〜退屈〜




 マイクロトフはぼんやりと外を眺めていた。今は執務時間中であるのだが、急ぎすることがない。めずらしく手があいた状態なのだ。
「すみません。ちょっとペースを間違えましたかね……」
 事務担当の副官が申し訳なさそうに言う。彼は非常に優秀で、デスクワークを苦手としているマイクロトフをよくフォローしていた。ともすればすぐ机上の仕事を溜めてしまうマイクロトフが後で苦労しないようにと、一番効率良く進め方を考えて仕事を進めている。それが、今日はほんの少し順調すぎたようだ。
「いや、いつも苦労かけているからな。気にしないでくれ」
 マイクロトフは苦笑を浮かべて副官に軽く手を振った。仕事が順調なのはいいことである。それを申し訳なく思う必要などない。
「申し訳ありません。次の書簡なのですが下書きの時点で訂正箇所が見つかりまして……。今、至急書き直させているところなのですが、もう1時間くらいはかかるかと……」
「うむ。そうか」
 頷くマイクロトフに副官は柔らかな笑みを浮かべて休憩を勧める。
「少し時間をつぶされてきてはいかがですか?」
 今日は忙しくなるのがわかっていたため、朝からだいぶペースを上げて書類を片付けていた。次の書類が届けばまた忙しくなるのだから、時間があるうちに少しでも息抜きをしたほうがいいと思ったのだ。特にすることのなかったマイクロトフは、自分がいないほうが副官も一息つけるだろうと思い、「そうだな」と副官の気遣いに応じる。気晴らしに剣でも振るうか、と思いながら立ち上がると、副官が何か思いついたような表情で、あ、と付け足した。
「ただし、訓練所に行くのはやめてくださいね。時間を忘れてしまうのは目に見えてますから……」
 にっこりと笑っていたものの、あからさまに念を押す口調にマイクロトフは首をすくめる思いで「わかった」と応え、逃げるように執務室を出る。自分の浅はかな考えなど、優秀な部下にはとっくにお見通しだったようだ。マイクロトフは己の行動パターンの単純さに苦笑を浮かべ、さて、どこへ行くか……、と気の向くままに足を進めた。


 赤騎士団長の執務室に入ったとたん、マイクロトフは早くも後悔していた。
「あれ? マイクロトフ、何か用かい?」
 カミューが走らせていたペンを止めて首を傾げるが、その両脇にはこれでもか、というぐらい書類が高く積まれている。傍らに立つ事務官の手にも分厚い書類が抱えられていた。特に深く考えずに気軽に訪れてみたのだが、どうもタイミングが悪かったようだ。
「……随分と忙しいみたいだな」
 マイクロトフの言葉にさすがにごまかすのは無理と思ったのか、カミューは曖昧な笑みを浮かべる。
「う、ん、まあね。ちょっと取り込んでて。それで……」
 何の用だい、と続けようとしたカミューだったが、
「では、出直すとしよう」
 と、マイクロトフがくるりと背中を向けて部屋を出ようとするのに慌てて立ち上がった。
「えっ? ちょっと待って! 何か用があったんじゃないの?!」
 ここまで来ておいて用がないわけがない、といわんばかりの口調にマイクロトフは口をへの字に曲げる。カミューがそう思うのも無理はない。突然ふらりと遊びにくるカミューと違い、マイクロトフが用もないのに執務室を訪ねたりすることは皆無だったのだから。
 マイクロトフは気まずい思いで視線を逸らした。息抜きしようと思って執務室を出たはずなのに、どうしてこんないたたまれない思いをしなくてはいけないのか。ちょっと情けなくなってくる。
「い、いや、特に用はないのだ……」
「え?」
 マイクロトフのはっきりしない返事にカミューは不思議そうに首を傾げた。そのまま部屋には沈黙が降りる。マイクロトフが、もうだめだ、と、この空気に耐えかねてもう一度踵を返そうとすると、察しのいいカミューがようやく意図に気付いた。
「ひょっとして遊びにきてくれたの?!」
 その勢いと目の輝きにマイクロトフの腰が引ける。
「い、いや……、その……」
「待って! 急ぎの書類はとりあえずこれで終わりだから待っててよ!」
 はっきりと否定しないのを肯定と取ったカミューはそう叫ぶと勢いづいて椅子に座り、親の仇でも見るかのような目つきで書類を読み始めた。
「だが……」
 仕事の邪魔をする気などさらさらなかったマイクロトフは、この場に留まっていいものかためらう。しかし、その間にカミューは怒涛の速さで書類に目を通し、さらさらとペンを走らせていった。
「ほんとにすぐ終わるから! はい、できたー!」
 声と共にばさっと事務官に差し出した書類はサインだけではなく、ちゃんと確認すべき点や修正する点など、こと細かく指示が書き込まれている完璧なものだった。
 だが、
「……カミュー様、これも急ぎです」
 無情にも事務官は次の書類を差し出す。カミューはむう、と唇を尖らせ、事務官に無言の抗議をしてみた。しかし、事務官もだてにカミューの下についていない。微動だにせず書類を差し出すその笑顔に迫力負けしたカミューは仕方なく下手に出ることにした。ぱんっと両手を合わせ、拝むように頭を下げる。
「頼む! マイクロトフが遊びにきてくれるなんて、明日世界が滅びるかもしれないくらい奇跡的なことなんだ。この一生に一度あるかないかの機会をどうか叶えさせてくれ!」
「い・そ・ぎ・です」
 上司に頭を下げられたところで優秀な事務官の態度が変わることはなかった。カミューは敗北を悟る。
「…………わかったよ。
 マイクロトフ、もうちょっと待っててね」
「いや、だから出直すと……」
 マイクロトフが事が大きくなってきたことに気後れし、じりじりとドアのほうに後退しはじめると、カミューがそれを制するようにペン先を突きつけた。
「マイクロトフ! 今帰ったら今日一日仕事放棄してやるからね!」
「なぬ?!」
「マイクロトフ様」
 理不尽な言いがかりに目を剥くマイクロトフに向かって、事務官がにっこりと微笑みかける。その笑みに隠された『何か』を感じ取ってしまったマイクロトフは、蛇に睨まれた蛙のごとく動けなくなった。強敵のモンスターに対峙したときのように、背中に嫌な汗が流れ落ちる。
「お時間はどのくらいあいてらっしゃるのですか?」
「い、一時間ほどだが……」
 マイクロトフは質問に答えながら、何も考えずにここにきてしまった己の不運と迂闊さを呪った。
「そうですか。とりあえず急ぎの書類はこれだけですので、もう少しお待ちいただけますか?」
「い、いや、特に用があるわけではないし……」
 わずかに後ずさりするマイクロトフに事務官はますます笑みを深める。
「いえいえ。今日団長に仕事放棄されては私は首を吊らなくてはいけませんので。その状況は団長もよーくおわかりだと思いますから、ゆっくり休憩を取られた後は馬車馬のようにせっせと働いてくださることでしょう」
 ちらり、と視線を向けられたカミューはペンを片手にかくかくと何度も頷いてみせた。……心なしかその顔色は芳しくない。マイクロトフが返事に迷っていると、
「頼む、マイクロトフ! 私のオアシスになってくれ! このまま仕事を続けたら精も根も枯れ果ててしまうよ!」
 と、再び手を合わせ、今度はマイクロトフを拝む。追い討ちをかけるように事務官が深い笑みを浮かべた。
「……というわけですので、ぜひ、ゆっくりしていってください」
「お、俺で役に立つのなら……」
 マイクロトフはぎこちなく頷きながら、右手に宿る自己犠牲の紋章が発動したかのような錯覚に陥った……。


