「実習受けてくれないとイタズラしちゃうぞっ!」
 時期は艦内標準時間でいう10月の中旬。
 来週には何時もの如く全艦上げての「はっぴーはろぅいんパーティー」なる---
一部平仮名な如何にも胡散臭いネーミングは某操船課の長による---馬鹿騒ぎ
が待ち構える、そんな折だった。

 昼食に訪れたカフェテリアで2日振りに兄と顔を合わせた。

 笑顔で同席を求められたのに気を良くして、言葉少ないながらもほのぼのとした
雰囲気の中、食事を満喫していたというのに。

 「やれるもんなら、やってみろ」
 いきなり現れて恨みがましげに上から捲し立てるチームリーダーに対し、返す台
詞にも視線にも明確な険が篭るのは、祐希にして至極当然のことだった。が、当
のイクミにとっての見解は異なっていたらしく、

 「キミにじゃありません。お兄ちゃんにっ」
 言うが早いか、立ったまま昴治を背中から抱きしめて、あろうことかその首筋に
頬を摺り寄せるなどという暴挙に出た。

 かっ、と頭に血が上った祐希が怒鳴りつけるのを待たず、不埒な男の頭を昴治
がぽかりと殴りつけた。「いたいー」と子供のような不満を零しながらも、いっかな
離れようとしない親友をそのまま放置して、

 「実習、受けてないのか?」
 兄は特に怒ったふうもなく、「まだ眠らないのか」とでも尋ねるニュアンスで祐希
に問うた。

 「・・・受けてる」
 嘘ではない。あくまで一面的には。そんな負い目からか、じっと見つめる昴治の
視線が居た堪れなくて、祐希はバツが悪そうに、ふいっとそっぽを向いてしまった。
 「個人科目とパートナー制については確かにね!けども!気が乗らないのは解
るけど。それでも必修なんですよ、バディ・スキル研修はっ」

 未だ兄の肩に懐いたまま、イクミは後ろ盾を得たイジメられっ子の如き勢いで、
きゃんきゃんと煩くがなり立て始めた。

 平素、航宙操船訓練は予め無作為に組み分けされた2名1組の実習生が小型
ポッドに搭乗しその技術を実践していく。初航海での昴治とイクミもまたそうしてパ
ートナーとなった。

 が、従来の「一度組めば特別な理由が無い限り相棒が変わらない」というパート
ナー制だけではなく、バディ・スキルという名の研修がこの度、今を去ること丁度1
ヶ月前、ここリヴァイアスに取り入れられたのだった。

 曰く。
 宇宙空間での航行中、不測の事態が起こった際に協力するべき者が如何なる
相手であろうと忌避することなく、迅速に適切な対処が出来る人材を育てる訓練
---これが「当局」とかいう世界の何処かでだけバディ・スキルと呼ばれているら
しい能力だ---を重ねることが重畳である、との何処かのエラい人の鶴の一声で。
 「つまり。パートナー制と違って毎回毎回違う相手と組んで、それでもそれなり
の成果を上げなさい、って研修」
兄弟の憩いの場に闖入した不心得者は、説明に託けて兄の傍らの席に腰を下
ろした。話題の主の機嫌がより一層下降線を辿ったことは言うまでもなかった。
 「じゃあ祐希はそれをサボってる、ってことか」

 得心がいったふうにも呆れたようにも見える表情で、昴治は大きく溜息を零す。
弟の眉間の皺がなお深く刻まれたことに気付いた訳でもなかったが、
 「で、こいつの気が乗らない理由って?」
 至極当たり前の口調で昴治は親友に訊ねた。今の祐希が理由もなく義務を疎
かにするはずがない。といって、どんな言い訳もこの弟は素直に白状したりはす
るまい。だからイクミに問うのだ、と。
 無駄に諭い操船課班長はもとより、天の邪鬼この上ないエースパイロットさえも
が察した。昴治の内に根付いた祐希への信頼と、その在り方に対する理解のほ
どを。
 昴治をしてリヴァイアスきっての鈍感大王と、友人らは口々に言う。
 たった今もその二つ名に恥じぬ迂闊さをもって昴治は、弟の頬に浮かんだ満更
でもない喜色と、親友のこめかみ辺りに滲んだ不愉快気な様子をきれいにスルー
したものだ。が、
 「・・・よくぞ聞いてくれました」
 ここで泣き寝入りなどしていては尾瀬イクミが廃る。対峙者にとっては甚だ端迷
惑な義務感を発揮した男は、発想の転換をもってにやりと---祐希にとってだけ--
イヤな感じの笑みを閃かせた。

