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カミューは厩舎で馬の世話をしていた。 正騎士たちの足となる軍馬の世話は、従騎士の仕事のひとつである。カミューは物心がついたときから馬と共に生活していたため、馬の世話はまったく苦ではない。むしろ、懐かしい思いを起こさせて好きだった。 鼻歌混じりに引き締まった身体にブラッシングをしていたそのとき。 「カミュー! 大変だ!!」 大声を出しながら友人が走ってきた。神経質な馬たちがその大声に、何事か、とざわめき立つのを、首筋を撫でてやって宥めながら、カミューは友人が傍にくるのを待つ。友人の慌てぶりから何が起こったのか、だいたい見当がついていた。 「どうしたんだ? そんな大声出して……」 「また、マイクロトフのヤツが……」 どこから走ってきたのか、ぜいぜいと息を切らせた口から出た名前に、カミューはわずかに眉を寄せる。 「どこだ?」 「訓練所の用具置場だ」 話の内容は聞くまでもない。必要最低限のことを聞き出すとカミューは友人に「すまない」と声をかけ、そちらのほうへ駆けていった。 カミューが用具置場に駆けつけると場は騒然となっていた。人の輪ができていて、その中心では複数対1人が睨み合っている。一発触発の雰囲気だが、まだ間に合ったようだ。カミューはそのことにホッとしつつ、急いで人の輪をかきわけ、複数の人間を相手に今にも飛びかかりそうな少年を止めに入る。 「マイクロトフ、やめろ」 「っ、カミュー……!」 腕を掴まれた少年・マイクロトフが振り返り、ハッとしたように動きを止めた。その様子に、マイクロトフに掴みかかられそうになっていた少年が、にやり、と笑う。 「ほらほら、お守りがきたぜ」 「野蛮人に止められるなんて、おまえも相当野蛮だな」 「なんだと?!」 口々にはやし立てられ、マイクロトフは再び食ってかかっていきそうになるが、カミューが掴んだ腕を離さない。 「よせ、マイクロトフ」 「だが……っ!」 振り返って悔しそうな表情を浮かべるマイクロトフに、カミューは静かに首を振る。そんな二人に少年たちはますます嘲笑った。 「せっかくおまえが庇ってやっているのに、当の本人がそんな腰抜けじゃ、庇い甲斐もないよなぁ」 「カミューは腰抜けじゃない!」 カミューはこの場にいては事態の収拾がつかないと判断し、強引にマイクロトフの腕を引いて場から離れる。背後から少年たちの馬鹿にする声が上がったが、それがカミューの中になんの感情の起伏も呼び起こすことはなかった。 宿舎の二人の部屋に戻る頃には、マイクロトフも頭が冷えたようだ。カミューが部屋のドアを閉め、向き合うとマイクロトフの肩がしょんぼりと下がっている。 「すまない……。また迷惑をかけて」 「馬鹿。謝るな。俺のために怒ってくれたんだろう?」 カミューは笑って漆黒の髪をかき混ぜた。 二人がマチルダ騎士団の従騎士になってから半年が経つ。 マチルダの遠い西にあるグラスランドから来たカミューは、マチルダの人間とは異なる容貌から、入団当初は周りから異端視されることが多かった。しかし、カミューの持ち前の人当たりの良さと、立ち回りのうまさで、気付けば輪の中に溶け込んでいた。だが、それでもカミューのことを気に入らない連中はまだ存在している。それは異国から来たカミューが、剣技や筆記の試験で常にトップクラスにいるというのが許せないのだ。グラスランドは昔は蛮族の国として有名だったが、今はもちろん違う。しかし、そういう過去の先入観を根強く持つ者も少なくない。貶め、馬鹿にすることで自分たちが優位に立とうとする連中には、カミューがグラスランドから来た、というのは格好の餌だったのである。 カミューはそういう連中はどこにでもいることを理解していたし、何を言われたところで、悔しかったら勝ってみろ、ぐらいに思っていたため、はなから相手にしていないが、そうはいかないのがマイクロトフだった。マイクロトフは友人であるカミューが馬鹿にされるのが、耐えられないらしく、しばしば騒ぎを起こしていた。 カミューは当初、正直にいって少し面倒だという思いがあった。自分のことで怒ってくれるのは嬉しいが、あまり余計なことで目立ちたくないと思っているのに、騒ぎを起こされてはたまらない。恐らく正義感が強いマイクロトフは、弱い者いじめのように思い、許せないのだろうと思っていたのだ。しかし、程なくそれは間違いだったことを知る。 そういうやっかみの対象は自分だけではなく、マイクロトフにもあったのだ。マイクロトフは周りが17、18歳くらいで入団するというのに、15歳で合格していた。それが妬みを呼び、事あるごとに周りから冷やかし半分、嫌味を言われていたのだ。偶然、その場を目撃したカミューは驚いた。