「……よかったのか? 忙しいのなら、仕事を続けるほうがいいのでは……」
 二人きりになり、茶を挟んで向かい合って座ったマイクロトフは、事務官が出て行ったドアのほうに視線を向けた。最後まで笑みを絶やさなかったのが却ってそら恐ろしい気がする。
「いいんだよ。俺が休まないと彼も休めない。朝からあの調子で根詰めていたからね。ちょうどいい」
 涼しい顔で答えるカミューに、マイクロトフは、あ、と思う。確かに上官が忙しいというのに部下が暇なわけがない。この我侭は彼なりの部下への気遣いでもあるのだ。
 マイクロトフはようやく肩の力を抜いて茶に口をつける。その様子にカミューが柔らかく微笑んだ。
「マイクロトフのほうも忙しいんだと思っていたよ」
「いや、忙しいことは忙しいのだが、ちょっと時間があいてしまってな。休憩が終われば俺もまた缶詰めだ」
「そう。大変だね」
 そう言いながらも、にまにまと笑みを崩さないカミューをマイクロトフが奇妙なものを見るように眉をひそめて見る。
「なんだ?」
「いや、ちょっとあいた時間にわざわざ会いにきてくれたんだなーと思って」
「なっ……!」
 マイクロトフはカミューのセリフにぼっと火がついたように赤面した。
「ちっ、違う! わざわざではない! なんとなくだ!」
「ふーん。なんとなくかー」
 否定したというのにカミューの笑みはますますしまりのないものになっていく。それに耐えかねてマイクロトフはとうとう大声を出した。
「なっ、なんだというんだ!」
「いや、なんとなく、で会いにきてくれるほうが、無意識レベルで会いたいって思ってくれたってことでしょ」
「!!!」
 カミューの指摘にマイクロトフは今更ながらに気付く。そう、思いがけず時間があいた自分は気付いたらここにきていたではないか。それは……。

「人生、何があるかわからないものだなぁ」
「う、う、う、うるさい!!」

 とんだ休憩になった、とマイクロトフは心底後悔した。


 その頃。
 青騎士団の事務所に赤騎士の事務官が訪ねてきていた。
「マイクロトフ様は団長の執務室におられるぞ」
 赤騎士の言葉にその中の最高責任者が応える。
「ああ、そうですか。すみません、ご迷惑をおかけして」
「いや、かまわない。だが、時間になったらすぐ迎えにいってくれ。そちらもそれほど余裕があるわけではないのだろう?」
「ええ、もちろん。うちの団長はカミュー様ほどデスクワークを得意としてませんので」
 青騎士が笑って応えると、
「真面目なだけいい……」
 赤騎士の事務官はため息を吐いて事務所を後にした。それを見届けた青騎士は軽く肩をすくめる。
「てっきり外の空気でも吸ってるかと思ったんですが……」
 息抜きの場所は人それぞれであるから、まあ、本人がそれでいいならかまわない。だが……

 却って疲れていなければいいのですが。

 青騎士はそんなことを思いながら、団長に提出する書類の仕上げを再開した。






無意識の行動ほど本音が出るものはないと思う

2005/6/21


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