 「何が問題って、バディ・スキル研修の唯一にして最大の意義、毎回違う相手と
組む!これこそが祐希の泣き所なワケでっ」

 嬉しげに語り出した忌忌しい口を目の前にいる当事者が放置するはずもない。カ
フェの小ぶりなテーブルで隔てた距離などモノともせず、祐希は向かい側に座った
チームリーダーの胸倉を掴み上げ、睨み据えた。

 勿論そんなものに今更怯えるイクミではない。
 「祐希と1日でも組めるとなれば、当然女の子たちが黙ってな---」
 「うるせえよ!いい加減に黙れ、この野郎っ!」
 留まるところを知らない男の雑言を阻むべく、祐希は必死で声を張り上げた。別に
誰に憚ることなどない、祐希にして単なる災難の類であるそれをどうしてか、兄にだ
けは知られたくないと思ったが故に。

 けれど。
 「・・・つまり。祐希は毎日、女の子をとっかえひっかえしてる---って、そういうこと
なんだな」

 ふいに口を開いた兄の声音が、いっそ突き放すような韻を含んでいたように感じ
たのは気のせいだろうか。
 何だよ、それは。今までの会話のどこをどう聞いたらそうなるんだ。俺は乗り気じゃ
ない、って大体尾瀬自身がそう---。 
 胸中に湧き上がった数多の反論は、余りの驚愕に唇から発される前に霧散した。

 確かにこれまでは、パートナーであるカレン以外の女生徒が祐希と実習をともにす
ることなど皆無といってよかった。常日頃、極親しい者以外には遍く冷淡な祐希だか
ら、この度の新研修の導入にカレン以外の祐希フリークが色めき立ったのは、当然
無理からぬことではあったろう。

 だが、しかし。
 そんな一切合財の、何一つとして祐希の所為ではないはずだった。それどころか
いっそ被害者だと声高に叫んでもいいくらいだ。なのに、兄のこのらしくない理不尽
な物言いはどうしたことか。

 それでなくとも毎日毎日、祐希の研修相手には初めて組む女子ばかりが、既に数
週間先までシフト表に組み込まれていた。勿論当人の知らぬ間に。そこに班長たる
腹立たしい男の「配慮」があったことは、火を見るより明らかなことだったが。
 そのこと自体は勿論癪には障るがまあ目を瞑ってもいい。多少ミーハー根性が旺
盛であろうと全力で実習に取り組む姿勢さえあれば甘受しよう、と祐希にして破格の
妥協ラインを設けてもいた。

 だが、しかし。
 何より耐え難かったのは、その押し掛けパートナー---これまで渋々こなした研修
相手であるところの女子---8人中、何と5人もが狭いポッド内での実習の最中、男
である祐希に対し甚だ不埒な行為に及んでくる、という思い出したくもない事実だっ
た。

 例えば。
 全くそんなタイミングではない場面で、偶然を装い手に触れる。
 前触れもなく無遠慮に髪に触れてくる。
 ほんの僅かな機体の揺れに動じた素振りで、腕にしがみつき離れようとしない。
 果ては、身動きが制限された狭いスペースを良いことに、不必要なほど身体を密着
させてくる、等など。

 まさにセクハラと呼んで問題ない所行の数々に、祐希の元来強くない堪忍袋の緒
はいとも簡単にぷっつりとぶち切れた。それでも一度たりと手を上げもせず遣り過ご
してきたのは、偏に兄の教育の賜物であったろう。

