7月7日、晴れ


 元々は中国の、何とか言う祭りが伝わってきたものだとか、そうでないとか。
 まあそんな真偽は兎に角、祐希には元よりどうでもいいのだった。
 問題はとうにこの「七夕パーティー」の会場に来ているはずの、唯一無二の恋人の姿がどこにも見当たらないという事だけであったから。
 (どこウロチョロしてやがんだ、バカ兄貴)
 会場であるイベント・ルームには、まだPM6時前だというのにすでに大層な人出がある。
 祐希が人込を嫌う性質なのを熟知している昴治が、敢えて待ち合わせ場所をここと指定してきたから、たまには素直に従ってやろうと、こうして珍しく時間より早く足を運んだというのに。
 (まったく---次から次へと、よくこうメンドーなことを企画するもんだぜ)
 次第に騒がしくなっていく辺りの様子に秀麗な眉を顰め、祐希は幾度目か分からない溜息を零す。
 「・・・あの」
 恐る恐るといったふうに、先程から傍らで短冊とペンを握っていた女生徒が二人、揃って手の中のそれを---会場入口でスタッフが洩れなく配っていた---差し出してきた。
 「相葉祐希さんですよね。ずっと、ファンだったんです、サインしてもらえませんか」
 祐希にとってはさして珍しいことではなかった。勿論喜んでサインしてやった試しなど一度もない。であるのに、一向にこういった輩が減らない気がするのはどうしたことか。
 「俺は芸能人じゃねえよ」
 ぶっきらぼうながら一応の返答をしてやるのは、ひとえに「女の子に酷い事を言ったり、したりしない」という、兄との約束を守る為だった。
 「そんなモノにサインさせて、この後それをどうする気だ」とか、「俺の何に対して、どうファンなんだ」とか、問うてみたい気がしなくもなかったが。
 シュンと項垂れる少女らの向こう、大振りの竹笹に短冊を下げつつ、チラチラとこちらを振り返る他の女生徒たち越しに---ようやっと、祐希は愛しい者の姿を見つけた。

 短冊を手にした兄は不自由な右肩をかばいながらも、自分の背丈より高い枝先に、それを結びつけようと懸命になっていた。
 (何であんな無理してるんだよ。いくらでも手頃な枝があんだろ) 
 つま先立った足元が危なっかしくて堪らない。見かねた祐希は人の波をするりと縫って、あっという間に昴治の背後へと回り込んだ。 
 見るでなく目に入った兄の手にある赤い短冊に、見慣れた文字で綴られていたのは---「相葉祐希」---見紛うはずもない、自分の名前。

 「---いまさら、そんなモン願ってどうする」
 身を屈めて白い首筋に問う。 
 痩せた背中が驚きに飛び上がり、音がするほどの勢いで振り向いた昴治の顔は、辛うじて笹に引っ掛けられた短冊よりも、真っ赤に染めあげられていた。

 兄貴、と伸ばした祐希の指先が宙を切る。ごく稀に見せる俊敏さをもって、昴治はその場からまさに逃走したのだ。
 「---っ兄貴!」
 制止の声に躊躇も見せず、兄の華奢な身体は人だかりに消えていった。あっけにとられたのも一瞬のこと、知らず緩む頬を抑える術もなく、祐希は口中に独りごちる。
 (見られたくねえんなら、待ち合わせの時間か場所をもっと考えろっての) 
 滅多に拝めない相葉祐希の微笑。幸か不幸か居合わせた少女らの、声にならない嬌声が周囲に満ち溢れた。

 身惚れて立ちすくむ女生徒の一人が握りしめていた、ライトグリーンの短冊が祐希の目を引いた。
 「おい、それ」
 祐希が指で指し示したが早いか、少女は条件反射の勢いでペンまで添えてそれを差し出した。当然の態で受け取って、祐希は何事かを書き入れていく。
 軽く腕を伸ばして赤い短冊に重なるよう枝にかけ、あとは何事もなかったかのように歩き出す。
 傍若無人といえなくもないその後姿を目で追う人々の中、
 「いい度胸というか、人目を気にしないだけというか」
 「可哀相なお兄さん。明日「これ」見たら憤死ものよ、きっと」
 顔を見合わせて苦笑する、操船課のNO,1と3に数えられる二人がいた。彼らの目前、抱きあうように重ねられた二枚の短冊には、この世で一番「親密な」兄と弟の名が、それぞれに刻まれているということを---とりあえず今夜、昴治は知らない・・・

     
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