〜犬〜




 カミューは人生最大のピンチを迎えていた。
 カミューの視線の先には最愛の人の姿。その、青空の下ではなおいっそう眩しい青い姿はカミューに見られているとも気付かずに、壁に隠れるようにして『とある人物』に熱い視線を送っていた。

 あああ、マイクロトフ。そんなに夢中になって他の男を見つめないでおくれ。

 カミューはせつない思いでマイクロトフの後ろ姿を見つめる。最近、マイクロトフはこうして彼らの姿を盗み見ることが多くなった。あの清廉潔白なマイクロトフにこんならしくない真似をさせてしまう彼らに憎悪を抱かずにはいられない。
 カミューの心は嫉妬と不安でメラメラと燃えていた。


 ことの発端はマイクロトフの何気ない一言だった。

「コボルト族って……いいよな」

「は?」
 カミューは瞬きをひとつすると口に運んでいたカップをソーサに戻し、向かい合って座っているマイクロトフを見た。マイクロトフはテーブルに肘を乗せて頬杖をつき、テラスの外に視線を向けている。カミューがその視線を追うとその先にはなるほど、コボルト族のゲンゲンとガボチャの姿があった。ガボチャがゲンゲンに向かって敬礼をしているところを見ると、2人でまた何かの特訓でもしているのだろうか。

 ゲンゲンはコボルト村の一番の剣の使い手だという。確かに剣の腕は悪くないが、同盟軍には素晴らしい剣士が揃っており、その中ではまだまだ未熟なうちに入る。年若いということもあるが、何分、その愛くるしい犬の容姿が彼を屈強な戦士とは思わせない。それにさらに幼いガボチャが加わると、兄弟のような微笑ましいやりとりが行なわれるため、戦士というよりはマスコットといった感じを与えていた。

「ああ……、確かに和むというか、貴重な存在だよね」
 カミューもその姿に思わず笑みを浮かべ相槌を打つと、マイクロトフはがばっとこちらを見た。その目が少年のようにキラキラと輝いている。
「そうだろう! カミューもそう思うだろう!!」
「え?」
 マイクロトフの予想もしない勢いにカミューは目を瞬かせた。マイクロトフはそんな反応にかまわず、拳を握り締めて力説をはじめる。
「あのピンと立った耳! ふさふさと揺れる尻尾! たまらないと思わないか?!」
「え、え? え? マイクロトフ……?」
 ちょっと遠くにいっちゃったようなマイクロトフをカミューは唖然と見つめた。これは本当にいつも生真面目な態度を崩さないマイクロトフなのだろうか。
 呆然としているカミューを余所にマイクロトフは勢いよく立ち上がった。
「カミューもそう思うなら俺の考えに間違いない! ちょっといってくる!!」
「ちょっ、ちょっと待った!! 行くってどこに?!」
 咄嗟に腕を掴んで引き止めると、マイクロトフはもはや前しか見えない猪の顔つきになっている。
「決まっている! ゲンゲン殿かガボチャ殿にぎゅーっと抱き締めさせてくれと頼みに行くのだ!!」
 カミューはぎょっと目を剥いた。冗談じゃない。ここに恋人がいるというのに、何が悲しくてあんな犬コロを抱き締めに行かなくてはいけないのか。
 犬コロ、という単語でカミューはハッとした。そう、マイクロトフは大の犬好き。まさか……。
「ま、待って、落ち着いて、マイクロトフ。ゲンゲン殿は犬じゃないんだよ?」
「おまえもさっき、和むと言っただろう。俺は和みたいのだ」
「和むって……」
 カミューはがくり、と肩を落とした。仮にも恋人である自分と一緒にお茶を飲んでいるこの時間は和むうちに入らないのだろうか……。
 しかし、ここは意気消沈している場合ではない。なんとしても阻止せねば……。
「マイクロトフ、おまえはいいかもしれないが、ゲンゲン殿たちにはいい迷惑だろう」
「え?」
「考えてもみろ。大して親しいわけでもないおまえのような大男がいきなり、抱き締めさせてくれ、と申し出たらどう思う? さぞかし驚いて、脅えてしまうんじゃないか?」
「そ、そうか……」
 しゅん、とマイクロトフは項垂れた。
 確かにゲンゲンたちとは仲が悪いわけではないが、さりとて親しいわけでもない。20代後半になる自分たちはやはり同年代の人たちと話すことが多いし、ゲンゲンたちはまだまだ子供の域を出ていない。接点がほとんどなかった。
 おとなしくなったマイクロトフにカミューは、作戦成功、とホッと息を吐く。まだ子供だろうが、半分犬だろうがマイクロトフが抱きしめるなんて冗談ではなかった。マチルダにいた頃、彼が犬をかわいがる様子に何度嫉妬したことだろう。自分にも見せたことがないような満面の笑みで鼻と鼻をくっつけたり、あちこちにキスして撫で回すのだ。その姿を可愛いと思いつつ、その表情をさせているのが自分ではないことにいつもいつも臍を噛む思いだった。
 やれやれと思っているカミューに、おもむろに顔を上げたマイクロトフが提案する。
「では、耳の裏の匂いを嗅がせてくれというのはどうだろう?」
「却下!!」


