|
「うーん」 何度目かの呟きにマイクロトフはとうとう顔を上げた。 人が急ぎの書類決裁に追われているというのに、机の向こう側には当たり前のようにしゃがみ込んで頬杖をついている男がいる。ただでさえ、目に痛いような赤は気に障るというのに、さっきから「ふーん」だの「うーん」だのと繰り返され、とうとう堪忍袋の尾が切れたのだ。 「いったいなんなのだ、おまえは!」 イライラしたように睨みつけるマイクロトフにカミューは平然とした顔で首を傾げる。 「いや、長年の疑問がようやく解けたというか、なんというか」 「は? 長年の疑問?」 「うん」 カミューはひとつ頷くと立ち上がった。そして、それにつられて顔を仰向けるマイクロトフの顎を捉えると、ひょい、と軽く口付ける。 その挨拶でもするかのような早業にマイクロトフは一瞬呆気に取られたが、我に返ると下から強烈なアッパーを食らわせた。 「なっ、何をするか、この馬鹿者ー!!」 「あいたー。何をって、そっちが聞いてきたんじゃないか」 「聞いたって何をだ?!」 烈火のごとく顔を真っ赤にして怒り、更に拳を握り締めるマイクロトフに、カミューは、まった、というふうに掌を突き出して首を横に振る。 「いや、ね。ずっと不思議に思っていたんだよ。どうしてマイクロトフの唇を見てるとキスしたくなるのかなーって」 「は?」 「ほら、いつもおまえはこうやって手を上げて怒るだろう? 軽々しくそういうことをするなって。俺だって痛い目になんか合いたくないのに、どうして止められないんだろうなって思っていたんだ」 顎に手をあてて真剣そのものの顔で語るカミューに、マイクロトフは怒りを通り越してどっと疲れてきた。どうしてこの男は、仕事では恐ろしいほど頭が切れるくせに、仕事以外、こと自分に関してはこれほどまでに恐ろしいほど阿呆なのだろうか。 「……俺のせいなのか?」 「うん。おまえのせいだよ」 あっさりと頷かれたマイクロトフはがっくりとうなだれる。ひょっとして騎士団のことを考えると自分達は別れたほうがいいのではないか、という馬鹿げた考えに捉われていると、カミューは目を細め、指を伸ばしてマイクロトフの唇に触れた。 「このかたち、この色、この厚み、そしてこの温かさ。すべてが俺の好みなんだよね」 「は?」 「こんな魅力的な唇を目の前にしたら、触れずにはいられないよ」 唇を指でなぞりながらうっとりとした口調で囁いたカミューは、マイクロトフが宇宙人でも見ているかのような奇妙な顔つきになっているのにもかまわず、もう一度軽く口付ける。 「うん。やっぱり俺の好みだ」 カミューはとっても嬉しそうに、非常に満足そうに頷くと、 「だから、俺がところかまわずキスしちゃうのはマイクロトフのせい」 と、にっこりと笑った。するとマイクロトフもにこり、と笑みを浮かべる。 「そうか。俺のせいか」 「うん」 マイクロトフは笑みを浮かべたまま、机に置いてあったバインダーと手に取ると、その角で腐った頭に一撃お見舞いしてやった。 「人のせいにするな、ど阿呆」 マイクロトフの朝は早い。 カミューと熱を分かち合った次の日も、身体は多少疲労していたとしても、ほぼいつもと変わらない時間に起きる。いつもより多少目覚めの悪い朝となるのは仕方ないとしても、こういった行為はすでに長年のことであり、日常に支障をきたすようなことはなかった。 むくり、と起き上がったマイクロトフは、その体勢のままぼんやりとしていた。こうやって意識が覚醒するのを待たないと、再び眠りの波にさらわれてしまうのだ。まだ靄がかかったような頭はまだ仕事モードには切り替わらず、自然、身近な記憶として夕べのことが浮かんでしまう。カミューの熱さだとか自分の痴態やらが思い出されると、マイクロトフは慌てて頭を振った。そして、その動きによってようやく目が覚めてくる。情けないとは思うが、これが一番手っ取り早い覚醒の仕方でもあったりする……。 「まったく……」 いつになればこの気恥ずかしい思いを抱かなくなるのか。行為そのものには心も身体も慣れたと思う。しかし、事後のいたたまれないような恥ずかしさだけは消えるとこがなかった。行為の最中は熱に浮かされたかのように過ぎ去っていく時間を、こうして一人で起きていると冷静に思い起こしてしまうからか。 それでもどこかくすぐったいような幸福感を味わっているのだから、自分も相当重症といえた。 「う……、ん……」 もぞり、と隣が動いた気配にマイクロトフはぎくっと身体を強張らせる。こんな思いは一人だからまだ耐えられるが、カミューに見つかってはとても平静を保ってはいられない。 恐る恐る視線を向けると、うつ伏せに寝ているカミューは枕を抱き締めて、何やらむにゃむにゃと呟いていたが、起きる気配はなかった。マイクロトフは、ほう、と安堵の息を吐く。こういうときはカミューの寝汚さも助かるというものだ。 幸せそうな寝顔を見ていた視線がなんとはなしに薄く開いた唇に止まる。すーすーと規則正しい呼吸を繰り返す唇は、昼間のようにせわしなく動くわけもなく。マイクロトフは、初めてまともに唇の形を見ているのかもしれない、と思った。形の良い悪いはわからなかったが、顔は文句なくいいのだから、きっと良い形のほうなのだろう。 そんなことを思いながら、そっと指を伸ばし下唇に触れてみると、少し冷たく感じ、どこか意外だった。彼は確かに少し体温が低いようだが、夜、全身に触れてくる唇はその箇所から燃えるのではないかというほど熱いのだ……。 マイクロトフは身を屈めてその唇に触れてみる。乾いていたのか少しかさついていたが、どこかしっとりと馴染んだ。軽く舌で形をなぞるように舐めてから唇を離す。 『このかたち、この色、この厚み、そしてこの温かさ。すべてが俺の好みなんだよね』 昨日のカミューのセリフが脳裏に浮かぶ。 「……なるほどな」 そう呟いたマイクロトフの顔は真っ赤だった。片手で扇ぐようにして顔に風を送る。 「まあ……、好みなら仕方がない」 |