 つまりはこれが祐希の「実習はバディ・スキル研修しかサボっていない」現状なの
だった。

 その現実を鑑みれば、兄の態度に祐希が二の句が継げないほど憤慨したのも無
理からぬことだ。が、事情を知らない昴治にそれらを推し量れた筈もない。

 黙したままの弟から今度は昴治がぷい、と目線を外した。明らかに気分を害した様
子で、食べている最中だったミックスサンドを口一杯に頬張ることで黙りを決め込む。

 コトの発端である---狙いとしては、ただ祐希に実習を受けさせるべく、昴治からの
助力を求めたいだけだった---男の背筋にイヤな汗をかかせた事になど、勿論昴治
が気付くはずもなかった。 


 「・・・ええと、昴治くん・・?」
 それぞれが自身の心情を持て余したふうに沈黙した兄弟を前に、イクミは困惑気
味に親友の名を呼んだ。正しくは混乱と動揺を得意のポーカーフェイスの下に懸命
に押し隠しながら。

 祐希が新しい研修の所為で被っている---半分以上は、シフトを組んでいるイクミ
の咎である---セクハラめいたアプローチに辟易としていることは知っていた。それ以
上に、自分がそんな目に合っている実情を昴治には知られたくないと思っている事も。

 そして本人さえ未だ気付いていない、その所以---祐希が実兄である昴治に対し
寄せている思慕が、とうに家族愛を越えているのだということさえもを。

 だからこそイクミは当の祐希が望まない、どころか忌避している不特定多数の少女
らとの接触に進んで尽力してきたのだ。

 祐希が己の真の欲に気付くよりも先に、カレンでも数多いる信奉者の内の誰とでも
いい、早いところ纏まって落ちついてしまってくれるようにと。

 自分が踏み込み足掻き苦しんだ、甘く苦い迷宮。その淵にさえ最愛の友を近付けさ
せたくない---ただの自己満足と言われても良い---その為だけに。

 それなのに。
 昴治のこのらしくない理不尽な物言い、そしてこの様子はどうしたことだ。
 再搭乗から---否、かの8ヶ月に渡る悪夢から救助されて後、兄に対する己の情を
認め、態度で示すようになっていた祐希だから、昴治の何が気に障ろうと、頭から怒
鳴りつけたり手を上げたりすることなどもう有りはしない。が、

 「良いじゃないか。毎回受けろよ、その何とかいう研修。いろんな女の子と知り合え
て、お前だってホントは満更じゃないんだろ」

 この上こんな明らかな売り言葉を投げつけられては、そう黙ってもいられまい。
 「ふざけんな、ばか兄貴!俺がいつそんなこと喜んだよ!」
 「だって!じゃあ何で毎回決まって女の子とばっかり組んでるんだよ!」
 そこか。お前の気に障っているのはやっぱりそこなのか、昴治---背中に流れたイヤ
な汗が、イヤな予感としてイクミの胸中に実態を持ち始める。

 「んなコト俺が聞きてえよ!それこそこいつに言えよ!線表組んでるこの野郎にっ」
 祐希の方はといえば、例え自覚がない現状であろうとも、昴治にその手の誤解を受
けることだけは耐えられないといったところか。身に付き始めていた「なけなしの寛容
さ」によって、今日までは口にしなかったイクミへの不満をとうとうぶちまけた。付け焼き
刃の寛容などそう長くは持つまいと思っていたから、そのこと自体はイクミの想定内で
はあった、けれど。

 「そうなのか?お前のせいなのか、イクミ!」
 愛しい友が憤懣遣る方ない風情で迫ってくる、こんな成り行きをどうして予想し得たろ
う。イクミは引き攣った笑いを浮かべつつ、常から回転の早い頭脳を更にフル稼動させ
て、せめて最悪の事態だけは回避するべく思案を巡らせた。

 「ハイ、すみません・・・女の子たちに是非にと頼まれて仕方なく・・」
 当初イクミが問題にしたのは祐希の「研修サボリ」であって、決して「研修相手」につい
てではなかった。が、しかし。昴治がいま「イクミの所為」と言っているそれは、

