〜「お疲れさま」〜




 マイクロトフがハイランドとの国境付近に配備されている警備隊に副隊長として赴任してから3ヶ月が経った。
 最近はとくに大きな戦いもなく、現場の警備隊はともかく、マチルダ騎士団の本拠地であるロックアックス城は比較的平和な日々が続いている。

 カミューは仕事に一区切りつけるとぼんやり外を眺めていた。最近は気付けば外ばかり見ている。……遠い空の向こうで彼も同じ空を見ていないだろうか、と思って。
 そんな女々しい思考に我ながら苦笑が浮かぶが、それ以外、彼との繋がりを感じられるものがないのだから仕方ない。
 予定では1年の任務となっているが、状況によっては延期することも充分考えられる。往復するだけでも一週間ほどかかる遠方の地にいて、その間に何度会えるというのか。新しい仕事に落ち着き、帰還を許されるには半年はかかるだろう。
 彼が赴任して一ヵ月後、入れ代わりに帰ってきた同期の青騎士から彼の手紙を受け取った。内容は彼らしい飾り気のない言葉で日々のことを書いていただけだったが、それだけでもカミューには元気な様子が伝わってきて充分だった。
 だが、現地ではハイランドとの小競り合いも増えているようである。死者が出たりすればここロックアックスにも知らせがくるが、怪我人程度ではなんの情報も入ってこない。どうしているのか知りたいが、知らせが入るとなればいい知らせではありえないのである。そんな板挟み状態にカミューは日々気を揉んでいた。

 会えないほど会いたくなる。

 カミューは左胸のあたりを騎士服の上からそっと押さえる。そこには固い感触。内ポケットに入っている懐中時計だった。マイクロトフが旅立つ前に互いのを交換したのだが、2ヶ月ほど前に床に落としてから動かなくなってしまった。特に大きな傷もついてないのだが、時計屋に見てもらっても原因がわからず、それきりである。そのため、本来の機能はなくなってしまったが、それでも肌身はなさず持っていた。きっと彼も自分のものを持っていてくれているはずだから……。
 それを握り締め、空を見上げて彼の無事を祈るしかなかった。


 遠い地にいる恋人に思いを馳せていたカミューは何やら外が騒がしいことに気付いた。どうしたのかと窓から外を見下ろせば、数人の騎士が馬に乗ったまま城内の敷地に入ってくるところであった。皆、旅用の外套をまとっていたため遠目には人の区別がつきにくく、どこの部隊なのかはわからなかったが、切羽詰まった様子が見られないことから、火急の知らせなどではなく城に帰還してきたようである。どこの部隊だろう、とぼんやり見ていたカミューだったが、ふと、マイクロトフが赴任している警備隊の帰還が今日であることを思い出した。
 前もって城に寄越された知らせには当然、赴任したばかりのマイクロトフの名前はなかった。こういうときは妻帯者などが優先されるため、マイクロトフは一緒に赴任したメンバーの中でも帰還が許されるのは最後のほうになるだろう。だが、また彼から何か預かっている騎士がいるかもしれない、と思ったカミューが立ち上がりかけたそのとき、
「マ…………!」
 その中に信じられない姿を見つけ出し、次の瞬間には執務室を飛び出していた。


 カミューが息を切らせて外に出た頃には、当たり前といえば当たり前だが、とっくに彼らの姿はなかった。とりあえず、城門を警備していた青騎士にさっき到着した部隊はどこのものか聞いてみる。すると、やはりマイクロトフが赴任した地の警備隊の一向だった。カミューは声が上擦りそうになるのを必死にこらえながら、少々早口に問いかける。
「その中にマイクロトフはいなかったかい?」
「マイクロトフ様ですか? 今回の帰還のメンバーには入っていらっしゃらなかったはずですが……」
 カミューの問いに警備の青騎士は戸惑ったように眉を寄せて答えた。てっきり、「はい、いらっしゃいましたよ」という即答を得られると思っていたカミューは、期待感が急激にしぼんでいくのを感じながら声を幾分トーンダウンさせる。
「いや、見かけたような気がしたんだが……」
 カミューの言葉に青騎士は、え、と驚きの表情を浮かべ、慌てた様子で弁解した。
「で、ですが、先頭は第2班・班長のウェッズ様でしたし、帰還者の変更の知らせは特に受けておりませんが……」
 しどろもどろになりながら告げられた内容にカミューの期待はますますしぼむ。
 通常、部隊が帰還するとき、先頭は地位が一番上の者になる。もし、メンバーの中にマイクロトフがいたのなら、先頭は副隊長である彼であったはずだ。それが違う者だったのだから、やはりマイクロトフは今回のメンバーにいなかったのだろう。
 そんなことを考えてがっかりしていたカミューだったが、目の前の青騎士が落ち着かない様子で立っているのに気付く。どうやら、所属は違えど上の立場である自分から妙なことを聞かれて困っているらしいと悟ると、これ以上問い詰めるのも悪いかと思い、「すまなかったね」と、軽く片手を上げてその場を離れた。
 人目がなくなるとカミューは盛大なため息を吐く。