 そして、その日からマイクロトフの奇行がはじまった。機会があれば仲良くしようとでもいうのか、ゲンゲンたちの姿を盗み見するようになったのである。そして、きっかけがあれば勇気を出して声をかけているらしい。その、初恋を実らせようとする少年のような行動に、カミューの気持ちが休まる日はなかった。
 このままではいけない、と思ったカミューは先手を打つことにした。マイクロトフがいない隙を狙ってゲンゲンとガボチャに声をかける。
「こんにちは、お2人とも。今日もお元気そうですね」
 にーっこりと人当たりのいい笑みを浮かべるカミューにゲンゲンとガボチャは元気よく頷いた。
「ゲンゲンはいつも元気だワン!」
「ガボチャも元気だワン!!」
 2人の返事にカミューは内心苦笑を浮かべる。やはりこの2人は憎めないキャラなのだ。
 しかし、愛しい人がかかっているとなれば別である。
 カミューは笑みを崩さずにさりげなく問いかけた。
「最近、マイクロトフが何か言ってきませんでしたか?」
 さすがにカミューも年がら年中マイクロトフを見張っていることはできない。せいぜい8割5分7厘といった割合だ。自分が見ていない隙に何かあったのでは、と探りを入れにきたのである。
「マイクロトフさん? このあいだおやつをくれたワン!」
 嬉々として応えるガボチャのセリフに、笑みを浮かべたままのカミューの額にぴくり、と青筋が浮かぶ。

 あんにゃろ〜。もので釣るなんて、いつも自分がされていることを他の人にしてみせるなんて学習能力がついてきたじゃないか……。

 今度から誘うときはもっと高等なテクを使わなくては、と心に誓うカミューにゲンゲンが思い出したように言った。
「そういえば、尻尾を触らせてくれと言われたワン」

 な、なぬー!! あいつ、俺の目を盗んでそんなことを?!

「いいぞ、と言ったらとっても嬉しそうに触っていたワン」
「優しい手付きだったら気持ち良かったワン〜」

 ああっ、マイク! 尻尾なんて俺の(前)をいくらでも触らせてやるのに!! おまえというヤツは……!!

 カミューはやるせない思いに壁に激しく頭を打ちつける。そして、その様子を不思議そうに見ていた2人をくるり、と振り返ると、それはそれは恐ろしいまでに完璧な笑みを浮かべた。
「ご注意ください、2人とも。マイクロトフのやつ、『コボルトの肉は美味そうだ……』などと言ってましたよ?」


 カミューの向かい側に座って茶を飲んでいたマイクロトフはどこかしょんぼりとしていた。カミューは何気なさを装って問いかける。
「どうしたの? 元気ないね」
「ゲンゲン殿たちに嫌われてしまったらしくて、最近、俺を見ると脅えたように逃げていってしまうんだ……」
「そう……。所詮、犬畜生だからね。しょうがないよ」
 カミューは酷いセリフをさらりと優しく口にすると椅子から立ち上がってマイクロトフの背後に回った。そっと背後から抱き締める。
「俺だったらおまえから逃げるなんてもったいない真似、絶対しないけどね」
「カミュー……」
「俺以外いらないって思わせてあげるよ。おいで……」
「馬鹿……」
 マイクロトフは頬を染めて怒ったように応えながらも、やはりどこか寂しかったのか抵抗らしい抵抗はしなかった。
 結局はカミューの計画通りにことは運ぶのである……。






ストーカーをストーキングする赤。2人とも変だ…

2004/6/20


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