 「祐希がここまで、本気で嫌がるとは思わなくて」
 「その所為」で祐希は研修をサボる。だからその原因を作った「イクミの所為」だという
ことなのだろう。そうに違いない。いや、今そう決めた。

 「反省して善処することを約束します。だから実習、ちゃんと受けてくださぁい」
 昴治に叱られてしょんぼりと肩を落とす、振りをした。そうして下手に見えるよう、お願い
ポーズを添えたりもした。

 感情が昂ぶっている今ならば、ふたりが互いへの執着に気付く前に、この事態がイクミ
の悪ふざけからなるただの悶着だと印象付けられるだろう。

 果たして。
 「・・・だってさ。なら、サボったりしないんだよな?」
 「っつーか、元々俺はサボりたくてサボってたワケじゃねえし」
 頑固な面と根が純粋なところばかりが良く似た兄弟は、まんまとイクミの術中に見事な
ほどに嵌ったものだ。

 とはいえこのふたりにこれ以上の余計な手出しは、最早墓穴を掘り兼ねない。真剣に
自重を誓ったイクミは、ひとまずの安堵の息を吐きながらリフト艦に戻るべくよろよろと疲
れ切った面持ちで席を立った。

 テーブルを離れる親友を送り出す挨拶もそこそこに、昴治は向かい合って座る弟へと
身を乗り出した。

 「けどお前、ホントに女の子たちと組むの、そんなに嫌だったのか」
 問われた祐希は端正な貌を兄の幼げな顔に無遠慮に近付ける。
 「男も女も関係ねえよ。狭いポッド内で長時間密着してるんだぞ。よっぽど気心の知れ
た奴とじゃなきゃ堪らないだろ、普通」

 ああ、と弟の言に返った声には、同意したというよりも意を得たことへの喜びが満ちて
いたように感じられた。ほんの数歩しか離れていない位置で、イクミは思わず立ち止ま
る。

 「まあ・・・そうかも。じゃあ大丈夫なのって、カレンさんとか、イクミとかくらいか?」
 「あんた以外ならそんなもん・・・って、なんであの野郎を入れんだよ!あおいならとも
かくっ」

 憤慨も顕わな祐希の返答に、昴治は漸くその声音に笑みを含ませた。
 「だって操船課の中でなら、って普通思うだろ」
 くすくすと笑う昴治の気配がぶつぶつと不平を零す祐希の気配に至極近付いた、気が
した。

 「けど・・・じゃあ俺でも、いいんだ?」
 問い掛けは囁きのように。
 「・・・確かめるようなことかよ、ばか兄貴」
 応えはいっそ甘やかな韻をもって。
 「ばかって言うな、ばか祐希」
 ----一
体どんな努力を持ってすれば、これを睦言と取らずにいられようか。
 「昴ぉ〜治ぃ・・・っ!!」
 振り向き様に駆け戻り、愛しい親友を背中から抱き締めずにはいられなかったこの時
のイクミを誰が責められるだろう。

 「うわっ!何だ、どうした!イクミ?」
 「尾瀬、てめ・・・っ!何しやがんだっ」
 ただ単純に驚く昴治の物問う声と、大事な兄に不埒をはたらく男を排除しようとする祐
希の罵声を拝聴しながら、自分の力不足と読みの甘さを痛いほど噛み締めるイクミだっ
た。

 いっそもう自覚し合ってくれているなら、諦めもつくものを。
 ふたりの、どうやらとっくに手遅れらしい親密度を思い知りつつも、親友を腕の中から手
放せずに抵抗を続ける哀れな英雄に。

 ---誰か、せめて甘いお菓子をください・・・。



 End

「 Trich or treat・・・? 」

はろいん話が、何気にクリスマスらぶらぶっぽい話に(*^。^*)
何時にも増して恥ずかしい兄弟になりました。 イクミの
哀れっぷりも健在です(笑) ともあれ♪メリークリスマスですvv