 あまりにも会いたいと思いすぎて幻でも見たのだろうか。

 とぼとぼと執務室に戻ろうとしたカミューだったが、ふと、青騎士団の敷地に行ってみようかと思う。先程帰還した部隊は、代表が団長たちに帰還の報告にいっている頃であろう。その役目は、青騎士が名前を挙げていた班長のウェッズであるはずだ。
 ウェッズはカミューたちの従騎士時代の同期である。ひょっとすればマイクロトフから何か言伝があるかもしれないし、この間のように手紙を預かっているかもしれない。
 そんなことを考えたカミューは、とりあえず報告が終わった後に通りかかりそうなところで待つことにした。
 心のどこかで、もし、自分が見たのが見間違いではなくマイクロトフ本人だったのなら、副隊長である彼がその役目についているかもしれない、という一縷の望みを持って……。


「よお、カミューじゃないか」
「久しぶり。元気そうだな」
 気さくに手を上げてきた青騎士にカミューは笑みを浮かべて応えた。カミューの狙いどおり、さりげなく待っていたところに上司への報告を終えた代表者が通りかかったものの、やはり、姿を見せたのは同期のウェッズだった。わかっていたつもりだったが、どうしても心が幾分沈んでしまう。
「元気なもんか。向こうでは小競り合いが続くし、帰ってくる途中には山賊に襲われるしで、散々だったぜ」
「それは災難なことで」
 ぼやいている割には見たところやつれた様子もない。多少の疲れは見えるが、長旅のせいだろう。そう受け取ったカミューは冗談半分に返してやる。ウェッズは軽く肩をすくめてみせたが、ふと、何かに気付いたような表情になった。
「そういえば、おまえ……」
「え?」
 ウェッズは口を噤むとしげしげとカミューの顔を見つめる。カミューが怪訝そうに眉をひそめるのにもかまわず、何かを探るような目つきで凝視していたが、やがて結論が出たのか、にやり、と含みのある笑みを浮かべた。
「おい……?」
「ほら、マイクロトフからだ」
 カミューが口を開きかけるのを遮って、ウェッズは懐から何かを取り出す。
 それは白い封書であった。差し出されたそれを受け取ったカミューの気がそちらに逸れたのを見計らったように、ウェッズは「じゃあな」と片手を上げて背中を向けた。カミューは慌ててその背中に問いかける。
「おまえ、何か言いかけなかったか?」
「いや、なんでもないぜ」
「ちょっと待て」
 この同期は昔から悪戯好きで、油断がならない。そらとぼけるウェッズを逃がすまい、と追いかけようとしたカミューだったが、
「待ってられるか。俺は人生のピンチを迎えているんだ」
「人生のピンチ?」
 なんの脈絡もない話に飛躍したため気を削がれてしまう。なんなんだ、と眉を寄せるカミューに、ウェッズは大げさに真面目くさった表情で頷いた。
「彼女にフラれそうなんだよ。手紙書いたんだけど一向に反応がなくてさ。まあ、おとなしく待っているようなタイプじゃなかったから、仕方ないかもしれないけどな」
 なにせ半年も放っておいたからな〜というウェッズのぼやきを聞きながら、カミューは1年前の光景を思い出す。
 ウェッズの赴任が決まり、同期で送別会を開いたのだが、その途中でウェッズの彼女が姿を見せた。ひとしきり仲の良さを見せ付けた後、最後には人目もはばからずに抱き合って別れを惜しんでいたというのに。
 ウェッズが辺地に赴任してから1年ほど経つが、その間に彼は1度しか帰ってきておらず、今回が二度目の帰還のはずだった。やはり会えない時間が長引くと、気持ちも離れるものなのだろうか……。
 一瞬、自分たちと状況が重なったカミューだったが、自分たちの付き合いはウェッズたちとは比べ物にならないくらい長くて深い。それにあの一本気な男がそうそう心変わりなどするものか。
 それくらいの障害では二人の関係は揺るがないはずだ、と思い直す。
「半年そこらで心変わりするような恋人じゃ苦労するな」
 男女の関係は案外脆いものだ。皮肉をこめて肩をすくめてみせれば、
「けっ、言ってろ。おまえも同じ境遇になればわかるさ」
 ウェッズは中指を立てるという少々品のないしぐさを返し、
「ま、そんなわけだから、これからとりあえず会いにいってくる。手応えアリだったらすがるんだがな〜」
 そう言ってにやにやと人を食ったような笑みを浮かべたまま歩いていった。うまく逃げられたカミューは少々憮然とするが、まあ、帰還中にもう一度くらいは会えるだろうと思うと、今度はマイクロトフからの封書が気になる。執務室に戻るのももどかしく、廊下の隅で開こうとすると、
「よ、カミュー。マイクロトフには会ったか?」
 ぽん、と肩を叩かれ、カミューの心臓は止まりそうになった。振り返ると同期の青騎士が立っている。
「マイクロトフがいるのか?!」
 胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄ると、青騎士は驚いたように後ずさった。
「え? い、いや、それらしいのを見かけたと小耳に挟んだんだが、違うのか?」
 もし、噂が本当でマイクロトフが帰ってきたのなら、一番仲の良いカミューに会いにいっただろうと安易な気持ちでいた青騎士は戸惑ったように応える。
「どこで?!」
 カミューは更に問い詰めると噂の出所を探るために城の中を走り回った。