他人のことですらあんなに怒るのだから、さぞかし憤然と立ち向かっていくのだろうと思っていたのが、自分のことに関してはまったく無反応だったのだ。 それなのに、カミューのことになるとムキになって突っかかっていくのである。自分に対する悪口は平気でも、カミューに対する雑言は許せないのだと知ったカミューは、彼の強くて思いやりのある心に強く惹かれた。その日からマイクロトフは他の友人とはっきり違う存在になったのである。 しかし、それを嬉しく思う反面、心配になってきた。 騎士団は規律を重んじる組織である。今はまだ従騎士という身分から、多少のいざこざを起こしても厳重注意で済まされているが、正騎士になると私闘は重罰となる。マイクロトフが自分のせいで、幼い頃からの夢である騎士になれなかったりしたらとても耐えられない。 そのため、カミューはマイクロトフと少し距離を置こうかと考えはじめていた。手遅れになる前に距離を置けばマイクロトフも自分のことでこんなふうにムキになることもなくなるのでは、と思う。やっと見つけた親友を手放すのは少し寂しいが、仕方がない。 時が経ち、自分も周りももっと余裕が持てるようになればまたいい関係になれるはずだ、と自分に言い聞かせる。 「……あまり、俺のことでムキになるなよ」 カミューの言葉にマイクロトフはますます顔をうつむけた。 「……ヤツらの挑発に乗る俺が馬鹿なのはわかっている。だけど、あいつらの言っていることは許せない。カミューはそんなんじゃないのに……」 「俺はあんな連中が騒ぎ立てたところで気にしないよ」 カミューは優しくマイクロトフの肩に手を置く。 「わかっている……。カミューは強いから……」 ぽつり、と呟くマイクロトフはどこか不安そうで、カミューは不意に抱きしめたい衝動に駆られた。そして、そんな自分に激しく戸惑う。何か自分はとてつもなくひどいことを考えたのではないか、という動揺がカミューから思考を奪った。 「あまり……、騒ぎを起こすな」 それだけ言うのがやっとだった。 それから数日が過ぎた。 カミューはマイクロトフと距離を置く計画を少しずつ実行しはじめていた。そのせいで、カミューとマイクロトフの間にはどこかぎくしゃくとした空気が流れていたが、とりあえずはそれぞれの日々を過ごしている。だが、マイクロトフはどこか元気がなく、カミューはどことなくイライラしていた。 カミューは、前の授業が終わってから先生に質問にいったマイクロトフを友人たちが待っているのを確認すると、そっと教室を出た。次の教室へ移動するため一人で廊下を歩いていると、例の連中と鉢合わせする。ついてない、と心の中で舌打ちする思いでさっさとすれ違ってしまおうとするカミューに少年たちがちょっかいを出してきた。 「今日はあの単純馬鹿は一緒じゃないのか?」 「まあ、おまえでも愛想を尽かすよな。あんな猪みたいな単細胞じゃ」 カミューはやんわりと、マイクロトフは単純でも馬鹿でも単細胞でもない、と言おうと思った。 しかし。 バキッ! 鈍い音と共に連中の中で一番体格のいい少年が吹っ飛ぶ。何が、とカミューが理解する前に背後から腕を掴まれた。 「やめろ、カミュー!」 「マイクロトフ……?」 焦った様子で自分を抱えるように押さえ込むマイクロトフに、カミューは不思議そうに瞬きをした。そして、自分の拳が熱くなっているのに気付く。 「あ……」 俺が、殴ったのか……? カミューは呆然と、壁に身体を打ちつけ痛みのあまり動けなくなっている少年を見た。取り巻きの連中も唖然とカミューを見ている。 水を打ったようにしん、となった場から、マイクロトフはカミューの腕を引いて歩き出した。 「カミュー! おまえ、前に、あの連中に何を言われても気にしないって言ったよな! 何をやっているんだ!」 人気のないところまで移動するとマイクロトフはカミューに向かって呆れたように言った。 「俺より手が早いじゃないか!」 「いや、あれは……」 ヤツらがおまえのことを……。 カミューは唐突に、マイクロトフがあの連中に突っかかってばかりいた理由を理解した。わかっていないのは自分のほうだったのだ。そう思うとおかしくなって、たまらず笑い出す。 「カミュー?」 突然笑い出したカミューにマイクロトフは怪訝そうに眉を寄せた。カミューは笑いながら口を開く。 「いや、俺は野蛮人だからいいんだよ」 「いいわけあるか! 後で反省文を書かせられるぞ!」 「ああ、覚悟しておくよ」 カミューはひとしきり笑い終えると、うーん、と満足げに伸びをした。 「あーあ。すっきりした」 反省の色も見せず、のんきなことを言っているカミューに、マイクロトフは少し呆れたように眉を寄せたが、すぐ、にやり、と笑う。 「実は俺もだ」 二人は顔を見合わせて笑った。 |