきます」 「いいよいいよ。そんな安もん。割れたらまたもらいにおいで」 レオナはカウンターに肘をおいて、ひらひらと手を振った。 「カミュー! おまえ、あんなところでなんてことを言うのだ!」 部屋に戻り、2人きりになるなりマイクロトフが顔を真っ赤にして怒鳴った。カミューは、おや、というふうに片眉を上げる。 「へえ。俺の一番大事なものだっていう自覚があったんだ?」 「えっ……? あっ!」 カミューの問いに自ら墓穴を掘ったことに気付いたマイクロトフは更に顔を赤くした。カミューはくすくす笑ってその熱を持った頬に手を伸ばす。 「俺はおまえがいないとよく眠れないし、生きる気力をなくしてしまうし。ほら、これ以上大事なものはないだろ?」 |