 結局、マイクロトフは見つからなかった。というか、あくまでも「それらしい」のを見かけたという人物は何人かいたが、城のどこを探しても直接会った者はいなかったのである。ひょっとして、と思い、何度か自分の執務室に戻ってみたが、副官が怖い顔をして待っているだけで、マイクロトフの姿はなかった。

 やはり帰ってきていないのか……。

 そう結論づけるしかない。だいたい、マイクロトフが帰ってきているのなら、ウェッズに手紙を託する必要がないではないか。
 期待した分だけ落胆も大きい。そんな重い足取りで執務室に戻ったカミューを待ち構えていたのは。
 山積みにされた今日一日分の書類だった……。



 はあ……。

 カミューは深い深いため息を吐いて私室への廊下を歩いていた。ようやく書類が片付いたが、夜中もいいところである。自業自得とはいえ、今日は踏んだり蹴ったりであった。
 疲れた頭は思考能力がすっかり落ちている。本能で動く足が運ぶままに私室にたどり着くと、習性に従い鍵を取り出し、ドアを開けて部屋に入った。
 と、
 人の気配があった。
 ぼんやりとしていた頭が瞬時に冴える。侵入者か、と腰に携えていた剣の柄に手をかけた。
 部屋は闇に包まれていたが、窓はカーテンを引いておらず、多少の月明かりが漏れている。その光を利用すれば多少夜目の利くカミューには充分だ。慎重に部屋の中に足を運びながら、相手の気配を掴もうと耳を澄ませる。

 ぐー……

 ぐー?
 カミューは聞こえてきた音に眉を寄せた。今のはひょっとして……というか、どう聞いてもいびきである。目を凝らすと誰かがソファに横たわっているのがわかった。カミューは窓際に移動して、正体を探ろうとする。

 月明かりに浮かび上がった輪郭は……。

 がばり、といきなり抱きつかれ、眠っていた人物は仰天して目が覚めた。
「なっ、なんだ……?!」
「マイクロトフ!!」
「カ……? んぐっ」
 名前を呼ぼうとしたマイクロトフだったが、いきなり重なってきた唇に言葉を奪われる。そのまま荒々しく吸われ、呼吸を止めんばかりに激しく口付けられた。ようやく引き剥がした頃には息も絶え絶えである。
「お、おまえ……、いきなり何を……」
「どこに行っていたんだよ! ずっと探していたのに!!」
 カミューはソファに横たわるマイクロトフの身体にまたがるように圧し掛かりながら叫んだ。
「探していたって、俺が帰ってくることを知らなかっただろう?」
 カミューの勢いに目を白黒させながらマイクロトフは不思議そうに言う。
「知らなかったさ! だけど、窓から見かけたような気がして、ずっと探し回っていたんだ! だいたい、どうしておまえが帰ってきたのに、ウェッズが報告とかしてるんだよ!」
「ウェッズに会ったのか?」
 出てきた同期の名前にマイクロトフは何か予感がしたのか、嫌そうな表情を浮かべた。
「ああ。あの野郎、おまえが帰ってきていることなんか一言も言わずに、それどころかしれっとした顔でおまえの手紙を寄越したんだぞ!」
「あああ、やっぱり。……返せ!」
 マイクロトフは顔を赤らめると手を突き出した。カミューはその手をぱちん、とはたいてやる。
「誰が返すか! まだ読んでいないのに!」
「本人がいるのだから読む必要はないだろう!」
 マイクロトフの訴えにカミューは肝心なことを思い出した。
「ああ、そうだ。どうして帰ってくるのに手紙を書いていたんだ。そのせいで余計にややこしくなっただろう?!」
「俺の帰還が決まったのは急だったのだ! 帰還予定の者が熱を出して帰られなくなり、代わりに俺が帰ってくることになったんだ」
「だったらどうして俺の執務室にきてくれなかったんだ?! 俺に会いたくなかったのか?!」
「馬鹿者! そんなことがあるか! だったらここで待ってるはずがないだろう!」
 マイクロトフはカミューの癇癪を一喝すると事情を話しはじめる。
「ウェッズが報告は予定どおり自分がやるから、熱を出した者から預かっているものを早く家族に届けてやれ、と言ってくれたんだ。だから、人数確認のために城門はくぐったが、すぐ街に出た。そのあとは所用があってそのまま街にいたのだ。
 そして、用が片付いたのは夕方だったから、執務室に赴くよりここで待っているほうがいいと思って待っていた。ところが、誰かさんはいつまでたっても帰ってこない。それで待ちくたびれて寝てしまっていたというわけだ。わかったか?!」
 カミューは食い入るようにマイクロトフを見つめていたが、状況を飲み込んだらしくひとつ頷いた。
「わかった」
「わかったらさっさと降り……」
「わーい。本物のマイクロトフだー。マイクロトフ、会いたかったよー」
 カミューは子供のように力一杯しがみつきながら、顔中にキスの雨を降らせ、繰り返し名を呼んだ。最初は辟易して引き剥がそうとしていたマイクロトフだったが、やがてあきらめたのか目の前にある亜麻色の髪をそっと撫ではじめる。
「カミュー……」
「ん?」
 応じる声は幸せに満ちた甘いものだった。マイクロトフはわずかに頬を赤らめる。
「滞在期間は3日だ。その間に休日はあるか?」
 マイクロトフの問いにカミューはキスを止めると、むふふ、と笑みを浮かべ、コツンと額を合わせた。
「こういうのを神様の思し召しっていうのかな。明日、休みなんだよね」
「そうか。その、時計屋に付き合ってほしいのだが……」
 マイクロトフは至近距離にある優しいまなざしから逃れるようにわずかに目を伏せて言う。
「なんだ。じゃあ、今日の夜は遠慮はいらないな、という誘いかと思ったのに」
「馬鹿者」
 怒ったように返すマイクロトフにカミューは鼻先にちゅっとキスをする。
「時計屋ならちょうどいい。俺も用があるんだ」
「そうなのか? 実は……」
「しっ。行く理由は明日聞くよ。それより今夜は再会を喜び合おう。ね?」
 マイクロトフの唇に人差し指をあてたカミューは甘く、艶やかに微笑んだ。意図を察したマイクロトフはかあっと首筋まで赤くなる。無駄な抵抗とは思いつつ、素直に応じるのも恥ずかしすぎて一応、反論してみた。
「お、俺は疲れているんだが……」
「無理はさせないよ。明日は昼まで寝ていよう。そのあとに時計屋に行っても遅くはないだろう?」
 優しく、だが、きっぱりと拒否したカミューにマイクロトフは何も言えなくなってしまう。できることといったら恥ずかしいのを我慢して目を瞑ることだった。視界が闇に包まれるとすぐ温かい唇が降りてくる。優しい口付けを甘受していたマイクロトフだったが、肝心なことを口にしていないことを思い出し、目を開けた。それに気付いたカミューが、どうしたのか、と動きを止める。
「そ、その……会いたかった、ぞ」
 そのセリフは顔から火が出るほど恥ずかしかったが、なんと、カミューも負けじと赤くなった。
「ご、ごめん。最初の挨拶やら何やら、いろいろとすっ飛ばしていたね」
「そ、そうだ。おまえが暴走するから……」
「マイクロトフのことになると、かるーく理性なんか吹っ飛んじゃうんだよね」
 カミューは照れくさそうに笑うと、こほん、と小さく咳払いをする。そして、満面の笑みを浮かべた。

「……おつかれさま」






これで遠距離恋愛編は終わり……かな?

2005/4/9


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